国立魔法研究所
「何か、問題がありましたか?」
足を止め、浅く呼吸をして、できる限り動揺を悟られないように、落ち着いた声で、見張り番の人に聞き返す。大丈夫、声が震えたりはしていない。
「ああいえ、急に大きな声を出してしまい、申し訳ありません」
そう言った見張り番は、私の顔を確認したりする様子はない。しかし、警戒は解かずに一挙一動に注目していると、見張り番は腰に付けていた袋に手を入れた。手錠とかではなさそうだ。暫くその様子を見守っていると、小さなガラスの球体が取り出された。
「よろしければ、此方を。返却は結構ですので」
「あの、これは……」
差し出されたガラス玉を見て尋ねると、見張り番は人の良さそうな笑顔を浮かべた。取り敢えず、私だから呼び止められた訳ではないとわかり、一安心である。
「ランタンの代わりです。研究所にいるのは、当然、魔法に長けた方ばかりです。なので、皆様灯りを持ち運ぶ習慣が無く、研究所の中も必要最低限以外は光がありません。魔力を込めるだけで簡単に使えるので、良ければ持って行ってください」
「ですが、貴方の分が……」
灯りとして使っているという事は、これを受け取ってしまうと、見張り番が移動するときに困るのではないか。それに、魔法付与された物は高価だとランバート様が言っていた。そんなものは到底受け取れない。
「元々は研究所で作られた試作品ですし、予備を持っているので問題ありません。それに、研究所のお客様が、足元が見えずに怪我をしてしまった方が大変ですから」
「そう、ですか。では、有難く使わせていただきます」
「お気を付けて」
掌の上にあるガラス玉に魔力を込めると、柔らかい光が広がった。その様子を見て見張り番は笑顔を浮かべ、元の位置に戻っていった。今度は呼び止められることなく、門をくぐり研究所の方へ足を進めた。
門から研究所までは意外と距離が短いようで、ガラス玉の光で見えるようになった周囲の光景を楽しんでいるうちに研究所の入り口に到着した。真っ先に私を出迎えたのは、黒く、分厚く、重たそうな、本の中でしか見たことが無いようなライオンのドアノッカーがついた扉である。
「えっと、入り口に到着したら、ノッカーには素手で触らず、封筒をライオンの鼻先にかざす……」
本当にこんな手順で開くのだろうか、と半信半疑で封筒をそっとライオンの前に差し出した。すると、鉄色だったドアノッカーが鮮やかな金色に代わり、ライオンの装飾が動き始めた。何度か匂いを嗅ぎ、封筒を確認したライオンは、短く唸って入れ、と言わんばかりに首で扉を指し示した。
「でも、ドアノッカーに触れないのに……」
どうしたら、と言いかけると同時に、重たい音を立てながら扉が勝手に開いていった。そうだ、ここは国立魔法研究所。手を使わずに扉が開くくらい、普通の事なのだろう。
「失礼します……」
入り口で一声かけて中に入る。返事はなく、見える範囲に光もない。というか、廊下が続いているだけで扉すらない気がする。はあ、と溜息を吐いて次の指示を読む。
「入って右手にある水晶に封筒を投げ込む」
完全に球体に見える水晶に物が入るとは思えないが、指示に従って水晶の上で封筒から手を放す。すると、何故か封筒は水晶の中に吸い込まれ、暗い紫色の光を放ち始めた。
「これで指示は終わりだったはず」
ここからは、見ればわかるような仕掛けになっていると信じたい。招待状は裏まで読んだが何も書いていなかったはずだ。炙り出しとか魔力を込めないといけなかったのならここで終了である。
「わ」
不安になりつつ水晶を見守っていると、紫色の光が直ぐ近くの壁を照らした。すると、光が集まって扉の様になっていることが分かった。
「もしかして……、これが、入り口?」
恐る恐る壁に映された扉に触れると、光の印影と一致する凹凸が表面にあった。多分、これが、目的の人物の部屋へと繋がる扉だ。意を決し、ノックをする。
「どうぞ」
中から返事が返ってきたので、失礼します、と言って静かに扉を開いた。最低限だけ開けた隙間から素早く中に入り込み、出来るだけ音を立てないように扉を閉める。そして部屋の主を探そうと視線を動かすが、執務室のような机の上には大量に本などが置かれており、人影は見えない。
「リシャール・ランバート様の紹介で来ました。アユム・ルイーエと申します」
仕方がないのでそのまま名乗ることにした。王宮にいた間は、聖女様以外見向きもされていなかったので、名乗ったりしていなかったのだ。顔は覚えられている可能性があっても、名乗っても問題はない。
「本日はお時間を取って頂き、誠にありがとうございます」
その場でもう一度礼をすると、奥の机周辺から物音がした。そして、一拍置いてから人影が現れた。どうやら、彼が部屋の主らしい。
「初めまして、ルイーエ嬢。暗い中、来ていただき感謝する」
私の事は魔導士でも呼んでくれ、とその人は言ったが、私は名乗らないことよりも、その人の見た目に釘付けになった。暗がりに溶け込む真っ黒な髪に、松や杉を思い出す常盤色の瞳。日本らしい色合いに、懐かしいような気持ちになったのだ。
「時間が惜しいので、本題に入って頂けるだろうか」
その言葉に、ハッとして、私は小さく頷いた。
次回更新は3月31日17時予定です。