2)正しいけれども正しくはない
奴隷市場の場所を突き止めるため、ローズを救出せず奴隷商人の一行を追跡するというアレキサンダーの決定を知った時、サンドラは愕然とした。それに反対しなかったロバートには、本気で腹が立った。
サンドラは、仕事中だとわかってはいたが、留守を預るエドガーがいる執務室に怒鳴り込んだ。
「そんなもの、ローズを取り返して、奴らを締め上げたら良いじゃないの!」
「それは今まで何度もやってきた。また同じ結果だ。奴隷商人達はのさばり、女子供が消えて、奴隷市場は雲隠れするだけだ」
サンドラの訴えを、エドガーは見たこともないくらい厳しい顔で否定した。
「だからって」
「お前より、ロバートのほうがよっぽど辛いに決まってんだろうが。無責任に可哀想がってんじゃねぇよ。ローズ一人助けるなら、誰でも出来るさ。だけどな、それじゃまた、別の誰かが攫われる。誰かが売り飛ばされるんだ。お前だって似たようなもんだったんじゃねぇのか。お前な、甘っちょろいお前の考えで、のさばり続ける奴隷商人に、次に売り飛ばされる奴らは、可哀想じゃねぇのか」
エドガーの怒声が部屋の空気を震わせた。
サンドラは何も言えなかった。市井で育ったエドガーの乱暴な口調など、怖くはない。男が怒鳴ったくらいで腰を抜かす様な小娘でもない。
エドガーの言葉は、この国のためには正しい。だからといって、ローズが犠牲になって良いとは思えない。それをどう、言葉にしたら良いかがわからなかった。
「ロバートもちゃんと考えて、手を打ってるさ。ローズの近くに数人配置して、いつでも救出できるようにはなってる」
エドガーは、先程の怒声が幻だったかのように、穏やかな口調になっていた。
「奴らが奴隷市場に本当に向かっているかなど、誰にもわからない。そんな状況で、騎士団を動かし、必要な資金や物資を集めて、アレキサンダー様御自身も現地に向かってるのは、攫われているのが大司祭様が崇め称える聖女ローズ様だからだよ。他の誰かじゃこうはならない」
どこか戯けたような口調のまま、エドガーはサンドラや他の近習や小姓達を諭すようかのように、ゆっくりと語った。
「そもそも奴らが狙っていたらしいグレース様が攫われていたら、今頃内戦だ。どうせこの国の貴族の誰かが黒幕さ。他の侍女なら、まぁ、あの場合、ブレンダが攫われていたら、あの辺境伯バーセア家のご令嬢だ。バーセア家や関係する家は死物狂いで追跡するだろうが、領地と王都は遠い。だからといって、アーライル家の次期当主が動くかというと難しい。王都の守りを手薄に出来ない。ローズには可哀想だが、聖女ローズ救出のためだから、今の大掛かりな追跡が出来ている。今が奴隷市場を叩き潰す絶好の機会だ」
エドガーが口を噤んだあと、誰も何も言わなかった。サンドラも、何も言えなかった。
「一番大変なのがローズで、一番辛いのがロバートで、次がアレキサンダー様だろうさ。俺達はその他諸々の有象無象だ。俺達に出来るのは、ロバートが王太子宮に帰ってきた時に、青筋を立てなくて良いように、仕事を片付けておくことだ。でなきゃあのロバートだ、休憩もろくにしないだろうが。ほら、さっさと仕事だ、仕事。仕事に戻れ」
エドガーの声で、止まっていた執務室の時間が動き出す。
「グレース様もローズが身代わりになったって、お辛いだろうから、しっかりお支えしてくれ。俺はどうせ余計なことを言うから駄目だって、メアリに言われてるしな」
サンドラはエドガーに手際よく追い出された。