第1章 ~姫との出会い 3~
「あらあら。お目覚めのようですね。」
改めてタオルケットで体を隠し、いろんなところを確認していたところに、のんびりと落ち着いた声が聞こえてきた。
ドアの方を見ると、そこに1人の妙齢の女性が立っていた。
「シルマ―ル先生!!」
黄色い声を上げて、少女の表情がぱぁと明るくなった。
ぴょこんとベッドから降り、ドレスの裾を持ち上げながら女性の元へ駆け寄った。
シルマ―ルと呼ばれたその女性も、少女を招き入れるようにして腕を広げる。
――なんて高貴溢れる光景だろうか。
先ほどの少女の可憐な姿に思考を持って行かれたように、素っ裸であることも忘れて、抱き合う2人に思わず見とれてしまった。
高貴などという言葉とは縁遠いアナキスであったが、見とれるとはまさにこのことなのだろう、抱き合う2人の周りに見える澄んだ輝きが幾重にも重なりプリズムを描き出す。
気のせいではないまばゆいばかりの美しさ、それは額に入れて飾ればさぞかし高値で売れるほど見事に美しい光景であった。
「先生、あのお方はやはりお兄様で間違いないですわ。髪の色こそ異なりますが、きっと何か悪い食べ物でも召し上がったのでしょう。ええ、きっと。」
シルマ―ルは、腕の中の少女をかいがいしく抱きしめ、恍惚な表情を浮かべながら少女の小さなおでこに頬ずりをした。
「あらあら、お喜びいただけたようですわね。不肖ながらこのシルマ―ル、誠に光栄ですわ。」
少女の母親ほど年齢が離れているようには見えないシルマ―ルと呼ばれた女性は、聞く者の悪しき心を浄化してしまうのではと思うほどみずみずしく透き通った声をしていた。
純白のロ―ブをゆったりと着こなし、さらに薄金色のショ―ルを肩に掛けていた。
胸には、真紅の絹糸で形取ったジュラム国の象徴である大鷲。
――ジュラム国の聖職者専用の白衣装だ。
聖職者の屋敷には何度も盗みに入ったことがあるため、ひと目でそれが分かったのだが、シルマ―ルには一般的な聖職者のような敬虔でお堅い雰囲気などはなかった。
むしろ必要以上に大きく開いた胸元からどこか娼婦のような大胆なエロスが見て窺えた。
「私も幼い頃から兄上様を存じ上げていますが、そうですわね・・・まるで本物のようですわ。」
シルマ―ルはそうつぶやくと、抱擁から解放した少女の手を取り、ベッドに歩み寄ってきた。
ただ歩くだけで艶やかな栗毛巻き髪と、熟れた果実のような豊満な胸が上下に揺れる。
そして、アナキスをのぞき込むように上半身を折り、前のめりになった。
「だ、誰だお前・・・。な、何なんだよ、一体・・・。」
美しい曲線を描く胸元には、銀色に輝くロザリオのネックレスが挟まるように安定した位置に収まっている。
目のやり場に困りながらも、アナキスはしどろもどろに言葉を続けた。
「た、助けてくれたことには礼を言う。けど、そろそろ教えてくれよ。ここは一体どこなんだ。お前達は何者だ・・・。」
「ですが、このままではいけませんわ。もっと兄上様に近づけないと。そのみすぼらしい灰色の髪の毛は金色に染色して、血の気の失せた細い体には肉を付けさせ、国政に対する知識も身につけさせて・・・。やることはたくさんありますわ。」
「お、おいっ!!話を聞きやがれっ!!ここはどこなんだよっ!?何企んでやがるっ!!」
「あらあら、ひとつ増えましたね・・・。その粗野な言葉遣いも矯正させないといけません。姫様の兄上様は、品格あるお方です。無礼は許されませんので。」
――姫様の兄上。
先ほどから言葉の端々に表れる兄という単語に違和感を覚え、アナキスは眉をひそめた。
(・・・俺が、お姫様の兄貴に、似てるって言うのか?)
シルマ―ルは、外遊を待ち焦がれる子供のように目を輝かせながら両手をすり合わせ、大窓へ近づいていった。
少女はというと、上気した顔をベッドのわきからひょっこりと覗かせ、上目使いで盗み見てくる。
視線がかち合うと、あっと小さく呟き、顔を隠す。
(う、うぜぇ・・・!!)
アナキスは心の中でそう呟きながら、変質者2人を無視して今までの状況を整理した。
シオンと共に潜入したジュラム聖堂、今回の目標物のガラス玉、うまく盗み出して逃走、だが待ちかまえていた宝玉使いヴィクトルによる阻止、目が覚めるとベッドに横たわっていて、少女の介抱を受けていた。
「――ッ!!」
深く思い出そうとすると頭痛が走り、集中力が途切れる。
そもそも俺は何日気を失っていたんだ、シオンは無事なのか、鉤爪と仮面はどこにいったんだ、団長は俺達の帰りが遅いことに気付いているのだろうか、あと少女は文字通り俺の全身を拭いたのか。
煙の中をかいくぐる様に、はっきりとしない情景が浮かんでは、消える。
だが、はっきりと分かるのは、何か嫌な予感がするということだけだ。
アナキスはこめかみを抑え、肩にかかる栗色の巻き毛を指で弄び始めたシルマ―ルを見やった。
「あらあら、まだ気分が優れないのですね。まぁ無理もないですわ、大量の血を流されていましたから。先は長いですわ、少しずつ恢復なさって――」
「盗みに入った不穏分子が――」
頭を振るって痛みを紛らわし、アナキスはシルマ―ルの言葉を遮るほど声を大にした。
「ジュラム国の皇子に似ていた。・・・その人間を利用するために、金にモノを言わせて盗みの罪をもみ消した。・・・・・・ってところか。」
「・・・・・・あらあら。」
どうやら核心をついたのだろう、ニヒルな笑顔を浮かべたままシルマ―ルは押し黙り、そして少女はばつの悪そうな表情を浮かべて、すっかりとベッドのわきに顔を隠した。
「てめぇ、ちゃんと答えてもらうぞ。・・・俺を一体どうするつもりだ。」
「・・・・・・。」
巻き毛を弄ぶ指を止め、シルマ―ルはじっと見つめ返してきた。
軽く舌なめずりをし、やおら言葉を紡いだ。
「薄汚い貧民の分際で素晴らしい推察力ですが、努力賞といったところでしょうか。やせ細った外見とは裏腹に脳味噌までは腐ってはいないようですわね。」
「なっ・・・。」
女神のような甘い笑みを見せつつ、聖職者らしからぬ悪魔のような暴言を吐いた。
突然の変わりように、今度はアナキスが二の句を告げずに押し黙る。
「あらあら、勘違いしないで下さいまし。もみ消したのは今回の事件だけではございません。」
「・・・なんだと。」
訳が分からないと言った顔色を浮かべ、アナキスは続きを促す。
「何百年と続く歴史あるジュラム聖堂に盗みに入った盗賊なんて、処刑どころでは済まされませんよ。絞首刑にしてさらし首、仲間の害虫共も根絶やしするよう国が動きます。それをわざわざ監獄送りから救い出し、さらにあなたの仰る通り私の地位による権力と富による根回しですべての犯罪履歴を抹消したのです。・・・そして、ここに連れてきた。」
やや垂れぎみの両目は見るものを優しく包み込むように暖かいのだが、シルマ―ルの言葉には針のような鋭さがあった。
口を開きかけたアナキスだったが、質問を繰り出す間もない。
「連れてきた理由はただひとつ。姫様の兄上様、つまり、このジュラム国の皇子様の影武者として採用するためです。監獄送りにされるあなたを見て、驚くほど瓜二つのあなたを見て、そう決めました。」
当然だと言わんばかりに大きな胸を張り、シルマ―ルは少女の背後で立ち止まった。
そして少女の両肩に小鳥がとまるようにそっと手を置き――
「もうお気付きでしょうが、このお方こそ、我がジュラム国第17代国王の第一皇女、お姫様でございます。あなたはこのお方の兄上様の影武者になっていただきます。」
明朗な声量で、言い放った。
呼応するかのように、少女―ジュラム国のお姫様―は深く礼をし、心許ない笑顔を見せた。