第2章 ~アナキスは考える~
ジュラム国本城から2、3キロ離れているここ来客用屋敷には、メイド4名と王族直属近衛兵15名が常駐し、客人のもてなしを主な業務として行っている。
「では、行って参ります。皇子が記憶喪失だという不測の事態に、お側を離れてしまうことをお許しください。」
「シルマール先生。ご心配には及びません。いくら記憶をなくされていようとも、私の兄上様です。兄妹の力を合わせて、きっと恢復に向けた一筋の光を見つけ出して見せます。」
北から東に連なるジュラ山脈を背後に構えて建設されたジュラム国本城は、その切り立った山々に劣るとも勝るほど巨大で、見上げる者達に威圧感を与えながら国の政を執っている。
その、次期皇子がこの国から忽然といなくなってしまったのはおよそ2年前。
何の前触れも音沙汰もなく姿をくらませたお騒がせな失踪事件を皮切りに、ジュラム国民は2年もの間、何ひとつ情報を掴めずにいた皇族の体制に不信感と憤りを募らせていた。
「あらあらあらあら・・・。なんと頼もしいお言葉でしょう。不肖シルマール、とても感慨深いですわ。」
「私もいつまでもふさぎ込んでいてはいけませんので。お兄様が不在の2年間を無駄に過ごしたと揶揄されては一国の姫として民に示しがつきませんので。」
期せずして、宝玉をめぐって連合を組み始めた隣国との外交には奥手となる一方で、東の商業地帯、西の工業地帯と並び称される南の貧困地帯が目立つ有様となっていた。
金品を盗む者や、職を失った者、ごろつき、異常者などワケありな者達が、水で一杯になったコップからこぼれ落ちるように南部で不法住居を構える。
仕事もなく、罪を犯すことでしか生きられない貧困地帯、つまり国の内政悪化をあからさまに映し出していた。
――もちろん、南部出身のアナキスも例外ではない。
「ですが、結局のところふさぎ込んでいた私をこのように勇気づけてくれたのは紛れもないお兄様なのですね・・・。まだまだ未熟です、私は。」
国民に希望と活気を与え、隣国の連合に睨みを利かせられる、何か一大イベントはないか。
ジュラム国選りすぐりの枢機卿達が集まり、三日三晩ぶっ通しで行われたジュラム国意思決定会議にて出された結論は、失踪した皇子を見つけ出すことであった。
「いいえ、姫様。変わらないことは簡単ですけれど、変わろうとするその瞬間の一歩は自身で踏み出さないといけません。その行動は、あなたの中に大きな変化をもたらします。良いようにも、悪いようにも。・・・いずれにせよこの不測の事態を方向づけるのは姫様自身なのです。姫様だけが、この国を救うことができると言っても過言ではございません。」
失踪皇子を見つけた者には、現国王の右腕として政務を執り行う任を与えられる、いわゆる大臣以上のイスが与えられるのであった。
だが、そうは言っても生きているか死んでいるかも分からない状態で皇子を探し続ける財も情報も枢機卿達には持ち合わせていなかった。
現状維持を続け、何か変革をもたらす動向を互いに牽制し合う、枢機卿達の不毛な時間が垂れ流しにされていたのである。
そして、ちょうど1週間程前、枢機卿の誰もが一大イベントであるこの失踪皇子の発見に懐疑的になりかけていたころ、遂に変革をもたらす人物が見つけられたのであった。
「何してんだよお前ら。・・・さっさと行け、ホラ。」
それが、アナキスであった。
「なっ・・・お兄様、乱暴はよして下さい。」
アナキスはシルマールが乗っている馬車の車輪を急かすようにして蹴り飛ばした。
たしなめるように姫はアナキスを叱責する。
国王、大臣、その他の枢機卿に、犯罪者を影武者に仕立て上げるとはシルマールは言えなかった。一般人で、皇子に似ている人物を発見した。それ以外の情報はゼロ。
過程はどうであれ、文字通り「見つけた」ことに変わりはなった。
必要なのは、国民に希望と活気を与え、連合国への睨みを利かせられる、一大イベント。
国内国外共に信頼厚く、名高い皇子。その人間が居れば良いのだ。
「お兄様、いくら記憶喪失であったとしても、お優しい行動をお願い致しますね。・・・特に、姫様には。」
念を押すようにゆっくりとかけられた言葉に、アナキスは一歩後ずさり、不味い料理を口にした時のような表情を浮かべる。
それはちょうど、青い仮面を被った小さな人形がちらりとシルマールの手元で姿をのぞかせたのと同じタイミングであった。
「けっ・・・・うるせぇよ。俺に指図するな。」
ぬめりと差し迫ってくるこの国自体の危機を案じ、本物の皇子を見つける妥協案として出されたのが「影武者」という結論だ。
さらに、「2年間の失踪の間に記憶をなくしてしまった皇子」という訳の分からない設定で、国民を、他国を騙す「影武者」。
シルマールはちょこんと馬車の窓から覗かせる姫を愛おしく眺めては、きらめく金髪を手の甲で撫でた。
「では、枢機卿定例会へ本城に参ります。夜までにはこちらの屋敷に戻って参りますので。」
「はい。政務を最優先して下さいまし。・・・・あと、お父様にお会いすることがございましたら、元気にしているとお伝えください。」
「・・・・承知致しました。」
自分の仲間を人質に取られ、搾取される側から一夜にして搾取する側へと転職することになったアナキスは、かみ殺さずあくびを盛大にする。
その姿を見たシルマールは、馬車の中で頭を抱え込んだ。
「あいつ、どこか出かけるのか。というか、お前は何もしなくてもいいのかよ。一応この国のお姫様なんだろ。お前も一緒に行けばよかったのによ。」
段々と小さくなっていく馬車を見送りながらアナキスは隣の姫に言った。
「シルマール先生は本日行われる枢機卿会談の定例会にご出席されます。そして、私のお仕事はお兄様。あなたの調教ですわ。」
頭2つ分程の身長差がある青年を見上げるように、「調教」という単語を口にした姫は一瞬頬を赤らめた。
だが、覚悟を決めた固い表情を浮かべて―
「さぁ、今日もたくさんお勉強しますわよ。」
アナキスの袖をひっぱって屋敷に戻って行った。
吐きそうなほど顔を歪めたアナキスを無視して。