1話『オレ』
わずかに口の中が苦いような気がする。さっき転んだときに口の中に砂が入ったのだろう。中学校の砂は砂利が多い。もう少しなんとかしてほしいものだ。
スグルの阿呆は吐き出すこともせずに前を向いている。手を出さないクセに相手をじっと見据えてしまう。だから余計に殴られるのだ。スグルほどではないが全身のあちこちが痛い。贅肉で学生服がパンパンになっている中尾が大振りのパンチを出してくる。かわせないハズがない。スグルの身体スペックならば後ろに跳んでやりすごすのが良いだろう。スグルだって痛いのは嫌だ。でも身体が動かないのか、動けないのか、動きたくないのか、腕を交差させて頭を守る。
「おらぁ!」
またスグルの細い身体が吹き飛ばされる。こんな屑共にも学習能力が備わっているのか、石原がなおも立ち上がろうとするスグルの顔を蹴り上げる。
「いってぇー」
人の頭を蹴っておいて足が痛いそうだ。こっちはもっと痛い。スグルはもう痛みが限度を超えすぎて意識が朦朧としてきている。昔ならもう選手交代していたはずだ。でもスグルは手放さない。操縦桿をぐっと握って耐えている。
「おい何してくれてんだ! 石原君が痛いそうじゃないか、謝れよ」
足の先を大げさにさする石原を見てもう一人がスグルの腹を蹴る。口からよだれに混じって血が出る。新しい打撲と擦り傷が、いくつもの傷跡に上書きされていく。
スグルが何を考えているのか、今のオレにはよくわからない。感覚も薄いし、視界だって色が浅い。モノクロとまではいかないが、古いゲームを見ているような現実感のなさだ。
おい、スグルもう変われ。オレがすぐに片付けてやるから。
そう言おうと考えてやめる。どうせスグルは聴いちゃいない。
スグルが屑どもに暴行を受けるのを特等席でじっと体験しながらどういうことが起きればオレに機会が訪れるかを想像する。暴行ではきっと無理だろう、死ぬことになってもスグルはオレと代わりやしない。
ほうら、カギがかかっちまった。またここだ。真っ暗で音も光りも時間すらない部屋に、オレは堕ちる。落とされる。
この部屋は牢屋だ。オレの罪を償う為の独房だ。懺悔室じゃないだろう、懺悔室にしちゃ殺風景すぎるし、オレの思考まで凍結する必要性がない。この部屋に入れられてしばらくすると時間が停止する。時間が動き出すのはスグルが起きてからだ。
スグルは眠るときと、こうやって気絶するとき、オレが何も出来ないようにこの暗い部屋に入れる。鍵は厳重だし壁は分厚い、何より時間が止まる。外の世界は動いているのだから正確には時間というよりオレの認識、意識みたいなものを停止しているのだろう。手も足も出ないどころか考えることすら出来ない。まさしく何も出来なくなってしまう。
オレの時間が止められるまで、オレの認識で残り五分ほど、少し整理して考えよう。オレは考えるのが好きだ。以前もずっと一人で考えて生きてきた。
そう以前、前世とよんでもいいだろう。