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BLUE_LIGHT~海賊アリス~  作者: 葉山
Episode1.雪の女王
33/36

07.唯一の武器を使って



「問題はどうやって“悪魔の鏡の欠片”を取り出すか、だよね? 伝承ではどうやっているの?」

「物語では、ゲルダの暖かな涙でカイの目と心に刺さった欠片を溶かしたってあるけど……」


 宗教色が強い原作では、ゲルダが賛美歌を歌うとってあったけど、それをやれって言われたら困るから黙っておこうと思う。


「でも、ゲルダは……」

「ゲルダは?」

「ゲルダは……お城の地下で、氷の中で眠ってたんだよね……」

「え?」


 物語の鍵を握るゲルダは、眠るようにして氷の中に閉じこめられていた。それは、この目で実際に見たから間違いない。


 もしもこれが物語だったら、氷を溶かしたらゲルダは目を覚ましてくれるんだろうけど。

 でも、今までわたしが体験してきた現実は、あまりにも無情で……そんな儚い願いですら打ち砕かれてしまいそうな気がした。


「それ、本当?」

「本当に女の子がそこにいたの。カイがゲルダって言っていた女の子を、わたしは確かに見……っ?」


 言葉は、途中で遮られた。


「ヤマネくん?」

「……ごめんね」


 ヤマネくんが、机の向こうから腕を伸ばしてわたしの頬をそっと撫でていた。

 どうしてか、ヤマネくんが泣きそうにくしゃりと顔を歪めて。


「ごめんね、アリス」


 どうしてヤマネくんがそんなこと言うの?

 どうしてヤマネくんがそんな顔をするの?


「怖い想いをさせないように、僕が護ってあげられればよかったのに。きみには一人で立ち向かわせてる」


 怖いことも、辛い現実も、きみは全部一人で立ち向かってる。

 苦しそうにわたしの頬を撫でていたヤマネくんは、そっとわたしの手をとって、両手で握りしめる。


「きみのことは、僕が護りたいのに」


 それすらできないなんて。


「きみのことを、支えたいのに」


 それさえできないなんて。


 言葉の一つ一つが、痛い。だってわたしは、一人でしなくちゃいけないから。アリスは一人で……たった一人で物語を続けているから、わたしも一人で立ち向かわなくちゃ行けないのに。


 そんなことをしないでと、そう言われているような気がした。

 独りよがりでなんでもやろうとしないでと、そう言われているような気がした。


「どうして……?」


 どうして、そんなことを言ってくれるの?

 わたしがアリスだから? この、【不思議の国】号の偽者アリスだから?


「……一人で頑張るって、辛くて、苦しくて、自分を押し込めて、パンクしちゃいそうになるから」

「でもわたしは、全然!」

「自分はまだまだだって、そう思って限界を超えてまで頑張ってしまうんだよ。自分じゃ限界なんか分からないから、だから僕は、頑張りすぎるきみに頼ってもらいたいんだ」


 心配したんだよ、公爵夫人の島から戻ってきてから、ずっと眠り続けていたきみのこと。

 優しく掛けられる言葉に、唇をかみ締めた。


「ねぇ、一人で頑張ろうとしないで。もっと、僕を頼って」


 視界がうるんで、真摯に見つめてくるヤマネくんから視線をそらした。


 泣きたくないんだ。涙を流したくないんだ。

 泣くのは、全部終わってからって。そう決めたから。


 大きく深呼吸して、必死に潤む瞳から涙がこぼれないようにして、それからゆっくりと視線を戻した。


「……ありがとう」


 こんなわたしに、そんな言葉を掛けてくれるヤマネくんの心遣いに、ありがとう。

 だって、本当にわたしは全然役に立たない足手まといだから。これ以上ヤマネくんたちに負担は掛けられない。だから、甘えられるはずないんだ。


 でも、そう思ってくれる人がいるのは……嬉しい。


「ヤマネくんに気に掛けてもらっているって、そう思えるだけでも心強いよ」

「それだけじゃなくて」

「わたしは、ヤマネくんに支えられているよ」


 そうやってわたしのことを気に掛けてくれる人がいる。それだけでも、十分支えられている。

 ……こうして、手を握ってくれることも。ヤマネくんはそうやって、わたしを冷静に落ち着かせてくれる。


「本当に?」

「本当だよ」


 だからわたしは、考えると言う唯一の武器を使って、この物語を終わらせようと思う。


 考えろ。終わらせるんだ、全て。

 ヤマネくんと繋いだままの手は放さないで、ゆっくりと口を開いた。


「ゲルダは、氷の中にいた。けど、【証】は反応していた」

「【証】が?」

「うん。ゲルダの胸元と、わたしの指輪が呼応するように点滅していたの」


 それよりも前に、壁の向こうに一直線に光を放っていたけど、その辺りは帽子屋さんに聞けばきっと分かると思うんだ。

 もしかしたら帽子屋さんでも分からないかもしれないけど、それでもわたしよりは詳しいはず。


「それから、“悪魔の鏡の欠片”を取り除くことに関しては、カイにも関係があると思う」

「そうだね、カイは狂ってなんかない。もしかしたら、前に解いたのかもしれないね」


 そういうことじゃないんだけど……、あえてそれは言わないでおこう。

 わたしが気になっているのは、カイがわたしに寒さを思い出させたこと。……手段については触れないようにするとして。


 だって、わたしは確かにあの時まで寒いと言う概念を忘れていた。震えることもなかったし、暖を求めることもしなかった。

 雪の女王が口付けたことで、忘れてしまったから。


 ……忘れて…?


「ちょっと、待って」

「アリス?」


 どうして雪の女王は口付けたの?

 わたしになら、分かる。【娘】だから、今までの恐ろしいことを忘れてしまえと、そう言っていたし。


 でも、カイには?

 カイにはどうして口付ける必要があったの?


 確かに考えようによってはカイだって【主人公】だけど、でも物語のカイにはそんなの関係ない。

 じゃあどうして?


「そんなの、決まってるじゃない……!」

「アリス? どうかし」

「ヤマネくん!」

「なっ、何?」


 ばっとヤマネくんの方へと身を乗り出した。握りしめられた手を強く握って、自分が出した結論を伝えるために。


「雪の女王は、護ってたのよ!」

「ま、護ってたって、何を?」

「【娘】や【主人公】と同じように、国民を」


 雪の女王が口付けた理由。

 それは寒さや大切な人を忘れさせるためだけじゃない。




 “悪魔の鏡の欠片”が刺さった心を、氷らせたんだ。




 冷たい心の持ち主が、これ以上悪事を重ねないように。国民を護るために。周りの家族を傷付けないように。

 全て忘れさせるために、氷付けさせてしまったんだ。


「自分を悪者にすることで、この国を護ってたんだ」


 そうだ、物語にも書いてあったじゃないか。

 どうして忘れてたんだろう?

 ゲルダの涙で溶かしたものは、心に突き刺さった“悪魔の鏡の欠片”なんかじゃない。雪の女王に氷らされたカイの心だ。


 ……あ、何か繋がりそうだ。

 つまり雪の女王が“悪魔の鏡の欠片”を氷らせたことによって……


「ユキ――ッ!」

「えっ? うわっ!?」


 突然飛びついてきたホーンを受け止められずに、わたしは床に転がり込んだ。


「ちょ、え?」

「ユキ! この船に乗ってることを今すぐに考え直した方がいいっ! 何なら今すぐにでも降りるよっ! 大丈夫さ、【トナカイの角】ならユキを快く迎え入れるから、だからこんなところにユキがいちゃいけないよっ!」

「まっ、待って! どうしたのホーン?」


 青ざめながら必死の剣幕で訴えてくるホーンに、怯みながらもとりあえずどうどうと落ち着いてもらえるように背中を叩いた。

 て言うか、掴まれた肩が痛いんだけどな。


「どうしたもこうしたもないよっ! 一体なんなんだいあの男はっ!」

「いや、だから何が」

「何のお話ですか?」

「っ!」


 ビクリとホーンの肩が跳ね上がった。

 この声は帽子屋さん、だよね? えっと、話し合いとやらは終わったのかな……?


「べ、別に何でも良いだろっ!? あ、あたいはただねっ! ユキと話してるだけなんだからっ!」

「そうですか、ではお願いしたことは快く、すみやかに行って下さるのですね、助かります。ヤマネ、出口までご案内を」

「り、了解です!」


 帽子屋さんの笑顔が、いつもと変わらない笑顔なのに、妙な威圧感を覚えるのですが。あっれ? なんだろうこの断ったらただじゃ済まないような雰囲気。

 そんな雰囲気を放っている帽子屋さんに、ホーンはつかつかと歩み寄って、ずいとその胸に向って指を突きつけた。


「いいかいっ! あたいはあんたに言われたからやるんじゃないんだ! あたいはあくまでもユキのため! あんたにいいように使われてなんかやらないからねっ!」

「言い訳はお好きにどうぞ。ですが、そう言ったことはご自分に与えられた役割を果たしてから仰るものですよ?」

「っ、それくらい分かってるさっ!」


 どすどすと怒りを顕にして部屋から出て行くホーンを呆然と見送った。

 ……ホーンって、あんなにも怒ったことあったっけ?


「……帽子屋さん、一体何をしていたんですか?」

「おかしなことを仰いますね。始めに申し上げたでしょう? 話し合いと」


 ふふっと笑いながら羽付き帽を被りなおした帽子屋さんに、ただの話し合いじゃなかったことだってことは分かりましたとも。


 ホーンとヤマネくんが立ち去ってしまって、わたしと帽子屋さんだけが残された室内。

 とりあえず今まで分かったことを伝えようとして……ホーンが飛びついてくる直前まで何を考えてたんだっけわたしは。

 大事なところが抜け落ちているような気がするけど、まぁいいかと帽子屋さんに尋ねた。


「帽子屋さんは、【証】について詳しくご存知ですか?」

「【証】ですか? えぇ、他の者よりは詳しいつもりですが」


 それが何かと、不思議そうにわたしを見下ろしてくる。

 ゲルダの前で【証】が点滅したこと。それから、突然幽霊みたいな子が見えるようになったこと。あと、一直線に光を放ったこと。


 大きくなったり小さくなったりする他にも、力があるのかな?


 わたしには分からないこの【証】の力を、帽子屋さんは知っているのかなと、この国で起こった不思議な出来事を話してみた。

 帽子屋さんはふむ、と唇に指を当てて、何かを考え込むように瞳を伏せて、それからゆっくりと口を開いた。


「幽霊が見えるようになったことについては、私も分かりませんが……。他のものは反応でしょうね」

「反応?」

「えぇ、【証】や【神子の玩具】が近くに揃うと、たまにそのような現象が起こるのです」


 何せ、【証】や【神子の玩具】にも意思があるのですから。

 そう続けた帽子屋さんの言葉に、ふと疑問に思ったことがある。


 だって、ゲルダと呼応するように点滅したのは、【神子の玩具】か【証】のどちらかがあることは間違いないのは分かる。分かるけど、光が一直線に走ったことは?

 ゲルダは地下にいたのに、光は壁を突き抜けて一直線に向った。

 光は、どこに向ったんだろう?


「お役に立ちましたか?」

「え、あ、はい。ゲルダの元に【証】か【神子の玩具】があることに間違いはなさそうです」

「やはり、城への突入は避けられないようですね」


 やれやれとでも言いたそうに、帽子屋さんはゆっくりと息をついた。それから冷めてしまった紅茶を一口飲んで、顔をしかめた。

 美味しくないって分かってるなら、飲まなければいいのに。


「帽子屋さんは、お城へは行きたくないんですか?」

「国との衝突は、なるべくなら避けたいですからね。停泊の許可や物資の供給等、航海に支障がでてきますから」


 だから、あんまり気が進まないって言うのも分かるけど……。


「……帽子屋さん」

「何か?」

「カイは、狂ってなんかいなかったんです」

「それは……“悪魔の鏡の欠片”の影響を受けていなかった、と言うことでしょうか?」


 だからどうってわけじゃないんだけど……、何て言えばいいのかな? どう、伝えればいいのかな?


「……言われたんです。カイちゃんを、これ以上傷付けないでって」


 あの赤い瞳の彼を、傷付けないでって。

 泣きそうな顔で怒って、動揺して揺らす赤い瞳が頼りなくて、口は悪いしぶっきらぼうだし。それでも、なんやかんやで手を差し伸べてくれる。

 そんな彼の最後の姿が、兵士に向かっていく後姿だなんて。きっと大丈夫だと、そう思いたくても、そう思える根拠がなくて。


「さっき考えをまとめたんです。それで出した答えは、この物語の鍵を握るのはゲルダじゃない。カイだってこと。だから」

「助けろと仰るのですか? ……貴女の口ぶりでは、実際にカイに出会ったようですね」


 帽子屋さんは船長にそっくりの顔で、瞳を細めてわたしを見据えた。


「怖いと、思わなかったのですか?」


 ……帽子屋さんは、きっと知っている。

 カイの瞳が赤くて、髪の色が白いことを。




 “血のように赤い瞳は、この世に災いをもたらす悪魔と同じ”




 そうジャックさんが言っていたことを、帽子屋さんも信じているのかな。同じように、軽蔑の視線を向けるのかな。

 そうだとしたら、とても……嫌かもしれない。


「怖くなかったと言ったら嘘になります」

「それならば、彼に関わるのは」

「でも、カイが怖かったわけじゃない! 赤が、同じだったから……!」

「……」


 帽子屋さんは、ただ黙ってわたしを見ていた。

 その碧眼とは対照的な色。あの色はわたしが逃げ出したかった色と同じだったから。あの惨劇を思い出させたから。

 だから、怖かった。


「あの赤が、【不思議の国】号を染めた色と、同じだったから……」

「何よりも怖いのは、あの赤に染まること、ですか」


 綺麗事を言っていられる世界じゃない。そんなことは分かっているけど、でも、見たくなんかなかった。甘いことを言っていられるような立場じゃないけれど、それでも、逃げたいと思ってしまったほどに嫌だったんだ。


 だから、初めてあの赤い瞳を見た瞬間「お前は逃げられないんだぞ」って、そう言われたような気がして、それが怖かった。


「得体の知れないものを受け入れる心があるのか、それとも先入観がないのか……」

「……血のように赤い瞳は、この世に災いをもたらす悪魔と同じ。あの外見がそう言われているらしいことは、知りました」

「ですが、本当の意味はご存じないでしょう?」


 ふっと、目元を和らげた帽子屋さんは、そっとわたしの傍まで歩み寄って内緒話でもするかのように顔を寄せてきた。

 あの、近い、かなぁ……なんて思うんですけど。


「赤い瞳を持つ者は、様々な障害を抱える代償があるものの、破魔の力をその身に秘めているのです」

「破魔?」

「えぇ、魔法が効かないのですよ。だから、我々魔術師がその力を疎んで悪魔と。それが唯人にも伝わり、誇張した迷信が流行ってしまったのです」


 かちりと、何かが当てはまったような気がした。






 * * * * *






 雪のように白い肌。白銀に輝く長い髪。血のように赤い、瞳。

 そのどれもが忌々しいと言われ、蔑まれていた。

 こんな気味の悪い奴、誰からも受け入れられるはずがないと分かっていた。


「……っは、……っは!」


 荒い息に、定まらない焦点。喘ぐように必死で息を吸うも、何処かから漏れてしまっているかのように、意味を為していない。息苦しさに、冷や汗ばかりが吹き出た。

 兵士に引きずられ、巨大な鳥かごの中に閉じ込められる。

 本当は、こんな奴になんか触れられたくなかった。今すぐにでも振り払ってしまいたいと思うが、そんな力が出てこない。


 虚ろな瞳の相手。


 相手がまだまともだった昔は、汚いと、汚らわしいと、相手から触れられるのを嫌がっていたのに。

ばい菌のような扱いをして、心を抉りとるような言葉ばかり突き立ててきて……。

 いくつもいくつも。どこにいようと、誰からも、何時でも。そこに存在しているだけでもいけないと、そう思わされたのに。


「……っせろ!!」


 荒い息のままなんとか言葉を吐き出すと、相手は無造作に腕を解放し、鳥かごの外へと出る。がしゃんと、鍵を掛けた音がした後、立ち去る足音が聞こえた。

 静寂の中、喘ぎ吸う自分の荒い呼吸音のみが聞こえる。


「っは……ぁ…!」


 苦しい。身体中がもっともっとと、酸素を求めている。

 昔よりは体力がついたはずなのに、何故こんなにも苦しいのか。空気を沢山吸っているはずなのに、どうしてこんなにも足りていないのか。


(さすがに、さっき無理しすぎちまったからな……)


 昔は走るだけで倒れていたが、今は走ることくらいはできる。

 だが先程、不思議な形をした槍を振り回すなどと言う、自殺行為にも等しい激しい立ち回りを行ってしまった。

 苦しくなるのも、激しく脈打つのも、当然のことなのだろう。今も昔も、体なんか思うようには動いてくれないのだ。


「っは……、っは……」


 浅い呼吸に、頬を伝い落ちる冷や汗を拭う。乱れた長い髪を更にぐしゃぐしゃと掴んだ。


 普通になれたら。


 そんなことを思っても、今更どうすることもできないのだが。己の白銀の髪を見るたびに、そう思ってしまう。


(なんで)


 自分の髪は、こんなにも白いのだろう。北大陸人と同じ、淡い栗色ではないのだろうか。

 自分の肌は、病的な程白いのだろう。激しく動くと、こうして倒れ伏せてしまうほど苦しまなくてはならないのか。

 自分の瞳は、どうしてこんな色をしているのだろう。どうして、なにもかも普通の人とは違うのだろうか。






 どうして、こんな姿に生まれ落ちてしまったのだろうか。






『よいか、そなたは特別。そなたのみに与えられた、わらわの力をもはねのけてしまう、特別な力の持ち主』


 いつだったか、雪の女王が言っていた。鼻で笑ってしまえるくらい、信じられない言葉を。


『そなたは、病弱な体の持ち主』


 日を浴び続ければ、目眩を起こして倒れてしまう。だから、曇り空が広がるこの国の、日の光を屈折させるこの氷の城の中でしか生きられない。

 激しく動くと身体中の酸素が足りなくなり、すぐに力尽きてしまう。だから、争いなどない鳥かごの中で大人しくしていればいい。


『だが、そなたは何人足りとも寄せ付けぬ、破魔の力の持ち主』


 わらわでさえ、ゲルダや兵と同じように魔法をそなたに掛けられぬ。


 同じようにしようとしていたのか。虚ろな目をした、雪の女王に従順な兵にされるか、ゲルダと同じように氷付けにされるか。

 そのどちらにもならなかったことが、果たして幸運だったと言えたのだろうか?


(どの口が護るとか、そんなこと言えるんだよ)


 氷付けにされたゲルダが、自分の名を呼んでくれることなど、二度とないだろうに。ゲルダをそんな姿にして護るなどと、よく言う。


 ゲルダだけが受け入れてくれたのに。

 恐れずに、自分の傍にいてくれたのに。

 この忌々しい髪や瞳の色を、綺麗だねと、そう言ってくれたのに。

 ゲルダだけだったのに。


 それなのに、どうしてあんな姿にしたのか。

 たった一人、自分許し、受け入れてくれた存在。なのにそれを奪ったのだ。永遠に、自分から。


 ……たった、一人?


「……」


 あの、変な奴。黒髪で、真っ直ぐこちらを見上げてきていた奴。

 傷付く前に傷付けて、離れてしまいたかったのに、あいつは離れやしなかった。それどころか、離れてなるものかと、ぎゅっとしがみついてきた。


 あの瞳に、確かに怖いと、恐怖の色が映し出されていたのに。

 すぐにひっ捕まえられた時には、こっちが逃げ出したくなるくらいに、真っ直ぐ見上げてきた。怖いと、そんな感情はどこにも映っていなくて、隠れているはずの恐怖を探ってみても、見つからなくて。


(なんなんだよ、あいつ)


 あいつの【神子の玩具】なんて言う得体の知れないモノの力は、魔法が効かないはずの自分にまでも効いた。

 怖いと一度でも思ったはずの自分にすがるように手を握り、弱くて、ちっぽけで、今にも壊れてしまいそうなのかと思えば、強い。

 まっすぐに見つめ、逃げようとした自分を叱咤し、留まる。凛と立つその姿は、力などどこにもないはずなのに、自分よりも明らかに非力なのに、自分よりもはるかに大きく見えたのだ。


「……だから、言ったんだよ」


 泣けと。

 そんなに気を張り詰めていないで、苦しいことを全て押し込めて、一人で解決しようとしているあいつが、いつかのゲルダに似ていて。


 弱いくせに、強い振りなんかしないように。

 張り詰めすぎて、崩れ落ちてしまう前に、頼らせろと。せめてその負担を軽くすることくらいはさせろと。

 それくらいは、伝わっただろうか?


 意味深なことを言ったり、離れないと、傍にいると自分の袖を掴んだりして。得体の知れない、こんなにも気持ち悪い外見を持った自分に対して、普通の人間と同じ扱いをして、色が違うからなんだと言い切ったあの不思議な少女。


「本当に、変な奴」


 だから逃がした。これ以上雪の女王に関わらせないように。

 寒さを忘れさせる魔法を解いて、二度とここには来る必要がないように。

 ゲルダと同じ運命を辿らないように。




 なにより、自分がこれ以上傷付かないように。






 * * * * *






 ちらほらと窓に着地する白い結晶を見つめながら、わたしは頬杖をついていた。

 与えられた部屋で眠ろうとしていたけど、灯りを消しても一向に睡魔なんかやってこない。さっと汗を流して、ダムさんとディーさんが仕立ててくれた服の中から比較的暖かそうな服を引っ張り出して、その上から毛布を羽織って窓辺に座り込んでいた。


「ふぅ……」


 吐き出した息は窓を白く曇らせて、暗い夜の海を隠してしまう。

 床は冷えるけれども、それくらいが丁度いいのかもしれない。


「帰って、来たんだなぁ」


 揺れ続ける床は止まってくれることなんかない。静かに聞こえてくる波音。錨を下ろして停泊しているから、進むときに聞こえる水しぶきの音や、エンジンが動く音は聞こえてこない。

 ざぁぁ、と絶えず聞こえる波音が心地よくて、そっと瞼を下ろした。


 明日は、帽子屋さんとヤマネくんと一緒に上陸する。もう一度雪の女王のお城に行って、今度こそ【神子の玩具】を手に入れるために。

 進入経路は、ホーンから聞けなかった最後の一つで行くみたい。それがなんだかは教えてはくれなかったけど。


「大丈夫、かな……」


 ぽつりとこぼれた言葉は、波の音にかき消される。

 【地下の国】号と対峙するときみたいな緊張感はない。むしろ、不安の方が大きい。


 だって、あの時は目的が単純だった。

 【地下の国】号から“大きくなるケーキ”を取り返す。取り返して、逃げて、あの子に返す。それだけ。


 でも今回は違う。

 どうすればいいのか、全然分からない。【神子の玩具】はどうやって手に入れればいいの?ゲルダをあの氷から出せば、何かが進展できるの?


 なにより、今回は“声”が全く聞こえない。

 そっと指輪を握りしめても、何かの“声”が聞こえてくるわけではないし、熱くなるわけでも、光るわけでもない。

 頼みの綱の【証】が何を伝えたいのか、わたしにはさっぱり分からなかった。


「はぁ……」


 深く溜め息をついた。まるで目の前に濃い霧が現れたみたいに、進むべき方向が分からない。


 指輪を握りしめた指を、そっと唇に当ててみる。

 カイのあれは、雪の女王に掛けられた魔法を解くためのこと。だから、それ以外の意味は無いんだけどさ。

 寒さを思い出す代償としては、高いんじゃないかな。


「……ファーストキス、だったんだけどなぁ」


 初めては好きな人と。そんな夢がないわけじゃなかったんだけど、あまりにも唐突で、雰囲気も情緒もなにもないし、深く考えない方が自分のためなんだと思うけど。


 ……考えるなって言う方が無理だよね?


 人工呼吸するのと同じくらい不可抗力だって、そう思いたいんだけど。キスされたって言う事実だけが勝手に頭の中を駆け巡って、思考をかき乱して……あぁもうっ!


「本当に、もうっ!」


 勢いよくベッドにダイブして、ぐっと枕に顔を押し付けた。それだけじゃなんだか収まらなくて、ぎゅっと枕を抱えて縮こまってみた。

 なんでこうも、わたしがそんなことを考え続けないといけないんだろう。


「恋する乙女か、わたしは」


 そんなはずないのに、簡単に頭が切り替えられなくて、一瞬のことを引きずり続けている自分が本当に嫌になるけど。

 深く溜め息をついて、毛布を肩まで引き上げた。ついでにもそもそと布団にもぐりこんで、寒さから逃げようとした。


 明日のことは、明日考えよう。

 今考えようとしたって、余計なことばかり考えて全然上手くいかないし。眠れなくても、瞼を下ろして身体だけでも休めておこう。それだけでもきっと違う。

 枕を抱きしめたまま、身体を丸めてそっと目を閉じた。


 うつらうつらと眠気に誘われて、ぼんやりとし始めた。このまま波音を子守唄に眠ってしまえそう。眠りの渦に飲み込まれてしまえば、朝までぐっすり眠れる気がする。

 心地よいまどろみに浸っていたそんな時、キィと、小さく扉が開くような音が聞こえたような気がした。

 気だけかなと思って放っておこうとしたんだけど、ぎし、とベッドのスプリングが音を立てて顔の近くが沈む。


「……ん」


 誰か、いるのかな?

 重たい瞼を押し上げようとするんだけど、自分が思った以上に疲れていた身体は思うように動いてくれない。


「起きてんの?」


 ……チェシャ?

 つん、と頬を突かれて、その指から逃げるように顔をまくらにうずめた。


「寝てんの? 別に、どっちでもいいけど」


 ふぅとつかれた溜め息に、ふわりと前髪が浮いた。それから、どこか不器用な手つきでそっと前髪を梳かれる。


「あんた、本当にここにいるの?」


 確かめるような、声色。


「ここにいるのは、本当にユキ?」


 何を言っているんだろう?

 さらりと前髪を梳いていた指を、わたしの頭へと滑らせる。ゆっくりと、撫でられた。


「……俺が怖いのなら、なんでここに戻ってきたわけ?」


 違う、チェシャが怖かったんじゃない。そうとられても仕方がなかったのかもしれないけど、でも。

 チェシャは、怖くなんかない。


「何で名前、呼んだわけ?」


 わたしがここにいるのを確かめるかのように、何度も何度も頭を撫でる。苛立ったような声色とは逆に、その手つきはとても優しかった。


 どうやったら、チェシャに伝えられるんだろう? どうやったらまた、元通りになるんだろう?

 口を開くことですらできない今は、考え出した思考ですら眠りの渦に飲み込まれてしまっているけれど。


「なんであんたなんかに……!」


 言葉が途切れた。

 憤ったような声に、強張った大きな手。掴まれていた長い髪が、するりとチェシャの手から零れ落ちた。


 わたしなんかに、何?

 チェシャはどうしてそんなにイライラしているの?


「……シャ…?」

「っ」


 重い身体を動かすことなんか出来ないけど、擦れた喉からなんとか声を押し出した。

 わずかに開いた口からこぼれた声は、ちゃんと言葉になったのかは分からないけど、チェシャが小さく息をのんだような音が聞こえた。


「あんたって、本当に……残酷」


 ぽすんと大きな手のひらで頭を包まれて、優しく叩かれた。

 どうしてそんなことを言うのかは分からないけど、でも、チェシャの声に苛立ちを感じなかったから、良かった……。

 なんだかそれにひどく安心して、わたしは自分の意識ですらも眠りの渦に流れていくのを感じた。

 暖かくて大きな手のひらの重みを感じながら、ゆっくりと意識が眠りに落ちてゆく。


 だからわたしは知らない。


 チェシャが何を思ってあんなことを言っていたのかを。

 チェシャがどうしてこんな時間にここに来たのかを。

 そして、


「あんたから手を伸ばしてきたら、いいよ。俺も力くらいは貸してあげても」


 チェシャがゆっくりと呟いていた言葉なんて。


「でもね、そのときは、あんたが俺を嫌っていようがなんだろうが、その手を掴んで、放さないから」


 意識を手放したわたしに、知る由もなかった。



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