第1章 ~姫との出会い~
瞼の上から、光が薄っすらと射し込んでいるのが分かった。
体が暖かい。毛布が掛けられているのだろう。それに、ふんわりとやさしく包み込むこの感触、アジトのさびれたベッドと柔らかさが全然違う。
今まで吸い込んだことのない、この甘い香りは何だ。
「――ッ!!」
息のしやすさに仮面が外されていると気づき、アナキスは顔を隠そうとした。
だが、肩に走る痛みで右手が言うことをきかない。
小さく呻き、仕方なく顔を逸らすようにして体をもぞもぞと動かした。
右腕の重みもない。どうやら鉤爪も取り外されてしまったのだろう。
――盗賊が、盗みにあうなんて。情けねぇ。
アナキスは心の中で自嘲気味に呟いた。
――俺は捕まったのか。
――シオンは無事だろうか。
――あの宝玉使い、ヴィクトルは。盗んだ宝玉は。
徐々に意識が覚醒していくにつれて、アナキスの脳裏に真っ先に浮かんだのはヴィクトルの青白く照り光る長剣だった。
形無くうねり、伸縮する剣身。大金槌にでも殴られたかのように重い一撃。為す術なく地に屈した光景がありありと蘇ってくる。
「・・・くっそ!!」
思い出しただけで、右肩の傷口が疼き出す。
全身を舐めるようにして斬りつけられたのだ。痛むのは右肩だけではない。
「・・・あいつ、絶対に許さねぇ。」
「あいつとは、どなたのことでしょうか。」
「ヴィクトルに決まってんだろうが。次会った時は容赦しねぇ。」
「ヴィクトルに何かされたのですか。」
「何かって、てめぇには関係ねぇ・・・って、俺は一体誰と話してん――」
いつの間にかモノローグに介入してきた誰かにぎょっとし、アナキスは痛む体に鞭打ちながら飛び起きた。
若干のめまいに顔をしかめながら両目を開けると――そこには両目があった。
わずか20センチほど離れたところに両目があったのだ。
まん丸い栗色の双眸が水晶のように澄んだ輝きを放ち、ベッドに横たわるアナキスを覗き込んでいたのだった。
重力でこぼれ落ちる金髪と、鼻から抜ける呼吸が、優しくアナキスの頬と唇をくすぐる。
「――うおうぇッ!!」
「――キャッ!!」
全身に電気が走ったように声を荒げたアナキスは、蠅を追い払うように手の甲でぺしっと、文字通り目の前の人物の頬を打った。
「だ、だだ誰だッ!!てめぇ!!」
心臓の鼓動が一気に高鳴り、冷水を浴びせられたように頭が冴えた。
咄嗟に顔を隠そうと体を覆っていた掛け毛布にがばりと包まったが、もう既にまじまじと顔を見られてしまっているだろう。
アナキスは、ベッドの脇でうずくまっている人間――小柄な少女をゆっくりと覗き込んだ。
華奢で細い肩周りを露出した薄桃色のドレスを身にまとっていて、髪の毛は金髪。
1本1本が光輝くそれは、肌の白さをより一層際立たせている。
記憶の引き出しに入っていない類の人間だ。貴族の令嬢か何かだろうか。
「お、おい。ガキ。・・・すまねぇな。ついびっくりして。それで、ここは一体どこなんだ。どっかの屋敷か何か――」
とりあえず、謝罪のひとつから始めたアナキスが少女から視線を周囲に這わせた瞬間、その疑念は一気に雲散し、代わりに開いた口が塞がらない呆気に頭の中を支配された。
「・・・・・・・な、なんだ。こ・・・ここは・・・・・・。」
力が抜け、顔を覆う右腕がだらりと垂れた。
アナキスが居たのは、絢爛豪華な部屋だった。
うっすらと透き通る真っ白いレースが掛かった天蓋付きベットに寝かされ、先ほどから包み込む毛布は羽のように軽く、そして鳥肌が立つほど肌さわりが良い。
右に顔をめぐらせると、両手を伸ばしたくらいのガラステーブルがでんと陣取っている。その上には、赤青黄色とりどりの薔薇模様をあしらった陶器皿が置かれ、オレンジや、ブドウ、バナナ、ザクロといったみずみずしい果物が乗盛られている。
左に顔をめぐらせると、壁一面がガラス窓になっており、その窓の向こうはテラス。夕暮れの陽光をたっぷりと受け、テーブルにチェアが2脚、心の疲れを癒す空間を醸し出している。
ベッド前方は、分厚い本がびっしりと収納された書棚が天井高くまで伸びている。
ベッド後方は、3つの洋服箪笥に巨大な鏡台、その間に挟まれた煉瓦造りの暖炉が完備。
「・・・・・・・な、なんだ。こ・・・ここは・・・・・・。」
アナキスはオウムのように同じ言葉をただただ繰り返した。
もちろん、ここが盗賊団のアジトでは無いということは馬鹿でも分かる。
さらに、富裕層それも超一流貴族が住まう一室だということも確かだ。
「・・・変な冗談だろ。」
顎が外れたようにだらしなく口を開けたまま、ガラステーブルの向こうのドアを見やった。
その上部には、ジュラム国の象徴である黄金鷲の紋章絵がでんと飾られている。
――ヴィクトルの純白鎧に描かれていた黄金鷲と全く同じ物だ。
おいおいおいまさか、と頭の中でひとつの解を導き出したと同時に、額からは冷汗がぶわっと滲み出始めた。
一流貴族の中でもジュラム国の紋章絵の使用が許可されているのは、国政に携わるごく一部の人間だけだ。
そんな主が知ってか知らずか、ジュラム聖堂に盗みに入った輩を監獄送りにせず、こんな絢爛豪華な一室に招き入れるなんて。しかも、ご丁寧にも寝かしつけておくなんて。
不気味さに背筋を震わせたアナキスは、がばりと毛布を押しのけ一目散に大窓へと駆け寄った。
「――ぐおっ!!」
だがそれも、金髪の少女がアナキスの腰に抱きつかなければの話だった。