第2章 ~アナキスは考える 3~
「私達兄妹は、現16代目国王とその王妃の間に生まれ、幼い頃から英才教育を受けて育ちました。歴史、政治学、経済学、軍学、占星術・・・この国の長たるべき姿を描きつつ、私達兄妹は時に競い合い、時に助け合い、切磋琢磨してきたのです。この国のために何が出来るか、何を為せるか、日々考えながら。そして、お兄様は厳格なお父上が一目置くほどの文武両道の大変優秀な皇子へと成長なさったのです。民と部下を思いやるその高邁な精神は、自国だけでなく他国からも時流に乗った奇才として注目を浴びました。今ある外交関係もお兄様の人望がなせる業と言っても過言ではありません。」
目を閉じ、得意げに口角を上げながら姫は語る。
まるで、あたかも目の前に本物の兄の姿が見えているかのようだった。
滑らかな肌、艶やかな髪、そして桃のようにぷっくりと熟れた小さな唇。
まるで芸術作品のように均整の取れたその容貌は、美しいの形容を遥かに超えていた。
「ふーん・・・。優しくて、思いやりもあって、喧嘩も強くて、人望も厚くて。ますます同じ人間とは思えねぇな、そいつ。」
他人にも自分にもストイックで、自分勝手で、喧嘩っ早く、妬みと恨みを買い続けてきた自分の数十年の生き方を振り返り、アナキスはやさぐれたように薄ら目を向けた。
姫はと言うと、ふふんと自分が誉められたように胸を反らす。
――小さな膨らみが申し訳程度に主張する。
「自慢の兄ですわ。世界を統一し、その長を決めたとすると、まさしくお兄様がその任に選ばれることでしょう。それほど、影響力を持ったお方なのです。」
「だが、その頼りがいのあるお兄様が突然姿を消したってわけか。」
地雷を踏んだのだろうか、その言葉を発した途端、姫は先ほどの誇らしげな表情から一転、眉をハの字に曲げてしゅんとしおらしくなった。
急に黙り込み、栗色の両目が細められ、視線を落とす。
おいおいおい、分かりやす過ぎるだろうが。
なだめすかすのも面倒で、たっぷり10秒待って、アナキスは次の言葉を促した。
「・・・・・本当に、突然でした。何の前触れもなく、お姿を隠されたのです。」
胸の前で合わせられた両手は、小動物のように震えている。
「初めは、悪い冗談かと思いました。少々、悪戯好きなところがあるお兄様ですので、私をからかっていらっしゃるのかと。」
テーブルに並べられた本を見つめているようでいて、だが姫の視線はそのどれも見てはいなかった。
その先にある、黒い渦のようなわだかまりを目にしていたに違いない。
「眠る時はいつも優しく頭を撫でて下さいましたお兄様。舞踏会の際はいつもお手をとって先導して下さいましたお兄様。・・・お兄様が傍にいらっしゃるだけで、温かい寵愛に包まれているように毎日が幸せでした。・・・・・・ですが、今となってはもう2年も前のこと。」
力なく、だらりとした体をストンと椅子に預け、姫は空元気の笑顔を見せた。
どうすることもできないという、諦めの笑顔。
自分は悪くないという、言い訳の笑顔。
その場しのぎの、薄っぺらい笑顔。
チビガキのくせに、何を大人ぶっていやがる。
なまじ勉強ばかりで頭が良いからか、本音を出さないで我慢する傾向がコイツには見られる。
周囲の大人達の顔色を窺って、自分の意見は後回し。結果、自分自身を苦しめることになってもコイツはそれを選ぶだろう。
まぁ、俺にとってはどうでもいいことだが。
アナキスは人差し指でテーブルを不規則に叩いた。
「こちらから見つけ出そうにも何も手がかりがありません。」
姫は小さくため息を漏らし、頭を振った。
金粉が舞うように金髪がふわりと揺れる。
「国をあげて世界中を探し回りました。ですが、お兄様の姿を見た人はおろか、お亡くなりになったという説がそこかしこで噂されるようになったのです。」
両目を閉じ、祈るように手を組む。
「私にできることと言えば、もう祈ることしかないのかもしれません。」
小さく呟き、頭を垂れる。
「お兄様の無事と再会を祈って私は・・・。」
白磁の肌がますます白くなっていき、最後には両手を合わせたまま深く瞑想をし始めた。
いらいらが募り、とうとうアナキスの中で何かがゆらりと動く。
「寝るな、ガキが。起きろ。」
「いたっ!!何をするのですかっ!!寝てなどおりません。」
今まで黙って聞いていたアナキスは、テーブル越しに姫のおでこにデコピンをお見舞いした。
そして、薄っすらと涙目になった姫をよそに気に食わないといった様子でさらに言葉を繋ぐ。
「それでいいのかよ、チビガキ。それから・・・・これでいいのかよ。」
「・・・な、何がですか。」
姫は眉をひそめ、分からないといった表情を浮かべた。
「『見つからない、見つからない』って、言いたいことはガキみたいに主張して、結局は他人任せで終わらせて、それでいいのかって言ってんだよ。自分で見つけ出してやるぐらいの気概もみせねぇつもりか。それに、それだけ兄貴のことを想っているんだったら、これなんか雇っていいのかよ。」
親指で自分を指さし、テーブルを登らん勢いでさらにアナキスは姫に迫った。
「影武者だよ。偽物の兄貴なんかこしらえて、解決したつもりになって、目の前の問題から目逸らしてんじゃねぇぞ。」
「あ、あなた・・・。ジュラム国第1皇女である私に説教ですか。いくらお兄様の影武者だからと言って、私と対等の立場にいるのは、影武者の事情を知らない他人の目がある時だけです。」
「うるせぇよチビガキが。こっちはお前のわがままに付き合わされて迷惑被ってるんだよ。」
「何が迷惑ですか。今まで南部で育ってきた貧乏人のあなたにとっては、夢のような生活を約束したのですよ。感謝されこそすれ、悪口を叩かれる筋合いはございません。急に何ですか、お兄様のことが知りたいと少しはやる気を見せたと思いきや、知った風な言葉を並べて・・・。あなた、赤い仮面を被って盗賊をやっていたのでしょう。でしたら、ここでも影武者の仮面を被って、ただ私の言われた通りに踊っていればいいのです。」
アナキスの中で、糸のように細い堪忍袋の緒が切れた。
バンとテーブルを叩き、薄桃色のドレスの胸倉を引っ掴んだのだ。
その反動で本が数冊床に落ちる。
「調子に乗るなよ、ガキが!!昨日も言ったがな、俺は好きで影武者なんかやってんじゃねぇよ。それに、好きで貧乏な暮らしをしてたわけでもねぇ。お前達金持ち連中が自分の私腹のために利用した結果の貧困だろうが!!毎日いつ身ぐるみ剥がされるか分からない地域を生み出したのはお前達だろうが!!・・・いいか、よく覚えておけ。俺達がやっているのは義賊だ。金持ちの奴らから金品奪い取って貧しい奴らに分け与える。何も悪いことなんかやってねぇ。」
息のかかる距離でアナキスは吠えた。
初めて喧嘩という喧嘩を吹っかけられたのだろう、姫はきゅっと口を閉じ目にはうっすらと涙が滲み始めている。
全身が震え、声を出せそうにないが、栗色の両目はまっすぐアナキスを見つめ返していた。
その眼差しには、なけなしの勇気をかき集めた小さな炎が燃えていた。
「けっ、バカバカしい。」
アナキスは乱暴に姫を突き離した。
小さく華奢な体が、イスに崩れ落ちる。
「せっかくお前の甘ったれた考えを正してやろうと思ったのによ。気分悪いぜ・・・。」
両手を上に広げ、大きくため息をつき―
「・・・おおかた、お前に愛想尽かして出て行ったのかもな。金魚の糞みたくっついてくる割には、一人前にわがままな意見を並べるお前にな。・・・ああ、そうか、分かったぞ。」
床に散乱した本を気にも留めずに踏みつけながら、アナキスは言い放った。
「何も兄貴のことを知らなくても、お前のそのわがままで性悪な性格を真似すればいいじゃねぇか。お前の兄貴の性格もどうせそんなもんだろ。いや、一国の皇子が逃出すくらいだ。案外お前の兄貴の方が汚れた根性してんじゃ―」
アナキスの言葉は最後まで聞こえず、その代わりに短く乾いた破裂音が部屋中に轟いた。
片目を瞑り、アナキスはあらぬ方向へ首を曲げている。
数十秒時が止まったかのような感覚を覚え、そして追ってやってきた痛みを和げるように左頬を軽くさすった。
姫の右平手打ちが炸裂したのだ。
「な、何しやがんだ!!とうとう本性現したな―」
いつの間にか目の前にやってきた姫の胸倉を掴み上げようと睨み返した瞬間、アナキスは言葉に詰まった。
今度は大粒の涙を流しながら泣いている姫がそこにいたのだ。
小さくすすりあげる鼻は赤く、唇はわなわなと震えている。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・わ、私の気も・・・・・・・知らないで・・・・・・・・・・・・・。」
かろうじて絞り出した言葉は、はかなく空気を震わせて消えた。
そして、逃げるようにして姫は扉の方へ走り、部屋を出て行った。
盛大な音が響きわたり、しっかり閉まらなかった扉が反動で少し開く。
「・・・・・・・なんだよ・・・・・。殴って、泣いて・・・・言いたいことあるのなら言えばいいじゃねぇか・・・。」
ひとりごちたアナキスは、頬を何度もさすりながら扉を睨み続けた。
そして、姫を掴み上げた時、想像以上に軽かった華奢な体の感触を確かめるように、右手を軽く握りしめた。