侯爵の部屋
召喚の間と、そこへ続く通路には人がいなかった。しかし、執務室が並ぶ区域に入った途端、あちらこちらから追っ手の声が聞こえてきた。その度に工房や近くの物陰に隠れ、やり過ごす。
「それにしても、随分と追われてるみたいだね」
「追いかけてくる貴族は時間稼ぎのために焚き付けられただけですけど、侯爵は本気で私に用事があるみたいです」
「時間稼ぎはわかるけれど、君に用事?」
あまりにも頻繁に追っ手と鉢合わせそうになるので、水晶玉が呆れたように言う。ベルンハルト様が侯爵配下の魔法使いを止めているのなら、時間稼ぎの意味は殆どなくなっているだろう。
足音や声の大きい人は分かりやすくていいが、偶に気配の薄い人もいる。周囲をしっかり確認して、また廊下を歩き出す。
「以前、侯爵の屋敷に連れ去られたことがあるのですが」
「君、瘴気祓いの旅に出なかったのに、なんで貴族の事件に巻き込まれてるの?」
「少々、魔法研究所の手伝いをしていたので。その際に、私に魔法付与した装飾品を作らせたいと言っていました」
同時期に王都中の魔法道具や魔法付与された装飾品を集めていたことも説明する。発動する魔法の種類や必要な魔力量などを考えずに、片っ端から集めていたことを伝えると、水晶玉は黙り込んだ。
周りから足音もしないし、今のうちに移動してしまおう。一階部分にある部屋は残り2つしかない。最奥から一つ手前の部屋に入ると、今までの執務室とは違い、本棚が沢山並んでいた。
「此処かな……?」
内鍵があったので鍵をかけて、他の人が入れないようにしてから室内の確認を始める。他の部屋には内鍵は無かったので、何かしら重要なものはありそうだ。
「…………やっぱりおかしいな普通は貴族、それもシルエット侯爵家なら、大抵の魔法は道具も何も必要ない筈だけど」
本棚を探し始めてすぐ、考えがまとまったのか、水晶玉が再び口を開いた。
「魔力量が多ければ、適性のある魔法ではなくても魔法の発動は可能と聞いていますが、シルエット侯爵家は魔力が多いのですか?」
魔法陣さえ理解していれば、どんな魔法も力技で使うことができる、と研究所で言っていた。だが、あの侯爵が魔法に長けているというイメージはない。
「僕をこの世界に召喚したのは、シルエット侯爵家の祖となる人だからね。そして、僕を利用して召喚儀式を整えた人物でもある」
「魔力量は遺伝するのですね……」
「あまりに魔力が多いから、他の理由もありそうだけどね」
シルエット侯爵家の者は代々召喚の儀式を担当するが、代を重ねるごとに魔力が強くなっているらしい。魔力を持った者同士が結婚することで強くなることはあり得るが、それにしても多すぎるらしい。
「他に魔力を増やす方法としては、魔法の訓練をすること、魔力を多く含んだ食材を食べること、後は、特殊な道具を使うことがあるけど……」
「食材を集めたりすることは可能とは思いますが、そこまで効果が出やすい方法なのですか?」
「いや、食事は最も効率が悪いよ。だから、僕の予想としては……」
言いかけた瞬間、重たい、苛立ったような足音が聞こえてきた。反射的に水晶玉の表面を手で覆い、執務用の豪華な机の下に身を隠す。
「急に口を塞がないでくれるかな?なんとなく、息苦しく感じるんだよね。それに、鍵を掛けているんだから、そこまで慌てなくても……」
「すみません。そうでした……」
言われて気付いたが、驚いたからか体が動かない。下手に動いて物音を立ててもいけないし、身を隠していて悪いことはないので、足音が通り過ぎるまで机の下にいよう。
「…………」
足音が近付き、この部屋の前を通り、遠ざかっていく。そう思っていたのだが、大きな足音は部屋の前で止まり、ついで、がちゃ、とドアノブが空回りした音がした。鍵が掛かっているので開くことはないが、心臓が大きく跳ねた。
「……デュオが鍵を掛けたのか?まあ、あの女を探し回る途中で入られる訳にもいかんからな。全く、普段からこのくらい気を利かせればいいものを」
聞き覚えのある声が耳に入ってきたかと思えば、がちゃん、と鍵が開き、ついで足音が部屋の中に入って来た。
この部屋が侯爵の執務室だとわかったのはいいが、このままでは見つかってしまう。慌てて工房に入ろうとしたが、足音は、机ではなく壁面に設置された本棚の方に向かっていった。
「王宮の方が効率がいいとはいえ、こういう時は面倒だな。青と紫、赤と緑は……」
呟きながら、侯爵は本棚の本を動かしているのだろう。何冊かの本が引き抜かれ、床に落とされる音がした。そして、暫くすると、ガコン、と鈍い音がした。本を押し込んだとしても、普通、こんな音は出ないだろう。
「全く、無事を確認するだけでも一苦労だな。今度は離れていても様子を見える道具でも作らせるか」
文句を言う声が遠ざかると共に、石造りの階段を降りていく音が響く。そっと机の下から顔を出し、本棚の方を見ると、本棚は横にずれ、そこにはいかにも怪しい地下への階段があったのだった。
次回更新は8月10日17時予定です。