第10話 「銀狼と呼ばれた男」 前編
深夜、メイ・アンガーの裏路地を、一人の若い女性が走っていた…いや、正確には追っ手から逃げていた
「ハアッ、ハアッ……な、なんであの人が?」
少しだけ息を整えるために立ち止まり、理不尽な仕打ちを恨みながら、女性は呟く、が、遠くから足音が聞こえてくると、彼女は顔を真っ青にして再び走り始めた
だが、半刻もしないうちに彼女は袋小路に追い詰められてしまった。
「いやっ! お願い止めて! ……一体あなたは何者なの?」
追っ手は何も答えなかった、フードを目深に被ったその人物は、彼女に向かって返事の代わりにニヤリと不気味な笑顔を向けた……
一夜明けて、朝の「竜の遠吠え亭」に一人の客が現れた、上下の紺色を基調とした衣服には革製の胸当てとズボンにはこれまた革製の膝当てが付いていた、動きやすそうな革の靴を履いた、銀髪長身の中年はカウンターに真っ直ぐ向かっていった、カウンター席に座ると男は
「よう、旦那、エールを一杯……後なんか適当につまむものをくれ」
と、通い慣れた常連客のような注文をする
ヴァイスハイトは返事の代わりにジョッキに一杯、エールを注ぎ男の前に置くと奥に引っ込む、入れ替わるようにレベッカがその男に話しかけた
「朝っぱらから飲むなんて、らしくないねえ……仕事に差し支えるんじゃないの?」
「ハッ、飲まなきゃやってられねえよ」
「ふーん、【銀狼】と呼ばれたブラッド・パイソンもお手上げって事かい?」
ブラッドは一瞬レベッカを鋭く睨みつけるが、直ぐに元の顔に戻りエール酒をあおる
「おいおい、一体いつの話だ、……だいたいそりゃ『人魔戦争』の時の異名だろ、アンタと同じで引退した今の俺は新聞社「デイ・クロニクル」の社長だぜ?」
「その社長が朝っぱらから酒とか……不健康極まりないねえ」
そういうレベッカに
「ライバル新聞社の出現、それに今回の件、どっかでストレスを発散しないと身体が持たねえよ」
とブラッドの言葉に、いつの間にか料理が乗った皿とお替わりのエールを持って戻ってきたヴァイスハイトが皿を置いた後
「そんなに運動不足なら俺が相手をしてやろうか? いろいろと借りを返しておきたいからなあ……」
エールをドン! と置いてヴァイスハイトは不敵に笑う
「ハッ! 大戦に大敗して最後の最後、ケツに火が付いて城から尻尾まいて逃げて、そのくせ俺の部下に捕捉された間抜けがか? 冗談だろ?」
と煽るブラッド
「俺の眷族達との戦いで満身創痍になってロクに身動きが取れなかった男が、相変わらず口だけは達者だな」
煽り返すヴァイスハイト
「お前と違って頭が回るんでね、逃げたお前の位置を把握することぐらいは出来るんだよ脳無しが」
とブラッドが返すと
「アタマしか回さないから体が直ぐにくたばるんだよ、軟弱者め」
顔を突き合わせれば、お互いに煽り、罵りあう「竜の遠吠え亭」ではいつもの光景
だが今回は違った、ふう、とため息を吐くとブラッドは頭を掻いて
「まあ、正直なところ今回ばかりは参ったよ、どうしたもんかねぇ……」
と俯いてしまった
「ありゃ、これは本格的にヤバイねぇ、そんなに状況は悪いのかい?」
とレベッカが聞くと、ブラッドは鞄から新聞を取り出し、広げて見せた、それはブラッドの新聞社の物ではなくライバルのモーニング・サン・クロニクル新聞社のものだった
見出しは『また深夜に発生、連続婦女暴行事件の犯人は何者か?』と書かれていた
「ああ、この事件か、ギルドにも依頼が来てたけど、引き受けてくれる冒険者がなかなか居なくてねえ」
とレベッカが困った顔をした
「ブラッド、犯人の目星くらいはついたのか? もう最初の被害者が出てから三週間もたっているのに、新聞の記事は事件の発生くらいしか書かれてなかったぞ?」
とヴァイスハイトもブラッドに問いかける
ブラッドは最初のエールを飲み干すと
「こっちも色々調べたんだが、表に出せない情報が多すぎてなあ、……すまんが、ここだけの話にしておいてくれるか?」
「まあ、あんたがそうしたいんなら別にいいけど」
「俺もレベッカに同意だ、詳しい話を聞かせてくれないか」
二人の了承を得ると、ブラッドは鞄から一つの「指輪」を取り出して、カウンターの上に置いた
「これが今、うちらがピンチになっている原因のひとつさ」
指輪には赤い宝石が埋め込まれており、造りはシンプルなものだった。
「この指輪は? 宝石が付いているにしては、なんか暗い気がするけど」
レベッカの疑問にヴァイスハイトが答える
「レベッカ、こいつはマジックアイテムだ、ただし本来この宝石にあるはずの魔力が一切感じられんが」
ヴァイスハイトの発言にブラッドが頷く
「そうさ、旦那の言う通りこいつはマジックアイテムさ、その効果は【変身】、指輪を付けた者が一度でも見た者なら、何にでも変身できるアイテムさ、複数回使用可能だが変身の効果持続時間が1日、だが魔力を使い切るまでは何回でも使用可能だ」
「へぇ、凄いねえ! あ、でも魔法屋には売ってないよねコレ」
「当たり前だ、こいつは《盗賊ギルド》の組織内でしか流通していない、こんな扱いが危険なものをおいそれと一般流通に乗せれないだろ、しかも所持できるのは幹部級の奴らだけなんだからな」
というブラッドの発言にヴァイスハイトは
「ん? 確か盗賊ギルドは今、別の組織名を名乗っていたはずだが?」
と言うとブラッドの顔が一気に暗くなる
「ああ、今盗賊ギルドは「新聞社」という組織名を名乗っている、で……ここからが本題だ」
そう言って鞄からもう一つ指輪を取り出し、カウンターに置いた、造りは先ほどの指輪とそっくりだったが、宝石の色が青かった、そして鞄からもう一部新聞を取り出して広げて見せた、先程と同じモーニング・サン・クロニクル社のものだが、見出しにはこう書かれていた
『事件の背後にデイ・クロニクル社の影? 犯人は関係者か?』
-記者が王国内務大臣の関係者から聞いた話によると、ここの所、デイ・クロニクルの社員が不審人物と数度にわたって接触している、との情報を得た、また被害者の多くは飲食店に勤めており、また不審な人物も事件の数日前に被害者の務める店に出入りしていたという目撃証言もあり、そして被害者の多くが帰宅途中で襲われたとの証言があったと捜査関係者からの発表がありました、いずれの飲食店もデイ・クロニクル新聞社の定期購読契約を結んでおり社員の出入りも頻繁にある為、今後はデイ・クロニクル社にも取材を行い、同社の疑惑を追及していくことになるだろう
「おかげでウチの新聞の売り上げはガタ落ち、会社の外には連中の記者共が待ち構えて、末端の社員にまで取材と称してしつこくついてきやがる、今俺にも記者が張り付いてる、後ろのテーブルで酒飲んでるアイツだよ」と二人に視線を促す、その先のテーブルには確かに一人で酒を飲んでいる革鎧を着た男がいた、つまみも頼まず酒だけ飲んでいるので、割と目立っていた
「おい……あんな間抜けにつけられているのか、お前なら撒くことぐらい訳ないだろ」
「駄目だ、撒いたら返って疑惑を深めることになる、『やっぱり何かあるんだな』とか思われるのも癪だしな」
といってつまみを一つ口に放り込む
「そういや、ここにも連中が新聞の契約を進めに来ただろ? 何故うちとの定期購読を切らなかったんだ?」
ブラッドのその問いにヴァイスハイトは
「情報としての正確性、そして社員の品格、客単価を考慮した結果だとレベッカは言っていたぞ、まあ俺も同意見だが」
その言葉にレベッカも頷き
「そういうこと、あんな得体のしれないぽっと出の新聞なんか取ったらそれこそウチの信用にかかわるよ、それはそうとその指輪チョット貸してくれない?」
というレベッカにブラッドは
「ああ、まあ触る分には構わんが、壊すなよ」
というと
「大丈夫、指輪だからちょっと気になっただけさ壊しやしないよ」
そう言ってレベッカは青い宝石の填められた指輪を手に取る、そして指にはめようとするが、サイズが合わない、どうやらこの指輪は男性が身に着けるもののようだ、レベッカは指輪を置くと
「この指輪、男がつけるやつなんだね、これもマジックアイテムなんだろ?」
というレベッカの問いにブラッドは
「ああ、さっき見せた赤い宝石の指輪と同じ効果がある、だがそいつはウチのじゃない」
「というと? この粗悪品はライバルのモーニング・サン・クロニクルの物か?」
というヴァイスハイトの発言にブラッドの口角が僅かに上がる
「一目で見破ったか、確かにコイツは粗悪品さ、知り合いの魔法使いに鑑定してもらったが対象の姿を覚えこませるのに数日かかるらしい、結果として頻繁に出入りしなきゃならんから疑われやすくなる、うちじゃこんなのは使い物にならないよ、にしても旦那は流石だな」
「当たり前だ、俺を誰だと思っている」
「…元魔王ってのは伊達じゃないって事か、因みにこの指輪、何処で見つかったと思う?」
ブラッドの問いに二人は顔を見合わせる
「「まさか!」」
「そう、そのまさかだ、こいつは被害者が襲われた場所、その近くのゴミ箱に捨てられていたんだ」
「おい、それってもしかして、今回の事件の黒幕は」
「いや、たしかに俺も疑ったが、連中の上層部は今回無関係みたいだ」
「え? じゃあなんでデイ・クロニクルを潰そうと記事を掻き立てているんだ?」
「そりゃあ、弱みを見つけりゃあ、そこを叩くのはコッチ《裏》の世界じゃ常識だからな、定期購読契約者の多さが仇になるなんて思いもしないさ」
とそこにレベッカが
「あのさー、よく解んないんだけど、上層部が無関係ってのは何か確証でもあんの?」
という問いにブラッドは
「俺が直接出向いて問いただしたら、指輪を勝手に横流ししたクズがいるので、なんとかしてくれと逆に頼まれてな、捕まえたら名誉回復の記事を書いてもらう、って約束を取り付けた」
「不審者の人相は? それが解らなきゃ意味ないだろ」というヴァイスハイトの問いに
「俺の直属の部下達に張り込ませたら、そのうちの一人が捕捉して人相書きも手に入れたよ」
そういって鞄から人相書きの紙を取り出して二人に見せた、黒髪で肌色、目は細く釣り目、頬がやけにエラが張っている、かなり特徴的な人物だ
「……こいつが、犯人?」というレベッカの問いには
「その疑いが非常に高いってだけだ、犯人だという証拠が無い」
とブラッドは言って残りのつまみを平らげ、お替わりのエール酒を飲み干した
「そこの銀髪の素敵なおじ様、ご注文の追加はいかがですか?」
と、三か月の訓練を経て接客も任されるようになったダークエルフのカルディアがブラッドに話しかけた、カルディアは瞬く間にこの店の看板娘になった、今ではカルディア目当てでやってくる客も多い
「カルディア、こいつはあたしの友人で仲間のブラッドさ」
というレベッカに一瞬カルディアの目つきが鋭くなり
「マスターの、かつての……敵?」と緊迫した空気になりかけたがヴァイスハイトが慌てて
「あ、まてカルディア! もう終わった事だ! それに今はウチの大事な常連客なんだ」
と言うと、カルディアは笑顔に戻り
「そうなんですか!? いつも贔屓にしていただいてありがとうございます!」とお辞儀をした
その様子を見てブラッドは
「……お、おう、これからよろしくな、カルディアちゃん」
と若干動揺しつつ
「じゃ、じゃあ唐揚げ一皿とエールのおかわり貰えるかな」
とカルディアに注文を伝えると
「はい、マスター、唐揚げ一皿とエールおかわりお願いします!」とヴァイスハイトに伝え
「では、ごゆっくりどうぞ」と言ってその場を離れた
レベッカはヴァイスハイトに
「ほら、厨房に行かなくていいのかい?」と嫌味を言うが
「レベッカも知っているだろ、厨房には俺のドッペルゲンガーが居るから心配ないぞ」
と返しそれを聞いてブラッドは
「……何でもありだな、この店は」
と呟いた
店内を忙しく駆け回るカルディア、その姿を観ながら酒を飲んでいる男が居た……男はローブを身にまとい顔はフードによって隠されていた
カルディアの姿を見ながら男は
「デュフッ……いいなあ、今度はあの娘にしようか…ククク」と呟く
その男の手には、青い宝石の付いた指輪があった