脱走
いつの間にか寝ていた僕が目を覚ますと、病室のベッドにいた。
病室には僕だけしかおらず、何故か窓も密閉されている。
「……助かったのか?」
あれから平野が救急車でも呼んだのか、僕は死ぬことなく一命を取り留めた。
病室の扉がゆっくりと開く音が聞こえた。
入ってきたのは白衣を着て眼鏡をかけた、いかにも陰湿そうな髪の長い男性だった。
彼はベッドに近づく。
「おやおや、もうお目覚めかい?」
「僕の身体は大丈夫なんですか?」
自分の身体のことが心配で、必死になった。
「えぇ、大丈夫ですよ」
「よかった……」
とりあえずは一安心すると、僕の身体は何かに縛られたようだった。
「何ですか!?」
「黙れよ、低脳イモータルが」
彼の手の指から、五本の紫色に光っているロープが僕を縛りつけた。
完全にやられた、と思った。
イモータルになってしまった僕は、国からは警戒対象になってしまったので、保護されてしまう。
だが彼の様子もおかしかった。
一般人が手からロープなんて出るはずがない。
勘の良い僕はすぐに分かった。
「もしかしてお前も……」
「ククク、そうだ。俺もイモータルなんだよ」
彼は不気味な笑みを浮かべ、僕を縛り続けた。
「やっぱりか」
「だが、ただのイモータルじゃぁない。俺は上級イモータルだ。お前みたいな庶民と一緒にしてもらっちゃ困る」
「上級イモータル?」
「んだけつえーってことだよ!」
「がはっ!」
縛りつけていたロープがますますきつく縛られる。
呼吸が出来ないほどの苦しさに、どうしようもないほど痛い。
死なない身体にとって、死にそうになるほどの苦痛は無限に続くかのようだ。
「苦しいかぁ?」
「やめ……ろ……」
彼は感じ悪く笑い、まるで僕が痛がっているのを楽しんでいるようだった。
ロープは徐々に首元まで来てしまった。
「ぐっ……」
本当に死んでしまうんじゃないか、というくらいに苦しく、痛かった。
「やめ……ろ……!」
必死に抵抗するも、何の力も目覚めていない力不足な僕では、もちろん彼の能力を打ち破ることは出来なかった。
「あん? このグレイ・ファルス様に逆らうのか?」
「誰……だよ……」
「ちっ、知らねーのかよ。Bランクイモータル最強と恐れられたグレイ・ファルスとは俺のことだー!」
「しら……ないな……」
「だったら教えてやるよ」
「ぎゃぁー!」
ロープはどんどん、僕の身体を喰らうかのようにきつくなっていく。
痛い、苦しい、痛い、苦しい、痛い、苦しい、痛い、苦しい。
その感情だけが僕の心を蝕んでいった。
「もう……駄目なの……かな……」
「はっ! ようやく諦めたか」
僕の目からは自然と涙が出ていた。
何もない僕では、こいつに勝つのは不可能だと身を染みて感じたからだ。
死ぬことがないイモータルは、厳重に管理されて様々な実験が行われる。
どこまでの高温なら死なないのか? 逆に低音なら死なないのか? どれだけの重力に押し潰されれば死ぬのか?
もっと最悪な未来が僕を待っている。
「……嫌……だな」
その時だった。
「なんだ、これは!?」
僕の身体は黄緑色に光りだし、ロープも溶けてしまうほどの輝きを放っていた。
「ぐっ……あ……!」
光はグレイの目まで直撃し、目を瞑らないと耐え切れないほどであった。
グレイが無防備の間に、すぐさま僕はあと少しで呼吸困難に陥るところだったが、なんとか体内に酸素を送り込むことができた。
僕はその足で病室から出ようと、扉まで全力疾走で向かった。
「ま……て……」
グレイが腕を掴もうとしてきたが、疾風の如く走っていた僕を捕まえることは出来なかった。
扉を開け、廊下で走ってるいると、一人の水色のパーカーを着てフードをかぶったままの小柄な子が立っていた。
また敵が来たのかと思い、一か八かその子に向かって思いっきり走った。
「一緒に逃げてください」
と女の子の声がした。
パーカーの子だった。
僕は彼女の声を聞いて立ち止まる。
フードを被っているせいか、口元は見えるが目元までははっきりと見えなかった。
「君は何者だ? 味方? それとも敵?」
「今はどっちでもいいです。とりあえず、早く逃げましょう」
「逃げるなら一人で逃げる」
「それは危険すぎます。私と逃げた方が生存率は上がりますよ」
「じゃあ味方ってことか?」
「正確には道を開く者」
「言ってる意味が……」
「とりあえず来てください!」
僕は彼女に強引に腕を掴まれた後に、前に向かって走った。
「ワープ」
彼女の声で、目の前に大きな円型の異空間にでも飛ばされそうなオーラが現れた。
二人はオーラに思いっきり入った。
それから僕の意識は消えてしまった。
不思議な感覚がした。
頭の中で渦巻きがぐるぐると回っているように、何度も頭痛がする。
それもほんの一瞬の出来事で、痛みが治るまでの時間はさほどかからなかった。
「起きてください!」
可愛らしい女の子の声で目が覚める。
もしも場所が僕の家で、この声が付き合っている彼女の声だったら最高のお目覚めなのに。
残念ながら、僕には彼女はいないし、ここも家ではない。
来たこともない、よくわからない場所。
目を覚ますと彼女は一気に肩の力を抜いて、安心したような表情だった。
「ここはどこだ?」
僕は周りを見渡しながら聞いた。
辺りには無数の建物が並んでおり、人もそれなりにいる。
少なくとも、現実の世界でないことは分かった。
現実世界の住人の顔がドラゴンなわけないし、エルフのように耳が長いわけでもない。
まるで、異世界にでも来たかのようだった。
彼女はくすっと優しく笑い、被っていたフードを脱いだ。
艶のある黒髪ショートに、可愛らしい童顔の少女であった。
「ここはイモータルしかいない世界なんです。通称イモータルの国と呼ばれています」
「……え?」
まさか現実世界とは別に、イモータル限定の世界があったなんて驚きだ。
「私の名前はムーン・ミナーと申します。貴方の名前は?」
「僕は……えっと……あれ?」
おかしい。
この世界に転移するまでの記憶は薄らとだが残っているのに、自分の名前がどうしても思い出せない。
「まだ名前をつけられてないんですね」
「どういうことだ?」
「イモータルになった人間は前の名前を忘れてしまうんです。実感が湧かないかも知れませんが、イモータルは転生者なんです。なので貴方はもう、人間ではないのです」
「……転生者?」
「はい。今回は特別に私が名前をつけてあげます。転生して、二十四時間以内につけないと死んでしまいますからね」
「イモータルは不死身のはずじゃないのか?」
「いえ、イモータルだって寿命はありますし、ルールだってあります。それを守った上で不死身の身体があるんです」
「そうだったのか」
僕はルーンの話を聞いた時に意外だと思った。
イモータルにも、死が訪れる日が来ることが驚きだった。
「普通は名前は指名屋がつけるんですけどね」
「なんだ、それは?」
「他者に名前をつけて力を授ける指名屋、イモータルになった人間をイモータルの国に導く案内屋。ちなみに私は後者です」
「だから僕をこの世界に誘ったのか?」
「そういうことです!」
イモータルの世界にも、職業のように役割があるのか。
ムーンは僕に命名するために、真剣に悩んでいた。
「でもいいのか? 指名屋じゃない人が名前をつけても」
「いいですよ。指名屋は私の姉貴ですから、許してくれるはずです。あと実は、私も昔は指名屋だったので」
「ならいいが……」
ムーンは考え込んだ末に「決まりました!」と叫んだ。
「フィル・ミナーなんてどうですか?」
「いい名前だ」
僕はフィル・ミナーとして第二の人生が始まった。
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