旅立つ人に
ぱちり、と目を開ける。眩しい、工房の明かりが目に入り、一気に意識が覚醒する。
「……そっか。魔力切れで、寝てたんだった」
欠伸をしながら体を起こし、時計を見る。頭がすっきりしている割には時間が経過していない。寝ていたのは15分程度と言った所か。まだ日付は変わらないし、魔力も完全に回復したようなので、もう少し作業をしよう。
「それにしても、一つ作るだけで魔力が切れるとは思ってなかったかな」
意思疎通の効果が不足なく発揮されるように、と作る途中に考えすぎたのかもしれない。普段は魔力を消耗した、と感じるほどの魔力を使っていないだけで、魔法付与の効果を強くするには、相応の魔力が必要なのだろう。
「完成するか不安だったから、気が抜けたのもありそう」
まあ、次からは大丈夫だろう。魔力切れの兆候と回復のために必要な睡眠時間も何となくわかってきたので、明日の仕事に支障が出ない限界まで作って寝ればいい。今度は銀色のワイヤーを手に取って、一回目よりも手際よく、ワイヤーを巻き付けていった。
「……自分で言うのもなんだけど、完璧なペース配分だった」
桐野さんとの約束の時間、五分前。完成した商品をそれぞれ袋に詰めた私は、自分のタイムマネジメント能力を再評価していた。耐え切れないほどの眠気に襲われるわけではないが、連続して魔法付与を行うのはつらい、という時間帯が、食事や店の準備と被るように調整した結果、眠ってしまうことなく、閉店までの間に全員分の注文品を完成させたのだ。
「とはいえ、今回は途中で大きな注文が入らなかったから完成しただけで、次回以降は単純に製作に必要な時間の倍かかるとして見積もった方が良いかも」
これ以上、魔法付与された商品を作る機会があるとは限らないけれど、もしもの為に考えておくことは大切だろう。次からは発注された商品のメモと一緒に、製作に掛かった時間も記録していこうか、そんなことを考えていると、店の扉が開いた。
「いらっしゃいませ、桐野様。お待ちしておりました」
「……こんばんは、類家さん。商品の受け取りに来ました」
入ってきた桐野さんは、周囲が暗い所為かもしれないが、前にあった時よりも表情が暗いような気がした。が、声を掛けるといつもと同じ笑顔になる。見間違いだったのだろうか、気になるが、先に仕事の話を済ませようと、カウンターの引き出しを開ける。ちらり、と視界の端に移った黒い封筒を見て、小さく笑顔を作った。
「此方がご注文の商品になります。誰のものなのかが分かりやすいように、袋に名前が書いてあります。ご使用前にフィンリー鉱石に魔力を帯びさせることを忘れないよう、お気を付けください。詳しくは、先日渡した説明書の方に記載してあります」
「ありがとうございます」
袋を受け取ると、桐野さんは早速、自分の名前が書かれた袋を開けた。中から二つのイヤーカフが転がり出てくる。形自体は試作品と大して変わらない。
「発言用が金、受信用が銀色のワイヤーです。何かご質問はありますか?」
「いえ、大丈夫です」
そう言って、桐野さんはイヤーカフを袋に戻した。私は、桐野さんに残りの袋の中にもきちんと商品が入っていることを確認してもらい、一枚の紙を取り出す。お客さんから注文を受けた時に書いている発注書である。確かに受け取ったことを示すためにサインして貰うのだ。
「では、サインをお願いします」
「はい」
桐野さんは手早く書類にサインをする。久しぶりに見る、故郷の言葉。漢字で書かれたその文字の下には、金銭を受け取ったサインを記入する空間がある。
「あの、これを……」
桐野さんが懐から何かを取り出そうとしたが、私はそれが自分の前に置かれるよりも先に、桐野さんの名前の下に自分の名前を記入した。そして、書類を鍵付きの引き出しにしまう。こんなもの、見られるわけにはいかないので、また今度、証拠も残らず廃棄できるようになったら処分する予定だ。
「類家さん?」
「……代金でしたら、受け取れません」
桐野さんは、じゃらり、と重たい金属音のする袋をカウンターの上に置き、首を傾げた。代金を受け取らない店なんておかしいので、当然の反応だろう。だが、私は、代金を桐野さん達から受け取るわけにはいかないのだ。
「どうしてですか?」
「今回、私は国立魔法研究所が聖女様御一行の為に製作した魔法道具の、土台となる金属パーツ部分の作成を依頼されました。既に代金は国立魔法研究所の方から支払われている為、桐野さんから個人的な金銭を受け取るわけにはいきません」
これは、聖女一行が魔法道具を使っても私が関わっていることを知られないための措置であり、また、聖女一行が無茶ぶりをしてこないようにという牽制でもある。次回以降、私に依頼をしたい場合は研究所を通さないと無理だ、ということを暗に言っている。
「専属になって貰えたら旅が楽になると思ったんですけど、そう上手くはいきませんか」
「私は今の生活を楽しんでいるので」
にこり、と笑顔で返すと、桐野さんもにこりと笑った。その表情に、暗さはない。
「お邪魔しました」
「……ご武運を」
店から出ていく背中に、声を掛ける。振り返ることはなかったが、一瞬だけ足を止めた後、ひらりと後ろ手に手を振って、桐野さんは帰って行ったのだった。
次回更新は5月25日17時予定です。