第6章 ~そのあとに~
突き抜けるほどすがすがしい青空に、まだらな白い雲。
爽快な気分にさせる快晴の下で、アナキス達はそよぐ風に身を任せていた。
横に細長い2階建ての豪奢な屋敷を一望し、馬の嘶く声を耳にする。
ジュラム国南部に居れば、一生味わうことがないだろう風景。
そして、隣にはジュラム国の酸いも甘いも思うがままにする姫が佇んでいる。
プラチナブロンドが無重力にふわりと揺れ、白磁の頬が薄く紅潮するその様は、まるで絵本の世界から飛び出してきた妖精のようた。
手を伸ばせば触れる距離なのに、どこか違う世界に居るような感覚。
本当に現世の人間なのかと見間違うほどで、姫はただただ美しい双眸を見開いているだけだった。
――いや、どちらかと言うと心ここにあらずと言うべきか、茫然自失に立ち尽くしていたと言うべきか。
姫は、屋敷をじっと見つめたまま一歩も動かなかった。
こめかみには垂れ流される冷や汗、わなわなと震える両拳。
「いやーわざわざお姫様が見送りに来ていただけるなんて。道中災いが無いよう女神が祝福でもしてくれているようで嬉しくって。」
門番が居る城壁検問所からは、屋敷を一望できるほどの距離がある。
劣悪環境な南部で育ったアナキスでも一目で分かるほど、豪奢な屋敷は今やボロ屋敷にすっかり成り下がっていた。
窓ガラスは3分の1が割れ、大きく陥没している壁、陽光を反射する未だに解けきれていない氷塊が屋敷のそこらじゅうにこべりついている。
盗賊達の襲撃、殺し屋との騒動に耐え得た屋敷は、夜な夜な怪奇現象を引き起こすいわくつきの立ち入り禁止区域のようだ。
「これ以上長居をしてもお邪魔だろうから、私達は早々に退散させてもらうか。」
カインは、これからの長旅の労をねぎらうように、またがる馬の首をさする。
「ええ。しかしカイン様、お怪我はもうよろしいので?」
隣りに控えるエブが言葉を重ねた。
「休んでもいられなくって。これ以上ジュラム国に迷惑をかけることはできない。それに、私に与えられた任期は1年だからね。頑張らなくてはいけなくって。」
胴をぐるぐるに巻かれた包帯をさすり、カインはエブを心配させまいとしたのだろう、眉をハの字に曲げながらも笑みを浮かべた。
「熱心なこと、至極痛み入ります。」
「次はラインハルトだったね。さぁ行こうか。」
手綱を弾ませたカインは隣のエブにそう促した。
そのエブ率いる調査団員らは、門番達の前を通り過ぎようとする。
「・・・あの、カイン様。」
それを遮るように、か弱く小さい声が空気を震わす。
「少々、お話があるのですが・・・。」
「いや、姫殿。お忙しい御身。私達の出立など些末なこと。お気になさらずに、どうぞ捨て置いてくれてよくって。」
「旅路のことではなく、もっと大事なことが・・・。」
「いや、姫殿。心配なさるな。これしきの怪我、ただのかすり傷です。」
「あなたの怪我のことではなく、私達の・・・。」
「いや、姫殿。私に任せなさい。盗賊の襲撃など、上層部にはよく言っておくので。ささ、お仕事がおありでしょうから、これにて失礼。」
「そのことでもなくて――」
「私達は独立機関ですので。介入はできなくって!」
では、と大きく手綱を振るわせたカインは姫の言葉を途中で遮った。
手を伸ばして制止する姫から、逃げるように一心不乱に馬足を速めた。
後ろを振り返る間もなく、一目散にその場を後にする。
「おーい!ちゃんと上層部とやらには、てめぇのせいで屋敷がぶっ壊れたって報告しとけよー!!・・・って、聞いちゃいねぇだろうな。」
アナキスは、すっかり小さくなったカイン達を殴るように叫んだが、ただの徒労に終わった。
「あーあ、行っちゃったじゃねぇか。殺し屋を追い払ってくれたことは感謝はするが、そもそもあいつが千竜矛を盗まれなければこんなに被害は大きくならなかったろうに。」
「・・・。」
「謝罪の一言もくれてやらなかったぜ、あいつら。シルマールが帰ってきたらどう言い訳するんだよ。」
脱力する姫に追い打ちをかけるように、アナキスは投げやりな言葉を投げつけた。
「ま、まぁ良いではないですか。こうしてお2人とも無事でいらっしゃるのですし。」
押し黙る姫の代わりに応えたのは姫専属メイドのケフィーだった。
「そりゃそーだけど・・・。」
見えなくなったカインから目を逸らし、姫はまたも屋敷を眺めた。
衛兵らがぽつりぽつりと修繕作業に当たっているのが窺えるが、一度修繕した箇所をまたも直すのかとなると当然やる気も下がるだろう、動きは散漫だ。
「・・・い、言い訳も何も、元々の目的である宝玉の紛失がばれませんでしたし、良しといたしますわ。」
「そりゃそーだけど・・・。」
同じく遠い目で屋敷を見つめたアナキスは、姫の狼狽を聞かなかったようにして同じ言葉を繰り返した。
「ささ、姫様、皇子様、天気もいいことですし、今日は青空ティータイムと決め込みましょう。」
満面の笑みを浮かべたケフィーは、姫の手を取り先導する。
「優雅なこった。」
俺はしばらく横になるか。
アナキスは小走りの2人を視線の端に見ながら、大きく伸びをした。呼応するように全身の節々が激痛を呼び覚ます。
いつまた白装束のような殺し屋が来るか分からない。
今のままじゃ到底太刀打ちなんて出来ないだろう。
シオンもアンも団長もいない影武者生活の中で、まずは自分の身すら満足に守れるようにしなくてはならない。
「・・・やっぱりアレが必要だな。」
小さく独りごちたアナキスは、ゆっくりと屋敷へと歩を進めた。