05.公爵夫人の招かざる客
「……ミルホロウのパテ。クリームソース掛け」
「く、口の中でとろける美味しさ! しかもこのソース甘すぎなくて好きかもっ」
「……甘いのは、苦手?」
「甘すぎなければ大好きですっ!」
「……なら、レトレト野菜のプティング、いる?」
「レトレト野菜がなんだかよくわからないけどっ、でもでもっ! プティング食べたいですっ!」
「……ちょっと待ってて」
抑揚のない静かな声でそう言うと、目の前で料理を始めてくれるマーチに感謝。
食堂に着いてから手際よく料理を始めたマーチは、簡潔にだけど、それでもこれはなんだとか教えてくれながら料理をしてくれた。
異世界の食べ物って変なものしかないのかなって思ってたけど、そうでもないみたい。
少なくとも、味については大絶賛させてください! ほっぺたが落ちそうです!
やっぱり、ここが海賊船って言うのは嘘なんだ。
船内だけじゃなくて、マーチが作る料理が美味しいのなんのって、三ツ星レストランで出てきてもおかしくない料理なんじゃないでしょうかっ!
美味しい料理を食べれてわたし幸せです……。
「そんなに美味しいの?」
「美味しいよっ! こんなに美味しい料理、わたし食べたことないもの!」
「ふーん、料理人冥利に尽きるんじゃない?」
フォークを持って力強く言いきってから気付く。
……いつの間に隣に来てたの、この人。
紫色の髪を無造作にかきあげながら、チェシャ猫はにやにやと笑いながらわたしの隣に、さも当然とでも言うように座っていた。
「チェシャ猫も……チェシャって呼んでもいい?」
「呼び方とか気にしないし、好きに呼べば?」
さらりとそう言ったチェシャは、特に気にしてるわけでもないみたい。
やっぱり、ただの人を猫って言うのに抵抗があった。
これが異世界っぽく猫耳とかしっぽとかついてたら、むしろ猫って呼んだだろうけど。
猫っぽいとは思うけど、どうみてもわたしより年上の男の人だし。
「じゃあ、好きに呼ぶけど……チェシャもマーチのご飯食べに?」
「……あんたに会いに来たって言ったら、どうする?」
「うぐっ」
丁度また一切れ頬張ったときに言われたものだから、動揺して喉に詰まらせた。
むせりながら何とか押し流すと、チェシャはにやにやとこっちを向いて笑っていた。
からかわれたってこと?
「やっぱ、反応がかわいーよね? つい苛めたくなっちゃう」
「全然嬉しくないんだけど」
「やっぱ、アリスでいいんじゃない? 偽者とか言って船下りられると困るんだけど」
「それは、暇つぶし相手がいなくなるからでしょ?」
「目、逆三角形になってるけど?」
「誰がそうさせてると思ってるの?」
「俺じゃない?」
にやにや、にやにや。
チェシャと話してると、ずっとからかわれてるように思えてちょっとイライラしてくる。
ぱくりと、ソースをたっぷりつけたパテをまた一切れ口にした。
「ま、そんなことは放っといて、と。ウサギ、伝令」
がらりと、雰囲気が変わった。
「もしかしたら一戦交えるかもしれないから、汁物には気をつけて。あとは俺と待機」
「……わかった」
そう言うなり、マーチは調理場を綺麗に片付け始めた。少し寂しそうに。
それより、今、なんて言った?
チェシャは、今なんて?
フォークをくわえたまま動かなくなったわたしの思っていることが伝わったのか、チェシャはひょいと肩をすくめた。
「ユキ、この船なんなのか知ってる?」
「【不思議の国】号」
「半分当たり。正しく言えば【不思議の国】号って言う海賊船」
海賊船。
見た目がどうであれそれは事実で……。
せっかく忘れようと思ってたのに。
少し変わった船員が乗った豪華客船だと思いたかったのに!
「……大丈夫」
カウンター越しにマーチがそう呟いて、腕を伸ばしてきた。
ぽんと、頭に乗せられる。
「……きっと、戦わない」
「きっと?」
「ま、戦ったとしても負けないし」
わしわしと撫でられる頭と、チェシャの自信過剰な言葉にちょっとだけ安心した。
わたしには戦うってことがどんなのかわからない。
でも、それによって誰かが傷付くなんてことが起こるのは分かってる。
分かってるなんて偉そうなこと言っても、それは知識として知っているだけで本当はどんなものなのかは知らない。
知らない場所にいたからこそ、知らないままでいたかったって思う。
「そんな不安そうな顔されても、困るんだけど?」
「……ごめん。マーチも、ごめん。ありがとう、ご馳走様でした」
わたしが何をしたとしても、何を言っても変わることなんてないんだろうけど。
小さく息をついて、両手を合わせてご馳走様と言うと、マーチはそっとわたしの頭から手を外して食器を片付ける。
「あ、わたし片付けますよ」
「……いい」
短い断りを言ってから、ふと手を止めてわたしをじっと見る。
そして、ぽつりと
「……また、食べてくれたら嬉しい」
って小さな声で言ってくれた。
そう言えば、わたしまだプティング食べてない……。
食い意地が張ってると言われればそうなんだけど、ちょっと残念だなって。
「プティング食べたかったので、是非また食べさせてください……!」
そう言うと、ちょっとだけ。
ほんのちょっとだけマーチさんが笑ってくれたような気がした。
「ちょっと食い意地張ってない? 太るよ?」
「よ、余計なお世話っ!」
「抱きかかえとき、重いって言われたらどーすんの?」
「どうしてそんなことされなくちゃならないの? わたし、自分の足で歩けるし」
失礼な言葉の連続にちょっとイラッとしたわたしに、チェシャ猫はなぜか噴き出した。
なんで? と思ったら、マーチが「……やっぱり変わってる」とまた呟いてた。
「怒る部分違くない? そこ?」
「お、重いのは分かってるのよっ。そこ今更否定するつもりはないって言うか、チェシャは失礼すぎっ!」
「ふーん、じゃ重いのは覚悟しておくよ」
「はぁっ!?」
一体何なんだこの人はっ!
これじゃまるでこの後そうすることになってるような言い方で……
「わ、わたしは自分の足で歩けるからね……?」
「どーだろうね?」
「何やってるんですか、猫」
にやにやと笑いながら詰め寄ってくるチェシャに困っていると、救いの声とも言える声を入り口からヤマネくんが掛けてくれた。
これ幸いと慌ててヤマネくんの下に駆け寄って、後ろに隠れる。
「え、ア、アリス?」
「チェシャ、からかうのはやめて」
「……猫。アリスに何したんですか」
「ネズミが何かっこつけてんの? 何かしらけた。ウサギ、先行くから」
挑むように構えていたわたしだったけど、どこか機嫌が悪そうにチェシャはヤマネくんを押しのけて食堂から出て行った。
一体なんなんだろう、あの人は。
「まったく……。猫は気まぐれなだけだから、気にしなくても良いよ」
ヤマネくんがあきれたようにため息をついてそう言ってくれた。
……そう言えば、気分屋とかマイペースだとか思ってたっけ。
それから、油断ならない人、とも。
「……ヤマネ、何があった?」
マーチが長く反った剣を携えて静かに歩み寄ってきた。
今のやり取りなんか気にもしていない、そんな180度違った雰囲気で。
「もうすぐ公爵夫人の島へ上陸します。だけど、先客がいるみたいなんですよね」
「……先客」
公爵夫人の島。
それは、わたしがアリスではないと証明されてしまう島。
まだこの船から下りたくないと、この船に居心地の良さを感じてしまっているわたしは、小さく胸を押さえた。
「しかも、その船は招待を受けてない船だったらしいんです。それでも強引に上陸したらしいんですよね」
「……念には念を入れて、か?」
「えぇ。今回は僕も上陸の命が下されました」
「……そう」
何か考え込むようにしていたマーチは、ふとわたしの方を見てぽんと頭に手を乗せた。
優しく撫でられる。
マーチのコレは、嫌いじゃない。
「……ヤマネと、マッドがいる」
「わたしは……」
「……アリスじゃなくても、ちゃんと守る」
少し屈んで目線を合わせながら、マーチはそう言ってくれた。
「大丈夫。僕が絶対守るから」
ヤマネくんが、ぎゅっと手を握ってくれた。
ほら、海賊船だなんて嘘みたいに優しいんだ。
わたしみたいなただの小娘にも、こんなに優しく気遣ってくれる。
だから、嘘のアリスでも良いからこの人たちの役にたちたいだなんて、そう思い始めてるわたしがいる。
本物じゃないと、分かってるのに。ただの自分のエゴだってわかってるのに……
「……ありがとう」
自分でも情けなくなるような小声。でも、涙は溢れてこない。
わたしはそんなに可愛い性格をした女の子じゃないから。
捻くれてて、どこかに冷静な自分がいる、可愛くない女の子だから。
「でも、その先客のアリスが本物だったら、そっちの子を優先してあげてね。わたしは偽者だから、本物の【アリス】を守ってあげて」
「……アリス」
「わたしは、この島を出るまでの《仮》アリスだから」
はっきりと、二人に向かってそう言った。
マーチの手をそっと外して、ヤマネくんに握られた手をそっと解いて。
これ以上優しくしてもらわないように、拒絶した。
そうでもしないと、船を下りるときに駄々をこねて迷惑をかけてしまいそうだ。
本当にもとの世界に帰るときに、泣いてしまいそうだ。
だから……
「……上陸するんでしょ? 白黒、つけよう」
前を向いて、まっすぐに断ち切った。
わたしはアリスのような子どもじゃないから、我が儘も言えないし、空想に想いを馳せることもない。
現実を見ろ、幸。
「……分かった」
わたしの心構えが変わったのを感じ取ってくれたのか、ヤマネくんがゆっくり頷いた。
「そもそも、それで僕はアリスを呼びに来たんだから。行こう、マッドが待ってる」
「うん」
ヤマネくんが先になって歩き出した。
その後を追おうとして、止められた。
大きな手が、わたしの頭に乗って、くしゃりと少し乱暴に撫でたから。
「え?」
「……気をつけて」
たった一言。それだけ言って、マーチも別の方向へと歩き出した。
少し名残惜しそうに離れていった大きな暖かい手に、胸が切なくなった。
気をつけて、はわたしの台詞なのに。
「アリス?」
「……今、行くよ」
小さく胸を押さえて、マーチのために祈る事は許して。
彼も無事でありますように。
戦いなんておこりませんように。
そして今度こそ、わたしはヤマネくんの後を追った。
ヤマネくんに連れてこられたのは、クイーンさんの部屋だった。
「クイーン、僕です。ヤマネです。アリスを連れてきました」
ヤマネくんがノックをしてそう言うと、内側からドアを開けられた。
え? 自動ドアだったっけ? とか間抜けなこと思ってたら、帽子屋さんがドアを開けてくれたらしい。
どうぞ、と促される。
こんなときでもレディファーストなんですね。
「公爵夫人の島に上陸しろ」
部屋に入って早々にクイーンさんはそう言われた。
「……白黒、つけるんですよね?」
「一筋縄ではいかないようだがな」
マッド、とクイーンさんが一声かけると、帽子屋さんは小さく腕を振った。
すると、人の頭くらいの丸い光が目の前に現れた。
魔法か何かなんでしょ。
もうこれくらいじゃ驚かないからね。
「公爵夫人の島に先に上陸された船です。ここの文字、読めますか?」
「えっと……」
光に映し出されたのは、この【不思議の国】号とは対照的な船。黒塗りに白縁の船体に、洒落た赤い薔薇装飾のマストを掲げている。
示された場所に何か書いてあるけど……。
象形文字とか古代文字とか、その類のものですか? とでも聞きたくなるような文字だった。
わたしにはさっぱり読めない。
「分からない、です」
「ここ、【地下の国】号って書いてあるんだよ」
「【地下の国】?」
ヤマネくんの言葉を繰り返した。
地下の国、それってわたしが知ってるのだと……
「伝承にやけに詳しいアリスなら、わかるだろう?」
クイーンさんが肯定するように問いかけてくる。
あぁ、やっぱりそう言うことなんだ。
「不思議の国は地下の国のことですよね。……あの船にアリスがいるってことでしょう?」
「だが、【娘】に与えられる【証】は一つ。今のところお前がアリス候補だ」
【証】と呼ばれて、指輪をそっと見下げた。
ちなみに、気まずかったからこっそり左手から右手に付け替えさせてもらった。
ごめんマーチ。
「【証】の存在に気づかれるな。奪われては困る」
「……これを」
光を消した帽子屋さんが、細いチェーンを渡してくれた。
これに指輪を通して首から提げろってことらしい。
わたしとしても、コレは奪われたくないものだし、とにかく大切なものだからお言葉に甘えようと思う。
素直に指輪をチェーンに通して首から提げた。
少し長めだけど、服の中にしまっちゃえば問題ないよね。
「こちらから公爵夫人には既に話は通してある。だが、先客には気をつけておけ」
「分かりました」
「念のため、マッドとヤマネを同行させる。何かあったらそいつらを使え」
使えと言われても困るんだけど。
それでも、帽子屋さんとヤマネくんは当然と言うように深く頷いた。
「えぇと、よろしく?」
「お守りいたしましょう、我らがアリス」
お手をどうぞ、とまた手をひかれて帽子屋さんの側に寄せられた。
アリスと言っても、《仮》。
期間限定ってことを忘れないように、うぬぼれないようにわたしはぐっとあいている片手を握った。
「……おい」
尚も執務机に両肘をついたままのクイーンさんが、低い声でわたしを呼んだ。
振り返る。碧い切れ長の瞳と目が合った。
「忘れるな。《仮》とは言えお前はこの【不思議の国】号のアリスだ」
《仮》でもないただの小娘になるまでは、この船はわたしの味方をしてくれる。
そういうことでしょう? ハートの女王様。
どこか嘲笑を浮かべるようにして、わたしはその言葉を受け取った。
「では、参りましょう。公爵夫人の島へ」




