糸の購入
早朝、食事は支度だけして置いておき、私とジュディさんは先に食べて家を出た。まだ薄暗い路地を歩き、市場へと向かう。人気も少なく活気がないな、と思ったその瞬間だった。ジュディさんの後に続いて曲がり角を右に行くと、突然、活気にあふれた市場が目に入ってきたのである。
「驚いたかい?」
「……はい」
通りから少し外れただけで、人の流れが変わることは理解しているつもりだった。が、先程までは静かで、少しでも物音を立てようものなら周辺住民への迷惑になりそうなくらいだったのに、今は人々が売買する声があちこちで交わされている。
「この一帯には、朝からこうやって市を開いてもいいように、防音魔法が掛けてあるんだって。とはいえ、国の偉い人たちがやってることだから、詳しい事は知らないんだけどね」
「そうですか……。だから、急に聞こえるようになったんですね」
王都一の市場を活動をしやすくすることで、王都全体の活気を守っているという事か。経済が動かなければ国も潤わないので、真っ当な政策だろう。聖女の召喚に関しては胡散臭い部分しかなかったけど。
「で、糸を扱ってる店だったね。織物や糸はこっちだよ」
「はい」
売り物の種類ごとに、ある程度区画が分かれているらしい。仕入れなどに来る際は、ある程度関連するものしか買わないので一か所に纏めてあった方が便利だろう。
「奥の方まで行けば、貴族御用達の店が使うようなものもあるけど、どのくらいのものを見たいんだい?」
「そこまで高級な物を作るわけではないので、ある程度の耐久性があるなら大丈夫です」
「なら、うちが繕い物で使う糸を買ってる店で良いね?」
「はい」
昨晩、繕い物用の糸を見せて貰ったが、肌触りも悪くないし、しっかりと染められているように思えた。日常に使う為、となると色の数がどのくらいあるかはわからないが、服の色に合わせて糸は必要になるので、基本的な色はあるだろう。
「ここだよ」
「…………予想以上に品物が多いですね」
案内された場所には、所狭しと商品が並べられていた。布は巻かれた状態で重ねられており、糸束はぱっと見では何処にあるかわからない。陳列棚の下、引き出しの中に収納されているのだろう。平民向けの商品はこの店に殆ど揃っているのか、他の店は毛皮だったり、織物だったりと少ない種類の商品を並べている。
「だろう?」
「必要なものが全部揃いそうです」
「ははは。それはありがとう。安い商品はまとめて仕入れて、数を売らないと儲けが上がらないからね。時間が短い市場には少ないだろう」
ジュディさんと話しながら商品を見ていると、布の山の向こうから人の声がした。と、思えば、ジュディさんと丁度同じくらいの年齢の女性が現れた。
「それにしても、ジュディ、見慣れない子を連れて来たね」
「うちに住み始めたアユムだよ。アウロラ、糸を見せておくれ」
「はいよ」
話し方から推測するに、知り合いというか、友人なのだろう。アウロラ、と呼ばれた店主はジュディさんに言われると、すぐに引き出しの中から糸束を取り出した。
「うちで取り扱っている糸は、リネンが殆どだけど大丈夫かい?」
「はい。大丈夫です」
絹とかならあっちの店だよ、と言いながら、店主は幾つかの太さが違う糸を見せてくれた。その中から、六本の糸が一つの束になっている見慣れた物を見つける。これなら太さの調整もできるし、何より種類が多そうだ。
「それでいいのかい?」
「はい。これと同じ糸で、他の色を見せて貰えますか?」
店主はすぐに他の糸をしまい、今度は色とりどりの糸を並べて見せてくれた。白と黒は勿論、虹の七色や茶色。薄めのピンクや紫もある。私が現在使えるビーズの色数よりも多い。取り敢えず、手持ちのビーズと相性のいい色を買って、徐々に増やしていきたい。
「アユム、どれを買うのか決まったかい?」
「あ、はい。ある程度は……」
優先順位は決めたので、後は予算との兼ね合いである。白と黒は何にでも合うので確定。赤青黄色にそれらの混色も持ってはおきたい。で、余裕があるならパステルカラーも欲しい。手持ちはあるとはいえ、昨日のお客さんの入りようを考えると、あまり出費を増やさない方が良さそうでもある。
「こういうものは、必要だと思うなら買っておいた方が良いよ。次来た時にはないかもしれないし、食べ物と違って腐るわけじゃないんだから」
「ジュディ。うちの品揃えが悪いって言いたいのかい?言っとくけど、珍しい色じゃないなら補給もマメにしてるからね。よく考えな」
つまり、基本色に関しては減ったら直ぐに仕入れ直すので、多めに買っておいたりはしなくてもいいらしい。無くなった時に来ればいい。ならば、あまり数の変動がなさそうなパステルカラーやダークカラーを確保しておこう。
「では、此方全部、会計お願いします」
「……思ったより景気がいいね。お嬢ちゃん、店でもやってるのかい?」
「アユムは装飾品を売ってるよ。うちの子の指輪も作ってくれたんだ」
「指輪を?そりゃすごい。それにしても、糸を買ってもアクセサリーはできないだろうに」
「いえ、糸からアクセサリーはできますよ」
へえ、それは楽しみだね、と店主は言いながら商品を袋に詰めてくれた。さて、お会計額は、と財布を取り出そうとした時だった。既にカウンターの上にはお金が置かれており、振り返るとジュディさんがウインクをした。そんなに高いとは言わないが、纏めて買ったので安くもない。
「代わりに、私にも何か作っておくれ」
「……はい」
が、笑顔でそう言われ、私はただ頷いたのだった。
次回更新は3月1日17時予定です。