夜中の練習
朝起きて、ネックレスを付け、店の準備をする。朝食を食べてから、開店時間まではつまみ細工を作って、午前の営業の空き時間は注文された商品を作る。昼休みは手早く食事を摂って、残り時間でつまみ細工を作る。午後の営業も終えたら、夕飯を食べて本日の注文分を全部作る。
「…………終わった」
注文票と作った商品の確認も終わったので、店のカウンターにしまっておく。今日も注文が多かったが、何とか作り終えることができて良かった。深く息を吐いて椅子に座り、暫く深呼吸する。
「さて、準備が終わったので……」
ネックレスにハマっているマラカイトに触れ、そっと魔力を流す。淡い緑色の光が店に広がる。そう言えば、合図になるとは教えて貰っていたが、どの位の時間魔力を流し続ければいいのかは聞いていない。ベルンハルト様が気付くまで魔力を流しておいた方が良いだろうか、と考えた時だった。
「……遅くに失礼する。ルイーエ嬢、迎えに来た」
「こんばんは、ベルンハルト様」
今日は合図にすぐに気付いてくれて良かった。忘れないうちに確認をすると、私が石に魔力を流すと、ベルンハルト様はどこにいても魔力を感知することができるので、長時間流し続ける必要はないらしい。すぐに迎えに来ることができなくても、用事が済み次第向かってくれるとのことだ。
「行くか」
手を差し出されたので、いつもの通り重ねるとすぐに風景が歪み、大きなホールのような場所に到着する。部屋の片隅に蓄音機のような物があるので、此処で練習をするのだろう。が、全く見覚えのない場所である。
「あの、ここは……?」
「俺の屋敷だ」
「他の方にご挨拶は……」
「必要ない。此処は別邸で、他に誰も住んでいない」
因みに、此処は国立魔法研究所の近くらしい。本邸は貴族区域にあるのだが、研究所に近い方が何かと便利なので一人で別邸に住んでいるそうだ。とはいえ、研究所の職員は殆ど家に帰らず、研究室で寝泊まりしているので殆ど誰も住んでいないらしい。
「そこの扉の部屋に侍女を待機させてある。ドレスに着替えてくると良い」
「わかりました」
使用人は住み込みの侍女と執事が一人ずつ。後は掃除や洗濯をする者が日中だけ来ているらしいので、人気はない。ベルンハルト様に言われた扉にそっと手を掛けると、年配の女性が一人、部屋の中で待機していた。
「お待ちしておりました」
「こんばんは。今日はよろしくお願いします」
「お任せください。此方がドレスになります」
女性は力強く頷くと、部屋の奥に私を案内した。そこにあったのは、練習用のドレスなのだろう、黒を基調としたドレスが飾られていた。フリルなどは殆どついていないが、繊細なレース模様が美しい。
「…………これ、本当に練習用ですか?」
正直、これで本番に出ても良さそうなほどの品である。黒っぽいので祝いの席には向かないかもしれないが、質自体は一級品なのだろう。この滑らかな手触りは、多分絹である。
「其方は、大奥様がお召しになっていたもので、一級品ではありますが今の流行りではございません」
「そう、ですか……」
「それでは、身支度のお手伝いをさせていただきますね」
「お願いします」
誰も着ずに箪笥の肥やしになる位なら、練習用として着られた方がドレスも本望だろう、とベルンハルト様が判断したらしい。貴族とはそういうものだと分かっていても、こんなにも良い物を使わないのは勿体ない気がする。肌触りはとてもいいのに。
「良くお似合いですよ」
「……ありがとうございます」
髪の色が黒いから、黒いドレスを着てもそこまで違和感はないだろう。が、洗練された所作を身につけなければ、着こなすことは出来なさそうだ。少しでも、見劣りしないように頑張らないといけない。女性にお礼を言い、ベルンハルト様が待っているホールへと戻る。
「…………ベルンハルト、様?」
扉を開けると、先程と同じ位置に人影があった。が、そこに立っている人物は、いつもの黒いローブではなく、黒を基調とした正装を身に纏っていた。黒い髪を後ろで束ね、いつもフードで殆ど隠れている常盤色の瞳が真っ直ぐ此方を向いている。
「ルイーエ嬢。良く似合っている」
「ありがとう、ございます。ベルンハルト様も、正装なさっていたのですね……」
初めて顔をまともに見たかもしれない。暗い部屋の中だったり、フードで一部隠されていたりしていても十分顔立ちが整っているとは思っていたが、正装していると更に際立って見える。夜会当日に初めて見たら動揺して失敗しそうだったので、先に見る機会があってよかったと思う。
「ああ。堅苦しい服装は好まないが、着ていなければ練習の意味がないからな」
前回、ランバート伯爵家での練習の時はローブを着たまま踊っていたし、国立魔法研究所の制服はローブなので夜会の時もそうなのだと思っていた。ローブに比べて正装だと動きにくいので、練習が必要だと言っていたのも本当なのかもしれない。そう思った時だった。
「手を」
「は、はい」
すっと手を取られ、直後、蓄音機から音楽が流れ始める。そのまま自然と音楽に合わせてリードし始めたベルンハルト様に、やはり、練習が必要なのは私だけだと確信したのだった。
次回更新は7月28日17時予定です。