あの味。あの時間。
初めまして。たいちゃと申します。
普段はほとんど本なんか読まない超超初心者です。
本当に暇つぶし程度で書いてみた小説なので、温かい気持ちで読んでください。
普段は趣味でコーヒーを淹れているので、今後もコーヒーに関連した小説を書いていこうと思います。
今回初めて書いた「あの味。あの時間。」は、コーヒーの味をまだ分からない少年が、少しだけ大人に近づき、普段言えない心の中の気持ちをふっと話してみる。
一杯のコーヒーのような温かくも少し苦いお話を書いてみました。
3分くらいあれば読めるのでカップ麺とか、休み時間とかのすきま時間に軽く読んでみてください。
「コーヒーなんて苦くて何が美味しいんだか。」
父さんがコーヒーを淹れている時、いつも僕はそんなことを言っていた。
「ちょっと大人になれば分かるさ」
いつも父さんはそう言っていた。
そしてコーヒーを淹れている時、父さんのうんちくは止まらない。
お調子者で子供見たいな性格の父さんは、コーヒーを淹れる時だけちょっとかっこいい。
そんな父さんに僕は少しだけ憧れを抱いていた。
中学生で少し反抗気味になっていた僕は、憧れているなんて恥ずかしいから反動であんなことをいつも言っている。
「私はコーヒー飲めるけどねー。あんたまだまだ子供だなぁ」
「うっさいな、姉ちゃん。苦いものは苦いんだよ。」
姉ちゃんに揶揄われて、そっけなく遇らう僕。
それを笑いながら眺めるのが父さん。
これが食後の日課だった。
あまり自分を表に出さない僕はいつもそっけない反応。けどそれでもよかった。
揶揄われるのは少し嫌だったけど、父さんがいつも僕たちのやりとりを見て笑顔になってくれるのは恥ずかしいけど嬉しかった。
僕だって少しは大人になれると自販機の缶コーヒーを飲んでは見たものの、
やはり苦い。そして焦げ臭い。
美味しいなんて1ミリも思えなかった。
缶コーヒーがいけないのだろうか。
考えてみれば父さんは普段缶を飲まない。
決まって自分の淹れたものしか飲まないのだ。
やはりあれが特別なのだろう。
父さんの淹れている姿。
気づいたら目で追ってしまっている僕がいる。
特別なあのコーヒーを飲んでみたい好奇心からなのか。
まだまだ大人になれない僕。
いつかは大人になれるのかな。
ー
それは突然だった。
学校から帰って家の玄関を開けると真っ先に見えたのは母さんの暗い顔。
いつも母さんは僕が帰ると飛びついてくるのに。
「お父さんの容態が急に変わったの。もう長くはないみたい。」
嘘だと思ったが、母さんの変わりようを見て本当なのだとすぐに感じた。
少しの間、僕はその場に立ったまま動けなかった。
「今日はスーパーのお惣菜しか準備できなくてごめんね。母さんの分は取ってあるから先に食べてて。」
本格的に入院をする父さんの手続きとかで母さんは忙しくしていた。
姉ちゃんとも話したが、お互い受け入れることが難しかった。
その晩は、いつになく静かな夜。
いつも聞こえるコーヒーミルの音。今日は聞こえない。
あの香りも。あの声も。
そしてあの笑顔も。
ー
僕たちは父さんの見舞いにいった。
少しは元気がないんじゃないかと思っていたが、会ってみればいつも通りの父さんだ。
心配して損したくらいいつも通りだった。
けどいつもの声じゃない。少し細い声。
姉ちゃんと母さんが飲み物を買ってくる間、僕は父さんと2人きりになった。
さっきまで笑顔だった父さんが少しだけ真剣な顔をしてこう言った。
「いつもの父さんでいたいんだ。特にあの2人の前ではね。」
初めて聞いた父さんの弱音。
「なんで僕にだけそんな事言うの。」
「こりゃ父さんのプライドだ。女の前では恥かきたくねえのさ。」
いつも通りのお調子者でカッコつける僕の父さん。
「父さんがさっき言った事みんなには内緒だぞ。」
「分かってるって。」
「いいか、男同士の約束だ。」
「おう。」
僕にだけ言ってくれた本音。嬉しかった。
.....
「なぁ父さん。今度コーヒー飲ませてよ。父さんの淹れたコーヒーを飲んでみたい。」
「なんだ。あれだけ苦くて嫌って言ってたのにかぁ。」
「うっさいな。」
いつものように微笑む父さん。姉ちゃんと僕の掛け合いを見ている時と同じ笑顔。
「分かった。今度飲ませてやる。とびきり美味いやつをな。」
「頼んだ。」
「姉ちゃんに聞かれたら恥ずかしいなぁ」
「男同士の約束だろ?」
お互いの顔を見て笑いが込み上げる。
「あら、楽しそうな顔して。何の話をしていたの。」
「内緒。」
「内緒。」
やっぱりいつもの父さんだ。
1週間後、父さんは亡くなった。
ー
母さんはいつものように明るく振る舞う。
けど知っている。無理をして寂しさを押し殺していることを。
姉ちゃんはいつものように僕を揶揄う。
けど知っている。前みたいにおかしなことは言わない。
いつも聞こえていた笑い声。今は僕のそっけない反応だけで。
あの声があったから僕はそっけなくできた。
もう母さんや姉ちゃんに無理してほしくない。
ー
時折僕は、コーヒー器具が並んでいる棚を見つめる。
あの時の記憶を思い出すように。
ミルで挽かれる豆の音。
沸騰する電気ケトルのお湯。
フィルターから流れ落ちる焦げた色の水。
うんざりするほど聞いたうんちく。
何故だか僕はケトルに水を入れ、お湯を沸かしていた。
気がついた時、手にはミルを持って豆を挽く準備をしている。
体が勝手に動いていると言っても良いくらい気が付かなかった。
豆の分量も、お湯の温度も、お湯の落とし方もわからないはずなのに、
僕の記憶には細かいレシピが載っていた。
何度も観てきたあの記憶。
知らないうちに身についた知識。
ー
程なくして一杯のコーヒーが完成する。
母さんも姉ちゃんも驚いた顔でこちらを見ている。
「なんであんた淹れ方なんて知ってるの」
姉ちゃんは不思議そうに言った。
「ずっと見てたもんね。淹れてるところそっくりだったよ。」
母さんは僕にそう言った。
部屋に充満する香ばしい香り。
あの時と同じ、あの記憶が鮮明に蘇るように。
コーヒーなんて苦くて何が美味しいんだか。
けど、目の前にある一杯のコーヒーはそう思えない。
どうにもそのコーヒーは異様なほど美味しそうに思えた。
苦い。やっぱりコーヒーは苦い。
けど、なんだか嫌じゃない。
単に味が美味しいとかそう言うのじゃない。
心が落ち着いて、ゆっくり時間が流れていく。
苦いし、焦げた臭い。
けど、そのコーヒーは心の底から美味しいと思えてしまった。
母さんにも飲ませた。
一番あのコーヒーを知っている人だ。
「とっても似てる。お父さんのコーヒーにとっても。」
母さんは微笑んだ。
いつもの優しい母さんの笑顔だ。
「母さん、美味しい?」
「とっても美味しいよ。とびきりに。」
いつもの笑顔の中に何粒かの涙が流れていた。
完璧じゃないかもしれない。
けどそのコーヒーはとびきり美味しいコーヒーらしい。
父さんは約束したとびきり美味いコーヒーを淹れてくれた。
僕の刻まれた記憶に乗せて。
「これで大人になれたかな?」
いつもの姉ちゃんの揶揄う声。
いつになく優しく微笑む姉ちゃんの顔。
「分かんないや。けどこのコーヒーは美味しい。」
父さん。僕もちょっと大人になれたかな。




