↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
BLUE_LIGHT~海賊アリス~  作者: 葉山
Episode1.雪の女王
29/36

05.行方不明の【主人公】


 ジャックは船頭付近の甲板に、一人佇んでいた。

 その視線は海を見ているのではない。白に黒縁の船体の、【不思議の国】号を見上げていた。


「女王。このままじゃ、あの時の二の舞だぜ」


 聞く耳を持たないこの船の船長に向かって、ぽつりと言葉を漏らす。

 船長室に戻ってしまった彼には届かないと分かっていながらも、それでも言わずにはいられなかった。


「俺様は【不思議の国】号が大好きで、愛してる」


 だからこそ、二の舞は踏みたくない。


 アリスを、失いたくはないのだ。


 例え彼女が偽者だとしても。

 それでも彼女が、今の【不思議の国】号のアリスなのだから。


 何も出来ない場所で、自分の手が届かないうちにすり抜けて、消えてしまう。

 そんなことはもうしたくなかった。


 歯がゆい思いをした自分も、ただ見ていただけの帽子屋も。当事者たちの先生も、女王も。

 みんなみんな、哀しい思いをするのは二度とごめんだ。


「【神子の玩具】なんざ、なければいいのに……なーんてこと言っちまったら十中八九」

「マッドに海へと沈められてしまいますよ、ジャック」

「うおぉっ!? なんだヤマネかよ、ちょっとビックリしちまったじゃねぇか!」


 どこか大げさに驚いたそぶりを見せたジャックに、ヤマネは静かに近づいた。


 優しく吹きつけている海風に、帆が一杯に膨らみ、甲板に落ちる影を揺らす。

 第一マストに巻きつけられたロープの端を押さえながら、そのエメラルド色の瞳を向けた。


「僕らは【神子の玩具】に魅入られた哀れな海賊。【神子の玩具】がなければ、存在意義が失われてしまう」

「ははっ、帽子屋の言葉の引用だろ? ヤマネ、真面目な顔なんか似合わねぇぜ?」

「似合わないって何ですか。僕は元からこんな顔です」

「あぁ、そうそう。そうやってむくれると、ちょっとは子どもっぽい顔に見えるけどなー?」

「子ども扱いしないでくださいっ!」


 わしわしと無遠慮に頭を撫でられ、ヤマネは唇を尖らせながら怒るも、ジャックはそれを笑って流した。


「そもそも、どうしてあんなことを言うんですか?」

「あんなこと?」

「【神子の玩具】がなくなればいい、ってことですよ」

「あぁ、それなー」


 どうして、と問われれば答えるのが少々答えるのが難しい。


 どれもこれも、あの不思議な力が宿っている【神子の玩具】が原因で巻き起こっているのだから。

 あれさえなければ【娘】も【主人公】も、海賊たちも、誰も彼もがこんな悲しい想いなどしなかったのに。


 そう考えてしまうと、不思議な力も……それが宿る物の持ち主である【神子】もなくなれば、とまでは思わないが、干渉してこなければいいとは思う。

 人智を超えた力さえなければ、などと思ってしまう。


「うーん、秘密?」

「はぁ?」

「秘密なものは秘密。俺様の愛しの女王からの命令じゃない限り言いませーん」

「はあぁっ!?」


 軽く茶化すように肩をすくめたジャックに、ヤマネは思わずといったようにロープから手を離してしまった。

 その時、強い風が甲板を駆け抜け……


「あ」

「っだぁ!?」


 べしん、と狙ったかのように、ジャックの顔にロープが跳ね当たった。


「てめっ、俺様の超男前な顔に跡が残ったらどうしてくれるんだよっ! いや、跡が残ったって俺様超絶男前だけどっ!」


 ゆらゆらと揺れるロープに笑われているかのようで、意味も無くそれに向かって文句を叫ぶジャックに、ヤマネは思わずと言ったように吹き出した。


「あははっ! 何やってるんですか、僕よりも全然年上のくせに!」

「うるせっ! おいこらヤマネ! ちゃんとロープ握ってやがれ!」


 年相応の笑顔を浮かべたヤマネに、ジャックはどこか照れたように顔を背けた。

 その様子が本当に子どものようで、ヤマネは笑いをかみ殺すのに必死だった。


―…さて、お遊びはこれくらいにして。帽子屋より先におじょーさんの様子でも見に行こうかな。


 ロープを掴もうと四苦八苦するヤマネを見守りながら、ジャックはスッとその姿を揺らめかせて消えた。






 * * * * *






「待って!」


 遠くにちらついて見える白い影。


「ねぇ、待って!」


 走っても走っても、小さな体のままだからかなかなかその距離が縮まらない。


 待ってと声を掛けても、待ってくれる気はしないけど。

 むしろ、気付いたら逃げてしまいそう。


「待ってってば!」


 角を曲がると、その白い姿が見えなくなってしまう。

 そうじゃなくても早足……ううん、歩幅が違うからかな? 距離は広がっていくばかり。

 わたしはただその姿を見失わないように、追いかけるので精一杯だった。


 これじゃあまるで、時計ウサギを追いかけるアリスみたい。


 遅刻だ遅刻だ! なんて言ってないし、懐中時計だってもってもいないのに。

 アリスに捕まることなんかない白い毛並みの時計ウサギみたいだ、なんて。


 ……追いかけているのは、偽者のわたしだけれども。


「待って!」


 白い背中の彼が、振り返った……ような気がした。

 それから駆け出したから、これは間違いなくわたしのことに気付いてくれたに違いない。


 そっちがその気なら、わたしは絶対追いついてやる。

 だなんてそんな勇ましいこと思えないけど。


 いや、だって、あの……正直限界です。


「はぁ……はぁ……」


 走り続けても追いつけない。さすがに疲れて、近くの壁に手をつきながら肩で息をした。

 船長と薔薇園を走ったときも思ったけど、わたし持久力ないな本当に。


 のどがカラカラに渇いて、水が欲しいと思うけど……こんなところにあるはずない。

 うぅ、なんだかのどがイガイガする。


「はぁー…。よしっ」


 大きく深呼吸をして、顔を上げる。

 髪だってもうぐちゃぐちゃだし、服にはしわが付いてるしで、ちょっとさっぱりしたい気分だけど、そんなこと言ってる場合じゃないよね。


 追いかけよう。もう姿は見えないけれど。


「アリスだったら、時計ウサギには追いつけるもの。ゲルダだってそう。最終的にはカイに会える」


 物語の主人公はいつだって諦めない。

 会えると、追いつけると信じている。


 わたしだって、偽者だけれど【神子】と公爵夫人に認められた【主人公】だ。こんなところで諦められない。


 だから、追いかける。

 追いかけて、捕まえて、それから……


「話を、する……!」


 あの赤い瞳は怖くなんかない。

 怖いのは、その赤からあの惨劇を連想してしまった自分。


 怖くて【不思議の国】号から逃げ出したのに、逃げ続けられるほど現実は甘くない。

 結局は向き合わないといけないんだ。


 怖いからって逃げてもいいのは、戦いのときだけ。

 それ以外からは、きっと逃げられない。逃げても逃げても、きっと何度も直面するんだろう。


 だったら、一回で決着をつけよう。

 できないんじゃない。やるんだ。

 わたしならできるって、そう何度も言い聞かせて本当にするんだ。


 前向きに、最後まで諦めない。






 それが、【主人公】なんだから。






「っ!」


 突然、指輪が布越しに熱を持って、ぼんやりと輝きだした。


 それから、体がゆっくりと引き伸ばされるような感覚がして……ぐっと、視線が高くなった。さっきより床が遠く見える。

 もしかして、これって。


「元に戻った?」


 静かに手を握ったり開いたりして、それから自分の体を見下ろしてみる。

 くるりと一回転したけど、特に何かがあったというわけでもないし……。

 いや、元の大きさに戻ったんだから、何かがあったなんて言い方もおかしい気がするけど。


「なんで?」


 どうしてこう、急に小さくなったり大きくなったりするんだろう?


 きっかけとか、そんなものが全然分からない。

 自由にできるようになったら便利な力だなぁとは思うけど。


「……まぁ、いっか」


 とりあえず、これでカイを追いかけるのはさっきより楽になりそうだ。

 姿を見失ってしまった彼を追って、わたしは再び走り出した。


「こっち?」


 道が交差している場所に出るたび、どっちに進めば良いのか全然わからなくなるけれど。

 そんなときはだいたい勘だよね。

 手がかりも道しるべもないんだから、今は自分の勘にでも頼るしかない。


 テストで分からないから適当に書いておけば、どれか一つくらいあたるだろうって思うのと同じくらい、適当だけど。

 そんなことを何回か繰り返していたら、幸いなことにトの字に別れた角でばったり彼に出くわした。


「あ」

「っ!」


 どうして追いかけていたはずの彼と、顔を合わせることが出来たんだろうと思ったけど、これも勘で突き進んできた結果なのかな?


 ここがどこなのか、閉じ込められていた部屋からどれくらい離れているのかなんか、全っ然分からないけど。


「待って!」


 大きく赤い目を見開いた彼の腕を慌てて掴んで、逃げようときびすを返したその足を止めさせた。


「っ! 触るな!」

「だって、こうでもしないと待ってくれないじゃない!」


 慌てて振りほどこうとしたのか、結構強い力で腕をひかれたけど、離してなんかやらない。

 離すものか、とさらにぎゅっと握った。


「いいから離せよっ! 俺に触るんじゃねぇ!」

「嫌。離さない」

「嫌じゃねぇだろっ! 離せって言ってんだよ! このっ」


 力任せに腕を振られても、離さない。離れない!


 両手だけで掴むことが難しくなってきて、わたしは意地になってぎゅっと彼の腕を抱え込んだ。

 そうでもしないと、本当に振り払われそう。


「っ、お前!」


 ぎくりと、一瞬だけ腕がこわばったような気がする。

 自分でも知らない……しかもさっき怒らせてしまった相手に対して何やってるんだってちょっと思ったけど、そんなこと構ってられない。


「何やってんだよ! 離せっ!」

「あなたが逃げるから捕まえてるの! 離したら、あなた逃げるでしょ!?」

「ったりまえだ! いいから、離せ!」


 頭を抑えられて、相手も意地になって離そうとしてくる。けど、負けない。


 なんだか意地の張り合いをしているみたいだけど、ここで離してしまったら堂々巡りになってしまいそうなこと間違いないんだもの。


「いい加減にしろっ!」

「それはこっちの台詞っ!」

「んだと!?」


 ぎゅっと腕を抱えながら、その赤い目を真っ直ぐに見上げた。

 びくりと、相手が震えた。鮮やかな紅瞳が動揺したように揺れているように見える。


 大丈夫。色が同じだけ。

 ほら、この赤い瞳はしっかりとわたしを映している。

 虚ろなんかじゃない。怖くない。


 ただ、戸惑っているだけ。


「怖くないよ」

「そんな偽善」

「本当に、怖くなんかないよ。あなたに……あなた自身が怖いとは思わない」


 否定されようとした言葉に、もう一度同じ言葉を被せた。


 揺れる瞳を見つめて、戸惑っている顔を見て、その白い肌に零れる長く艶やかな白髪を見る。ほら、怖いとも思わない。

 大丈夫。雪の女王みたいに怖くない。

 始めに会ったときの船長に比べれば全然、鼻で笑えちゃうくらい。


「それでも、あんたはさっき……!」

「さっきはちょっと動揺したけだけ。今は全然大丈夫」


 断言して、小さく笑みを浮かべてみた。

 そんなわたしを見下ろして彼はぎょっとしてたけど、やがて怪訝そうな顔をしてきた。


「……き、気持ち悪くねぇのかよ?」

「だって、そういうものなんでしょ?」


 髪の色とか、目の色とか、そんなの変えようと思ったら変えられるじゃない。

 世の中には髪を緑色に染める人だっているんだから、それがなんだって話だ。


 そう言うと、彼はどこか決まりの悪そうに顔を逸らして、本当に小さな声で呟いた。


「……変な奴」


 失礼な。

 そりゃぁ、ちょっと価値観とか違うかなとは思うけど、そんな正直に言わなくてもいいじゃない。


「さっきは本当に、ごめんなさい」

「別に。どいつもこいつも同じ反応しかしねぇから、慣れてるし」


 慣れてるって言っても、それでも泣きそうな顔しながら怒ってたってことは、傷ついたってことなんだと思うけど……。

 そんなこと言ったら、きっと怒って本気で逃げられそうだから言わないけど。


「つか、いい加減離せよ。」

「逃げない?」

「……あぁ」


 じと目で見上げてみると、すっごーく嫌そうな顔をしながら答えられた。


 これは間違いなく、隙あらば逃げてしまおうと考えているに違いない。

 面倒くさそうに適等に返事をされた気がする。


 わたしは尚も彼を見上げていたけど、とりあえず腕から身体は離した。

 手で腕を掴むだけだと、力で振り切られて逃げられそうだから右手で掴んだ腕の手を握った。


「だっ!? だ、だからあんたはっ!」

「だって、振り切られて逃げられそうなんだもの。手をつなぐくらいの保険はかけないと」

「そう言う問題じゃ……!」

「ずべこべ言うなら、その口塞ぐけど?」

「!?」


 目を白黒させたり、かっと頬を赤く染めたりと忙しそうだ。


 今、彼が何を考えたかはちょっと分かる気がする。

 何せこの言葉、わたしが【不思議の国】号でチェシャに言われた言葉なんだもの。

 他の何を言うよりも効果覿面だって言うのは、身をもって分かってますとも。


 言った自分が一番恥ずかしいけど、ここで照れちゃ脅し文句にならないよね、うん。


「一つ、確認させて」

「なっ、なんだよっ!?」


 心なしか怯えたようにわたしから距離をとろうとする彼が、何だか妙に可愛い。

 そんなびくびく震えて、頬を赤く染めながら瞳を揺らす男なんかに、わたしよりも身長が高いくせに可愛いだなんて……!

 なんだか小動物を連想させられるんだけど。


 確かに、わたしよりも白い肌で綺麗な長い白髪だし、白いワイシャツに包まれた身体はすらっとしていて、羨ましいくらいに細いけど!

 なんでこんなに敗北感しか覚えないんだろうと思えるほど虚しくなるけど!


 くっ、悔しいけどそれは心の隅に押しやって。


「あなた、カイで間違いない?」

「……知ってたんじゃなかったのか?」

「この国のことは、ついこの間知ったばかりなの。だから、あなたのこともさっき知ったばかりだったから、自信なかったんだけど……」


 正しく言えば、さっきの子にいるらしいことを教えてもらっただけなんだけどね。

 あとは完全なる自己判断。


「でも、それだと変なんだけどな……」

「は?」


 つないだ手が離れそうで離れない距離まで下がった彼―…もうはっきりしたからカイで統一するけど…―は、わたしの呟きに不思議そうに首をかしげた。


「変って、あんたに言われたくねぇよ」

「さっきから失礼なこと言い過ぎ。あなただって人のこと言えないじゃない」

「あぁ? てめぇになんか言われたくねぇし!」


 言い返そうかと思ったけど、やめた。

 これじゃ、本当にただの低レベルな口げんかだ。子どもかわたしは。


「あなたがカイなんだとしたら、やっぱり変」

「だから」

「だって狂ってないんだもの」

「はぁ?」


 そう、そこがおかしいんだ。


 カイは狂ってない。

 赤い瞳は虚ろなんかじゃない。

 “悪魔の鏡の欠片”が刺さった人みたいに、狂ってなんかないんだ。

 それが、わたしが知っている物語と矛盾してる。


 カイは“悪魔の鏡の欠片”が刺さって、冷たい心の持ち主へと変わった。

 だから雪の女王に連れてこられてしまった。


 それなのに、目の前にいるカイは狂ってなんかない。

 どうして? それなら、何故カイがここいるの?


「俺は元からこうだ。狂ってるっちゃ狂ってるけどな」


 自嘲的に笑ったカイだけど、やっぱりその瞳を見ても狂っているようには見えなかった。


「ううん、狂ってなんかない。あなたはまともよ」

「どうだか」

「狂っているって言うよりは、自分を卑下にしているような気がするけど……」


 じっと瞳を見つめると、やっぱりたじろいだように引き下がられる。

 ためしに一歩近づいてみると、ぎょっとしたように身を引かれた。


 ……そんなに拒絶されると、さすがに凹むかも。


「あんた、本当にさっきまで鳥かごの中にいた奴か?」

「そうよ」

「もっと小さくて、しおらしくて、壊れちまいそうな奴じゃなかったか?」

「失礼な。それだと今のわたしは、大きくて、強気で、図太いとでも言いたいの?」

「どうみてもそうだろーが。こんなにもじゃじゃ馬だとは思わなかった!」


 何て失礼な人だ!

 いや、失礼なのは初めから分かってたけど。


 いやいやいや。そんなことが言いたいんじゃなくて。


「えっと、あなたは、カイなんだよね?」

「だったらなんだよ?」

「ゲルダは? ゲルダはどこ?」


 カイの凍ってしまった心を溶かしたのは、ゲルダの優しく暖かな心が溶けた涙。


 わたしの目の前にいるカイが狂ってなんかないのなら、ゲルダの涙が、カイの目と胸に突き刺さった“悪魔の鏡の欠片”を打ち消したってことじゃないの?


「ゲルダ?」


 ……あ。カイも、雪の女王に二回口付けられてるんだった。

 ゲルダのことも忘れて……


「なんであんたがゲルダを知ってるんだ?」


 は、いないみたい。


 知ってるというか、なんと言うか。

 わたしが知っている物語の中のゲルダなら知っていますが。

 なんてそんなこと言ったら、ますます変だとか言われそうだから言わないけど。


 思わずまじまじとカイを見ると、ますますたじろいだようにびくりと肩を揺らした。


「な、なんだよ?」

「ゲルダのこと、覚えてるの?」

「はぁ? あんた何言ってんだ?」


 もしかして、わたしの知っている物語のカイとは、全然違う?


「あれ? ゲルダのことを覚えてるってことは、カイは雪の女王から口付けられなかったってこと?」


 頭が混乱してきた。

 これは、一回わたしが知っている物語とは別のものとはっきり分けたほうがよさそうだ。

 カイの存在がイレギュラーすぎる。


 わたしがちょっと頭の中を整理しようとちょっと必死になっているとき、繋がれていない方の手で方を強く掴まれた。


「っ!?」

「あんたはっ!」


 怯えるように離れていた距離を一気につめてきて、赤い瞳を大きく見開いてわたしを見下ろしてくる。


「あんたはされたのかっ!?」


 怯えも怒りも悲しみも、そんなどの表情でもない。

 ただ必死に、わたしを見下ろしている。


 赤い瞳に乱れた髪のままのわたしの姿が映るのが見えた。

 髪、直したいな、なんて。頭のどこかでぼんやりとそんなことを思いながら、わたしはただ黙って頷いた。


「あいつ……!」


 ぐっと力を込められて、痛さに顔をしかめた。


 カイは、今度こそ本当に怒っていた。

 赤い瞳にゆらゆらと怒りの炎を灯したかのように、ここにはいない雪の女王を強く見据えている。


「えっと、とりあえずは大丈夫だから。だからちょっと落ち着」

「性懲りもなくまた手を出したか!」

「いや、だから落ち」

「あいつ自身が壊しちまうくせに……!」

「ねぇ痛い! 痛いってば!」


 本当に肩が痛くて、わたしはだんだんとカイの胸を叩くと、はっとしたようにぱっと手を離された。


 ……これ、跡に残ったりしないよね?


「わ、悪ぃ」


 ばつの悪そうな顔で、ちょっと泣きそうに眉を下げたカイ。


 垂れた耳の幻覚が見えてしまいそうなくらいに、しょげている。

 やめて本当に。可愛いとか思っちゃうから。

 なんだか自分が凹むから……!


 そんなカイだったけど、不意にハッと視線を上げた。


 廊下の奥を見据えて、瞳を細く尖らせている。


 それから、ぐっとつないだ手に力を込めて、わたしを引き寄せた。


「え?」

「黙ってろ」


 わけも分からずカイの影に隠されて、鋭く命令された。


 いや、本当に意味がわからないのですが。

 わたしはそっとカイが視線を向ける方向を見つめ、て……


「っ!」


 声を出しそうになった自分の口を押さえた。


 あれは。遠目から見たあれは、お城の兵士だ。

 そうだよ、お城には普通兵士がいるに決まってる。ここまででその影も形も見なかったから、全然危機感なんか持たなかったけど。

 あれは! あのお城の兵士は!


「ちっ!」


 わたしたちを見つけた彼は、ゆっくりとその虚ろな瞳を向けてきた。

 その異様な怖さから、ぶるりと震えた。


 舌打ちしたカイは、動けないわたしを引っ張りながらも駆け出した。


「おいっ! しっかり走れ! あいつらに捕まりたいか!?」

「あいつらって! でも、だって、あれ……!」

「くそっ、やっぱ次から次へと沸いてきやがるっ!」

「っ!」


 向かい側から、複数の兵士が駆け出してくる。

 後ろには、さっき見たときには一人だったのに、なんでか数が増えてる!


 その兵士たちの体格はやっぱり不揃いなんだけど、誰もが虚ろな瞳をしていて、生気のない顔で抜き身の剣を向けて追ってくる。


 だから、わたし、持久力ないのに……!

 そんな息が詰まるような程怖い顔して追ってこないで……!


「もっと早く走れ! 遅い!」

「っなこと、言ったって……!」

「こんなとこでへばってんじゃねぇ!」


 もう息が切れだしたわたしを見て、また一つ舌打ちしたカイは素早く辺りを見回した。

 それから、迫りくる追っ手のいない方へと角を曲がって、必死でわたしの手を引いてくれる。


「いいか! あんたのいた鳥かごの部屋までは、死ぬ気で走れよっ!」

「……かった!」

「よしっ!」


 ぜぇぜぇ言いながらも搾り出した声に、カイは尚も強く手を引いてくれる。


 胸が痛い。胸と言うか、喉から肺にかけてがものすごく痛い。

 乾いた部分を更に容赦なく風が吹き付けて、粘着性を持った何かがひりひりとかすれて痛い。


 痛くても、疲れても、足を動かし続けないと。

 お荷物でしかないわたしを、引っ張ってくれているカイの負担を少しでも減らさないと。でも、上手く足が動いてくれない。


「頑張れよ! 塵みたいな持久力しかなくても、少しは根性見せろ!」


 励ましているのか貶しているのか、その言葉がどっちなのか分からないけど、それでも走らなくちゃ。


 あの兵士たちに捕まりたくない。触られたくない。

 あの虚ろな瞳に見られるだけでぞっとするのに、捕まったらなんて考えると……。


 考えたくないことばかり考えてしまいそうになったそんな時、カイが一つの部屋の扉を蹴破った。


「ちょっ!?」


 ドアノブあるんだから、ちゃんとドアとしての機能を果たしてあげようよ!

 なんてツッコミは苦しいから心の中だけにして。


 わたしたちは勢いよく開いた扉から部屋に飛び込んで、鳥かごの元まで駆け寄った。


「先入れ!」

「ど、やって……!?」

「知るか! 出れたんだから入れんじゃねぇのかよっ!?」


 荒い息を整えながら、わたしはどうやって出たんだっけ?

 なんて間抜けなことを考えていた。


 どうやってか、なんて。

 そんなの【神子の玩具】の力に決まってるじゃないか。


「……っねがい!」


 わたしは指輪を強く握り締めて、願った。


 あの兵士に捕まらないように、わたしとカイが鳥かごに入れるくらい、小さくなれるようにと。


「早くしろっ!」


 カイの切羽詰った声が聞こえたその時、指輪が熱くなり始めた。

 ぼんやりと輝き始めた指輪に、これで小さくなれる! なんて、まだ小さくなれてもいないのにほっとした。


「おい……っ!?」


 催促の言葉が途切れたのは、身体に異変が起こり始めたから。

 自分が溶けているような感覚と、ぐっと遠ざかっていく天井と低くなっていく視線。


「こっち!」


 それに戸惑っているカイの手を強く引いた。

 小さくなっていく自分に違和感を覚えながら、柵の隙間に身体を捻り込む。


 そうでもしないと、開け放したままの扉から入ってきた兵士たちに捕まってしまいそうな気がしたから。


 ほら、あの虚ろな瞳を向けて、こっちに向かって……


「……あ、れ?」

「大丈夫だ」


 カイの背に隠れるようにしていたけど、兵士はふいと視線を外した。

 扉の前にいるだけで、中には入ってこない。


「この中にいる限り、あいつらは手出ししてこねぇ。だから大丈夫だ」

「本当に?」

「あぁ。あいつらだって、雪の女王の機嫌を損ねる事なんかしねぇよ。そこまで知恵がないわけじゃねぇし」


 そうは言っても警戒する様子を解かないカイに、本当に大丈夫なのか不安になる。

 だって、わたしたちはあんなにも息を切らせて全力で走ってきたのに、あの兵士は息一つ乱してない。


 ますます異様な兵士が立ち去っても、わたしはカイと繋いだ手を離せなかった。

 縋りつくなんてことはしたくないけど、でも、こうして誰かがいるって言う実感がないと、怖い。


 一人であんな狂った兵士相手に立ち向かえるような度胸も、勇気も、わたしにはないんだもの。


「おい、手」

「……ごめん、もうちょっとだけ。もうちょっとだけこうさせて」

「はぁ? 意味わかんねぇ」


 ふいと顔を背けて、ふてくされたようにその場に座り込んだカイにつられて、わたしもぺたんと座り込んだ。


 手は、繋いでくれたまま。

 誰かがここにいてくれるって、本当にありがたい。


「それで? あんた一体何者?」

「え?」


 唐突に投げられた言葉に、ちょっと頭が付いていかなかった。


「俺の身体に何した? 何で小さくなれたんだよ?」

「えっと、何って、柵をくぐり抜けられるように小さくなっただけって言うか……」


 【神子の玩具】の力です、なんてこと言えるはずないからなぁ。なんて言えばいいんだろう?


「理由になってねぇよ。そもそも、あんたは何でここにいるんだ?」


 何でって、雪の女王に捕らえられたから。

 ……どうして? なんて、そんなこと。


「あんたも、【娘】なのか?」

「……」


 そう、だからに決まってる。


 雪の女王は言ってたじゃないか。

 『大切な【娘】』だと。

 『壊れないように、大切にする』と。


 あぁ、なんだ。そうだったんだ。

 今になってようやく分かった。


「雪の女王も、一緒なんだ……」


 【不思議の国】号と。


 【娘】を護ろうとしてくれているんだ。

 やり方は違うけれど、彼女なりの方法で【娘】を護ろうとしてくれているんだ。


 ジャックさんが言っていたように、他の海賊や怖いものに怯えないように、ショックを受けさせないように。

 【娘】が壊れてしまわないように、護ろうとしていたんだ。


 わたしの勝手な憶測で、推測でしかないけれど。

 それでも、彼女の瞳は虚ろなんかじゃなかった。正気の彼女が行ったことに理由をつけるとするなら、きっとそうなんだろうって。


「……何一人で納得してるんだよ。本当に意味わかんねぇ奴」

「雪の女王も、一緒なんだって。分かったの」

「はぁ? 何が一緒?」

「【不思議の国】号と一緒ってこと。【娘】を護ろうとしているってことでしょ?」


 鳥かごの中にいれば、あの兵士が危害を加えることなんかない。現に、兵士たちは開け放たれた扉からはもう見えなくなっている。

 だから、あんなにもここから出るなって言っていたんだ。


 これもわたしの勝手な憶測で、推測だけれど。

 雪の女王は、一番この国に何が起こっているか、分かってるような気がする。


「ねぇ、カイ」

「呼び捨てかよ」

「あぁ、ごめん。えっと、カイくん? カイさん?」

「……呼び捨てでいい」


 どっち?

 同い年の男の子っぽいし、なにより失礼な発言ばっかりしていたから、敬語とか他人行儀なことはあんまりしなかったんだけど、今更になってそこ言う?


 ……童話の登場人物だからって、呼び捨てにするのが当たり前とか思っていたわたしも、おこがましいのかもしれないけれど。


「えっと、それじゃぁ、カイ」

「なっ、なんだよっ?」


 繋いだ手にもう片方の手を添えて、カイの手を包み込むように握った。


 ぎょっとしたように後ずさったカイだったけど、彼を怯える様子を見せるのは、今に始まった事じゃないから気にしないことにする。


「手伝って」

「は?」

「手伝って欲しいの。わたし一人じゃ、上手くできないから。雪の女王やこのお城や、このラップランドに詳しいあなたに、手伝って欲しいの」


 わたしはこんなにもちっぽけで、考える事以外では足を引っ張ることしかできないから。

 こんなにも無力な小娘には、何かを成し遂げようとしても、一人でそれを出来る力なんかないから。


 だから、お願いと。

 カイの手をぎゅっと手を握った。


「手伝ってって、何をだ?」

「この国を元に戻すこと。この国と言うか、さっきの兵士たちを」

「はぁ? お前何言ってんだ、馬鹿じゃねぇの」

「馬鹿って……さっきも出来るはず無いって言われたけど」


 あの幽霊みたいな子に、さっきそう言われたばっかりだけど。


「でも、行動に起こさないと、何も変わらないまま。誰かが何とかしてくれるって、他力本願じゃだめなの」

「だからあんたがあいつらを正気に戻すってか? どうやって? そもそも、俺だって狂っているのかもしれねぇのに?」

「ううん、カイは狂ってなんかない」

「どうだか。あんたはずっとそう言ってるけどな、そんなの」

「だって本当のことだもの。カイは狂ってなんかない」


 真っ直ぐに瞳を見つめる。


 赤い瞳が戸惑ったように揺れているけれど、虚ろなんかじゃない。

 逸らしてしまいたくなるような、濁った虚ろな瞳をしていない。


「それに、カイは優しいんだもの」

「はぁ!? どこがだよ!?」

「どこって、全部?」

「はあっ!? てめえの目は節穴か!?」


 信じられないって顔されても、事実だし。

 そりゃ始めは、なんて酷いこと言う奴なんだって思ったけど。


「こうして手、繋いでくれてるし」

「だっ! それはてめぇが」

「それに、変な奴とか言った得体の知れないわたしを心配してくれたでしょ?」

「ちがっ! それはっ!」

「違うの?」

「……っ!」


 わたしの勘違いだった? と聞くと、ばっと顔を逸らされた。

 素直じゃないんだよね、きっと。


「それから、足手まといのわたしを引っ張って、兵士たちから逃げてくれた。見捨ててもよかったのに、カイはそうしなかったでしょ?」

「……うるせぇ」

「だから、わたしはあなたに手伝ってほしいって、そう思ったの」


 そんなカイなら、きっと悪い方向に転がり続けていた事態を、いい方向に変えてくれる。そんな願いも込めて。


「強制はしないよ。だって、これはわたしがやるべきことだから」


 本当ならわたし一人でなんとかしないとって、そう思う。


 誰もが優しく手を差し伸べてくれるわけじゃない。

 誰かに頼りきってしまうような人間になんかなりたくない。


 だから本当なら一人で、わたしがなんとかしなくちゃいけないこと。

 わたしが元に戻すって、そうホーンに誓ったから。一人でも、無理だといわれても、わたしはやる。


「わたしは何とかしたくて、ここにいるんだから」


 逸らしていた赤い瞳をわたしの方へと向けてくる。

 さらさらと、長くて白い髪が彼が動くたびに流れ動く。


 そんな些細な動作も綺麗だと思う。

 口が悪いからあまりそうとは気付けなかったけど、顔立ちは整っている。

 長い睫毛がゆっくりとまばたきをして、赤い瞳を揺らした。


「あんた、強いな」


 薄い唇が、ぽつりと言葉をこぼした。


「あんたは、強い」


 どこか泣きそうな顔で眉を下げたカイは、ゆっくりと繰り返す。


 彼のその赤い目に、わたしはどう映って見えているのかな?

 わたしは全然、強くなんかないのに。


「わたしは、強くなんかない」

「いーや、あんたは強い。俺なんかよりも全然強い」

「さっき、あなたに泣かされそうになってたのに?」

「……悪かったよ。つか、泣かなかったのか?」

「これ以上の醜態を晒すわけにはいかないもの」

「ばーか」

「った!」


 ぴんと、額にデコピンされた。

 ちょっと、少しは手加減してよ! 結構痛かったんだけど!


「一回くらい取り乱したからなんだって話じゃねぇか。一回も二回も同じじゃねぇか」

「同じなんかじゃない!」

「今更だろーが。それに、泣くのは醜態ってわけじゃねぇ」


 そっと額を撫でられた。


「あんたに、力くらい貸してやるよ」

「……いいの?」

「ただし、全部終わったらお前泣けよ?」

「は?」


 いや、意味が分からないのですが。


 しかも泣けって。普通は結果がどうアレ泣くんじゃないとか、後悔するなとかそんな感じじゃないの?


「泣くのは醜態をさらすってことじゃねぇ。それが分かってねぇあんたは、一回大泣きした方がいんだよ」

「何そのなんの根拠もなさすぎる理由」

「経験論だっつーの。ほら、そんでこれからどうすんだよ?」


 釈然としないものを感じながらも、とりあえずよかったと思うことにしよう。

 一人じゃないってことが、すっごく心強い。


 それで、これからどうするか。


「……ゲルダを捜す」

「ゲルダを?」


 カイの目と胸に刺さった“悪魔の鏡の欠片”は、ゲルダの暖かな涙によって溶けた。


 だから、ゲルダが一つの鍵になってるんじゃないかな?


 この世界的に言えば、ゲルダも【娘】であって【主人公】でもある。

 【娘】であって【主人公】でもあるってことは、きっと雪の女王は護ろうとしたんじゃないかな?


 そう考えると、ゲルダもこのお城の中に、それもわたしたちと同じように鳥かごの中にいるんじゃないかって、そう思うんだけど……。


「……あんたがそう言うなら、止めはしねぇけど」


 わたしが知っている物語と違うのだから、本当にゲルダが?と言う不安もあるけど。

 でも、それ以外にわたしには手がかりがない。


「兵士はもういないかな?」

「そろそろ大丈夫じゃねぇの? 捜しに行くんだろ? 行くぞ」


 繋がれた手を引かれて立たされる。

 それから、そっと鳥かごの柵を抜けた。


「あ、そうだ。カイ」

「なんだよ?」


 怪訝そうに振り返ったカイの隣に並んで、小さくなってもわたしより大きいカイを見上げた。


「わたし、幸って言うの」

「ユキ?」

「そう、しばらくよろしく。……頼りにしてるからね?」

「……そうかよ」


 照れたようにそっぽを向いたカイに小さく笑うと、笑うな、と頭を小突かれた。


「笑ってんじゃねぇ!」


 照れ隠しなのが分かるから、可愛いな、なんて笑みはどうやってもひっこめられそうにないけれど。


 小さな身体のまま手を繋いで、わたしたちはゲルダを捜しに廊下を歩いた。


 それが今わたしが見つけた進むべき道。

 この不思議な物語のページをめくるための、手掛かりになるのだから。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。