0. 依頼
穏やかな昼下がり。外は快晴。出掛けるにはもってこいの気温と天気。実際に窓の外からは、楽しそうな人々の声が聞こえていた。
そんな日に彼女は、何時も通り、本片手に珈琲を傾けていた。彼女のいる部屋には暫くの間、珈琲のカップ置く時の音、それから頁を捲る音だけが響く。
本も終盤、というところで珈琲が無くなり、新たに淹れようと本を閉じ、立ち上がろうと腰を少し上げたところで、来客を告げるベルが鳴った。
慌ただしく駆け込んできた男を見て、彼女は顔を顰める。別に変質者や仲の悪い者が来たわけではない。寧ろその方が良かったとまで言うかもしれない。
男は彼女の顔見知りだった。唯の顔見知りならまだ良かった。この男は彼女の特に仲の良い友人であると同時に、何処までも厄介なお客であった。
来る度に厄介事を持ち込むと、過去の経験から判明しているのだから。加えて、ここまで慌てているという事はよほど急を要するのだろう。
「ルシャ―ジャ、助けて欲しい。緊急事態なんだ」走って来たのだろう、息が上がっている。彼女の事をルシャージャと呼び、途切れつつも助けて欲しいと訴える男に対し、彼女―――ルシャージャの返答は冷たいものだった。
「いきなりなんだい。生憎だが、忙しいんだ。帰ってくれ」自分の予想通りの言葉を告げた男に対し、呆れの滲んだ声色での返答だった。当たり前と言えば当たり前だろう。彼女は他人に急かされる事が嫌いなのだから。緊急事態ならば、急かされる事間違いなしだ。
顔色が悪い。厄介事だろう。巻き込まれれば、面倒な事になるに違いない。彼女は面倒事は静観していたいタイプだった。
バッサリと切り捨てたルシャージャは、椅子に座り直して読書を再開する。今お茶を淹れに立ったら自分の分も要求して居座るに違いない。
男の方はというと、予想通りの返答に苦笑しつつも負けじと食い下がった。
「まあ、そう言わずに。話だけでも聞いてくれ」直ぐに切り返した。「誘拐事件なんだ。お前も知ってるだろう。子供達が相次いで失踪してるって話」すらすらと続く言葉は迷いが無い。男の方も、自分が断る事を予想していたのだろう。二人は互いの発言を予測できる程度には、付き合いがあった。
「君は本当に人の話を聞かないな。言外に、‘‘嫌だ‘‘と伝えているつもりだったんだが」自分の態度を気にも留めない男の様子に、眉をひそめた。
「俺がこうなのは何時もの事だろ」解っているなら今直ぐにやめろ、と心の中で悪態を吐く。「というか、俺が諦めないことくらい、此処に来た時点で分かってるんじゃないか。急を要するんだ。唯の事件だったら、態々お前の所には来ないさ。人の命が掛かってる。頼むよ、ルシャージャ」
「・・・・・・」頼む、という形だったが、ルシャージャに拒否権は無いに等しい。この男の性格からして、了承するまで諦めず、帰る気は無いないだろう。この男が来た時点で、自分の負けは決まった様なものだった。
仕方が無いのだ。困ったように眉を下げ、頼み込んでくる友人を前に断る事など、自分には出来ない。ルシャージャが自分に弱いという事、それを十二分に理解して利用した男の勝ちだ。
理解しているからたちが悪いと、文句の一つでも言ってやりたくなったが舌打ち一つに止めておいた。
「頼む」
「・・・・はぁ、分かったよ。依頼として受理する。料金も頂く。それでいいな」
「ああ、それでいい。ありがとう」渋々了承した彼女に男は顔を明るくして礼を言った。幾分かマシにはなったが、それでも、依然として顔色は悪いままだった。
「これにサインを」何時の間にか来客用のソファに腰掛けていた友人に呆れながらも、契約書をペンと共に差し出す。
「依頼料は?」何時もとは違い、料金の欄まで空欄になっているそれに、疑問を呈す。
「空欄のままで、解決してから請求する。吹っ掛けてやるから、覚悟しておけよ」そう言って、片側だけ口角を上げて笑った。
「どうせ経費だから、お好きなように」ルシャージャの顔を見て、楽しそうに笑った。
残念。自腹ではないらしい。経費、という事はこの男の所属している組織からの依頼か。面倒な。
「少し待ってくれ、今お茶を・・・否、急を要するんだったな」それならば、紅茶を淹れている場合ではないだろう。
ルシャージャとしては、一刻も早く解決してしまいたかった。ここに居座られて読書の邪魔をされるよりも、早く終わらせて帰ってもらう方が良いだろう。
それに、‘‘人の命が掛かってる‘‘。それを聞いてまで無視する程、ルシャージャは非情では無い。それだけの事だった。
「はい、書けた」受け取った契約書をチラリと一瞥し、奥のデスクに放る。
ルシャージャは男の対面のソファに腰を下ろし、その長い手足を組んだ。
「ご依頼、承りました。では、聞かせてもらおうか」
次話は9日18時に投稿。
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