彼のマフラー
「…………その、マフラー」
間違いない。この間の不審者だ。そして、私が話しかけられた時同様、青いマフラーに言及している。振り返っても相変わらず顔を認識することはできないが、以前のような寒気を感じることはない。
「ドナート……」
ぽつり、とラウラさんが呟いた。その名前は、間違いなく、いなくなったという恋人の名前だろう。名前を呼ぶ声に不安や自信の無さは一切感じられない。はっきりと、断言するような声音だ。
「ドナート」
ラウラさんが、もう一度名前を呼んだ。すると、輪郭がぼやけ、認識できなかったはずの相手に変化が現れた。ホワイトブロンドだろうか。白色に近い金髪であることが分かるようになり、服の色もぼんやりと認識できるようになってきた。
「マフラー、何処で、手に入れ……」
ドナート、と呼ばれたその男は、途切れ途切れに問いかける。頭が痛いのだろうか。片手は目を上から押さえており、体は揺れ、発する言葉もかなり聞き取りにくい。
「作ったのよ。みんなが染めた毛糸を編んで。私が作ったの」
ラウラさんは自分から相手に近付きながら、はっきりと言った。そして、マフラーを相手の目の前に、よく見えるように差し出して言った。
「綺麗な青色でしょう?私たちの、思い出の、青色よ」
ねえ、と更に距離を詰めたラウラさんは、自分の首にマフラーをかけ直した後、目の上を押さえていた相手の手をそっと取った。そして、相手がマフラーを見て、目を瞠ったところでもう一つのマフラーを取り出す。
「これは貴方の分。一生懸命作ったの」
ゆっくりと、相手の首にそのマフラーを巻いた。その間、相手は全く動くことはなかった。突然の事態に混乱して停止してしまっているのかもしれないが、なんとなく、ラウラさんの行動を待っていたように見えた。
「…………お願い。何があったのか、聞いてほしくないなら聞かない。だから、帰ってきて」
ラウラさんは、マフラーを巻いた腕をそのまま相手の首に回し、そっと抱きついた。相手はピクリとも動かない。突き飛ばすことも、抱きとめることもない。
「似合うねって、前みたいに、言って……」
懇願するような声が、静かな路地に消えていく。一拍、二拍。やはり動かないか、と諦めて、ラウラさんに声を掛けようと思ったその時だった。宙で止められていた腕がゆっくりと動き、ラウラさんの背中に回されたのだ。
「…………よく、似合ってる」
「ドナート?」
ゆっくりとした調子で発された言葉に、ラウラさんが顔を上げた。いつの間にか、顔も完全に認識できるようになっていたその人は、薄い青色の目を細めて言った。
「……ごめん。全部、話すから、聞いてくれないか?」
ラウラさんが私の方を見る。此処まで来たら全ての真相を知りたい。時間は大丈夫です、と小さく頷くと、一旦場所を移動することにしたのだった。
話し合いの場所に選んだのは、ラウラさんが現在住んでいる部屋だ。当初の目的である作業場からも遠くなく、且つ、誰かに話を聞かれることはない。
「取り敢えず、何があったかは全部聞きたいんだけど……」
「何処から話せばいいか迷うが、そうだな。国境警備の事から話そう」
ドナートさんは、街から数人向かわなくてはいけない、国境警備の仕事でラウラさんと離れた。国境警備と言っても、特別な訓練を受けていない若者でも務まるような事で、国境である門を無断で通ろうとする人がいないか見張る程度の事だったらしい。
「俺達の時は、偶然、野生動物が異常に増えた年で。見回りの時に駆除をすることになったんだ」
その任務中に動物を追って森に入ってしまい、仲間と逸れたという。だが、現在、国境から王都に戻ってきているのなら、途中で他の街にも寄っている筈だ。何故その時に無事であるという連絡を入れなかったのだろう。
「森は凄い霧だったが、一日待つ間にそれも晴れた。だから、すぐに門に戻って、そこに立っていた人物に声を掛けた」
その言い方に少し違和感を覚える。先程は、仲間、という言葉を使っていたはずなのに、今は其処に立っていた人物、という言い方をしたからだ。一日で人員交代があるとは思えない。どうして言い換えたのだろう。
「待って。聞いた話だと、貴方は全く見つからなかったと……」
「そこで分かったんだ。俺は、他人から認識できなくなっていた。その上、俺からも、他人を認識することができなくなっていたんだ」
「まさか。呪い……?」
ラウラさんが深刻な表情で言う。この世界、魔法もあるなら呪いもあるらしい。他者と関わらないと生きていけない人間には致命的な呪いな気がする。
「記憶は残っていた。それでも、相手の顔を認識することができなかった」
が、門にいた仲間に声を掛け、会話をしたら、少しだけマシになったらしい。全く特徴が捉えられなかった相手の、会話内容だけは覚えていられるようになったという。
「知らない相手に話しかけても無駄のようで、そこから王都に来るまで、症状は一切変わらなかった」
王都に来て、恋人であるラウラさんと接触したことで認識できるようになってきた、という事らしい。
「…………待ってください。初めてドナートさんとラウラさんが王都で会った時、ラウラさんは返事をしていないはずですが」
会話、がトリガーだとすると、微妙に矛盾するのである。
次回更新は3月26日17時予定です。