03 現実でした・・・・・・
03:現実でした・・・・・・
「――ぼっちゃま、ぼっちゃま」
声がする。
聞き覚えのある声。
でもこの声はぼくの父親、ましてや母親の声ではない。これは明らかに男の声。
というか、ぼくは今まで「ぼっちゃま」という表現で自分を呼ばれたことがない。
保之、やすにいちゃん、ヤス、長谷川くん、長谷川、はせっち、はせ、と呼ばれたことはあるが、「ぼっちゃま」と呼ばれたことは一度もなかった。
今からぼくは目を開けるが、そのとき見える風景が弟――恭二が眠る二段ベッドの二段目の底であってほしいと願う。
目を開けた。
視界に二段ベッドの底はなかった。
手を伸ばしても届かない石造りの天井が視界の先にはあった。
「おお、目を覚まされたぞ」
天井に変わってブタが視界に入ってきた。
ぼくはこのブタの名前を知っている。
「ソフマン」
ぼくは目の前にいるブタに向かって呼びかけた。
ソフマンは、ぼくがこの世界で一番最初に見たブタ。
「ぼっちゃまが意識を取り戻された」
ソフマンが背後を見ながら嬉しそうに言う。
このブタはソフマンといって、ぼくの側近。
ぼくの身の回りのことを取り仕切ってくれる、まぁ守り役、または執事、秘書みたいな感じの人。
年齢は、52歳。
この国と今言ったが、国の名前はブダータン。ぼくは、その国の王子だ。
この国の王は、ペジャ・ウガルという人でその人がぼくの父親。
もちろんその人がぼくの本当の父親ではない。
ぼくの本当の父親の名前は、長谷川清志。
でもここでは、ペジャ・ウガルがぼくの父親なのだ。
ちなみにこの世界でのぼくの名前は、ジョブ・ウガル。
この世界――地球、アース、テラ、ワールド、ガイア、とぼくが知っている限りでの単語以外で表現されるこの世界の呼び名はずばり、「ゲムーリグ」。
ゲムーリグには、ぼくがかつてそうだった、人類種の他、亜人種、巨人族、妖精族、精霊、幻獣といった類たぐいの生命体または霊体が共存していた。
その中でぼくは、亜人種と呼ばれるカテゴリーに分類される種族に属している。
亜人種の中でも、
『オーク』
と呼ばれているのがぼくたちの種族だ。
オーク族の外見はまさにブタそのもの。
みんな太っていて、顔はもれなく全員ブタ。
そのうちの一人が今のぼく。ぼくは王子になりたいと星に願い、その願いは実現し今ぼくはゲムーリグという世界のオーク族の王子ジョブ・ウガルとして自分を認識し呼吸をしているのだ。しかしここで疑問がわく。元々この世界で呼吸をしていた「ジョブ・ウガル本人の魂というか意識」はどこにいってしまったのか? 彼の体は今ぼくが支配している。でもこれまで自分自身の体を操っていたジョブ・ウガルの意識はどこにあるのか?
でも今ぼくがそんなこと考えても答えはでないだろう。というかそんなことどうでもいい。
実際わかっていることは、ジョブ王子の記憶というか知識をぼくが知っているということ。ぼくの認識では、脱衣所でぼくはオークとなったぼく自身の姿を鏡で見た瞬間、自分の脳裡にジョブ王子の記憶知識が稲光のように駆け巡り、一瞬でぼくに定着したということが理由なくわかった。なぜ鏡で自分の姿を見てその瞬間、前記の記憶、知識がぼくに定着したかというメカニズムの原理はぼくにはわからない。ぼくは稲妻が走ったそのあとすぐ気絶し、意識をなくした。
今、目を覚まして、改めて思い巡らすに、まだまだこの世界のことでぼくの知っていることはある。たくさんある。
例えば、ぼくは怪力の持ち主。父親譲りの百人力。その力をまだぼくは自身で発揮していないが、そうらしい。
他にもブダータン族は三年前に、ぼくの父親ベジャ(ぼくの本当の父の名は長谷川清志)を族長として一時は13に分かれていたオーク族を一つにまとめこのゲムーリグでのオーク族初の統一王国を誕生させるに至ったことも知っている。
そして、そして今日がぼくこと、ジョブ・ウガルの婚礼の日だということも分かっていた。
ぼくは今後どうなってしまうのだ?
このゲムーリグでこのままずっと生活していかなければならないのか?
もう両親や弟妹、友人に逢えないのか? あぁ、みんなに逢いたい。弟や妹に逢いたい。あの子たちの身の回りの世話がしたい。あの子たちの面倒をみるのを面倒くさいと思ったことはたしかにあった。その生活に厭気がさしたこともあった。だからこそ星に願った。王子さまになりたいと。別にそれが殿様でも良かった。御曹司でもよかった。たまたま口から出たのが「王子」だった。
今みんなどうしてるんだろう?
ぼくがいなくなったら誰があの子たちを保育園や学童に迎えに行ったり、夕食を食べさせたり、お風呂に入れるのだ。
(――なんてことを願ってしまったんだ)
ぼくは後悔する。
何気に願ったことが、叶ってしまった。
ぼくは王子になれた。
なれたが、別世界にとばされた。
信じがたいことだったが、ぼくはなぜか冷静にこのことを受け止めている。
なぜって、今の自分の頬の感触。脱衣所で触れた頬の感触がすべてを物語っている。あの感触は現実のもの。試しにぼくは自分の頬を触ってみる。
やはり頬は柔らかかったが、ザラザラしている。
ぼくは指先に力を入れ頬をつねった。
(痛い)
さらに指先に力を入れ、めちゃくちゃ強くつねった。
めちゃくちゃ痛かった。涙が出そうなぐらい痛かった。
この痛みは現実。
紛れもなくぼくの今いるここがぼくにとっての現実。
「ぼっちゃまなぜ頬をつねられるのですか?」
ソフマンが早口でぼくに訊いてくる。
このソフマンが話す言葉もぼくが別世界に飛ばされたんだと認識させるうちの一つに入る。
ソフマンが話す言葉は日本語でもない。英語でもない。フランス語でも中国語でもイタリア語でない。
彼が話しているのは『オーク語』。
これはブダータン王国の主言語で、この国で一番使用されている言葉だ。
あと、共通語という、この世界で一般的に話されている言葉も使われることもあるが、国内ではほとんどオーク語が話されている。それはなぜか? 理由は、暮らしている人がほぼオークだから。
「なんでもない。なんでもないです、ソフマン」
ぼくはオーク語で返す。
なぜぼくが無条件でオーク語を修得しているのかわからない。でもすでにわかっているのだ。すでに話せるのだ。一旦日本語に訳して話しているのではなく、ダイレクトにソフマンの言葉を理解しダイレクトにソフマンに返事できるのだ。
ただ、ソフマンの表情は分かりにくい。
表情筋が弱いのか、顔を見て、彼が怒っているのか悲しんでいるのか驚いているのか判断がつかない。多分、今ソフマンは焦っている。ぼくが急に頬をつねったことに驚き、焦っている。
「本当になんでもないです」
ぼくはそう言って、上体を起こした。
部屋を見渡す。
ここはぼくに自室。ブダータン王国の王城「ヒンモモス」の5階に位置する場所にある、今のぼくの部屋だ。
ぼくの見たところ、部屋の広さは30畳ほどあって(ぼくは30畳の部屋を見たことはない・・・・・・)、部屋の出入り口から対角にベッドが置かれておりぼくは今そこでソフマンと話しているのだ。ベッドの傍らにはサイドテーブルがあり、その上に三叉に分かれた燭台が置かれていた。燭台には三つのろうそくが付けられていて、その先端に火が点ともされている。
その火を見てぼくは思い返す。
オークという種族は、太陽が出ている時間――朝や昼は、行動しない。つまり彼らは夜行性の生き物で、今も外は暗く夜間だ。だからぼくがこの世界で初めて起床したとき、辺りは暗かったのだ。今がオークにとっての活動時間。
ぼくはろうそくの灯火から目を離し、視線を動かした。このベッドから少しはなれて、ぼくを岩風呂に連れて行ってくれた三人のブタが並んで立っている。
左から、モノキ、フレンバ、ジーオーという名前。
彼らはぼくの身の回りの世話をしてくれる付き人、兼、護衛者。
三人とも屈強な体躯の持ち主で頼もしい存在。
でもぼくは、彼らが束になってかかってきても撃退できるぐらいの体力と筋力があるようなのだ。ブダータン王国、王子ジョブ・ウガルは、次期王として恥じない実力が間違いなくある。
「本当に大丈夫で?」
ソフマンは念を押してくる。
「うん、大丈夫です」
「ではぼっちゃま、早速なのですが、お着替えをなされますように。ぼっちゃまが気を失われている間に時間が経ち、婚礼までの時間が迫ってございます」
そうか、今日は婚礼の日だった・・・・・・。
(こ、こ、婚礼!?)
そう、ぼくは今日がジョブ・ウガルの婚礼の日と知っている。
ジョブ・ウガルは今のぼく。だから、つまり、その婚礼をするのはぼくとなる。
なんだかさっきまで他人ごとのように頭にあったこの行事が、今更ながら実感してしまい、驚いてしまった。
「そ、そうだ、今日は、婚礼、結婚式なんですよね?」
「そうです。さぁ、お着替えに取りかかりましょう。――モノキ、フレンバ、ジーオー」
ソフマンは後ろに控える三人に着替えを命じた。
ぼくは、脱衣所で気を失ったからか、半裸――上半身は裸で、腰には布が一枚――の状態であったので、彼らになされるがまま服だけを体に重ねていけばよかった。
ぼくはその着替えの間、記憶の整理を行った。
ぼくの結婚相手は、同種のオークではなかった。
お相手はダークエルフという種族で、オークとは違い、力より頭で勝負するのが得意な種族であった。
ぼくは、ぼくが人間として生きていた現実世界で、いわゆるファンタジーに関連するゲームに触れる機会は皆無だった。テレビゲーム、カードゲーム、友人たちがそれらに興じているとき、ぼくの日常はそれどころではなく、弟たちの面倒をみることにほとんどの時間が費やされそんなことをしている暇がなかった。
でもぼくはぼくなりに小中のときには友達と交流を持つため、自分なりにその当時流行っていたカードゲームを題材にしたテレビアニメを録画し、その世界観を知ろうとした。そんなぼくの拙いファンタジーの世界の知識だったが、そのダークエルフという種族の名称と特徴は見たり聞いたりしたことはあった。
諸説はあろうが、ぼくの知っているダークエルフは、男女ともに肌が青白く、髪の色は灰色、耳の先端と目尻が尖っていることが特徴だった。
そのダークエルフ族の姫君とぼくは今夜結婚する。
ぼくの知る限り、ダークエルフという種族は、肌の色や、耳と目のとんがり以外は、オークより人間に限りなく近い。というかほぼ人類種といってもよかろう。
その人間に限りなく近いダークエルフの姫君は、このブタ一族のナンバーワンとなったキングの息子であるプリンスとの婚姻をどう考えているのか?
ぼくが推察するに、それは恐怖の一言ではないだろうか。
やはり生物というものは、同人種間においての交流や交際が当たり前で、それ以外の生物――例えば、今回のオークとダークエルフとの結婚ということでは、ダークエルフが受ける精神的苦痛がより多くなってしまうと人類種が中身であるぼくは考えてしまうのだ。
だって、ぼくたちオーク族は顔がブタだ。
この世界で、ぼくが脱衣場で一瞬にして植え付けられた知り得た情報でも、豚という家畜は存在する。豚は当然の如く主に人類種でこの世界でも食べられていたが、オーク族はそれを食料とはしない。
理由は単純。自分たちに容姿が似ているから。
というより、豚という生命体を彼らは敬うやまい、神の使いとして崇めていた。
だからそれを食す人間、及び、それを食す生物をオーク族は憎んでいた。
ダークエルフには豚を食す習慣はない。なぜなら、彼らの感覚で豚という生物は醜く、それを嫌悪していたので食すという習慣がなかったとも言われている。
ダークエルフにしろその対極にあるエルフにしろ、彼らには共通して、彼ら独自の美意識があったと思われる。
ダークエルフとエルフは肌の色や髪の毛の色以外の特徴はほぼ同じで、一族に共通して容姿端麗、美男美女といった風貌だったが、内面の性質は真逆であった。光と闇、陽と陰、明と暗、守と攻、そしてエルフ側からみれば、善と悪。前者がエルフで後者がダークエルフ。彼らはこのゲムーリグの世界の神話の時代から敵対していたと言われていて、その関係は現在に至る。彼らは、光の森、闇の森(闇の『森』と知られているが、闇の森には葉が付かないやせ細った木炭のような木々が乱立していて靄がかかり一般的な森とは全く違った不気味な様相をていしていた)と互いに隣接する地域で分かれて暮らしており、エルフ族は光り輝く瑞々しい自分たちの森を一方的に破壊、枯れさせようと目論むダークエルフの魔の手から死守していた。戦略レベルは大々的ではなく小競り合いのレベルで、その小競り合いは一応に拮抗しており一進一退の攻防が繰り広げられていたが、この戦いに嫌気がさしたエルフ族は、一年前にこの戦いに終止符を打つべく、ダークエルフを殲滅しようと、ダークエルフほど敵対関係ではなかったが、彼らの美意識からは醜い対象だったドワーフ族と軍事同盟を結び、ダークエルフ族の討伐に本格的乗り出した。
これに驚いたのがダークエルフ族。今までの戦いは、自分たちが攻撃側で、エルフ族は守備側という形が殆どだったのに、エルフ族から自軍に攻撃を仕掛けてきたのだ。が、驚きも一瞬、彼らはすぐに迎撃軍を編制すると、返り討ちにしてくれるはと息巻いて、エルフ軍に立ち向かった。
しかし今回の戦いは、様相がいつもと違った。
エルフ軍の中に屈強なドワーフ族がおり、彼らはその事実に狼狽、その狼狽は瞬く間に全軍に広がり、その影響が大きかったのか、ダークエルフ軍は初戦で惨敗した。いや初戦どころかそのあとも連戦連敗。理由は、ドワーフ族の協力ももちろんあったのだが、戦いの途中から、人類種のとある国も戦いに参戦してきたからだった。
とある国とは「レイダス帝国」。
レイダス帝国は、人類種が住む領域の実に四分の一という広大な土地を所有する国だ。レイダス帝国は広大な版図を築き、まだまだその領地を拡げようと、他の勢力に食指を伸ばしていたのだが、そのことに脅威を覚えた複数の国が反レイダス帝国を国政として掲げ連携し、連合軍を形成。そのため帝国と連合軍の実力が伯仲し、帝国の領地拡大が停滞してしまう事態となった。だが、時の皇帝フィカル二世は領土拡大に貪欲で、エルフ族がダークエルフ殲滅のためにドワーフ族と同盟を結んでそれを本格的に実行していることを知ると、のちにエルフ族が帝国に助力してくれるのを期待し、エルフ族を助けるという名目で軍をエルフ族に派遣。この助力に大いに喜んだエルフ族は、ドワーフ族の武力に帝国の力を加えダークエルフ族との戦いを優位に進めていったのだ。
ドワーフ族以外にもエルフ族に強力な同盟国があることを知ったダークエルフ族は、戦慄した。一族が本当に滅亡するかもしれないという局面に立たされていることを理解し、族の首脳陣はこの局面を打開するために、オーク族のブダータン王国に密書を送った。ダークエルフ族は、ブダータン王国がオーク族でまだその中の一勢力だったときに助力したことがあり、その手助けを手がかりにぼくの父ペジャは勢いに乗り、のちにオーク族を一つにまとめ上げ、王国を建国したのだ。
つまり、ブダータン王国はダークエルフ族に借りがあった。
密書を受け取った父ペジャは、すぐさま軍勢をダークエルフ族の闇の森に派遣。
その数、五万。この数はブダータン王国の全兵力の実に三分の二にあたる。父は(くどいようだけどぼくの本当の父ではない)豪快で正真正銘の猪突猛進の猪武者(豚武者?)だが、義理人情は人一倍篤かった(ややこしいが、人という漢字は豚に変換)。
この大援軍のおかげでダークエルフ族は勢いを盛り返し、それまでの戦いで失った闇の森に点在する拠点群を奪還。エルフ、ドワーフ、帝国連合軍を闇の森の圏外まで追い返しなんとか窮地を脱することができた。
それから両軍はにらみ合いを続け、現在戦いは小康状態となっている。
そんな中、今回の婚礼は行われるのだ。
ダークエルフ族とブダータン王国の友好をより深めるための婚礼。まぁいわゆる政略結婚とでも言おうか。
――ただここで疑問。
そもそもオークという種族とダークエルフという種族は生物学的に交わることができるのかということ。つまり、子孫を互いの交わりで誕生させることができるのかということ。
この知識はジョブ・ウガルの脳の中にはない。だからぼくはその件についてのイロハがわからない。
ただ、オークという種族がこの世界でも随一というぐらい好色だということは知っている。
オークは同種族はもちろん、他の種族(それは人類種、エルフ族、ゴブリン族、コボルト族etc…)をも、その・・・・・・その、性交の対象としていることは知っていた。
が、そのさかんな性交のおかげでオーク族は繁殖力が旺盛で、ブダータン王国もこのゲムーリグで最大級の軍勢を誇るに至るのだ。
ぼくの結婚相手のダークエルフの姫君もこの程度の知識は持ち合わせていると考えるのが普通だ。
姫君は今晩の婚礼を今、どういう気持ちで待っているのだろうか?