冬木と柊 2
「で、そういうあなたはどちらさま?三年生じゃないわよね?」
「…一年二組の川名 愛実です」
大正解。さすが私。
髭があったらぴくぴく動いたかもしれない。生憎、ただの人間なので、けだるげな昼下がりの猫を装って微笑むに留まった。
「川名さん、私にどんな用?」
年下の少女は一度目を逸らしたが、覚悟を決めたようにもう一度私と目を合わせた。
「冬木さんは、柊 一先輩とどういう関係なんですか」
「………」
私は口を閉ざしたままだった。
と、いうか―――見たまま赤の他人だっつーの。大体、テメーの知ったことか。
そんな具合に、一瞬の沸点を通過して、一気に氷結していた。
吐き出したい言葉を無理矢理押しとどめて、口の中でアメのように転がす。舌の上で軟らかくなり形が変わった頃に、ゆっくり唇を開いた。
「血は繋がってないわよ?」
「知ってますよッ!」
姫猫の顔にてんめーざけんなと書いてある。漫画だったら青筋が浮く表情だ。
が、狭い図書室で声を張り上げる愚を悟ったのか、カウンターをものすごく気にした後、再びトーンを落とした。
姫猫も雌ライオンは起こしたくないらしい。末端の一年生をすでに怯えさせているってどんだけ恐怖政治なんだ、あの人…。
「―――冬木さん。意味、分かってるんでしょう。はぐらかさないでください」
「はぐらかすって、それだけ知ってれば十分じゃない。どうして私があなたにそんな質問されなくちゃいけないの?答える義務があるのかしら」
「義務って…それは」
たじろぐ様子を、内心ニヤニヤしながら観賞する私。
さて、そろそろ次のステップに移ってもいいだろう。
ふうっと溜息をついて、会話に飽きたことを強調する。そして、追い払う為の前振りのように殊更冷たく聞くのだ。
「あなた、柊君の何?お友達?」
「わ、私はっ」
追い払われたくない姫猫は急いで答えようとするが、答えられては困る。だって、答える前に追い詰めないと。
「あ、ひょっとして彼の恋人なのかしら?」
「え」
不意に気がついた、そんな都合のいい演出に姫猫は躓いた。彼女が戸惑った一秒に、私は肘をつくのをやめ、姿勢を相手の正面に修正する。
そう。今までいい加減にあしらっていた下級生に対し、本気で向き合う構えを作ってあげるのだ。なんて親切なセンパイだろう。感動してくれてかまわない。
「恋人なら彼の周囲が気になるのも理解できるわ。そうなんでしょう、川名さん?」
「わ、たしは…」
姫猫の表情筋は強張って使い物にならない。
その奥に、葛藤が透けて見えた。
恋人ですっていってしまえばいい。いや、いいのだろうか。“私”は恋人じゃない。でも、この場だけ恋人のフリをすれば、“この人”は知りたいこと以上に話してくれそうだ。いいじゃない、今だけなんだから―――。
もつれ合う彼女の葛と藤は、とても分かりやすい。ちょっと考えれば、嘘をつく意味の無さに気づくはずだが、追い詰められた女の子はその“ちょっと”に気づけないものだ。
だから私は、他人の恋愛話をおやつにしているオンナノコの仮面でゆったりと待ち構える。
きっと、しっぽがあったら拍子をとっている。墜ちてくる獲物を前に、右に左にゆらりゆらり。
けれど、彼女は堕ちなかった。
川名愛実は唇を噛んで、私を改めて睨んだ。敵意ではなく、悔しさと恥じらいを滲ませた目で。
「私は、柊先輩と同じ部の後輩です……柊先輩の、彼女じゃありません……」
「ふうん、そうなの?」
本来返されるべき答が返ってきただけだ。落胆こそしても、驚くには値しない。
ただ、そんな当たり前が少しだけしみた。
視線で切り裂いたみたいにそこが熱いのを、興ざめした表情で気づかないふりをする。
「なら、あなたの質問には答えられないわ。分かるでしょう?」
「…失礼します」
頷きこそしなかったものの、踵を返す足は潔い。遠ざかると一年生の青い内履きが目立つ。
冷めた態度でやり過ごすつもりが、目が勝手に彼女を追いかけていた。
羞恥心、いや、良心とプライドによって決然と立ち去る背中を、ただ出口まで見送るだけだといいきかせて。
「―――ねえ。ちょっと待ってもらえる、川名さん」
結局、呼び止めてしまった。
私を睨みつけた目があまりにきれいだったのだから、仕方ない。
猫っていうのは、気まぐれで動いてしまうものなのだ。