第2章 ~アナキスは考える 6~
「あー・・・そうなのか。」
かける言葉が見つからないアナキスは、ただただ生返事で答えるしかなかった。
皇子の影武者自体姫のわがままから生まれたものとばかり思っていたアナキスにとって、たった今聞かされた姫の思惑にはさすがに傷み入った。
影武者なんて何の解決にもならないと偉そうに説教したにも関わらず、一番その無意味さを理解していたのだから。
(やっていることと思っていることが真逆の自己矛盾に苛まれて、一国の姫としての勤めを果たそうとしていたのか・・・。ガキのくせに、苦労してんなこいつ。)
見据えた先の少女はまだニヒルな微笑を張り付けながら窓の向こうを見ていた。
窓の外では、風で揺れる大きな木々と、天高くで明滅する小さな星々。
どちらが良いかなんて、誰かが決めていいことじゃないんだ。
ぐるりと後ろを向き同じように窓の外を見ていたアナキスは、ぼんやりと心の中で呟く。
ほのかに照らし出す月の光と、他に人の気配もしない静かな空間で、ぽっかりと胸が空いたような感じたことのないはかなさに浸っていたわけではない。
またおそらくは3つも4つも年齢が下であろう少女がけなげにも一生懸命に国の今後を考えていることに対して、短絡的で半径数メートル以内のことしか考えられない思考範囲の小ささに幾ばくかの嫌気がさしたわけでもない。
ただ、喉元まで出掛かっていた言葉が何のためらいもなく、何の理由もなくとめどなく流れ出て静寂を破っただけなのだ。
「赤い印は愛情の証、青い印は友情の証、そして白い印は親情の証。ジュラム国が建国される時に、初代王様が生まれたての息子に選ばせたペンダントの色だ。無邪気な赤ん坊が掴み取ったペンダントの色によって、王様の息子つまり皇子が今後どのような人物になるかを占う一種の儀式みたいなもんだな。」
「・・・。」
唐突な話に戸惑っているのだろう、ふと視線を窓から戻した姫は大きな栗色の両目を瞬かせた。
「赤を選んだ者は家族を敬い国民に強い慈悲を持ち、青を選んだ者は自国だけでなく他国とも親交が厚く、白を選んだ者は歴史の為政者に国の繁栄の理を学ぶ。それぞれ選んだペンダントの色で大まかに性格を分けているそうだ。まぁ、昔の人間が好きそうなお遊びだぜ。天に決めてもらおうとか、運命に身を任せようとか。」
姫は首元に付けたペンダントをおもむろに取り出す。
それは、7つの光り輝く宝石が埋め込まれた楕円形のペンダントで、姫の片手で握りしめる程の大きさである。
この変哲のないペンダントにそのような逸話昔話があるなど聞いたことがない、と怪訝な様子で姫は首を傾げた。
「このペンダントはお兄様が去った2年前の日に、手紙とは別に置いてあったものです。そのような、歴史が古く価値ある物のようには見えませんが。私が知らないことをあなたが知っているなど不思議なもので、第一私が勝手にお兄様の形見だと思って身につけた程度の装飾品ですわ。そんな空想、誰が信じるとでも・・・。」
「そりゃ、お前は女系だからな。それは、男系の跡継ぎ候補が生まれた時だけ儀式として行われる代物で、次の男系が生まれるまでは選んだ本人がずっと持ち続けるんだよ。持ち続けると言っても、冠婚葬祭以外は特に身につけたりせず保管しているわけだが。・・・・そりゃまぁ、一般人にとっちゃまずはお目にかかれない宝物なわけで、さらに裏市場で売りさばけば城下町付近の一等地は軽く購入できる程の箔がついているに違いない。」
宝、売りさばく、盗賊が好むフレーズに姫は反応し、先ほどからいやらしい目つきで胸元を凝視するアナキスから体を背けた。
そして、じとっ、と嫌な目つきでアナキスを睨みつけ、丸まる様にして両足を椅子に乗せては身を引く。
「こ、こっちを見ないで下さい。そもそも、さっきから一体何の話をしているのですか。もしこのペンダントがあなたの言うように古くから価値ある物だとしても、なぜ今それを語るのでしょうか。・・・・・・あなた、このペンダントを盗もうとお考えではないですか。」
「ばか、ちげぇよ。」
反射で否定するアナキス。
心外だと言わんばかりのその反応に、思わず自分でもおかしいなと思う。
「まぁ、今から盗もうとする物に対して注意を向けさせるのは効率が悪いと思いますが、それ以外に何か意味のあることは―」
「白い印のペンダントだろ、お前が身につけているのは。」
姫の手の中に納まっているペンダントを指さし、アナキスは少し躍起になって言い返した。
「・・・それが、どうしたというのですか。」
「ああ、もう。人の話し聞いてなかったのかよ。だから!お前の兄貴がお前を見捨てることはねぇってことだよ!」
最後の言葉はまた喧嘩腰のつっけんどんな言い方になってしまったが、姫の過剰な反応を確認して、アナキスは感情を抑えた。
そっと覗き込むように、姫は手の中に収めたペンダントの色を確かめる。
「男系の跡継ぎが本来選ぶべきペンダントを、お前が持っている。そして、首から下げているペンダントは白色。それだけ言えばもう十分だろ。後は、俺の話を信じるかどうかだ。」
くだらないと言わんばかりに肩をすくめたアナキスは、一度全身をベッドに預けて、しならせた反動で飛び起きた。
ギシっと、ベッドが不満を漏らす。
「まぁ、俺に取っちゃどっちだっていいがな、信じてもらおうがなかろうがよ。」
何か言いたげな姫を置き去りに、アナキスは逃げるようにしてドアへと歩き出す。
「・・・・まぁ、お前の兄貴は薄情もんじゃなさそうだな。少なくとも。」
小さく呟いた言葉は姫の耳には届かなかったかもしれないが、じっと椅子から動こうとしない姫をちらりと見やって部屋を後にした。
廊下はびっくりするほど暗く、そして少し肌寒い。
等間隔に置かれた吊ランプは姫の部屋を訪れた時と同じくそこを照らし続けていた。
何も不満を言わず、その場所を誰かが通らないかもしれないのに、じっとずっと照らし続けていた。
そして、アナキスは閉めたドアを背にし、後悔した。
仕事柄上、まがい物を掴まされないよう目利きと金目の物の知識が付いたものの、この限定的な知識など誰かの役に立ったことなど一度もない。
盗賊団員からは豊富な知識量を必要とされてはいたが、それは誰かのためにではなく自分のために努力して得た結果だ。
自分が困るから努力したのであって、決して誰かのためではない。
今回も、姫の機嫌を直して自分の益とする部分は大いにあった。
あったのだが、金目の物を盗む時と何かが違う、不思議な感情がぐるぐると渦巻いている。
良かったのか良くなかったのか、判断が付かないことを悶々と考える自分を見つけて後悔しつつ、かすかに聞こえてくるすすり泣く声から逃れるようにアナキスは暗闇へと入っていった。