勇者が世界を救った理由
今日、魔王討伐に出た勇者様が帰還されるらしい。それを祝っての祝宴の準備で朝から街は賑わっていた。
皆が喜んでいるのは、魔王が倒されたということだ。人々の笑顔はこれで平和が戻るという安堵に満ちていて、勇者様の帰還に喜ぶものではない。
そんな人々を尻目に、市場へ仕入れに向かう。
今日は彼が帰ってきた日なのだから、特別豪華にしなくてはと気合いを入れて、彼の好きだったものを思い浮かべながら、食材を選んでいく。
「そういえば勇者様は王女様と結婚するらしいぞ」
「本当か?まあ、魔王を倒したんだしそれくらいの褒賞がもらえて当たり前かぁ。まあ、勇者様が王配になるのなら国の将来安泰だろう」
その会話を聞いて、野菜を取ろうとした手が固まった。それに気づいた八百屋のおじさんの、「アリシアちゃん?どうしたんだ?」という声にハッと我に返る。
「なんでもありません。それより今日オススメの野菜はなんですか?」
「ああ、今日はかぼちゃがオススメだ。あとは、タマネギもこの時期は甘くて美味いぞ!」
「では、それをください」
紙袋に入った野菜を受け取って、帰路に着く。
途中、行きつけの店の店員さんに声をかけられるが、やんわりと断った。今は、楽しげに会話をする余裕がない。
王都の大通りから外れた裏道にひっそりと聳え立つ赤煉瓦色の屋根の小さな家。それが我が家だ。祖父母の代から続く一軒家はガタが来始めていて、鍵の開錠にコツがいる。なんとか鍵を開けると、CLOSEにしたままのドアに手をかけて、家に入った。
「ただいま」
当たり前だけど、返事をくれる人はいなくて、薄暗くて古びた店内だけがしんと広がっていた。
シミのついた壁を背に、ずるずると床に座り込む。ゴロリと袋から野菜が転がったが、取りに行く気力もない。
「……そうだよね。勇者なんて立派な人がまた、うちの店に来るなんてそんなことありえないよね…」
誰が想像するだろうか。魔王を倒した偉大な勇者様ーーユウキさんが、この古びた食堂の常連客だったなんて。
***
私が、ユウキさんと出会ったのは一年前の春頃だった。
夕方の混雑し始める少し前の時間に店に入ってきた彼は、この国では珍しい黒髪黒目にとびきり綺麗な顔立ちをしていたから自然と目を奪われた。でも、その容姿よりも、今にも消えてしまいそうな影のある表情に不安を抱いたのを覚えている。
だから、せめて精が出るものを食べてほしいと丹精込めて料理を作った。料理に一番大切なのは相手を思ったものを作ること。大好きなお婆ちゃんの教えに倣って、相手の状態に合った料理を考えて、丁寧に仕上げていく。
彼に作ったのは、玉ねぎとじゃがいもの入った味噌汁と卵焼きに豚肉と野菜のさっぱり煮、それと、ふっくら炊いた白ご飯。これはお婆ちゃんの故郷の料理だ。結局、故郷がどこなのか教えてもらえないまま、お婆ちゃんは旅立ってしまったけど、お婆ちゃんみたいに優しくて温かい、この料理が私は大好きだった。
それにお婆ちゃん直伝の料理は健康にも良い。彼は、少しやつれているように見えたから、食べやすくて栄養がとれるご飯を、と思って選んだ。
ドキドキしながら、出来上がった品を並べていくと、彼の黒く澱んでいた瞳に一瞬、光が灯ったように見えた。
この国では馴染みのない箸を彼は流暢に使って、卵焼きを一口分切り分ける。そして、無言で卵焼きを口に含んだ。
咀嚼していくうちに彼の目が大きく見開かれ、瞳が光を帯びていく。
やった!と心の中でガッツポーズして喜ぶのも束の間、彼の黒曜石みたいな瞳から、ボロボロと涙が零れてシャープな頰を伝っていった。
ギョッとして、今度は私が目を見開く。もしかして、口に合わなかったのかそんな不安が胸中を掠める。
「だ、だ、大丈夫ですか!?」
「す、すみません……ただ、この料理が故郷の味にそっくりで懐かしくて…つい……」
そう言った彼の表情は迷子の子供のような、故郷を失った戦士のような、そんな複雑な感情を表していた。
どちらにせよ、何かを堪えるような辛そうな表情で。そんな顔をなんとかしたくて、つい、身体が動いてしまった。
「お、おかわりいっぱいあります!!」
「え?」
「うちはサービスも充実していますし、曜日によっては割引も効きます!値段も手頃で美味しいってわりと評判です!」
キョトンと不思議そうな顔をしている彼を見据えて、言葉を続ける。
「だから毎日うちに来ても大丈夫です!そしたらいつでも故郷の味を私が作ってみせます!」
しばらくシーンと静寂が支配して、自分が何を言ったのか我に返った。
惚けた様子の彼を前に、じわじわと嫌な汗が流れてくる。
(も、もしかして引いた?いきなり大それたこと言いすぎた?初対面の人間、それも店員に言われたら気味悪いよね…あぁ……どうしよぉ…)
内心でやらかしたことを落ち込んでいると、フッと噴き出すような小さな笑い声か聞こえた。
「あはははっ!!そんなこと言われたの生まれて初めてです。そんな嬉しいこと言われたら、毎日ここに来るしかないじゃないですか」
楽しげな笑い声と綻んだ相貌。それは、先程まで影のあった彼の表情とは思えないほど、明るくて、温かな笑顔だった。
そんな笑顔にこちらまで温かい気持ちになる。
「おっ、毎日来るっていいましたね?なら、毎日待ってますよ。私、店主のアリシアと言います。貴方は?」
「俺はユウキって言います。これからよろしくお願いしますアリシアさん」
そう言って、差し出された彼の手は剣だこができて、ゴツゴツとした男の人の手だった。
これが、私とユウキさんの出会いである。後にも先にも、私の料理を食べて泣いたのはユウキさんくらいだった。そういう意味ではこの頃からユウキさんは私にとって特別な存在だったのかもしれない。
ユウキさんは毎日夕方になると訪れた。この時間に来店するのはユウキさんくらいで、彼と会話をしながら料理を作っていくのが夕方の習慣になっていった。
ユウキさんは謎が多い人だった。どんな仕事をしているのか、どこの地区に暮らしているのか、そんなことも知らない。分かるのは二十歳で私より年上だということと、異国の出身だということくらいだった。ただ、身なりが良くて、上等な服を着ているので、良いところの出身なのだろうと思っていた。
知らないことが多いけど、ユウキさんとのお喋りは楽しかった。ユウキさんは気さくで頭が良くて、私の知らない話をよく聞かせてくれた。
いつのまにか、私はユウキさんが来るのが楽しみになった。ユウキさんと二人の時間。それが何よりも嬉しくて、心が躍って、夕方が待ち遠しくなった。
その頃にはユウキさんに常連客以上の感情を抱くようになった。有体に言えば、ユウキさんに恋をしたのだ。
そんな、初めての恋に浮かれている時だった。
ーーユウキさんが自分は勇者だと教えてくれたのは。
「俺はこれから魔王討伐に出ることになります。しばらくここには来れません」
突然の告白に頭が真っ白になって私は何も言えなかった。だって、ユウキさんは毎日うちの店に来る常連客だったのだ。そんな人の正体が勇者でこれから死ぬかもしれないところに行くなんて信じたくない。
呆然とした私を見て、ユウキさんは優しく微笑む。いつのまにか馴染んだその笑顔。こんな時にそんな顔を見せるのは卑怯だ。
気づいたら、私の瞳から涙が溢れていた。滂沱の涙を流す私の目尻にユウキさんの指が優しく触れる。
「俺のために泣いてくれてありがとうございます。だからこそ、俺は行かないといけません」
嫌だ、行かないで。そんなことも言えず、声にならない嗚咽だけが漏れて、フルフルと首を振って嫌だと主張する。
「俺はこの世界に来た時、絶望していました。こんな世界滅んでしまえと、最低なことを思っていました。…そんな時アリシアさんに出会った。貴方の優しさと温かなご飯に救われました。……アリシアさんを守るために魔王を倒したいと思いました。だから行きます。世界を救うためじゃなくて、貴方を守るために」
そう力強く言って、ユウキさんは私の手を取る。まるで、お姫様の手を取る王子様のように優雅だ。現実逃避のように馬鹿げたことを考える私を置いて彼は口を開く。
「もし、俺が魔王を倒して帰ってきたら、いつも通り出迎えて、ご飯を作ってくれますか?」
ユウキさんの瞳は切実な願いを孕んでいて、断れるわけがなかった。
涙を散らしながら首を縦に振る。
「よかった…ご褒美があると思うと頑張れます。……では、いってきます。アリシアさんどうかお元気で」
安心したように微笑んで、温かな手が離れていく。彼が背を翻す。大好きな背中が遠のいてしまう。それを追いかけようとするけど、追いつけない。
見えなくなった背中を求めて、走っているうちに足がもつれて、転けてしまった。膝が擦れた痛みよりも、胸を締める悲しみの方が痛くて、涙腺が壊れたみたいに涙が溢れる。固い地面には私の涙で黒いシミが出来ていた。
本当は戦地に行かないで欲しい。毎日うちにきて、ご飯を食べて、美味しいって笑ってくれたらそれでいい。それだけでいいのに。
どうして彼が勇者なんだろう。どうして、彼が魔王を倒しに行かないといけないんだろう。
そう考えると涙が止まらなくて、その日はずっと泣いていた。
ユウキさんがいなくても陽は登るし、毎日は続く。ただ、夕暮れ時になってもユウキさんは訪れない。ドアベルは鳴らず、彼の特等席は空いたままだ。その事実は私の心を深く傷つけた。
時折、勇者の噂を耳にした。けれど、人々が心配するのは魔物による被害ばかりで、勇者を案じる声はなかった。それが、余計に辛かった。
彼と出会って、彼と別れた春を過ぎる。季節が移り変わる中、ずっとユウキさんの無事を願った。今まで足を運んだことのなかった教会に通って、毎日、彼の無事を祈り続けた。
そうして、春が来て、勇者が帰ってくると一報があった。国中が湧きたった。
ユウキさんが帰ってくる。それが信じられないくらい嬉しくて、涙が流れた。早く彼に会いたかった。彼と話したいことがたくさんあった。
***
ユウキさんの凱旋パレードを見終わった私は、店内のカウンター席に座ってやさぐれていた。
華やかな音楽と色とりどりの紙吹雪を受けて凱旋しているユウキさんは遠い世界の人だった。堂々と祝福を受けて進むその姿は、食堂での姿が夢だったのではと思うほど凛然としていて、まさに勇者という言葉がピッタリ当てはまる佇まいだった。
「今ごろユウキさんはお城の高級で美味しいご飯を食べているんだろうなぁ…うちに来るわけないよね……」
自分で口に出しながら、辛くなって目頭がじわりと熱くなる。彼が帰ってきためでたい日に泣きたくなんてないのに。
「うぅぅ……」
机に突っ伏して、思い出すのはユウキさんのこと。お店でのユウキさんが浮かんでは、凱旋でのユウキさんに塗り潰される。
(あんな遠い世界の人だったなんて知らなかった。王女様と結婚するなんて知らなかった。もう二度と会えないかもしれない)
ユウキさんのことを考えて、どんどん気持ちが沈んでいく。今の私なら、キノコを作れるんじゃないかと思うほど落ち込んでいる自覚はあった。
「あぁぁぁ!!ダメだ!!」
辛くて悲しい時ほどご飯を食べる。そんなお婆ちゃんの教えを思い出して、立ち上がった。
脇に置いていたエプロンを身につけて、厨房に足を向ける。何も考えないためにも、料理を作ろう。
「出来た!……けど、作りすぎちゃったかも……」
カウンターテーブルいっぱいに並べられた料理を見て、苦笑が漏れる。
我ながら美味しそうに出来たと思うが、とても一人で食べきれる量ではない。
「まあ、食べきれなかったら明日のご飯に回そう。特にカレーは二日目の方が美味しいし」
呟きながら、カレーライスをスプーンで掬って、口に運んだ。
スパイシーな香りのカレーは辛めに味付けしただけあって、刺激が強い。慣れない刺激に口の中がヒリヒリして、じわりと涙と鼻汁が出てくる。
そうだ。涙が出ているのは、辛いカレーのせいなんだ。悲しいから、寂しいからじゃない。そう思いたくて、必死でカレーをかき込む。
いつの間にか、外の景色は夕方になっていた。明るい日差しが窓から入ってきて、室内が赤みを帯びる。
夕方は好きで、嫌いだ。ユウキさんのことを思い出すから、嬉しくて悲しくなる。
「ユウキさん……会いたいよ……」
閑寂とした室内は自分の本音が大きく聞こえる。耐えきれなくなった涙がカレーに水滴を作る。
どうしようもない気持ちが燻って苦しい。ユウキさんのことを忘れようとすればするほど、彼との思い出が脳裏を駆け巡る。
もう会えるわけがないんだから忘れなくちゃいけないのに、彼との思い出は私の中で宝物みたいに輝いていて、忘れられそうになかった。
(忘れるなんて無理だよ…だってユウキさんが大好きなんだもん。もう会えないって分かっても好きなんだから……)
手で目元を擦り、涙を拭う。すんっと鼻を啜って、味のぼやけたカレーを食べ進めようとした時。
コンコンとドアをノックする音が聞こえた。
(今日は店を休みにしているのに誰だろう)
他の飲食店は稼ぎ時だと開いているからそこにいけばいいのに、と思いながら玄関口へ向かう。
今日はとてもお店を開く元気はない。もし、お客さんだったら引き返してもらおう。
断り文句を考えながら、ドアを開く。
ーー目の前に立っている人物を捉えた瞬間、全ての音が、景色が遠のいた。
少し癖のついたサラサラとした黒髪が風に靡いて微かに揺れる。整った容貌が優しく微笑んで、涼やかな黒い瞳が柔らかく細められる。形の良い薄い唇がゆっくりと開く。
目の前の光景が信じられなくて、幸せな夢を見ているような感覚のまま、私はその人を見上げた。
「お久しぶりです、アリシアさん。約束通り、ご飯を食べにきたんですが…今日はお休みでしたか?」
困ったように笑っているその姿はあの頃のユウキさんの笑顔で、それを見た途端、我慢できなくなって私は彼に抱きついた。
「ユウキさん!!!ユウキさん!!ゆうきさぁぁん!!」
勢いよく抱きついた私をしっかり受け止めたユウキさんは両腕を私の身体に回して、抱きしめ返してくれた。
それが嬉しくて、彼がここにいるんだと実感できて、私は涙が止まらなかった。
「どうして、魔王討伐なんかに行っちゃったんですか!!私、本当に心配して、ユウキさんが死んじゃうかもしれないと思って怖くて、教会に毎日祈って、それでも不安で、本当に本当に心配だったんですよ!」
「俺の心配をしてくれてありがとうございます。アリシアさんの祈りが届いたからこうして俺がここにいるんですよ」
「そういう問題じゃないです!もう二度と危ないことしないでください!もう勝手にいなくならないで……」
ボロボロと出てくるのは今まで積もり積もった不安の言葉。それをユウキさんは優しく受け止めてくれる。
「すみません。でも、俺は貴方を守りたかった。誰よりも大切な貴方が苦しむところを見たくなかったんです」
ギュッと腕に力を込めながら、ユウキさんはそう囁く。
…そんなの、私だって同じ気持ちなのに。
「私だって、ユウキさんが苦しむところ見たくありません。だってーー」
意を決して、私はユウキさんと目を合わせた。
「ユウキさんが好きだから」
そう口に出すと、ユウキさんが瞠目した。大きく見開かれた瞳に赤らんだ私の顔が写っている。今更自分が何を言ったのか恥ずかしくなってきて、ユウキさんの胸元に顔を埋めた。
「アリシアさん、顔をあげてもらえませんか?」
「……無理です。恥ずかしくて死んじゃいます」
「そんなこと言って、かわいいことするのはやめてください。…俺の方が死にそうになります」
そう言われて気づく。ユウキさんの心音がすごく早く鼓動していることを。
驚いて、顔を上げると、自分と同じくらいの赤面したユウキさんが視界に映る。
信じられない気持ちで、ユウキさんを見つめていると、私の両頰に彼の大きな手が添えられた。
「俺も、アリシアさんが好きです。誰よりも大好きです。アリシアさんいたから俺はこの世界で絶望せずに生きられたんです。アリシアさんがいない世界は考えられないくらいに、貴方のためなら世界を救えるくらいに、貴方が好きです」
熱烈な告白にじわりと視界が滲む。それは今まで流してきた悲しみの涙じゃなくて、どうしようもなく嬉しい時に流れる涙だった。
「私も、ユウキさんが好き…ユウキさんが大好きです」
そう言った時には、ユウキさんの綺麗な顔が間近にあって、瞬きする間もなく、ユウキさんの柔らかくて、少し乾燥した唇が、私の唇と重なった。
触れ合った唇から互いの熱が伝わっていく。吐息すら感じられる距離と蕩けそうな感覚に溺れそうになる。
幸福で麻痺した頭は何も考えられない。ただ、分かるのはユウキさんへの好きという気持ち。それだけだった。
唇が触れ合う時間は一瞬のようにも永遠のようにも感じられた。
唇が離れて、お互いに顔を見合う。恥ずかしくて、目を逸らす私に、ユウキさんは「カレーの味がしました」と、とんでもないことを言ってきた。
「ち、違っ!!違わないけど違うんです!!さっきまでカレーを食べていて!そんな時にユウキさんがやってきて!!」
ワタワタと弁明をする私をユウキさんは楽しそうに見つめる。
「忘れられないファーストキスになりました」
唇に触れながら、少し照れたように綻ぶ彼を見て、穴があったら入りたいと切実に思った。
「そうだ、アリシアさん」
ファーストキスがカレーの味になったことに落ち込む私にユウキさんが声をかけてくる。
「ただいま」
そう言って、微笑んだ彼を見て、大切なことを言えていなかったと思い出す。
「おかえりなさい、ユウキさん」
満面の笑みで返す私を、ユウキさんは眩しいものでも見るかのように目を細めた。
***
「これは、今日は随分と豪勢ですね」
店内に入ったユウキさんはカウンターテーブルに並んだ料理を見て目を丸くしていた。
「…うっ、ユウキさんにもう会えないと思ってたからストレス発散で料理を作りまくって……」
目を泳がせながら答えると、ユウキさんが軽く笑ってカウンター席に腰掛ける。
「これ、俺が食べてもいいですか?」
「え?これ、全部ですか?」
カウンターテーブルを埋めるように並んだ品々はかなりの量だ。これを食べきるのは若い男性とはいえ、ユウキさんでも厳しい気がする。
それに…
「お城でご飯食べてきたからお腹減ってないんじゃないですか?」
そう聞くと、ユウキさんは怪訝な顔をした。
「アリシアさんのご飯があるのに城の食事を食べるわけないでしょう。朝から何も食べていないからお腹ぺこぺこです」
「…そう、なんですね」
私の料理を楽しみにお腹を空かせてくれたという事実にこそばゆい気持ちになる。食べてもいいと許可するまで律儀に待っているユウキさんが待てをしている犬のように見えてきた。
「どうぞ、召し上がれ」
「いただきます」
よしと許可を出すと、ユウキさんが皿に手を伸ばした。見た目に似合わず大食漢なユウキさんは目尻を緩めながら、綺麗な所作で箸を動かしていく。その、清々しいまでの食べっぷりは惚れ惚れしまうほどだ。美味しそうに食べる姿に愛しさが募っていくのを感じながら、私はユウキさんが食べ進める姿を眺めた。
「ごちそうさまでした」
あっという間に完食したユウキさんは満足気に息を吐いていた。
「お粗末さまでした」
空となった皿を片付けていくと、ユウキさんが「手伝います」と立ち上がった。
「ユウキさんは帰ってきたばかりでお疲れなんですからゆっくりしてください」
手伝おうとするユウキさんを手で制すると、逆にその手をとられてしまう。
「じゃあ、俺と一緒に休憩してもらえませんか?あとで、俺も片付けを手伝いますから」
でも、と言う私に「ね?」とにっこり微笑む。そんなユウキさんに勝てなくて、彼の隣に腰掛けた。
「久しぶりのアリシアさんのご飯…本当っに美味しかったです。久々にまともなものを食べたので、生きかえったって感じがします」
「そ、そんなにですか?」
しみじみと話すユウキさんに旅の道中はどんな様子だったのか気になった。
(魔王討伐の旅なんて危険に決まっているけど、まともなものも食べれないなんて)
椅子から身を乗り出して、ユウキさんの両肩に腕を回す。突然抱きつかれたユウキさんは驚いて一瞬固まったけど、すぐに抱きしめ返してくれた。
「急にどうしたんですか?」
「いえ、ユウキさんが生きていることが嬉しくて」
当たり前だけど、ユウキさんは生きている。温かな体温も、少し早い鼓動も、上下する胸板も、五感全てでユウキさんが生きていることを実感する。
(もう、勇者なんて危険なことをやらないで、普通に平和に生きて欲しい)
「……ユウキさんは王宮に戻ったら、また、戦いに行くんですか?」
「ああ、もう王宮には戻りませんよ。勇者やめたんです」
「え!?」
恐る恐る尋ねたら、あまりにも平然と驚愕の事実が返ってきた。
「だって魔王を倒すっていう勇者の役目は終えましたし、王宮に残ってやることもありませんから」
「ほ、本当によかったんですか?王女様と結婚するって話は……」
「あんなの国王が勝手に騒いでいただけです。俺が好きなのはアリシアさんですし、王女と結婚するわけないでしょう」
何の後腐れもなさそうに言われて、ホッとする。ユウキさんを信じていないわけではないけど、やっぱり不安が片隅にあったのだ。
「……アリシアさんは勇者ではない俺は嫌ですか?」
「そんなわけないです!!」
不安気に問われて間髪入れず否定する。
「私が好きになったのは常連客としてうちに来てくれたユウキさんです。むしろ、勇者をやめたと聞いて安心しています」
「……そうですか」
ユウキさんは安堵の息をついてから、ジッと私を見据えてきた。どうしたんだろうと思っていると、「目を閉じてください」と言われた。
なぜ?と疑問に思ったけど、ユウキさんの目は真剣で、口を出すのは憚れた。素直にそっと瞼を伏せる。
閉じた視界の中、ユウキさんが私の手を取る。そして、スッと私の指にリング状の何かがはめられた。
「目を開けてください」
そう囁かれて、そろりと瞼を上げる。
ゆっくり目線を下すと、ユウキさんの手に包まれた私の左手ーー薬指に、青い輝きを放つ指輪がはまっていた。
「これって……」
品よく輝く銀色のリングの中心に鎮座している深い紫のような、鮮やかな青色のような複雑な色味の宝石。
宝飾品に縁がない私でも分かるほど高価な代物だ。
「アリシアさん。俺は貴方が好きです。一生を貴方と添い遂げたいと思っています」
とくんとくんと胸が高鳴っていくのが分かる。期待を隠せず、ユウキさんを見上げると、彼は真っ直ぐに私を見つめていた。
「俺と結婚してくれませんか」
「…私でよければ喜んで」
勿論、そう答えるとグイッとユウキさんの方へと引き寄せられる。私の身体に回った腕は力強いのに優しくて、その距離の近さに身体が熱くなる。
「よかった…本当にありがとうございます」
「…なんでユウキさんが泣くんですか?」
私を抱きしめて、ユウキさんは涙を流していた。彼が泣いているのを見たのは初対面の時以来だ。
驚きつつも、ユウキさんの涙を指先で拭う。
「…嬉しくて泣いているんですよ。アリシアさん本当に大好きです。俺、勇者やめて無職ですけど、魔法で金や宝石は作れますし、お金に困るような生活はさせません。アリシアさんが望むなら、なんだってします…絶対に幸せにします…だから、ずっと俺と一緒にいてください」
ギュウっと抱きしめる力が強くなる。そんなユウキさんの背中を撫でながら、口を開く。
「お金とか、やって欲しい事とか何もないですよ。ただ、ユウキさんが美味しいものを食べて幸せに過ごしてくれたらそれでいいです。…ユウキさんこそ、私とずっと一緒にいてくださいね」
似たもの同士だと笑いあって、自然と唇を合わせる。
これ以上の幸せなんてない。そう思えるくらいの幸福が私達を包み込んでいた。
数年後、ユウキさんと結婚した私は子供も産まれて、幸せの真っ只中にいた。プロポーズされた時はあの頃が幸せの絶頂だと思っていたけど、そんなことなく、ユウキさんと結婚して一緒になって子供が産まれて……どんどん幸せが積もっていくのを感じる。
彼は剣の代わりに包丁を握って、お店の手伝いをしてくれている。
もう、ユウキさんが勇者に戻ることはないだろう。
けれど、きっと大丈夫。
魔王はもういない。勇者も必要ない。それは、彼が命懸けで戦って得た平和だ。だからこそ、一日一日を大切に噛み締める。
「ユウキさん、ご飯の時間ですよー」
私は今日もご飯を作る。私を幸せにしてくれたご飯を。貴方を幸せにするご飯を。
貴方を笑顔にするご飯を作れることが私の幸せなのだから。
美味しいご飯は世界を救う。そんな感じの恋愛ストーリーを書いてみました。
やる気が出てきたらヒーロー側視点の物語も書いてみたいです。
ここまでお読みいただきありがとうございました!