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それでもあいつはここを選んだ  作者: よみねみよ


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3/3

3.それでもあなたはあちらを選んだ

聖女は羨む




 ***


「こんなの誘拐と同じだろっ」


 怒った勇者様がテーブルを殴ったら、バキンとテーブルが割れて、巻き込まれて滑り落ちたカップもろとも紅茶がこぼれた。

 もったいないなとぼんやり思う。残り少ない茶葉だろうに、飲まれないまま冷めるどころか、こぼれてカーペットに吸い込まれてしまうなんて、もったいない以外の言葉が浮かばない。王様の精一杯のもてなしは、気づいてもらえなかったらしい。


「なッ――!」


 テーブルが割れたことに驚いたらしい勇者様は、「えっ、す、すみません、そんなつもりはっ」と両手をバタバタさせて動揺している。王様も固まっていたけど、慌てる勇者様に我に返ったようで怪我がないか問いかけていた。

 この場合、テーブルが脆いのか、それとも勇者様の力が強いのか。……たぶん後者だ。神の加護を得たから勇者なのだ。力が強くなっていてもおかしくないけど、自覚がないから感情のままに遠慮なく拳を振り下ろすのも仕方がない。


「勇者様、神はあなたに加護を授けました。お力にも変化があるのかもしれません」

「は?」


 勇者様は、目を丸くして自分の手を見て握ったり開いたりした後、しゃがみ込んで壊れたテーブルを触ったり握ったり叩いたりしだした。ふつうに触るくらいなら問題がなさそうだけど、力を込めるとビシッとテーブルに亀裂が入る。

 こっわ……と小さくつぶやいてから、勇者様は椅子に座り直して話を聞く体制になってくれた。


 実は召喚直後、負担があったのか驚きが強すぎたのか、勇者様は倒れてしまった。

 王様が説明をしようと、勇者様の目覚めを待って場を設けたけど、当人は異世界に召喚されたことをなんとなく察したらしく、王様が「勇者殿」と声をかけた時点で誘拐だと怒ったのだ。まあ間違いではない。

 でも、いくら椅子に座ってくれたとはいえ、テーブルは壊れているし紅茶はもったいないことにカーペットのシミになっているし、このままじゃあ使用人たちが大変なので、部屋移動をした。

 ちなみに次に用意された飲み物は紅茶じゃなくて白湯で残念だ。茶葉は貴重だし仕方ないか。


 王様は丁寧に説明をしていた。

 瘴気を生み出す魔物の王がうまれ、生き物が魔物になっていったこと。魔物を倒そうとすると病を得て倒れてしまうことを。今は王都を含め、人材豊富だった一部の地域しか生き残れていないことが伝えられた。

 そして、神のお告げを受けた聖女によって、魔物の王を倒すことができる勇者を召喚したのだと言うと、怯えがありながらも、勇者様がちょっとだけ嬉しそうというか、背筋がのびた感じがする。


 ……勇者なんて役回りは重荷でしかないと思うけれど、まだ勇者様にはわらからないんだろう。見た感じ、平和なところで、身分もあまりなく育った様子が見てとれるし。

 この国の人たちだって、あなたは勇者として神に選ばれたのだと言われたら、うれしいと感じる人は多いと思う。まだどんな加護を得ているか確認していないけど、少なくとも力が強くなっていることもわかっているし。このあと身体能力がどれだけ上がったかや、他にどんな能力があるのか確認したら、余計にやる気がでそうだ。


 だって勇者様は、まだこの世界の地獄を知らないから。


 誘拐と同じというのは、本当にそう思う。本人が望んだわけでもなく神に一方的に選ばれて、まったく関係のない世界に攫われてきた勇者様を、心底かわいそうだと思う。

 私はこの世界というか、この国の人間だったから仕方ないと無理やり諦めることができたけど、聖女として神に選ばれたことが本当に嫌だった。王命で故郷から王都まで連れてこられた時のことは、今だって覚えている。

 王都には行きたくないとどんなに頼んでも、誰も残っていいとは言ってくれなかった。……王命だから仕方がない? そうかもしれない。それでも私は残りたかったよ。


 ()()()()()()が、この世界の地獄を理解するまで、どのくらい時間がかかるだろう。でもきっと、すぐに思い知るんだ。


 ***


 騎士たちの鍛錬場に放り込まれた勇者様は、楽しそうに力をつけていった。

 剣を握ったことはなかったと言っていたのに、私が覗きに行った時には軽々と振り回していた。走れば他の騎士たちの倍の速さで走ったし、地面を蹴り上げれば小屋の上に立ったりと、身体能力が異常に上がっていたという。鍛錬して慣らせば、ありとあやゆる身体の動きができるようになるらしい。あっさりと強くなった。

 騎士たちも何度か繰り返せばできてしまう勇者様を鍛えるのはおもしろいらしく、みんな熱心に教えたり手合わせをしていた。彼らのあんな楽しそうな顔、久しぶりに見たかもしれない。

 王都の周辺に出る魔物を討伐して、帰ってきたら浴びた瘴気で得た病に苦しみ、回復したら少し鍛錬して調子を取り戻すと、また討伐に出る。そんな無限ループに、彼らは疲弊していた。

 王都の騎士たちは、聖女である私はもちろん、巫女や神官も神殿に複数いるからこそ、癒やしの力で回復が早く、死ぬことは少ない。それは幸運であり、不運だ。終わることも立ち止まることもできず、戦い続けなければいけない彼らは、肉体そのものより心が壊れてしまうこともあった。

 そんな絶望の中で、騎士たちにとって勇者の存在は希望だった。戦いも何も知らない青年が、あっという間に自分たちよりも強くなる奇跡を目の当たりにした。勇者ならば、この地獄を終わらせてくれるかもしれないと、夢を見た。


 でも、はじめての実践見学で勇者様は倒れてしまった。


 騎士どころか、聖女である私も同行しての現場。勇者様が戦闘をするわけじゃなく、実際に魔物の姿を見て、騎士たちが討伐している姿を見てもらうことだけが目的だった。

 魔物は一体だけだったけれど、他の魔物を食らったのか、想定よりも手こずっていた。五人の騎士が連携して戦っている中で、ひとりの騎士が腕を食いちぎられたところで隙ができ、ようやく倒すことができていた。

 蒼白となっている勇者様は放っておいて、私は倒れた魔物の口から取り返された腕を受け取る。つなぎ合わせるかのように傷口同士を押し当てて、祈りを捧げ治癒を行った。正直、腕がなくなってしまったほうがもう討伐に出ずにすむのだし、この騎士にとっては救いかもしれない。でも人材を減らす余裕なんてないから、私は私にできる最大限の力を行使する。さすがにこんな治癒ができるのは聖女である私しかいないから、この騎士も不幸だ。このまま戦線離脱をする機会を、聖女の存在によって潰されたのだから。

 そうやって、治癒という呪いを施してから勇者様の元に戻ろうとすると、私を凝視していた彼は、そのまま倒れた。いろいろと限界だったのだろう。

 その姿に、騎士たちから失望じみた空気を感じたけれど、それも仕方がないと思う。


 目覚めた勇者様に、「なんでお前は平気なんだよ」って聞かれたけど、「恐怖は助ける妨げになりますから」っと微笑んで返した。それ以外になんと言えるのだろう。私だけじゃなくて、みんなみんな、平気にならなきゃいけなかっただけだ。

 まったく関係のない世界にいた勇者様を、強制的に巻き込んだのは私だ。平気になれと言える立場じゃないことは、わかっていた。


 でも勇者様は、意外なことに自力で覚悟を決めてくれた。


 自ら実践訓練の提案をしてきて、魔物と相対し、自らの剣で倒すこと三度。一度目は騎士たちが追い詰めた魔物を、二度目は最初から一緒に戦って、三度目は他の騎士の手を借りずに一人で倒しきった。急激な成長だろう。一度失望を見せた騎士たちも、また希望を取り戻したかのように活気づいた。

 もちろん、恐怖を克服したわけではないのだろう。蒼白になっている顔も、吐いている姿も、飲食を受け付けなくなっている様子も見てとれた。うまく眠れてすらいないのではないだろうか。そんな状態でも、神の加護によって身体強化されている勇者様はなんとかなっていた。

 きっと、はやく元の世界に帰りたくなったんだと思う。

 神様は、勇者が魔物の王を倒せば元の世界に帰すとおっしゃった。それは神のお告げとして信託が下ったのだから絶対だ。勇者は役目を終えればこの世界から解放される。だからこそ、勇者様は必死に耐えている。


 ――いいなぁ。


 そう思った私はひどいだろうか。でも、羨ましい。羨ましくてたまらない。勇者はしっかり()()が約束されている。一方で聖女(わたし)が解放される日はくるのだろうか。神様に聞いても、答えてはくれない。私が強く願うたびにいろんな選択肢を生み出してくれるけど、それは役目からの解放じゃなくて、聖女としての私がわずかでも望みを叶える機会をくれているにすぎない。


 理不尽な嫉妬を抱く自分勝手さを自覚しているからこそ、勇者様と魔物の王を討伐するために旅に出ることは、正直気が重かった。


 ***


 一緒に旅に出たのは、勇者様、私、第二騎士団の副団長のレオンハルト様、第一騎士団のハインリッヒ様、第三騎士団のコリン様だ。少ないけど、王都も守らないといけないからこれが精一杯だった。


 聖女である私が王都を離れることで、癒やしの加護が減る。王都の神殿に在籍する神官や巫女の能力は高いけれど、それでも私が飛び抜けて優秀なのも確かだ。私がいなくなれば、騎士たちが瘴気で苦しみながら寝込む期間は長くなるし、王都内で育てている作物の育ちも悪くなるだろう。王都内での自給自足でどうにかしなければいけない現在、けっこうな死活問題だ。

 それでも私が勇者様と一緒に旅に出たのは、必要だから。聖女は魔物の王と言われる生き物がいる場所がわかる。というか、神様が教えてくれる。奴がどこかを根城にして動かないなら指示だけ出せばいいけど、気ままに移動するのだから、私も一緒に行って常に道を示さなければならない。荒廃したこの世界では、人海戦術や情報網を駆使することは不可能なんだよね。私じゃないと勇者を導くことはできなかった。


 勇者様を魔物の王の前に連れていけば、この地獄は終わる。


 超人的な身体能力が際立っていたから気がつくのが遅れたけれど、勇者が勇者たる所以は、浄化の力だった。

 勇者様は瘴気の影響を受けないし、勇者様と一緒に戦った騎士たちも瘴気で弱ることがかなり軽減された。それどころか、勇者様が直接倒した魔物は、死ぬと元の動物の姿にもどった。つまりは、瘴気を浄化してしまったんだよ。驚いたな。

 本人は意識していないみたいだし、たぶん存在するだけで浄化の力が発動しているんだろうね。

 別にそれで魔物が弱体化するわけではないみたいだし、勇者様の身体能力の高さは、魔物に近づいて倒すために必要だから与えられたのだと思う。勇者の手で魔物を倒して浄化する。それが神が与えた役割なんだろう。


 だから、勇者と聖女の組み合わせは最強だった。

 聖女がいれば、魔物の王のもとに迷わずにたどり着けるし、道中で怪我をしても癒やしてもらうことができる。勇者が居れば、瘴気に苦しむことなく進むことができるし、魔物の王のもとに行けばそれを倒すことができる。

 騎士たちは言った。こんなに安心できる討伐遠征ははじめてだ、と。表情も明るくて、彼らが今までどれほど苦しい戦いをしてきたのか、涙を禁じ得なかった。

 

 私はというと、ふつうに大変だった。単純に、体力的な問題で。

 だってずっと徒歩なのだ。馬を使えば馬が瘴気に狂って魔物になってしまうのだから、自力での移動しかない。勇者と聖女が居れば魔物に転じたりしないのではないかと期待もしたけれど、そもそも馬や牛が手に入らない。

 王都にはわずかにいたけれど、あまりにも貴重だった。道中にいた動物はとうに魔物に転じた後だ。どうしようもない。

 だから私が動けなくなると、勇者様が抱えて移動してくれるようになった。神の加護の身体強化は、もしかしたらこのためでもあったのではないかと思うくらい、軽々と抱えて微塵も疲れを見せなかったし、片手だけでも剣を振るって戦っていた。すごい。


 とはいえ、勇者様は魔物を倒すこと自体に思うところがあるらしくて、未だによく吐いているし眠れていないみたいなんだよね。いや、魔物が原因というより、そこら中に転がっている人間たちの亡骸のほうが問題かもしれない。

 誰も弔う人がいないのだから、野ざらしになってそのまま朽ちて腐敗したり白骨化していた。魔物に食い荒らされた状態のものだっていっぱいある。そんな光景、勇者様にとっては受け入れがたいものなんだろうね。

 だからといって、死体を避けることはできない。なるべくレオンハルト様たちが先頭に立って少しはマシな道に誘導してくれるし、人が暮らしていた生活圏を避けて移動することもあったけれど、それはあくまでも()()()()()だ。


 私たちにも食料は必要で、可能なら屋根のある場所で体を休める日も欲しい。大半は野宿だったけど、通る場所によっては、廃墟となった村や町で食料を漁ったり、中で誰も死んでいない家を探して寝ることもあった。そうやって人里に近づけば近づくほど、死体は増える。

 勇者様は嫌がって、野宿の方を好んでいた。そりゃあ、神の加護によって少しの休息でどうにかなるのだから、それでもいいのかもしれない。でもレオンハルト様たちは違う。やっぱりちゃんと体を休める必要があった。私だってたまにはベッドで寝たかった。だから、村や町に寄れる時はなるべく寄るようにしていたんだよね。……生きている人は一人もいなかったけど。

 生き残っている領地はあるはずなのに、遭遇できない。私たちはあくまでも魔物の王がいる方角に向かって進むから、わざわざ寄り道をして今も耐えている場所を探して顔を出す余裕はなかった。そもそも情報をやりとりすることができないのだから、どこが生き残っているかはぼんやりとしかわからない。あの領地なら耐えているだろうという憶測でしかなかったりする。


 じゃあ私たちが行ける範囲といえば、地理に詳しいラインハルト様が知っている、私が示した方角から逸れない範囲で寄れる限られた村や町だけ。そういう場所は壁に囲われているわけでもないし、組織だった騎士や兵士がいるわけがない。なら当然のように魔物に襲われて、とっくに滅んでしまっていた。


 ――きっと、私の故郷だって滅んでいるんだろう。


 王都に連れてこられてから、一度も故郷に帰れていない。今回も、向かう方角が違ったから寄るなんてできなかった。本当は自分の目で確かめたいけれど、確かめて思い知ることは怖いとも思う。

 むしろ、見せつけられていない私はまだ幸せなのかもしれない。見ていないなら幻想を抱ける。もしかしたらどこかの領地に逃げ込んで、母さんも父さんも生きているかもしれないって、夢を見れる。


 それに比べたら、ラインハルト様たちは直接的な地獄を見せつけられた側だろう。


 地獄の最初の目撃者はハインリッヒ様だ。

 彼は魔物の王が生まれた北の領地の騎士団にいた。もともと年に片手ほどの魔物は出る地域ではあったけれど、それが急に数が増えて調査をしたという。そして、とある生き物に近づいた時、乗っていた馬が次々と魔物化していったことで、その生き物によって周囲の動物が魔物化していることが発覚した。状況を理解した騎士団長は、即座に危険と判断して討伐のために一気に距離を詰めて、剣を突き立て血を浴びたらしい。……そして、間近で血と瘴気を浴びて、彼は魔物化した。

 一番強い騎士団長が魔物化したことで壊滅状態になった北の領地から、ハインリッヒ様は魔物の王の情報を伝えるために伝令として王都に駆け込んできたのが、この地獄の第一報となった。


 そう、この時点で魔物は魔物として生まれるわけではなく、動物が魔物化することが――()()()()()()()()ことが、わかっていた。

 騎士団長は魔物の王にあまりにも近づきすぎて血を直接浴びたことで魔物化したけれど、確認された限りでは魔物化する前に病で倒れることがほとんどらしい。動物は簡単に魔物化するけれど、人間は瘴気への耐性があるのか相性が悪いのか、病に倒れそのまま死ぬことはあっても、魔物にはなりにくい。けれど、自我の薄い子どもや、あまりにも多くの瘴気を浴びた場合は魔物化する、ということらしかった。だから魔物化するのは、子どもと、魔物と直接戦う騎士がほとんどだ。


 コリン様は王都の騎士ではなく近隣の町にいた平民だったけれど、魔物化した幼い妹によって家族を殺され、その妹も別の魔物に殺された。流れ着くように王都に来てから、人員が足りずに戦えるものを募っていた騎士団へと入団したと聞いた。


 ラインハルト様は、魔物化した騎士の息子をその手で殺した。魔物の王が近くの領地に現れた時に、魔物が大量発生して王都の近くにも押し寄せた厄災があった。そこでラインハルト様の息子は多くの魔物を倒し、皮肉にも魔物化してしまったという。

 弱ければ食い殺され、強ければ数を倒して多くの瘴気を浴びるせいで魔物化する確率が上がるという、理不尽な戦場だったと聞いた。その戦いが落ち着いてから、騎士たちの討伐ローテーションの確立や、少しでも瘴気を抑える薬草の常備に、巫女や神官の同行など、魔物との戦闘の仕方が見直された。だから今は、王都においては騎士も魔物化はしにくくなっている。


 だからこそ、勇者様には()()()()()()という情報を伏せることができていた。

 人間だって魔物になるのだと知れば、勇者様はいよいよ正気を保てなくなるかもしれない。見るからに人ではない魔物でも躊躇っているのに、猿みたいな動物の魔物と遭遇したら、咄嗟には人間の子どもに見えることもある。人間が魔物化することを知っていれば、勇者様は「もしも」を気にしてしまうだろう。

 幸いにも、道中で魔物化した人間に合う可能性は低い。

 転じやすい幼子の魔物は弱いから、他の魔物に食われてしまう。幼子を殺せない周囲の人間たちへの被害は甚大だが、他の魔物にとってはエサでしかない。騎士が魔物になってしまった場合は、危険だからと最優先で討伐される。だから、人の形をした魔物なんてほぼいない。だからこそ、知らないままでいてくれたほうが都合がよかった。


 勇者様はこの世界の地獄のすべてを知る必要はない。

 ただ、その役割を果たしてくれたら、それでいいんだ。


 ***


「ありがとう。おかげでよく眠れたよ」


 朝日を浴びた勇者様が、やわらかく笑ってお礼を言った。

 昨日の晩、私がハーブティーを淹れたことに対するお礼なんだろう。眠れない勇者様の気持ちが少しでも落ち着くようにと、密かに持ってきたハーブを使った。嗜好品がない現状では、かなり貴重ではあるけれど、思い切って振る舞って正解だったみたい。勇者様の顔色がだいぶよくなってホッとした。


 もともと眠りが浅かった勇者様だけど、最近はほとんど眠れなくなっていたみたいで、夜の見張り番をする騎士と一緒に起きていることが多かった。騎士たちと勇者様がぽつぽつと話をしながら夜を過ごしている様子を、まどろみながら私も見ていた。

 騎士様たちは夜を一緒に過ごすことで、眠ることができない勇者様の気持ちを和らげようとしていたんだろう。私は夜の見張りの当番は体力的な意味でも回ってこなかったから、夜を一緒に過ごすことはできない。ならばと思ってのハーブティーだった。

 故郷から持ってきた種を神殿の片隅で育て続けて、眠れない夜はその香りと温もりで気持ちを落ち着けていた。それは、魔物の王が生まれて世界が崩壊に向かっていった今でも変わらない。私は私のために、密かにずっとこのハーブを育て続けている。この旅にも、乾燥させたものをしっかりと持ってきていた。


「ふふ、勇者様が寝不足だと、私が運んでもらえませんもの」


 冗談めかしにそう言えば、勇者様も笑ってくれる。

 実際、勇者様は毎日私を抱えてくれている。道によるけど、だいたいは三時間歩いて一時間抱えてもらって、また三時間歩いて、というのを繰り返していた。正直、運んでもらえないと一日で移動できる距離は今の半分以下だっただろうな。それだけ私には体力がなかった。


 そうやって毎日のように抱えてもらっていると、どんどん情が生まれてきた。

 召喚をしてこんな世界に連れてきた罪悪感と憐れみ、そして役目を果たせば元の世界に帰って解放されることへの嫉妬。私が抱く勇者様への感情はそういったものだった。なのに、密着してその体温や鼓動を感じて、間近で表情や声に触れていたら、そわそわとした気持ちも生まれてきてしまう。


 勇者様は私を責めない。神の意志を代行したとはいっても、召喚の儀式を行ったのは私だし、八つ当たりをされても仕方がないと思っていた。なのに、どちらかと言えば気遣われている。最近は勇者様の目にわずかに熱がこもる時があるのは、正直驚いた。身近な女だからだろうか? 殺伐とした世界でのほんのだろうか。よくわからなかったけれど、勇者様は私に対して優しい。

 でもその一方で、それ以上踏み込んではこなかった。

 元の世界に恋人がいるという話は聞いたことがある。まだ王城にいた頃に、彼女とのデート中に召喚をされたんだと言っていたはずだ。でもその時以外彼女の話が出たことがないから、意識して言わないようにしているのかもしれない。

 勇者様が元の世界に戻る理由のひとつに、きっと彼女のこともあるんだろう。恋人や家族がいる日常に戻りたいんだと思う。だから、たとえ私に何かしらの感情が生まれても、手を伸ばしてくる気はないのだろう。


 ――選ばれたい。


 私は勇者様に選ばれたい。日常よりも、この世界を、私を、選んでほしい。勇者という役目に縛られたまま、聖女としての私のそばに居てほしい。

 だって私は逃げられない。逃げられないから、聖女の隣に居てくれる勇者様(あなた)が欲しい。


 それから私は、勇者様との距離をほんの少し縮めた。

 移動のために抱えられる時、気恥ずかしさから正面を見ていることが多かったけれど、間近から目を見て話をするようになった。落ち着かない様子で視線を逸らして話をする勇者様は、ちょっとかわいい。

 夜の見張り番では、勇者様がラインハルト様とペアの時は、二時間くらいは隣りに座ってぽつぽつと話をした。さすがにハインリッヒ様とコリン様の時はなんとなく照れが勝ったけれど、ラインハルト様は静かに見守ってくれているから助かる。


 ハーブティーも、限りがあるとはいえできる範囲で振る舞うようにした。

 これはあまり眠れていない勇者様のために始めたことだけど、みんなで温もりと優しい香りに包まれる時間は、思ったよりも幸せだった。聖女になってからはずっと一人で飲んで寂しさを紛らわせていたけれど、みんなで共有する時間は思ったよりも暖かかった。

 それは、まだ町にいたころ、雷がこわくて母さんが淹れてくれたハーブティーを、父さんと母さんにくっつきながら飲んだ夜みたいな安心感みたいな。私にとって、一緒に旅するみんなは、思ったよりも信頼しているのかもしれない。


 私だけじゃ足りなくても、私たち(みんな)なら、勇者様は選んでくれるだろうか?


 ***


 魔物の王を倒した。勇者様は役目を果たした。

 私は、神様の言葉を伝えなければいけなかった。


「勇者様、神からのお言葉です。――望めばいつでも帰す、とおっしゃっておりました」


 そう言った時、私は微笑みを浮かべていただろうか。自分ではよくわからない。

 神様の言葉には種類があって、ただ私と会話をするだけの時もあれば、気まぐれでいろいろなことを教えてくれる時もある。でも、聖女の私に「お告げ」として下す言葉は、必ず告げなければいけなかった。

 でも、お告げをどう扱うかは人間たちの手に委ねられている。神様は選択肢を与えるだけ。告げた内容がどう扱われても怒ったりしない。ただ眺めている。

 だから勇者様にも、帰る選択肢を提示されただけで、帰らないという選択肢もあった。


 魔物の王だった生き物の死体の前で、剣を握り締めたまま立ち尽くしていた勇者様は、私の言葉にハッとしたように振り返って、その目が喜びに輝かせた。その目を直視できなくて、私は視線を落とす。


「……叶うならば、王都に戻り、勇者殿から、魔物の王を倒したというお言葉をみなに伝えていただけないだろうか。私たちに感謝を伝える機会を賜りたい」


 ラインハルト様が言った。悪夢の終わりを噛み締めるように静かに涙を流していた彼だけど、すぐに我に返って言葉を捻り出せるのだからさすがだ。

 勇者様は縋るような私たちの視線に気づいたようで、何度か瞬きをしてから笑ってくれた。


「もちろん、一緒に王都に帰ろう。帰るまでが遠足って言うしさ」


 遠足というものがよくわからなかったけど、少なくとも王都にたどり着くまではここにいてくれるらしい。

 それまでに、どうしたら勇者様の気持ちを変えることができるだろうか。

 距離を近づけていくことで、勇者様の気持ちが私に傾いていることはわかる。その目にこもる熱が深まっていることを知っている。でもまだだ。まだ勇者様の心は向う側にある。

 儚い女になればいいだろうか。寂しさをにじませて、あなたにそばにいてほしいと縋ってみればいいだろうか。


 そんなことを思っていたら、勇者様とコリン様が見張り番だったある夜、音量を落としながらも交わされる会話が耳に入ってきた。基本的にみんな近くで寝るから、離していることは筒抜けになるんだよね。


「お前さ、ここに残ろうとか思わないわけ?」


 元々平民だったコリン様は、この中で気安く勇者様に言葉を投げかけられる人物だった。ハインリッヒ様は、最初は騎士としてはどうかと思う態度に眉をひそめていたけれど、コリン様のおかげで勇者様の肩から力が抜けている姿を見てからは、注意をしなくなった。

 勇者様にとって、私は守るべき聖女であり気になる女の子で、ラインハルト様は頼れるリーダーで、ハインリッヒ様はかっこいいお兄さんで、コリン様は友達みたいな感じらしい。だから、コリン様の雑な問いかけに対し、勇者様の声には笑いが滲んでいる。


「向こうのほうが、うまい食べ物多いし?」

「そりゃこっちは今さー、うまい食いもんなんてほとんどねぇけど、これからなんだよ。俺んち、元はパン屋だったんだ。材料が手に入るようになったら、うまいパン焼いてやるよ。それに王都の料理って元々はめちゃくちゃ美味かったって聞いたぞ。王都ならまだ技術は残ってるだろうし、そのうち美味いもん食えるようになるぞ」


 確かに王都の料理は美味しかった。私という聖女がいるせいか、王都で育てる穀物や果物や家畜の品質がとんでもなく良かった。規模の大きな王都が自給自足で生き残れたのも、他国よりも王都内で育てているものが多かったせいもある。食材が美味しければ食への情熱も高まるのか、腕のいい料理人が集まる場所でもあった。

 勇者様がこの世界に残りたくなるよう、コリン様なりにいろいろとアピールしているんだろう。


「お前パン焼けるの?」

「焼ける焼ける。あー塩パン食いたい」

「塩パンあいつがよく食ってたなぁ」

「あいつ?」

「……まあ、うん、俺もパン好きだけど、こっちにはどんなパンがあるんだ?」


 そこからはパン談義になってしまった。どうも勇者様のいた世界は食べ物の種類も多くて、美味しいものが気軽に食べられるらしくて、勝てる気がしなかった。

 そんなふうに、コリン様をはじめ、ラインハルト様も、ハインリッヒ様も、何かとこの世界がこれからどう良くなっていくかや、楽しい思い出話をして、少しでも勇者様の気持ちを動かそうとしているけれど、勇者様の世界は豊かで平和すぎて、対抗は難しい。

 それでも私たちとの別れは寂しく思ってくれているみたいだから、私もある夜、見張り番をしている勇者様の隣に座ってささやいた。


「……帰るんですね」

「そりゃ、あっちには家族もいるし」


 そしたらあっさりと肯定を返されて、口をつぐんで夜空を見上げる。

 家族。家族か。そりゃあ家族に会いたいよね。私も会いたい。私を選んではくれなかった人たちだけど、私はいつだって家族のもとに帰りたかった。――きっともう、どこにもいやしないけど。

 勇者様はこういうところが想像力が足りないというか、知識がない。いや、私たちが伝えないようにしているから知らなくて当然なんだけど、家族を失っている私たちの前で、家族を理由にされてしまうのは、正直複雑だった。

 でも、そんな気持ちは押し隠して、私は望みを口にする。


「……私は、あなたといたい、です」


 夜空から勇者様へと、懇願するように目をうるませて言葉にした。あなたといたい。あなたに私を選んでほしい。そうすれば、私は聖女のままでも生きていけるから。


「――ごめん」


 でもやっぱり、勇者様は私を選んではくれない。


 ***


 勇者帰還の儀式を行う日になった。


 王都に戻って人々から感謝と称賛を浴びても、勇者様の気持ちは変わらない。ここにいればこの世界の誰よりも尊い英雄でいられるのに、そんなものよりも日常を求めているんだろう。

 見慣れた旅装束から、見慣れないあちらの服装になった勇者様が、遠い。


「戻ってからコリン達となかなか会えなかったけど、今日は来てくれるんだよな」


 王都に戻ってから、ラインハルト様たちは騎士団で忙しく復旧活動や、魔物の残党狩りをしている。魔物の王はいなくなったけれど、魔物自体がいなくなったわけじゃない。私たちが道中でかなり倒したとはいっても、まだ相当な数がいる。でももう増えない。それだけでもかなり絶望感は軽減された。                                                                                                                                                                        

 そして不思議なことに、魔物の王がいなくなってからは、誰が魔物を倒しても、病を得て倒れることがなくなった。どういう理屈かはわからないけれど、騎士たちが寝込むことがなくなるなら、討伐のスピードは飛躍的に上がるし、生き残っている領地を探して情報を共有することもできるようになった。

 ラインハルト様たちも、今でこそ王都内での仕事が中心だけど、そのうち外に出ることも増えるんだろうな。


 今日まで、勇者様の気が変わるようにとがんばってはみた。

 神様にもいろいろ聞いて勇者様がここに残りたくなるような話があればいいなと思ったけれど、結果は芳しくない。


 二度とここには戻れないと言えば、それは最初からそのつもりだから覚悟していると言われた。

 得ている加護のすべてが失われると伝えたら、向こうじゃこんな人外の身体能力はあっても困るだけだと笑っていた。いやまあこっちでも人外だし、勇者という立場じゃなければ化け物扱いされてもおかしくないものだもんね。確かに魔物の討伐をしなくちゃいけないという状況でないのなら、必要のない力だ。ちなみに浄化の力はもっと必要ないらしい。

 唯一気にしていたのは記憶についてだけど、消えないと言われたから、そう伝えた。……消えないことが幸せかはわからないけど、勇者様は安心していたし、覚えていたいと思ってくれているんだろう。


 ふんわりと香りが広がる。

 最後だからと、今日はたっぷりの茶葉を使ってハーブティーを淹れた。旅の途中よりも、より豊かな香りが広がっていく。みんなが来るまでまだ時間はあるけど、揃ったらもう一度淹れたっていい。在庫は使い切ってしまうかもしれないけど、神殿にいるなら育てることはできるし大丈夫。

 優しい香りを楽しみながら、旅の思い出話しをしたり、それぞれが王都に戻ってからどうやって過ごしていたかを話した。そして会話が途切れたタイミングで、ずっと言いたかった言葉を口にした。


「ねぇ勇者様。私の名前を、知っていますか?」

「え? ……聖女、様、いや、えっと、あれ?」


 焦ったように記憶を探る勇者様に笑ってしまう。私は一度も名前を聞かれたこともないし、教えたこともない。この王都にいるすべての人が、私の名前を知りはしない。だって私は聖女だから。個人としての名前は求められず、ここでは聖女でしかない。


「あなたの名前は、なんですか?」

「おれ、は……」


 それは、勇者様も同じだ。あなたはこの世界の勇者。名前を奪われ、勇者という役割を神から与えられた存在。

 召喚されてから一度も名前を聞かれなかったことに、勇者様は疑問に思うことはなかった。勇者様自身から名前を告げることもなかった。名前を奪われるとはそういうことで、自分でも奪われたことを自覚することは難しい。


「帰ったら、思い出せますよ」


 たぶんね、という言葉は飲み込んで、私は笑う。神様は弊害はあるとは言っていたけど、戻らないとも言っていなかったから、思い出せるんだろう。

 だって知らない。私は名前を取り返せないからわからない。両親ならもしかしたら覚えていたのかもしれない。でも帰ることも、会いに来てもらうこともできなかったから、確かめることはできなかった。

 ラインハルト様だって、最初は私の名前を知っていたはずだけど、もう覚えていなかった。私だって忘れてしまっているし、周囲は私の名前を気にとめない。これはもう、呪いみたいなものだと認識している。

 私の名前はもう誰も知らない。どこにもない。だから、名前を取り戻すことができる勇者様が、ひどく羨ましい。


 勇者様が好きだ。私を選んでほしいし、ここに居てほしい。でもこの気持ちは、純粋なものじゃない。

 だって、勇者様の幸せを思うなら、元の世界に帰るほうがずっといい。この世界に繋ぎ止めようとすることは、勇者様のためじゃなくて私のためだ。

 じゃあ勇者様は? 最初から、帰りたいから勇者の役目を果たそうとしている彼は、私に手を伸ばしてくることはなかった。好きだと言われたら、その手をとった。抱きしめられても、口づけをされても、きっと受け入れた。抱きかかえられていた時、いやらしさを感じたことはなかった。じゃあ私が女として見られていなかったのかと言えば、そうじゃないと思っている。それともたんに、私が自意識過剰なだけだった?


 言えばいい。私から、言えばいい。あなたが好きですって。私を選んでって。帰らないでって。そしたら勇者様は答えてくれるかもしれない。私から伸ばした手を、とってくれるかもしれない。


 勇者様を、見た。


「……――」


 ハーブティーを飲む勇者様の顔色はかなりいい。

 精神をすり減らしてまともに眠れていなかったのに、帰る日が決まってから、どんどん明るさを取り戻していった。そんな姿を見たら、ここに残ってほしいなんて……言えなかった。


 ***


 勇者様は帰っていった。

 勇者様は私を選んではくれなかった。


 だから、私は願う。

 この世界のために犠牲になってくれた勇者様(あなた)が、ほんとうの意味で解放されることを願う。


 日常に馴染めば馴染むほど、私たちのことを忘れてしまいますように――と。

元の世界に戻った勇者は、名前は取り戻している。

でも薄らいでいて、彼に近しい人ほど考えないと出てこない。っていう裏設定。

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