冬木と柊 13
川名愛実が見せた表情は、私が想像した内のどれでもなかった。
最初に浮かんだ憤りは短く、唇をきゅっと噛んでこちらに向けられた感情は困惑に起因する苛立ちと疲労感が優先したものだ。それを証明するように、言葉より溜息が先行する。
「……冬木先輩、どういうつもりなんですか」
「どうって?」
「わざと怒らせようとしてますよね?」
素晴らしい洞察力、といいたいところだが、二回目の接触なのでそこまでいったら褒めすぎだろう。
「そうかしら?」
「意地が悪い質問ばかりしてれば、悪意的に取られても仕方ないと思いますけど?」
「単なる親切心で確認してるのよ、だって、川名さんがもう気にならないのなら、これ以上話したって無意味でしょう?」
疑問に擬態した攻撃の応酬。滲んだ敵意は、憎しみには遠く、しかし、親愛とは絶縁している。
川名愛実という人物は、本当に私の好むタイプだ。ただ、友人関係を築いた者たちとは異なり、友達になりたいとは思わない。
そう。強いていえば、私は、彼女とはほどほどに非友好的な関係でありたいのだ。そうでなければ、惜しむことなく親切ぶって、甘い言葉を囁いて、さっさと「頼りになる先輩」の地位を確保しにかかっている。
彼女に徹底的に嫌われたいわけではない。最低限度の歩み寄りができる余地は残しておく。ただ、苦手意識と戦闘本能をしっかり刷り込んでおけば、あとは、顔を合わせるたびむっとして、会話すれば噛み付いてくるという、理想的な間柄になれるはず。
おかしいだろうか。好ましい人物を敵に置きたいなんて。
でも、私を嫌っている彼女に無理矢理好かれたってつまらない。居心地の良い敵対関係であったほうがずっと面白い。
もしも、敵のいない存在を最強と呼ぶのならば、私は最弱でいい。
弱いまま、全てを俯瞰し、時に睥睨し、時に愛でる。敵対するものが排除されただけの楽園に興味はない。私が好きなもの嫌いなもの、私を嫌うもの好むものが、同時に存在できることに意味があるのだ。だから、いつまでたっても理想郷にはほど遠く、現実は決して楽園ではない。
滑稽な話だ。
私は、自分自身が整然としている状態を好み、周りから見た己さえ律しているというのに、この身が立つ世界は混沌としていることを望んでやまない。
歪んでいるのは性格ではない。
人としての受け皿が、他人よりも歪なだけ。
いつまでたっても笑顔を崩さない私を見て、川名嬢は投げやりに答えた。
「あなたと話を続けることは不本意ですけど、気になってます。柊先輩にははっきりと答をもらえませんでしたから。どうせなら、最後まですっきりしたいです」
笑って遠まわしに拒絶されたのだろうか。あの陰険男のやりそうな話だ。
「いっておくけど、イチは去年までちゃんと恋人がいたのよ。今年はいないけど」
「え?」
「春が来るまでに別れちゃうの。中学の時からずっと、そう」
ここで、意味深に笑いながら相手を見る。察した彼女は、たちまち警戒心でいっぱいの顔をした。
「なんですか」
「この話にも興味がありそうだなと思って、ふられた割には」
「……人の傷に塩をすり込んで楽しいですか」
うん、割と。
そんな正直な感想はさておき、おざなりにはならず、けれど白々しさは残るという天才的な匙加減で謝っておく。
「あら。ごめんなさいね?」
「殴りますよ」
血管が切れそうな心境に相応しい台詞だ。
だが、実際にはありえない。
「無理よ。私が好きだとか嫌いだとか、そんなことは関係なく。ふられたことを理由に暴力をふるうなんて、あまりに格好悪いもの。プライドの高いあなたには無理」
しれっと教えてやると、川名愛実は文字通り絶句した。
時間にして十秒強の金縛りから脱すると、彼女は心からの疑問を呈した。
「冬木先輩の頭はどうなってるんですか?」
彼女の頭の中で私の人物像がどうなっているのか気になる台詞だ。
ゼロパーセントの悪意で失礼なことをいう人間は、つっこみにくくて困る。
「…意味わかんないです。なんで、今日、私をここに呼んだんですか」
私にとっては、この時間がすべての理由だ。でも、それについて説明する気はない。
アリスのチェシャ猫を頭に浮かべつつ、うっすら笑った。
「川名さん。そんなに都合よく、欲しいものが与えられると思わないでね?」