003.警察隊には亜人が多い
「怖くなんてないわ。警察隊は、市民の安全を護ってくれる人達よ?」
ラスフィアが笑いながらそう言えば、トルロイが少しだけ困ったように眉を下げた。
「うん。でも、この国――ガルストラは人間も暮らしているけれど、やっぱり亜人の国だからね。警察隊にも亜人が多いんだ。官服を着て武器を持った者は、人間でさえ威圧感がある。それが亜人ともなればなおさらだ。私も何度か亜人の警察隊を見たことがあるけど、すごい迫力だったよ」
トルロイの言うことは、よくわかる。
リアンタにも警察はいる。そしてそのほとんどが人間だが、やはりサーベルと銃を常に携帯しているため、どことなく近寄りがたい雰囲気があるのだ。
(あとはまあ……元軍人さんが多いっていうことも関係しているのかもね……)
この国の警察隊――というより、この世界全体としての警察隊は、まだ発足してから十年も経っていない。そしてそれ以前は、その役割を軍が担っていた。そのため、現在の警察隊の中には、そのまま軍から流れて来た者たちも多いのだ。
それが亜人ともなれば、大きな身体と鋭い目つきに対し、普通の人間が恐怖を抱く気持ちもわからないではない。
だが威圧感があるからといって、恐ろしく残虐な性格をしているわけではないし、優し気に見えても、心の内は真っ黒ということもある。
「うちはお客様として、亜人の方もよく来るでしょ? 今更驚いたりしないわよ」
ラスフィアの実家の商会の昔からのお得意さんの一人、赤蜥蜴の亜人であるディートヘルなど、外見はほとんどリザードマンだ。皮膚の色も赤という警戒色だけれど、温和で優しく、ラスフィアはこのディートヘルのことが幼い頃から大好きだった。
「そうかい? ならいいけれど……」
「心配しすぎよ。むしろ外見で怖がったりしたら失礼じゃない」
亜人は人間にとって、恐怖の対象である。
つい百年程前までは、表立ってそんなことも言われていたらしい。
それは純粋に能力の差によるところもあるが、見た目も関係していた。
人は亜人から分かれたと言われているが、やはり外見的には少なくない差異が見られる。
亜人の代表的な種には、獣型、鳥型、爬虫類型、昆虫型などがあるが、亜人としての血の濃さに応じて、外見的特徴もそれぞれ異なっている。
身体の一部に、人とは異なる特徴が現れた者――これは所謂ケモミミやケモシッポ、濃い体毛や鱗が現れることなどがそれにあたる。昆虫型であれば、複眼や触覚が多く、翅はあっても退化して小さくなっていることが多いらしい。
ちなみに、鳥型の亜人は、新大陸ではほとんど見かけることがない。五百年前に一度、移り住んだ種族もいたようだが、皆人間との暮らしに馴染めなかったらしい。
あるいは、身体の一部のみではななく、完全に二足歩行の獣や爬虫類といった外見の者もいれば、外見的にはまったく人間と変わらない姿の者たちもいる。
ただそういった者たちは、人間の姿と亜人の姿のどちらの姿も取れるため、人間に近い姿をしているからと言って、他の亜人たちに能力が劣るというわけでは決してないのだ。
(でもやっぱり……。亜人が恐れられていた一番の理由は、生物としての能力の差よね……)
亜人は人間に比べ、とにかく身体能力が勝っている。
もし亜人が本気で人間を駆逐しようなどと考えようものなら、人間などあっという間にこの世界からいなくなってしまうだろう。現状、そこまでして排除するほどの脅威ではないと思われているに過ぎないところがある。
むしろ聞くところによれば、そういった人間のか弱さを好む亜人も多いそうなので、どうにかこうにか上手いこと共存できているとも言えた。
そういった訳で、人間は亜人を怖れるばかりではない。歴史上、人間と亜人との間には、実は愛情も多く生まれているのだ。
そして人間と亜人が交配した場合、生まれてくる子はすべて亜人に分類されることになる。能力の優劣はあれど、必ず亜人としての特性を持って生まれてくるのだ。そのため、このまま亜人と人間との交配が進めば、いつか純粋な人間種はいなくなるのではないか。そう、心配している者もいるくらいだ。
とはいえ、人間は元々亜人から分れたとされているので、人間よりも亜人の血が濃くなるのは必然のことではある。必然のことではあるのだが――。心配する者たちの気持ちもわかると、ラスフィアは考えていた。
自分が、人間という種に属するが故の憂いではない。なんであれ、一つの種がいなくなってしまうことを、寂しいと感じているからだ。
トルロイが決して亜人差別のつもりで言ったのではないことは、ラスフィアも理解している。それでも、己とは異なる種族に対し、様々な面で本能的な恐れを感じているのだろうこともまた、理解できるのだ。
普段商人として接している亜人たちは、トルロイの言う通り気の良い者がほとんどだ。だが、亜人たちの中には己より力の弱い者に対し、横柄な態度に出る者たちだっている。
だがそれだって、亜人に限らず人間であっても同じであると、ラスフィアは考えていた。
「……そうだね。その通りだ。ちょっと嫌な噂を聞いたばかりだから、神経質になっていたようだね」
「嫌な噂?」
「うん……。どうやら、首都で亜人による人間の誘拐があったらしくてね。僕たち人間は亜人には決して力では敵わないし、今回は君のことがあるから余計に心配でね」
(なるほど……だから当初こっちで働くのを渋っていたのね)
今ではラスフィアの門出を祝福してくれているトルロイだったが、当初は反対されていた。理由として女性の一人暮らしは危険だと言っていたが、こういった背景も関係していたらしい。
「誘拐事件なんて、物騒ね……」
亜人たちにとって、人間は犯罪の良いカモになりうる時がある。誘拐でも強盗でも恐喝でも、人間は力では亜人に敵わないと知っているから、滅多に抵抗をしないためだ。
「確かに人間は、亜人に比べたら弱いわよね……。でも、そういう人たちを取り締まってくれるのが警察隊の人たちでしょ? むしろ心強いんじゃない?」
人間では、亜人に対抗できない。
だからこそ、この国の警察隊には多くの亜人が在籍しているのだ。
娘の言葉に一瞬呆けたあと、トルロイが「その通りだね」と笑って頷いた。そしてすぐに、主人に置いてけぼりをくらった子犬のように、その些か太目の眉を下げた。
「それにしても……寂しくなるなあ」
ふいにトルロイが溜息とともに零した言葉に、ラスフィアは一瞬驚き、すぐにその微笑ましさに笑みを零した。
トルロイはとても愛情深い人だ。トルロイだけではない、母も弟も、家族ぐるみで皆仲が良い。
ラスフィアとてこちらに出てくることを、寂しいと思わなかったわけではない。だがそれでもこの国に来てみたかったのと、やはり前世のように、独り立ちして働きたいという想いがあったのだ。
「一生会えないわけじゃないわよ?」
「そうは言ってもね……。こっちで結婚、なんてことにでもなったら、滅多に会えなくなってしまうじゃないか」
「結婚て……。私はこっちに働きに来たのよ? 結婚なんて、するとしてもまだ先のことよ」
この世界の女性は、結婚すると家庭に入ってしまう人がほとんどだ。前世の世界ほど、女性の社会進出は進んでいない。
もしラスフィアが結婚することにでもなれば、やはり仕事を辞め、家庭に入ることを想定しておかなければならないだろう。
(せっかく一人暮らしを始めるんだもの。結婚なんて、まだまだ考えられないわ)
「そうかなあ? 君は美人だし、すぐに誰かに見初められちゃうよ、きっと」
トルロイがもう一度、今度は大仰に溜息を吐いた。
(親馬鹿にも程があるわ……)
トルロイの親馬鹿具合に呆れていたラスフィアだったが、しかし実はトルロイの心配も多少はわかるのだ。なぜならば、客観的に見ても、今世の己の容姿は魅力的だったからだ。
容姿が優れているからといって、結婚が早いとは限らない。けれど、見初められやすい、という点においては、一理あるとも思っている。実際、これまでラスフィアに舞い込んできたお見合いの数は、両手でも足りないくらいだからだ。
それには少なからず、ラスフィアが大店の娘ということも関係しているのだろう。だが、実際にはそのほとんどが、息子が、あるいはその親が、ラスフィアを見初めてといったものが多かったのだ。