05 ダークエルフの姫君
05:ダークエルフの姫君
よくよく考えれば、ぼくの人生にとって凄まじいことが今から始まろうとしている。
このゲムーリグにぼくはどういうわけかオークの国の王子として存在しているのだが、それだけでも驚愕すべきことなのに今から見も知らぬ誰かと結婚するのだ。
この世界に来てまだ3時間も経っていない。
その間、体を洗われ、気絶し、着替えさせられ、晩食(起床後、夜に摂る食事だから朝食ではなく晩食)を食べ、そのあとには結婚相手の両親を見て、そしてその両親の娘がもうしばらくするとぼくとの結婚のためにすぐこの横にやってくるのだ。
ぼくは現実世界において、異性と付き合ったことがない。そんなやつが今から結婚式を挙げるのだ。考えられない。信じられない。
オルガンの音は続く。
それは重厚な音で、ぼくの鼓膜や幅広な体を震わせる。
ぼくは前にある祭壇を見たまま、姫の到着を待つ。
姫は自分の父親に伴われここまで来る。そしてぼくは父親から姫を受け取る。この一連の動きは、前もってソフマンから教えられていた。
隣に気配を感じた。
そちらを見るとさっき対面したダークエルフの族長いた。確か名前は、リデス。その向こうにはぼくの結婚相手がいた。確か名前は、フルバブ。姫はかなりの長身でスレンダーな印象。
父親を挟んだ彼女の表情はというと、ぼくの位置からはうかがい知れない。うつむいているようだったし、それに加え顔にレースがかかっていてよくわからないのだ。
鼻だけ見えた。
多分鼻梁は高い。
彼女は胸元が大きくあいた漆黒のドレスを着ていた。胸元には豪華な貴金属で装飾されたネックレスが下がっている。
「――ジョブどの、娘をお願いします」
リデスが姫の手を差し出しながらぼくに共通語で言う。
「は、はい!」
ぼくは共通語を話せるのに思わずオーク語で返事してしまった。
リデスがオーク語を理解しているのか否かは不明だったが、族長は、娘の手をぼくに渡した。
ぼくは手をとった。
黒い手袋をはめたその五指はとても細くて長く、そして目で見てもわかるぐらい震えていた。
ぼくは彼女とは真逆の豚足のようなごつい手で彼女の震える手を90度に折り曲げた自分の左腕に持ってきた。
フルバブはそこに手を回し込み軽く置く。
オルガンの音がやんだ。
礼拝堂は静寂に包まれる。
司教が共通語で、婚礼の始まりを告げた。
続いて司教はぼくたちに、結婚の確認をしてきた。
つまり、「ジョブ・ウガル、汝は、隣にいるフルバブ・レセーイをその命が燃え尽きるまで愛すことを誓うか?」と尋ねてきたのだ。
ぼくは、「はい」と今度は冷静に共通語で答えた。
そのあと司教は、フルバブにもぼくと同じことを尋ねた。
沈黙。
沈黙。
ぼくは、フルバブの方を見た。
この時点でも、ぼくの腕の関節に乗る彼女の手が震えているのが見なくてもわかったが、彼女はそのとき肩をも震わせていたのだ。
「――フルバブ、どうした?」
後ろから父親リデスの強い声。
「・・・・・・」
フルバブ姫は、まだ返事しない。
そりゃそうだ。相手がぼくだもの。
彼女はきっと今、恐怖に震えているんだ。彼女は、自分は、同族の男子の誰かと結婚し、子を産み、楽しく闇の森で生活していくと想像していたことだろう。それが、結婚相手はブタ面で、自分の子が生まれるのかどうかも分からず、生活する場も、闇の森から離れたブタ一族が治める異国なのだ。
自分が想っていた将来設計とは真逆の現実にフルバブは面食らっているのだろう。
「フルバブ!」
リデスがついに怒声。
「あの、『はい』って言った方がいいよ」
ぼくはフルバブ姫に共通語で囁いた。
その瞬間、フルバブ姫がぼくを見上げた。
目があった。
(うっわ、綺麗・・・・・・)
ダークエルフの姫は、健康そうな褐色の肌を持ち、予想通り鼻は高く、睫毛が長い二重まぶたの切れ長の瞳。唇がピンク色にぷっくり膨らんでいる。ただ、印象深い瞳が潤んでいる。目に涙をうかべているのだ。
閉じているぷっくりした唇も、歯を食いしばっているのか痙攣するかのように震えている。
彼女は、間違いなく恐怖していた。
「とにかく、とにかく、『はい』と返事したほうがいい」
もう一度促した。
フルバブは小刻みに震えながら頷いた。
ぼくは、司教にもう一度フルバブに誓いの言葉を投げかけて下さいとお願いした。司教はうなずき、フルバブにさっきと同じ言葉で問うた。
フルバブは頷き、「はい」とか細い声で答えた。
そのあとは、羊皮紙に記された結婚の宣誓書に自分たちの名前を書き、婚礼の儀式は終了。
次は城の大広間での食事会だ。