慌てた女性
体の痛みを感じて目を覚ます。窓を見る限り、まだ夜は開けていない。欠伸をしながら体を伸ばすと、関節という関節からバキバキと音がした。プリンターに手を置いたまま眠ってしまったからか、腕や肩が特に痛い気がする。
「それにしても、何で眠くなったんだろう」
原因として考えられるのは、当然、このプリンターだ。箱の中を確認すると、予定通り20枚分のチラシの印刷が終わっている。後は、何故か天板部分が赤く発光しているのだが、この光には何か意味があるのだろうか。
「あ、そういえば」
ランバート様から貰った箱の中に、文通用の小箱もあった。簡単な挨拶の後に、チラシを20枚纏めて印刷したことと、途中で眠ってしまったこと、印刷完了後に箱の上部が赤く光っていることを書いて箱に入れる。
「気付いた時にお返事がもらえると良いけど……」
完全に目が覚めてしまったので、作業をすることにする。今日の昼休憩の時間で教会に行く予定だったが、今のうちに開店準備等を終わらせておけば朝のうちに用事を済ませることができるだろう。
「入り口とカウンターにチラシを置いて……」
参加者名簿のような物も作っておいた方が良いかな、とペンを手に取った時だった。カチャン、と鍵の開くような音が、小箱からした。
「何だろう……」
箱を手に取ると、すんなりと箱は開いた。中には、私が入れた手紙のとは全く違う、黒い封筒が入っていたのだった。もしかして、返事だろうか。こんな時間に手紙を送るなんて非常識だったかもしれない、と内心焦りつつ、封を切る。
『アユム・ルイーエ様
今回は私の研究にご協力頂き、誠にありがとうございます。質問について簡単に説明させていただきますと、魔力切れにより肉体が限界を訴えた結果、眠りに落ちたのだと思われます。箱の赤い光は、使用者の魔力不足を感知して光る仕掛けになっているので、魔力が十分に回復した時に触れれば収まります。
改善案が思いつきましたら、またこちらからご連絡します。道具についての疑問がありましたら手紙でご連絡ください。
尚、基本的に夜に活動しているので、返事が遅れる可能性があります。B』
B、というのは、イニシャルのような物なのだろうか。名前を知らないといけない訳でもないので、言及はしないことにする。便利な道具を一方的に使わせてもらっている立場なのだし。
「つまり、疲れたから眠くなったってことか」
魔力について詳しいことはわからないが、基本的に寝れば回復するものなら安心だ。編み図を印刷するときは体調を見ながら行えば問題ないだろう。
「あ、もう回復してるのかな?」
プリンターの上に手を置くと、既に魔力が回復していたのか、赤い光が一瞬で収まった。それなら、今のうちに編み図を印刷しておこう。先程は5枚を超えた辺りで眠くなってきたので、まずは2、3枚印刷してから様子を見よう。
「…………意外と平気、かな?」
編み図は既にあるものを写せばいいだけなので、大して魔力を使わないのかもしれない。結局、私は参加する子供たち全員分の編み図を印刷することができたのだった。
神父様に資料の返却と編み物教室の開催日時を伝え、店に戻る。時間は開店前ギリギリだが、既に準備を終わらせていたので問題はない。
「さて、希望者がいると良いけど……」
今回、編み物教室に参加する子供は、ソニアちゃんを含めて四人。そのうちの二人はソニアちゃんより年上で、今迄にも編み物教室に参加したことがあるという。完全な編み物初心者はソニアちゃんと、もう一人だけだ。
「状況次第だけど、取り敢えず三人くらい希望者がいると良いな……」
十人を越えると流石に対応しきれない気がする。カフェの入り口にもチラシを一枚貼らせてもらったとはいえ、正式に開催するのは初めてなので、そこまで人数が集まるとは思えないが、予め制限を掛けておくのは大切だろう。
「あ、時間だ」
入り口のチラシをもう一度だけ確認して、店の扉を開く。下のカフェも開いたばかりなので、まだお客さんは来ていない。最初のお客さんが来るまで、カウンターで編み物でもしていようと思ったその時だった。階段を上る足音が聞こえてきたのだが、その間隔がやけに短い。
「……あの、焦らなくても」
通常通り営業しておりますが、と階段の方に声を掛けようとした。が、鬼気迫る表情で階段を駆け上がってきている女性の姿が目に入った瞬間、そのあまりに必死な表情に気圧されたのか、声を出すことができなかった。
「……」
息を切らしている女性が、乱れた髪を直す間、何も言葉を発せないままその様子を見守る。女性は身だしなみを整えた後、眉を下げて苦笑いをした。
「……ごめんなさい。近くを通っている時に、ちょっと予想外のことがあったものだから、動転していたみたい」
「あ、いえ。お気になさらず……」
通りで何かあったとして、三階まで駆け上がってくるような事、というと相当な事態だろう。ある程度息が整ったとはいえ、疲れている様子の女性に椅子を勧める。
「取り敢えず、私でよければ事情を聴かせていただけませんか?」
最近、物騒な話もありますので、と続ける。すると女性は少しの間の後、ぽつぽつと何が起こったかを話し始めた。
次回更新は3月17日17時予定です。