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大地とミコ

作者: 葉月太一

大地とミコは、二人の生活の出発点を、二人で築いていきます。

「若すぎる」という親の反対を押し切ってでも、邁進していきます。

結局、披露宴は3回することになります。

でも、そのうちの2回は、紙婚式と綿婚式でした。

  『大地とミコ』


     「謹啓、昨年八月に結婚しました」 

              


              作   葉 月 太 一



  

    第1章   (プロローグ)


 大地とミコは、ルームシェアの時から住んでいる六畳一間の

部屋で案内状を手作りした。大地は、『初顔見世興行乃御報』

を一枚一枚毛筆で書いた。下手な筆字だが心を込めて書いた。


謹啓

  此度、昨年八月に手前勝手に挙式致しました私共(亭主=

  水無月大地・女房=水無月美枝子)の初顔見世興行を致し

  度、ここに御通知申し上げます。

  年寄衆は、披露宴なる誠に有難い画策を致しておるようで

  すが、我々若衆は、年齢制限を昭和二桁生と致しまして興

  を咲かす一夜をと願って居る次第です。

  付きましては、度重なる勝手乍、木戸銭を会費制とさせて

  頂き、御多忙の所誠に恐縮ですが、是非是非御繰合せの上

  御出席戴き度、謹んで御案内申し上げます。

                        謹白


 ミコは封筒の宛名書きをした。二人で、そしてそれぞれで

人選して、招待客は二十人になった。ミコは、二年前に長崎から

上京して来たばかりなので、友達関係で五人にしかならなかった。

中退した美術大学の友達、いま通っている小さい劇団の仲間、

アルバイト先で知り合った友達だった。東京に出て来ている長崎

の高校時代の同級生は、一人しか連絡が取れなかった。

大地は、東京育ちなので中学・高校・大学・演劇学校等で十二人

になった。芝居関係での共通の友達は三人いて、みんなで二十人

になった。

 

 九月に池袋駅東口のレストラン喫茶「青い海」で、一周年の

結婚記念日として「紙婚式(ペーパーウエディング)」を挙げた。

晴れて大地もミコも互いの友人に夫婦として認知された。

ミコはすごく喜んだ。今までは式も入籍も住まいもすっきりして

なかったので、大地は「すまない」という気持ちがいつもあった。

だから、ミコの喜んだ顔は、本当に嬉しかった。

いろいろ言うやつは誰もいない。みんな心から祝ってくれた。

だから、二人は素直に喜べた。特にミコはひとしおだった。

「友達の成せる業だな」と大地は思った。二次会、三次会は池袋

から新宿にまで羽根を伸ばして、はしごして歩いた。

大地は白のスーツ、ミコは白とベージュのアンサンブルで式場か

ら飛び出してきた若いカップルそのもののいでたちだった。

池袋からは電車に乘ったのでかなり目立ったが、二人は恥ずかし

いどころか得意気であった。友達の取り巻きが五人同行だったの

で、勢いもあったのだ。とにかく二人にとっては、晴れ晴れとし

た一日が続いた。二次会が三次会となり、終電車はすでに無く

なっていた。大地の親友の後田が、もう一軒行こうと言った。

長崎の諫早出身のマスターの店、との事だった。

太一とミコも勢いで行くことにした。、、、、、、、。

スナック「いさはや」のマスター沖山が、遠い将来に、大地と

ミコに少なからず影響を与えることになるとは、この時の大地

もミコも知る由もなかった、、、。




     第2章


 大地とミコは有楽町数寄屋橋のソニービルの前で待ち合わせ

をした。二人にとって、初めてのデートである。

ショーウインドウのような大きな水槽なのか、それとも水族館

の大きな水槽のようなショーウインドウの前で、ミコはポカー

ンと口を開けて魚を観ていた。ゆったり遊泳している大きな魚、

群れをなして泳いでいる小さな魚たちを、ひとりで一生懸命観

ていた。水槽の高さは二階以上あったろうか?

そう、田舎から出て来て間もないミコは、驚きのあまり、気持

ちよさそうに泳ぎ回る魚たちの生き生きした姿を、口を開けて

見上げるばかりだった。


「やっぱり、東京ってすごかとね。やっぱり、花の都東京とよ

ね、、、このガラス割れんとやろか?この魚さんたちは、本物

なんかしら?」


と見入っていた。大地を待っているのを忘れるほど見とれていた。


「ごめん、ごめん、待った?」


大地がそばまで来ているのにも気が付かずに見上げたり、ガラス

の水槽ショーウインドウに顔をつけたりしていた。


「うーううん、待ったけど退屈しなかったわ、だって、こんな

 素敵なところを教えてもろうたけん。これ、本当にすごいとね。

 みんな生きているんとよね。生で泳ぎ回ってるとでしょう!」

「そうだよ。池袋のサンシャインの水槽ほどじゃないんだけど、

 外からこうやって見られるってのは、画期的だよね。この水槽

 は、いずれ、アクアなんとかって命名されるみたいだけど、

 今は、数寄屋橋のガラス張りの水槽って言うんだよ。魚がみん

 な生き生きと泳いでいるね。」

「うん、生き生きしとる!楽しそう、それに、おいしそうとね。」

 とミコはつぶやいた。

「えっ、なんて言った?いま、」

「生き生きしとって、おいしそうと言った」

「えー、ほんとうーに?」

「おかしい?だって、アジもイワシもサバも、東京では生で食べ

 れんとよ。でも、ここに泳いでいる魚はみんな生で食べれそう

 よ。長崎ではあおものもみんな生で食べれて当たり前なんよ。」

「そうかー、ミコは生に飢えていたんだ、、、。よかった。」

「なにが?どうして?」

「なにがって、だって、ミコは、この水層で泳いでる魚をジッと

 観て、『おいしそう!』って言ったんだよ。びっくりしたよ。」

「そうなの?」

「ミコは、生に飢えていたんだね。」

「うん、おいしい刺身が食べたいな!」

「少なくとも、東京の人間は、泳いでる魚を観て、『美味しそう!』

 とは言わないね。」

「ふーん、そうなんだあ」


大地は東京育ちで、ミコは長崎生まれの長崎育ちだったのだ。そして

初めてのデートは、何故か、有楽町の数寄屋橋をミコが指定した。

それなら、ソニービルの水槽が解り易いだろうと大地が場所を決めた

のだった。さしずめ、初デートの場所としては成功だった。

ミコが喜んでくれたのが、太一にとってはすごく嬉しかった。


「花の銀座、何処へ行ってみたい?銀座四丁目交差点を起点として

 かな?それとも反対側へ行こうか?」

「反対側って?」

「日比谷公園の方さ、そう、芝居関係なら、皇居のお堀端近くに

 帝国劇場、日比谷公園の方に行って、日生劇場や東京宝塚、

 今日は芝居の券を持ってないから、劇場関係は外から見るだけだ

 けど、その後は、日比谷野外音楽堂のベンチに腰掛けるってのは

 どうかな?」

「そうね、お上りさんじゃないんだから、四丁目交差点の三愛など

 は、きょうはよかけんね。反対側の散策の方がロマンチックね。

 そっちがよか。」


ミコは東京に来て一年になる。役者志望なので、訛りもなくきれ

いに標準語を話せるようになってきたが、やはり、時々方言も出

たり、なまったりもする。しかし、大地は二人が一緒の時は敢え

て直してやったりはしない。それどころか、大地も進んで方言を

駆使したりする。その方が二人は打ち解けあえるからだ。

ミコが時々標準語辞典(アクセント辞典)を持ち出すときがある

が、その時は、つき合うこともある。その時ぐらいである。

一緒に発音したり、文章を読んであげたりするのは。ミコは役者

志望なので、アクセントや訛りを気にしているのは分かるが、

二人だけの時は、方言も訛りも丸出しでいい。

裃を着た様な話はしたくない、と言って二人で決めた。


「ごめん、ミコの『よか』って、どっちだっけ?良い方だっけ?

 だめなほうだっけ?」

「日比谷方面の方に行きたかと、です。」

「よっしゃ、日比谷の方に行こか!」

「ちょっと待って、、、、」


ミコは、また水槽を楽しそうに眺めた。そしてにこにこした顔で

大地に、こう約束した。


「水無月さん、今度私が東京のイワシの刺身を食べさしてあげる

けんね。楽しみにしといてね。」


ふたりは踵を返してJR有楽町駅の方に戻った。

ドラッグストアーのマツモトキヨシの前を通って、銀座口から

日比谷口に出ると、


「エッ、この辺も銀座なの?」

「こっちの方は、東京丸の内のオフィス街の流れだね。華やかな

 銀座とは一寸違うね。」

「ふうーん、こんなビル街に、劇場があるんけ?」

「真直ぐ行けば、皇居のお堀だよ。そこを右に曲がったところに、

 帝国劇場があるよ。」


ふたりはお堀に向かって歩いた。更に真直ぐ行けば桜田門に至るが、

ミコは興味がなかろうと思い右に曲がって帝国劇場に向かった。

歩きながら、途中でミコは大地に尋ねた。


「初めてのデートなんだけど、、、初めてのデートだからかなー、

 、、お願いというか、、、なんて言うんかなー、、、」

「何?なんか言った?聞こえないよ。」

「あのですねー、、、何ですねー、、、、、」

「ミコ、もう、帝国劇場が見えてきたぞ、なんか言いたいことが

 あったら早く言えよ、歩きながらよりも、着いてからの方が良い

 かな。」

「歩きながらがよかとです」

「よか?どっちのよかだっけ?」

「あたし、、、水無月さんて言いずらかと。名字でなく名前で

 いいたかと、、、折角のデートなのに、、水無月さんじゃない

 方がよかと、、、」

「なーんだ、そんなことか、僕もその方が良いね。僕も、武田さん

 とか美枝子さんじゃなく、ミコって呼んでるんだからね。

 じゃ、何て呼ぶ?」

「解らへん。夕べ、一生懸命考えたんだけど決まらなかった。、

 、、だから、、、、お友達はなんて呼ぶの?」

「そうねー、ダイちゃんかな?ただダイって言うやつもいるよ。

 そう、たいてい、男の奴は、ダイチって呼び捨てだね。、

 親友はダイチって言ってるね。ミコはどれがいいやすいかな?

 ダっちんでもいいよ。」

「ううん、私もダイチって呼ぼうかな、呼び捨てみたいだけど、

 よかとですかあ?」

「よかよ、よかぞー」

「わあー、帝国劇場だー、ダイチ、中を見よか!立派だわねー、

 さすが、大劇場ねー、いつか、ダイチとここで演りたいな―!」


ミコはダイチとスラスラと言えていた。大地って案外言いずらい、

とよく言われた。それに年下の娘が年上の男を呼び捨てにするの

は結構抵抗があるはずなのに、ミコはダイチとスラスラと言えた。

「夕べだいぶ練習したんじゃないかな?」と太一は思った。

何気ない顔をしているミコを、太一は微笑ましくもあり嬉しくも

あった。


「ダイチ、やっぱり帝国劇場ってよかね。」


サラッと呼び捨てにして自然体である。


「そうだね。ミコが喜んでくれてよかったよ、実は黙ってたけど、

 四丁目の先には歌舞伎座もあったんでね、どっちにしようかと

 迷ったんだよ。」

「歌舞伎座の事は知ってたよ。でも四丁目の方は『よか』と思っ

 てたのよ。」


大地は、この「よか」はどっちの「よか」かな?間違いなく要ら

ない方の「よか」だ。


「だって、ダイチ、こっちの方は、まだ大劇場があるんだよね。

日生劇場と東京宝塚、それに日比谷映画劇場もあるんよね。」


大地は、カタカナのダイチはまだ耳慣れないが、心地よかった。


「うん、確かに、でも、日比谷映画をよう知っとったね。」


帝国劇場は、1911年に「近代日本」のフラッグシップとして誕生。

そして、1966年には装いを新たに、新生「帝劇」の誕生でした。

帝国劇場は1923年の関東大震災で焼失し、その後復興したが勢い

を取り戻せなかった。戦後も帝劇ミュージカルが目立つ程度で

1964年に閉鎖した。二年後、1831人の客席と最新の舞台装置を

備えた「新帝国劇場」が建設された。

「新帝劇」が開場された時は、世界で初めて舞台化された「風と

共に去り」を上演し、その後は、「屋根の上のヴァイオリン弾き」

「ラ・マンチャの男」や「レ・ミゼラブル」と輸入ミュージカル

路線が続いていく。

帝国劇場の今日の演目は、「マリー・アントワネット」だった。

ミコは切符売り場に行って、びっくりして戻ってきた。


「ダイチ、知っていた?入場料の事。さすが天下の帝劇ですね。

 入場料がバカ高いとね。新宿や池袋の小劇場の方がよかね」

「僕らには高すぎて今は見れないけど、、、ミコもいつかはこの

 舞台に立ちたいって、思うようになるんじゃないかな。」

「そうかなー、そうはならないと思う。もともと私は、どちらか

 というと裏方志望なんよ。それに、この帝劇は商業主義でしょ

 う。私たちは、アバンギャルドよ。ダイチもそうでしょう?

 そうとよね。私は、プロレタリアートよ」

「ミコが、商業主義なんて言葉を使うとは思わなかった。

 びっくりだね、、、これから行く日生劇場や東京宝塚は、行く

 のを止めようか?新宿か池袋の小劇場にしようか?」

「そげん言わないで、折角有楽町に来たとよ。ダイチの提案よ。

 日生劇場も東京宝塚もみたかとよ。」

「そうか、そうだね。」


二人は、帝国劇場には入れないので、地下1階のレストラン街に

降りて行った。丸亀製麺があった。ミコはにこにこして


「讃岐うどんがある!東京は蕎麦屋さんにうどんがあるとよね。

 長崎は、うどん屋さんにそばがあるんとよ。ダイチ、知らな

 かったでしょう。」

「?」


大地は、ミコが何を言ってるのかが解らなかった。

それを察したミコは得意げに説明した。


「ダイチ、長崎には蕎麦屋さんはないとよ。全然ないとは言わん

 けど、うどん屋さんが百軒あったら、蕎麦屋さんは三軒ぐらい

 ね。だから、長崎で蕎麦を食べようと思ったら、うどん屋さん

 に行くしかないとよ。」

「ほんとかなー。蕎麦屋が無くって、うどん屋ばっかりだなんて、

 、、。東京では、うどん屋の看板なんて皆無に近いね。

 長崎って、おかしいな、、、」


大地は、ほんとうは「長崎は日本じゃない」と言いたかったが、

田舎蔑視にとられそうなので言うのをやめた。そう、言うのを

やめてよかった。何故なら、ミコは自慢げにこういった。


「東京のうどんも蕎麦も汁がいやとね。しょっぱいしどす黒か

 とね。長崎とは、全然違うとね」


大地は郷土愛の入った食べ物談義はやめようと思った。

誰しも何かのことで郷土愛が頭をもたげると、やけにムキになる

からだ。互いにムキになった挙句は、喧嘩になったり、無口に

なったりするからだ。両方とも口を利かなくなる。

幸い、丸亀製麺は四国なので良かった。東京は、、、とか、

九州は、、、とかと言わずに済んだから、さっきの「汁について

の談義」はいつの間にか話題から消えた。二人は、素うどんを頼

んで、大地ははトッピングに野菜かき揚げを頼んだ。、ミコは

えび天をのせた。東京のお堀端での丸亀製麺という「うどん屋」

さんは、場所のわりにはリーズナブルで、二人にとっては、値段

も味も満足のいくものだった。


「日生劇場の方に行ってみようか。そう、歩いて10分ぐらいかな。

恐らく劇団四季のアンチゴーネをやってると思うよ。」

「うん、すぐ行こう!」


二人はさっき来た道をUターンして、日比谷公園の方に歩いて

行った。道すがら、大地は気になっていたのでミコに言った。


「さっきのおつゆ、薄かったね。」

「えっ、なんで?」

「色がなかったね。醤油は入ってたんだろうか?なんか、塩だけ

 だったようだね」

「ダイチの味覚はおかしかとね。あれは薄口醤油を使っているん

 よ。昆布や鰹節でちゃんと出汁もとっとるとよ。だから言っ

 たでしょう、西の方では、うどんや蕎麦にどす黒い醤油なんか

 使わないって。」

「どす黒いはないだろう、せめて色の濃い醤油って言ってくれよ。

 どす黒いだと、なにか汚く感じるだろう。」

「どす黒いは、どす黒いとよ。その方がわかりやすかと。」


大地は思った。やはり、郷土愛が入る食べ物談義はやめるべき

だったと。しかし自分で言い出したんだから、負けは認めたく

ないので、無言の抵抗でこの話はおさめた。

日生劇場では、劇団四季のアンチゴーネをやっていた。


「アンチゴーネはダイチの好きな加賀まりこさんなんよね?」

「いや、彼女は去年六本木の小劇場でやっていたけど、今度は違う

 みたい。ダブルキャストかどうか、浅利慶太のお気に入りの新人

 らしいけどね、名前は知らないけど、行ってみればわかるよ。」


大地は、話題はこっちの方が良いと思った。食べ物談義も大事だし、

それなりの意義もあるけど、地元愛が入りやすい。それに比べて演

劇談義は、ほとんど地元愛とは無縁だ。だから、変に競争したりし

ない。若い二人のコミュニケーションには、競争は不要である。

日生劇場に着いてみたら、


「やっぱり、アンチゴーネは加賀まり子さんとよ。私の言った通り

 とね」


何故かミコは誇らしげに言った。大地は、ここにも競争があったん

だろうか?と思ってしまった。


「ミコは、結構、勝ち気なんだ!」




    第3章



大地とミコは、練馬区の石神井公園前で同棲していた。大地は

二十三才、ミコは二十二歳だった。二人は、芝居と学校とアルバ

イトの毎日だった。ミコは大地と付き合う前に、すでに美術学校を

中退していた。親の仕送りが無くなった為だったが、大地には話し

ていなかった。


新学期が始まった四月の中頃、ミコは大地に相談した。


「アパートを引っ越そうかと思うとよ」

「そう、どうして?」

「安いアパートにするか、アルバイトを変えないと、、、」


とだけ言った。仕送りの事は何も言わなかった。だから、ミコの

仕送りが無くなったことを大地は知らなかったけど、


「そんなら、うちに来いよ」


とサラッと言った。ミコはきょとんとしていた。


「実はさ、気付いていたかどうかわからないけど、僕は夜中働いて

 いるんだよ。夕方五時頃出て行って、次の日の朝、地下鉄の始発で

 帰ってくるんだ。だから、家に着くのは電車を乗り換えて、そして

 駅から歩いてと、、、六時頃かな。つまり、夜中は家にはいないん

 だよ。どうだい、うちに来てみては?」

「それって、同棲するって事なの?」

「違うよ、シェアするっていうの。部屋をシェアする、つまり、

 一部屋を二人で有効に分かち合うってこと」


ミコは、なるほど、と思ったがスッキリしなかった。大地は、ルーム

シェアの事について丁寧に続けた。


「僕は、夕方の五時か六時頃仕事に出ていく。そして次の日の朝まで

 帰ってこない。ミコは、学校やアルバイトや芝居で、恐らく夜の七時

 過ぎに帰ってくる。そして寝る。疲れているから、キュー、バタン。

 勿論僕はいない。差し支えなかったら、僕のベッドを使っても、僕は

 構わない。部屋は狭いんだからその方がいいと思う。僕が六時過ぎ

 寝に帰ってくる頃は、ミコは学校かアルバイトで家を出ていく。そして

 僕は家で寝る。つまり二人で一つの部屋を有効に使えるって訳、解った?」


ミコはなるほどと思った。何せ、親からお金を絶たれたという、焦りも

あったからだろうか?でも、何か不安だった。大地は、自分の提案はまん

ざらでもないと思っていた。ミコの心配を少しでも和らげてやれると思う

と、嬉しかった。暫く考えてミコは言った。


「ダイチには、どこまで言っていいのかわからんけど、、、、仕送りの事

 なんだけど、、、」

「よかさ、話さんね。」


最近は、大地もミコに合わせて長崎弁を混ぜて話したりすると、ミコも

話しやすくなるようだ。


「仕送りの事なんだけど、、、父ちゃんの会社が倒産したらしい、、、

 この前手紙があって、学費も無理みたいなの、、、、」


大地はびっくりした。寂しそうに悲しそうに話し出したミコを見ていて、

軽い気持ちで言い出した自分の提案を引っ込めようと思った。


「帰ろかな、、、田舎へ、、、」


ミコは寂しそうに言った。大地は何とも言えなかった。

黙ってブランコを漕いでいた。空を見上げるようにしてゆっくり漕いだ。

ミコは、隣でうつむき加減に自分の足を見ながらやはりゆっくり漕いだ。

しばらくして、ミコは決心したようにして、ブランコから降りて、

大地に言った。


「水無月さん、よろしくお願いします。、、、ルームシェアの件、、、

 よろしくお願いします。」


ミコも改まると、大地を水無月さんと他人行儀である。


「エツ、うん、、、、、いいよ、、、、」

「よかとー!ほんとに、よ・か・とですか!」


ミコは、何か吹っ切れたようだったが、大地の方が、何か、もやっ

としていた。何故か、スッキリしていなかった。



 劇団の合宿の最終日の夜中に、大地は電気スタンドを布団の中に

持ち込んで、政治学の本を一生懸命読んでいた。皆が寝静まった

後に、ゴソゴソしていた。合宿と言っても弱小劇団なので、

三鷹市牟礼出張所の隣にある公民館の貸切宿舎だった。

今回の参加者は13人で、雑魚寝の泊まり合宿だった。

たまたま大地とミコは隣り合わせだった。


「水無月さん、何やってるんですか?こんな時間に、、、」


ミコがヒソヒソ声で尋ねて来た。ミコは改まった時と、他の人がいる

時は、水無月さんと他人行儀である。

大地も声音を落としてひそひそと答えた。ダイチも武田さんと呼ぶ。


 「武田さん?し・け・ん勉強だよ、あした、追試があるんだ」

「追試?どうせ泥縄とでしょ。泥縄なんかやったって一緒でしょ、

 やめて寝たらどうとですか、、、、あかりが漏れとっとですよ、

 、、、他の人に迷惑とよ。」

「武田さん以外は、みんな疲れ切って寝てるよ。ほとんどいびき掻

 いてるよ」


ミコは、またヒソヒソと言った。


「どうせムダとでしょう。や、め、て、ね、て、く、だ、さい。」

「教科書持ち込んでいいことになってるから、ムダじゃないんだよ。

 兎に角、あと少しだけやるよ、、、。」


ミコは、教科書を持ち込んでいい試験なんて聞いたこともなかった

ので、呆れてそのまんまもやもやしながら寝てしまった。

大地は、留年するためにわざと一科目単位を落としていた。

ところが、先日実家に帰って親父に留年の事を話したら、親父は

かんかんになって怒って、


「まだ、芝居とアルバイトばかりやってるのか!卒業してなか

 ったのか?何が留年だ。もう、学費は出さん!」


と言い出したので、大地は、留年を諦めた。すでに卒業式は

終わっていたが、六月まで学費を払って、六月の追試で単位を

取れれば三月に遡って卒業できるという情報を聞いてきていた。

六月までの学費は、何とか親父に出してもらうことにした。


「これが最後だ!」


の一言だった。

同棲したり、卒業すれすれの学生生活だが、大地には幾分か

世間常識があったのかもしれない。何が何でも追試を受けて、

中退だけは避けようと思っていた。将来の事を考えると、

大地は、ミコと二人とも大学中退は良くないなと思った。

何が何でも卒業しなきゃ。

 次の日は、劇団のけいこをそっち除けにして、大学の追試

に走った。大地の学校は三鷹の牟礼にあったので、駆け足で

15分ほどだった。

追試は、9時15分からだった。寝不足とはいえ、「教科書

持ち込み可」の試験だ。楽勝、楽勝と思って臨んだが、、、。

問題を読んでびっくりした。

更に試験の時間を知ってびっくりした。

問題は三題で、回答は論文式だった。

時間は120分。大地は考えた。


「問題がたった三題で120分とはいかに?」


この問題なら、自分なら30分もあれば充分答えられる。

それなのに、なぜ120分もあるのか?

自分が今から書こうとする答えは、、、、

自分が想定している答えは、、、、簡単過ぎるのだろうか?

出題者は、教科書を丸写しにしろ、というのだろうか?

問題は、、、?マルキシズム ?総理大臣直接選挙 

?政治とカネそして恋愛?の三題だった。



 近頃は、二人で将来の事を考えたりすることもあった。

というのは、ルームシェアで始まった二人の生活は、いつの間

にか同棲生活になっていった。何故なら、二人には誤算があった。

大地に「休日がある」ことを、二人は忘れていた。

二人ともちゃんとルームシェアの生活をしていたので、顔を合

わせることはほとんどなかったが、十日ぐらいして、大地の仕

事休みの日に、自分たちの狭い部屋で顔をばったり合わせた。

大地は、自分のベッドで眠っていた。

ミコはびっくりした。なぜ?ミコは声を掛けた。


「ダ・イ・チさん、どげんしたとですか?具合が悪かとですか?

 仕事はよかとですか?」


ミコは、太一の身体を軽くゆすった。大地は、眠そうな眼を

こすりながら、


「う、うん、休み、、、。」

「休み?」

「今日は、、、、仕事は、休みだって、、、、。」

「エツ!、、、仕事はお休みと?、、どこか悪か、、?」

「う、うん、、違う、、俺の休日、、、」

「?、、!」


ミコは、この時初めて気が付いた。あるいは、初めて知った。

大地の仕事に、休日があったんだ!

そして、二人で顔を見合わせながら、何故かゲラゲラ笑った。

あれから十日ぐらいになるのに、六畳のシェアルームで顔を合わ

せるのは、引っ越しの時以来、初めてだった。引っ越しの時は、

大地は寝ないで手伝ってくれたが、夕方の五時には、仕事に出掛

けて行った。だからその時以来である。二人はなぜか嬉しかった。

大地はそれほどでもなかったが、ミコは、ずーっと寂しかったので、

すごく嬉しかった。大地に休日があったと気づいた時は、

一瞬複雑な感じがよぎったが、それ以上に人恋しさの方が勝って

いた。


「これからは、一週間か十日毎に、ダイチと同じ部屋で暮らせる

 とね。」


と思うと、すごく嬉しかった。

勿論、ミコは、この気持ちをダイチには黙っていた。




     第4章



 ミコの生母が、突然長崎から上京して来た。

田舎の団体旅行の様だったが、一晩は、二人のところに来ると

いうのだ。大地は、


「僕らは、6畳一間で狭いから、外で食事しましょう」


と言ったが、狭くても構わないと言って、石神井公園までやっ

てきた。大地は夜の仕事を休んで家で待った。石神井公園駅に

はミコが迎えに行った。


「太一さん、ミコが心配でね。私は、若い時に武田と離婚した

 けど、ミコと妹の亜希子が、心配でね。

 早く結婚して欲しかとよ。」


ミコもそう思ってるみたいだった。恐らく、ミコが生母に手紙

でも書いたんだろう、と思ったが、ミコには敢えてたださなか

った。大地は結婚についてはどうかと言うと、余り切実感は無

かった。時々、ミコがいじらしく思うときはあったが、このま

までいいと思っていた。男と女の違いなのだろうかぐらいにし

か思わなかった。生母民子は話を続けた。ミコはそばで黙って

聞いていた。

民子は、武田と別れて二人の姉妹に寂しい思いや苦労をさせて

しまった事を、縷々、大地に話した。

自分が一番いけないのだとも話した。ミコはたった一人で東京

に出てきたので、心配で心配でたまらなかったとも話した。

そして最後に、


「この子は勝ち気で強がっとるけど、本当は寂しがり屋とよ。

 どうぞ、仲良くして大事にしてくださいね。お願いします。」


と、大地に頭を下げて頼んだ。

大地は、生母の娘思いの勢いに押されながら黙って聞くばかり

だったが、


「はあ、、、、」


とあいまいに答えた。でも、にっこりすることは忘れなかった。

生母民子は、一気に話し終わると、なんとなくほっとしたよう

だった。大地のニッコリが良かったんだろう。

深刻な話はそれぐらいにして、三人で軽くビールを飲みながら

談笑した。



 しかし、そうこうする内に今度は、ミコの父武田誠が上京し

て来た。彼は、中小企業の専務取締役らしい。

経営者の一人として、年に一回、東京のお客さんにあいさつ

廻りをしているとの事だ。例年は年末近くと聞いていたが、

今年は、何故か早めに来たらしい。

やはり、ミコが大地との事を話したのだろう。

大地は、いずれ解ることだからと言って気にも留めなかった。

それどころか、ある決心をしてお会いしようと思った。


 今度は、二人の6畳間ではなく、池袋の割烹「きのり屋」で

会うことにした。芝居の学校に通ってた時に、よく飲みに寄っ

たところなので、緊張をほぐせるだろうと思って、この店に決

めた。ミコとも一度来たことがあったので、ミコが一人で池袋

の東口に、父を迎えに行き、大地は先に「きのり屋」に行って

三人の席を確保して待った。

 

 大地は、ミコの父武田に会って早々にはっきり言った。

盃を交わす前に正座して、


「ミコさんとの結婚を許して下さい。ミコさんを絶対に幸せ

 にします。」


 武田は、意表を突かれて、びっくりしながら、


「まあ、まあ、そうのっけから、、、まず、一杯、、、、」

「はい。、、、、」


確かに唐突過ぎたかな、と大地は反省した。


「東京に仕事があったんでね。水無月君の事を美枝子から聞

 いてたんで、会ってみようと思ってね。急なことで、ビッ

 クリしたろうね」

「はい。、、、」


大地は、さっきの勢いはなくなっていた。お父さんにちゃん

と話せるんだろうか、と不安になっていた。

武田は、仕事の事や長崎の事などを話したが、大地の耳には

あまり入っていないようだった。

それを察した武田は、本題について自分から口火を切った。


「水無月君は、まだ学生だろう?」

「はい。いえ、、、、ミコさんからどの程度お聞きか解りま

 せんが、六月の追試が通ったので、三月に遡って卒業でき

 ました。今は、コロンビアと言う会社の正社員で働いてい

 ます。」

「娘の美枝子は、体が非常に弱いが、聞いていますか?

 それでも、よかとですか?」

「はい。、、、美枝子さんを幸せにします。」


会話はこれだけだった。武田は、大地を凝視したり、腕を組

んでうつむいたり天井を仰いだりした。

そして、口を開いた。


「娘をよろしく」といって、頭を下げた。

「?、、、、、」


大地の最初の挨拶もそそっかしい位の短兵急だったが、

ミコの父武田誠も見事な即決振りだった。

その場で二人の事を認めた。

大地もミコも一瞬、きょとんとしていた。

そして、暫くして二人は手を取り合って喜んだ。

二人で飛び跳ねたいくらいだった。

その様子を、ミコの父武田誠は、ニコニコしながら黙って

二人を見ていた。武田は心の中で、


「この二人は、うまくやっていくだろう」


と思った。親の直感でそう思った。

大地は、というと、「案ずるよりも産むが易し」とは、

こういう事なのかなと思った。

しかし、よく考えてみると、


「ミコのお父さんは、毎年、お得意さん廻りで上京すると聞

 いていた。ミコは事前にお父さんに手紙を書いていたのだ

 ろう。だから、お父さんは、事情を十分熟慮して、僕に会

いに来たのだ。、、、それにしても話が早い!」


二人は、お父さんの許しを得たとして、素直に喜んだ。

そして、その後は三人で祝杯を交わした。


今度は本腰を入れて、お互いの仕事の事や芝居の事や文学の

事を話した。特に、武田は短歌をやっていたので、その話に

なると、大地とミコをそっちのけで話に夢中になった。

また、武田と大地は、初対面と思えない程意気投合していた。

ミコは、一緒になってすごく喜んだ。

というのは、大地の気持ちが、ひと月ほど前にミコの生母

民子に会った頃とは違っているのを、ミコには伝わったよ

うだ。大地は、本気でミコと早く結婚しようと思っていた。

 三人にとっては、楽しいひと時だった。


 ところが、大地には一抹の不安があった。自分の父親の

水無月利輔と継母シゲは、何というだろうかと心配だった。

恐らく、二人とも反対するだろう。


 二,三日してから、大地は、ミコに置手紙を書いた。

二人はいつもすれ違うので、何か用事のある時や伝えたい

事がある時は、置手紙でやり取りすることにしていた。


『明日の木曜日の朝から、仕事が終わった足で、板橋に

行ってくる。二人の結婚の事で。今回は僕一人で行って

くる。二人で行くのは、それからにしよう』


大地の一抹の不安は取れていなかった。

二人で行って、もし初っ端から反対されたら、ミコは悲

しむだろう。悲しむどころか、ミコの方が怒るだろうと、

思ったからだ。

気が重かったが、久しぶりに赤羽線に乗って板橋駅で降

りた。もう、朝のラッシュ時に入っていた。大地は、通

勤の人達とは反対の方向に歩いて実家に向かった。

父利輔は、朝から庭で盆栽をいじっていた。


「こんなに朝早くどうした?仕事は?」

「うん、ちょっと話があって、、、」

「家に上がっとけ、朝飯はどうした?食べてなかったら、

 母さんに作ってもらえ」


大地は家に上がった。大地は、この家に帰ってきても、

ホットすると思ったことはあまりない。

利輔もすぐに上がってきた。継母シゲはお茶だけ出した。

朝ご飯の事を聞きもしなかった。相変わらず口数が少ない。

ミコの生母民子とは大違いだ。父利輔がテーブルについて、

直ぐに、大地はミコとの結婚のことを切り出した。


「結婚だってー!」


案の定、大地父利輔は、のっけから大声で大反対した。

継母シゲは、利輔に同意した。

普段から余り意見を言はなかったが、今日は違っていた。


「大地さん、お父さんの言う通り、私も早いと思うわ」


と、珍しくシゲが意見を言った。

二人の反対理由は、「若過ぎる!」の一点張りだった。

利輔は更に止めど無くしゃべり続けた。興奮してたせいか、

同じ様なことを何度も言った。利輔は、自分を押さえること

が出来なかった。朝から怒鳴り散らした。


「若過ぎる!まだ、二十二だろう!大学をやっと出たと思っ

 た矢先に、、、何考えているんだ!結婚はママゴトじゃ

 ないんだ。芝居仲間だって?喰って行けるのか!卒業だっ

 て、まともじゃなかったんだから、そうだろう!追試を受

 けて、やっと卒業だなんて、聞いたことねえよ。働きだし

 たと思ったら、芝居が大事だからって、夜中働いている。

 、、、しばらくぶりに帰ってきたと思ったら、明け方、

 早々に来て、突然、結婚するってー、まともじゃねーよ。

 お前、どうかしてんじゃねーか?」


けんもほろろとはこんなことか!大地は取り付く島もなかった。

ゆっくり話すゆとりもなかった。あんなに怒らなくてもいい

だろうと思った。大地は、父とも母ともゆっくり話すこともで

きずに家を後にした。二度目の家出のようだった。

大地は、ミコを連れてこなくてよかったと思った。

また、ミコに本当に申し訳ないとも思った。ミコのご両親は、

長崎から来て賛成してくれたのに、、、。そして、励ましても

くれたのに、、、、、大地は、何としてでもミコと結婚して

ミコを幸せにしてやるんだと思った。

自分の父母が大反対であっても、必ずミコと一緒になる。

と強く心に決めた。


 大地は、子供の頃里子に出されたことがある。12年間!

その理由は何であれ、大地に言わせれば、


「親父は、赤子の俺を捨てた事があるんだ。」


 だから今度は、「俺が親父を捨ててやるんだ。」





     第5章


(二十三年前の一〇月九日)

 

  この章は、「舞台仕立て」である。


  大地 の生母イクの実家。

  生まれてひと月もたたない大地は、さっきからずーと泣き

  続けている。生母イクの四十九日の法要の最中である。

舞台中央にいる和尚が、お経と説法を終えて帰って行く。

  イクの母(大地の祖母)が、参列の皆さんに挨拶する。


祖母「皆さん、すまねがったなは、今日は、忙しいのにわざわざ

   イクの四十九日の法要に来てもろって、ありがとうござん

   した。うまぐねえ料理だけんど、精進落としに用意しまし

   たんで、となりの部屋で、どんぞ食べてけれ。」


  みんなは隣に移るが、泣きじゃくる大地と祖父母と、大地の

  父利輔が残っている。そして、何故か下手の片隅に、大日向

  キクとその子健司(八歳)が、黙って座って残っている。

  大日向キクは、大地の生母イクと従姉妹同志である。

  大地は、相変わらず泣きじゃくっている。

  祖母は、詰問調で利輔に話す。

  恐らく法要の前からも話し合っていたんだろう。


祖母「利輔さん、ほんどさ、今日、帰るどか?

   あんまりでねが?、、、、太一は、どうすんど?、、、

   生まれたばっかしだじぇ、、イクが死ぬ前に、ぼそっ

   と言ってたけど、おめさん、やっぱスおなごの人が東

   京さいるんでねが?、、、それはあんまりでねが、

   イクもかわいそうだったけど、残された大地はもっと

   みじめでねが。

   ほんとにそれでよがどが、、、」


  祖父も言いたそうだが、祖母に言わせている。

  下手にいる大日向親子は、じっと俯いて聞いている。

  しかし、二人は時々怒りをこらえて利輔を凝視している。

  二人は、前の日に大地の事を話し合ってきていた。


  大日向親子にスポットライトを当てる。 

  二人の、きのうの夜の話しである。


大日向キク「健司、おめはほんとに大丈夫か?赤子はな、夜

      中も泣くんだじぇ。」

大日向健司「うん、よが、夜中でも俺がおんぶして子守歌、

      うだってやる」

キク「口ばっかしだべ」

健司「そったなごとなか、ちゃんとやっぺ」

トシ「なぬして、そんなに、、、おめ、おがしかよ、、、

   貰うのやめて黙ってかっちゃんの言うこと聞かなきゃ、

   おらたち親子二人まで大変なことになるじぇ、うんだ

   から貰うのやめるべ。」

健司「かっちゃん、チョットつがうんでねが、

   いつもは、人の役に立たんばいかんな、って言ってる

   くせに。うづの下宿賃が安いのはその為だじぇ、って

   言ってるくせに。」

キク「ケンジ、いがど、生まれたばっかしの乳飲み子だじぇ、

   かっちゃんは、おっぱいは出ないんだじぇ、どうやっ

   ておっぱいを飲ませるんけ?下宿の仕事とは比べもの

   にならないほどていへんだじぇ、あきらめっぺ。

   なぬしてそんなにまで?」

健司「おっぱいの事は、となるのサドウさんから聞いた。

   となるの山羊のでもいいんだじぇ。山羊の乳は、

   うぢがけでやるって、サドウさんのおばちゃんがいっだ。

   それよりもなによりも、ダイちゃんがかわいそうだ。

   俺も父さんはいねえけど、、、ダイちゃんは、母さん

   は死んでしまって、父さんもいないと一緒だろ、、、

   ダイちゃんがかわいそうだ、、、たった一人だべ、、、

   ダイちゃんがかわいそうだ、、、

キク「、、、かっちゃん、ケンジのこと解かったべ、弟も

   可愛だべか、、弟も欲しかな、、、うんじゃ、、、

   かっちゃんにまかせれば、、、そうすんべ、、、。」


  大日向親子のスポットライトはフェードアウトする。

  利輔とイクの祖父母が、まだ言い合っている。


利輔「すまねです。どうすても明日は、仕事さ出ねばなら

   ねだ。」

祖父米蔵「利輔さん、俺は今まで黙ってたけど、、、、

     やっぱス、俺にも言わせてけれ、、、仕事も

     大事だが、ほんどに、大地はどうすんだ?

     誰が、乳飲ますとか?俺たち年寄りはできねな。」

利輔「おどさん、、、それは、、、また、、、、俺の妹に

   たのもがな、、、」

米蔵「それは、うな、あんまりだんべ。イクがすんだ時は、

   大地が生まれて十日もたっていなかったし、丁度、

   妹さんも子供ができたばっかしだったから、、、

   タカちゃんが、双子が生まれたと思って、ダイちゃんにも

   おっぱい飲ましてやると、言ってくれたけど、なんぼ、妹

   さんだって、また頼むなんて、、、そんなごとはあんまり

   でねが、、、」

利輔「はあ、うんだば、どうすんがな、、、」

米蔵「うんだがら、ゆっぐり、づかん掛げで、みんなに相談する

   しかなかべ。、、、東京さかえるのを2,3日延ばしてけ

   れ、、、電話ならそこの使っていいがら」


  利輔、黙って考えている。明日の事をどの程度話そうかと思い

  あぐんでいる。

  明日、どうしても戻らなければ行けない理由は、利輔にとっ

  ては一生一大事のようでもある。

  利輔は思い切って話して、解ってもらおうとした。

 

利輔「おどさん、おがさん、やっぱス今日中に東京さけえります。」


  突然、赤子の大地にスポットライトが当たる。

  いつの間にか大地は泣き止んでいる。さも、先程からの話を、

  産着の中で聞いていたのかのように、、、。

  そして、赤子の太一が話し出す。


赤子の大地の声「やっぱる、オラを捨てるんだ。とっちゃんなん

        か、、、かっちゃんが、よくお腹の中の、オラ

        に話しかけてた、、、とっちゃんが毎日遅いの

        は、赤坂というところに、いい人ができたから

        だって、、、明日もそこに行くんじゃ、、、

        やっぱり、、、ボクを捨てるんだ、、、

        釜石のおばちゃんのおっぱいも飲めなくなるし、

        、、おら、かっちゃんのあとを追っかける、、、

        死んだかっちゃんのとこさいぐ、、、」


  大地は、また泣きだした。祖父米蔵があやしだし、

  今度は、祖母が利輔に話を切り出した。


祖母ナエ「利輔さんは、やっぱる、行くんだ。わがった、、、

     よがです、、、もうこごには来ねえでけれ、、、

     大地は、おら達みんなで、何とかするっぺ、、、

     その方が大地にとっては幸せだべ、、、、。」

利輔「おがさん、わけば聞いてくれねが、、、

   落ち着いたら、すぐ戻ってくるがらさ、、、」

ナエ「うなの口の達者なのは、、、。聞く耳はもたね、、、。

   わけなんか聞きたくね。」


  下手の方で座っていた大日向親子が、二人で意を決した

  ようにして三人の近くに膝を進み出してきた。


キク「あのう、ナエ叔母ちゃん、チョットよがすか?」

ナエ「ああ、トシちゃん、なんだべ、、隣の部屋で食べてて

   けれ、けんちゃんと一緒に、何にもねがけど、、、」

キク「はい、あんがと、、、でも、ダイちゃんの事が気に

   なって、、、」

ナエ「なんぬも、心配せねでよが、なんとがすっから、、、

   キクちゃんは、心配せんでよがどよ、、」、

米蔵「うんだ、うんだ、キクちゃんは、心配せんでよがど。」

キク「わだしたち親子二人で、、、健司ともゆんべはなして、

   、、ダイちゃんをもらうっぺって、、、明日、、、

   話してみんべって、、、健司は、俺が世話するって

   きかねもんで、、、ダイちゃんがかわいそだって、、、

   泣いて、あだすに言うもんでねー、、、

   ナエ叔母ちゃん、よがどやろか?」

ナエ「なぬぬかすだ、そったなことできるわかなかべ、、、

   おめさんは、下宿屋もあるべ、、、おなごの独り身で、

   あれもこれもできるわけなかべ、、、

   ましてや、大地は乳飲み子だべ、、、無理だ!」

トシ「健司が大きくなったし、、、健司は、一生懸命手伝う

   って言うし、、、」

ナエ「健司が大きくなったッて言ったって、まだ小学校の

   二年生だべ、、それは無理だべ、、ぜってえ駄目だ。」


赤子の大地の声「えっ?おら、もらわれて行ぐんだ、、、?」


  そばで黙って聞いていた健司が、恐る恐る祖母に頼みこむ。


健司「ナエ叔母ちゃん、健司です、、、」

ナエ「わがってる、、、大きくなったな、、、」

健司「ダイちゃんをけろって言ったのは、おれだす、、、

   かっちゃんは、わがね、無理だ、、って、聞かなかった

   ども、おらが無理やり頼んだど、、弟が欲しかど、、」

ナエ「ケンちゃん、大地は、犬ねっこと違うんだぞ。夜中泣い

   たら、起きてあやしてやらんばいけんとぞ。そんなこと

   できるか?おめの母さんは、おめと下宿人八人がいるん

   だぞ、、、大地には手が回らねえ、、、誰が考えたって

   すぐ解ることだ、、、大地は、おめたちにはやらね、、、

   三人とも共倒れになる、、、」

健司「おばちゃんの言うことも、、、ゆんべ、かっちゃんと

   夜中まで話した、、、ダイちゃんをけれ、、、ダイちゃ

   んをく・だ・せ・え。おら、頑張るから、、、

   なんじょすてでも、頑張るから、、、」

キク「おばちゃん、わだすからも頼むじぇ、、、

   もう、二人で決めたから、、、」


  しばらく、五人は黙り込む。


赤子の大地の声「お兄ちゃんのとこの方がいいなー、、、

        とっちゃんとこは、いやだ、、、」


  隣の間から声が掛かる。「ばあちゃんもキクちゃんも、

  ケンズも早ぐこっちさ来て、、御馳走が冷めるべ。」


利輔「みんなが待ってるけ、行きましょか」

ナエ「あんたって人は、、、、大事な話で、、、なんじょ

   すとね、、、大地を置いたまんまにして、東京さ

   行ぐつもりけ?」

キク「おばちゃん、あたしたちの話を最後まで聞いてけれ、、

   、あたしたちは、みんなが良いって言うなら、

   ダイちゃんをもらってちゃんと育てるけ、、、

   ただ、頼みが一つだけあるんだけど、、、

   聞いでけれ、、、」


  利輔と米蔵は乗り出す。ナエは半身である(反対である)。


キク「頼みって言うのは、、、

   ダイちゃんを『もらいっ子』にしたくね、、、

   ダイちゃんが『もらいっ子』、『もらいっ子』と言わ

   れないようにすんべって健司と決めただ。

   、、、つまり、戸籍もけれ、ダイちゃんの戸籍もけれ、

   、、水無月から籍を抜いて、大日向の籍に入れさすて

   けれ、、、そうすれば、

   ダイちゃんは大日向大地となって、大日向健司の弟に

   なる。正真正銘の大日向家の次男坊になえるべ。

   わだすも健司も、それが一番と、ゆんべ話しただ、、、

   なんじょがな?」


  健司はキクの顔を見て得心する。

  ナエと米蔵は、驚きの顔を見合わせる。

  利輔は一人俯いて考えこむ。


      (フェードアウト)


  赤子の大地にスポットライトが当たる。

 

赤子の大地の声「ボク、大日向大地になるのけ?」


            (幕)



     第6章


三月三日、大地とミコは、


「わかりやすい日だね。お雛様の日は女の子の節句、

 五月五日は男の子の節句、どっちも解りやすいけど、

 間を取って四月四日もいいね。四月四日の方が

 ユニークね。」

「ううん、どれもいいが、早く入籍しよう。」


大地とミコは、三月三日に練馬区役所に婚姻届を出した。

婚姻届には、保証人二人の署名押印欄がある。

通常はそれぞれの父親の署名が多いが、成人の署名押印で

あれば、誰でも受け付けてもらえる。続柄欄は「知人」で

も良いのだ。

ミコの保証人欄は、父親の武田誠の署名と押印があった。

しかし、大地の保証人欄には、相場幸恵という名前だった。

父親の水無月利輔ではなかった。

大地の職場の先輩の相場さんが署名してくれたのだった。


「水無月君、あたしでもいいの?」

「はい、是非お願いします。」

「あたしは、歳は十分過ぎる位だけど、独身なのよ。

 入籍保証人の資格はあるの?」

「はい、区役所で聞いてきました。仲人じゃないから、

 結婚してなくても良いそうです。成人であれば、男の人

でも女の人でもいいそうです。判子も、三文判でもいい

そうですから、、、。」

「ふーん、案外軽いのね。あたし結婚してないから、知ら

 なかった。」

「よろしくお願いします。」

「あいよ!」


そうして、大地とミコは翌日三月三日に、婚姻届けを出し

に行った。

 大地の父は、依然として反対していた。

また、大地は本籍の件でも父と喧嘩した。

婚姻届の時に、区役所で本籍を尋ねられたので、


「文京区真砂町36番地、、、」


と答えたら、区役所の係りの人は、


「文京区は、今度の行政改革で町名変更がありました。

真砂町は本郷一丁目か三丁目になりました。

どちらにしますか?」


と尋ねられたので、太一は、一丁目のほうが解りやすい

ので「一丁目にします。」と答えた。

これが原因で喧嘩になった。

後日、大地に父利輔からの怒りの電話があった。


「お前は勝手に本籍を抜いたのか?結婚に賛成しない

 からと言って、あてつけか!」と。


大地の父は、町名変更では、「三丁目」を選んだらしい。

新しい戸籍謄本を見たら、大地の名前がない。調べても

らったら、大地は「文京区本郷一丁目」で、新しい戸籍

をミコと二人で作っていたのだ。


「親の許可も無く、勝手に籍を抜いて、新しい戸籍を

 二人で作っていいと思っているのか!」


と、怒り心頭だったのだ。太一はめんどくさいと思った

が、説明した。


「今の時代は、本籍なんてそんなに大事じゃないんだよ。

 それに、元々結婚したら誰でも,新戸籍になるんだから、

 新しい戸籍法ではそう決まってるんだから、仕方ないだ

 ろう。籍を抜いたとは意味が違うんだよ」


と言っても、父の怒りはおさまらなかった。

父利輔は、三丁目じゃなく、自分に相談せずに勝手に一丁

目にしたのも気にいらなかったようだ。



新婚旅行は、千葉県九十九里の大原国民宿舎に二泊三日で

行った。

婚姻届けは出したが、結婚式を挙げてないのだから、婚前

旅行とでもいうのだろうか?いずれにしても質素な新婚旅

行であった。

しかし二人にとっては、誰の世話にもならずに、自由奔放

な楽しい二人だけの初めての旅行であった。

婚姻届け保証人の相場さんが、千葉県の大原出身だった。


「水無月君、新婚旅行はあたしの田舎に行ったら、どう?」

「相場さんの田舎ですか?」

「九十九里浜の南の方の大原漁協の友達を紹介するは、。」

「ありがとうございます。」

その夜、大地はミコにそのことを話して、即決した。

二人っきりだと何でもすぐに決められる心地よさを、

二人は味わった。

そして見つめあって、どちらからともなく微笑んだ。


 生憎、旅行の一日目雨模様だったが、大原漁港名物の

伊勢海老をたらふく満喫できた。国民宿舎の人もびっくり

するくらいの、立派な伊勢海老だった。相場さんが、漁協

の友達に頼んでいた。

質素に思えた二人の旅行も、この豪華な伊勢海老で、

俄然派手になった。

勿論二人は、大喜びだった。


そして、東京に帰ったら、

二人で、相場さんのアパートにお礼の挨拶に行こうと決めた。



     第7章


 大地はミコの生まれた長崎を知らない。


大地はミコの生まれた長崎を知らない。そもそも、大地は

本州でも大阪や京都より西へ行った事がない。勿論、下関

から門司へと行く九州に渡った事がない。東北の片田舎で

育った大地にとっては、南国の九州は憧れである。

新婚旅行は「南国の九州宮崎で」やりたかったけど、お金

がなかった。東京から長崎までは、夜行列車で二十時間

かかる。


「寝台列車のさくらが良いよ」


とミコは教えたが、さくらは急行らしい。急行でも二十時

間とは、まさに長崎は、日本の西の果てだ!そして宮崎は

まだ南の遠くだ。


 大地とミコは夏に二人で長崎に行くことにした。

二度目の二人きりの旅行と思いきや、ミコの妹の亜希子も

一緒と聞いて、大地は少しがっかりした。挙句の果てに、

ミコの生母が、


「籍を入れたんだけん、結婚式を挙げんばならんと、、」

と言って張り切っているらしい。


最初は、大地だけをツンボ桟敷にしたサプライズを、

女三人で企んでいたようだ。だから、妹の亜希子も一緒

だったのだ。ミコの生母が、ミコの言うことも聞かずに、

勝手にどんどん結婚式の話を進めていた。


「水無月さんにも武田にも内緒で、長崎で式を挙げさせて、、

、お願いだから、、、私は、水無月家・武田家の結婚式には

出れんとよ、、、美枝子ちゃんの結婚式に出れんとよ、、」


と言って、長崎の平戸大島で結婚式の準備をどんどん進め

ていた。

ミコの生母は、若い頃に佐賀の唐津で身に就けた洋裁の技

術で、娘美枝子のウエディングドレスを作って待っていた。

水無月家と武田家の結婚になったら、娘の結婚式に自分は

出席できないので、という切ない思いからのようだった。

いつも口癖のように言っていたようだ。


「私はいけない母とです、、、美枝子ちゃんと亜希子ちゃん

の二人を捨てて、出て行った身勝手な母親とです、、。」

「せめて、結婚式の衣装ぐらいは縫ってあげたい、、、

花嫁姿を見たかとです、、、」


 長崎県平戸大島の天降神社で二人の結婚式が挙行された。


神前結婚式である。大地にとっては、まさに御名御璽で

あった。何もかもが決められて進んでいった。

水無月家の出席者は新郎の大地だけであった。

東京から親友の後田君が駆けつけることになっていたが、

何故か来なかった。新婦ミコの方は、生母の実家の南原家

から多数出席した。新郎新婦を入れて三十数人になった。

結婚式は、天降神社の神主さんによって執り行われた。

披露宴は南原家の大広間で賑やかに行われた。田舎の披露

宴は、ご本尊の新郎新婦たちはそっちのけの感があった。

大地も、みんなとわいわい騒いで飲み続けた。

ミコも、お酒は決して弱くない。成人したばかりとはいえ

、酒に強い。父親武田誠の血らしい。とはいえ、披露宴

なので、ミコは、ずっとしっかりとしていた。あまり飲ん

でいなかった。大地は、すでに羽目を外していたようだ。

 次の日、大地はミコの生母民子にこぼされた。


「大地さん、夕べはどげんしたとですか

「はあ、、、」大地はしこたま二日酔いである。

「美枝子に聞きましたが、何もなかったとですか?、、、

美枝子がかわいそうとでしょ、、、それにしても、、、、

あげん酔わんでもよかとでしょに、、、」

「はあ、、、すみません、、、」

「二階には、きれいな布団も用意していたとですよ、、、

 美枝子が可哀想とね、、、」


大地はグラグラした頭で、


「あのう、お母さん、水をちょっともらっていいでしょ

 うか?」

「はい、はい。」と呆れ顔だった。

 

 大地とミコは、昼の村営船大島丸で長崎に帰った。

村営船は平戸を通って田平港まで行く。そこから長崎

までは、バスで4時間かかる。直行ではないので、2時

間位で着く佐世保で乗り換える。大地は本当は、平戸

も佐世保も観光したかったが、ミコとアッ子の二人

姉妹は、観光なんてそっちのけにしてスケジュールを

組んでいた。女3人の、企みサプライズにしか頭が回

らなかった。


しかし、大地は、原爆資料館だけは見学しなければと

言って、その日は長崎市内で一泊した。そして、翌日、

原爆資料館は見学した。

資料館では、大地はかなりのショックを受けた。大地自身

が想像していた以上のものだった。資料館を出て、平和公

園に向かっている道すがらに、あの歌を口ずさんでいる自

分に気が付いた。

 「三度許すまじ原爆を、

         われらの町に」


夕方、夜行列車「はやぶさ」に乗った時、大地は一抹の後

悔をした。市内にあるミコの実家を訪ね買ったことを、、。

ミコの父武田には、平戸大島での結婚式の事は話していな

かったし、ミコが継母の洋子に会うことを、嫌がったので

武田家を訪問しなかったが、大地としては後味は悪かった。

ミコには、そのことは言わなかった。ミコと妹の亜希子は、

大地にとっては不思議なほど、平気だったようだ。



 年が明けて、二月に入ってから、大地とミコは二人の友達

を集めて披露宴をする事にした。大地もミコも周りから異口

同音に「嫁さんに会わせろ」とか、「旦那さんてどんな人?」

とか、言われることが多くなっていた。


「そうだ、婚姻届けを出して一年になるんだから、ペーパー

 ウエディングをやろう」

「ペーパーウエディングッてなに?」

「日本語で言えば紙婚式と言って、一年目の結婚記念日のセレ

 モニーだよ。日本の結婚記念日と言うと、銀婚式や金婚式だ

 けみたいだけど、欧米では毎年やるんだ。二十年目までは、

 毎年の結婚記念日に名前が付いているんだ。そして、一年目

 が紙婚式って訳。」

「毎年、結婚記念日ね!やろう、やろう!毎年やるところがよ

 かね。日本人って、照れやなんかでやりたがらないとよ。

 わたしたちは、毎年やろう!」

「十五年目の水晶婚式まで毎年名前があるみたいだが、十五年

 目以降は、五年毎みたいだよ。」


そして、三月三日に大地とミコは、池袋のレストランの紙婚式

(ペーパーウエディング)に友達を呼んだ。


この事は、プロローグにも書いたのでここで留めるが、イギ

リスの結婚記念日について列挙しておきたい。


  結婚記念日 イギリス式


 よく考えたら、二十六もある記念日名を列挙するのはしんどい。

でも、嬉しい記念日なんだから、。大地とミコは毎年やるから、。

   

 1周年―紙婚式 2周年―綿婚式

   3周年―革婚式 4周年―果実婚式    

   5周年―木婚式 鉄婚式 銅婚式

   青銅婚式 陶器婚式 アルミ婚式

   鋼鉄婚式 絹婚式 レース婚式

   象牙婚式 15周年―水晶婚式

      これ以降は5年毎です。


15周年―水晶婚式

20周年―磁器婚式

25周年―銀婚式

30周年―珊瑚婚式

40周年―ルビー婚式

50周年―金婚式

60周年―ダイヤモンド婚式

70周年―プラチナ婚式

80周年―樫婚式

85周年―ワイン婚式



     第8章

  

 秋ごろ、大地に父水無月利輔から電話があった。


「相談したい事がある。出て来れないか?」


「こっちには用はない」


とつっけんどんに答えようとしたが、父の語調がいつもと

違ってやわらかかった。

 

「話があるから、ちょっと来い」


とは違っていた。

大地はミコと話して、渋々行くことにした。案の定、大地の

父はニコニコしながら大地を迎えた。


「久しぶりだな。元気か?ミコさんはどうだ?

 元気にしているか?」


大地はいぶかしりながら生返事をしていた。

継母のシゲは相変わらず無口だった。


「実はなあ」


と利輔は切り出した。内容はこうだった。二人の熱は、いず

れ冷めるだろうと思っていたが、同棲して一年にもなる。籍

も入れて二人で頑張っているようだから、


「二人の結婚式を考えているんだが、どうかな?」

「別に」

「別にって、どういう意味だ?」

「もう済ましたから、ご心配無用と言うこと。」

「やっぱりそうか。長崎で式を挙げて、池袋では、友達を集

 めて披露宴をしたと聞いたが、やっぱりそうだったのか!」

「誰に?」

「誰でもいい!勝手にしやがって。」


大地の父利輔は、非常に不機嫌になった。

しかし、今日はそれを承知の上で呼んでいる。継母のシゲは、

そばで利輔の興奮を抑えている。血圧にも良くないのだ。


三人は、しばらく無言だった。


もとより大地は話したくなかったので、だんまりを決め込ん

でいた。利輔は気を取り直して、大地に話しかけた。


「結婚式はいい、、、二人の披露宴をやろう。」

「何で?結婚式も披露宴ももう済ました。披露宴は二回も

 やった。」

「二回?」

「そう、長崎の平戸大島で式の後で一回。池袋で、友達を集

 めて一回で,もう二回やった。」

「そう言うな。世間体もあるし、親戚もうるさい。大地ちゃ

 んのお嫁さんて、どういう人?って言われるんだよ」


珍しく継母のシゲも一緒になって、大地の説得にかかる。


「お父さんが、田舎から、やいのやいのと言われて困ってる

 んだから、披露宴挙げさせて」

「そう、俺たちが金を出す。二人は出てくるだけでいい。

 何もかも俺たちがする」

「僕らは見世物じゃない。二人の事を、それなりにお願い

 に来たときは、けんもほろろだった。ミコはいまだに悔し

 がっている。俺だって同じだ。憤りすら感じたよ。ミコと

 武田家に申し訳ないと思っている。その話は、この場で

 きっぱり断る。あなたたち二人の顔つくりの為の見世物

 にはならない!」

「あなたたちー?、、、なんだ、その言い草はっ!」


大地は、何も言わなかった。無言で、きっぱりと断った。

そして帰りかけた時、利輔は今度は頼み調で、


「なあ頼む。二人は、ただ出るだけでいい。何もしなくて

 いいから、、、。」


三人の沈黙が続いた。


最後は、大地が折れてこう言った。


「今日は、僕が一人で来た。ミコも一緒にと思ったが、

 ミコは具合が悪いから行かないと言った。たぶん来たくな

 かったんだろう。また、父さんの話の内容も解らんかった

 んで、、、。ミコと話しても、恐らくさっきの話の返事は、

 ノーとなるだろう。、、帰って、ミコと二人で話してみる

 、、、それから連絡するよ。」

「いつまでか?」

「来週に、また来るよ。」


帰り際、継母シゲは、

「ミコさんと、よく話し合ってね。」と言った。


利輔からあたられたりしているのだろうと、大地は思った。



 大地は交代勤務で、夜中勤務もある。夕方の五時に家を出て、

翌朝の五時ごろ帰ってくる。赤坂見附の地下鉄の一番に乗って、

池袋で西武池袋線に乗り換える。そして、五時過ぎに家に着く。

でも、ミコは八時から五時までの工場勤めなので、朝は満足に

話す事は少ない。夜勤のときは五時ごろに出て行くので、夕方

も話せない。ゆっくり話せるのは日曜日しかないが、ミコは

芝居の集まりで忙しい。

とはいえ、厄介な話なので、大地とし

ては結論は見えてるとはいえ、ミコとゆっくり話すべきだと

思った。勿論、ミコがノーと言ったら大地はそれ以上話すつ

もりはない。ミコの日曜日の芝居仲間の集まりは、午後からで

大地は夕方の五時に出ればよい。

ミコには前もって話しておいたので、大地を待っていた。

大地は朝の六時前に帰ってきた。ミコは、朝御飯を作ってくれ

ていた。久しぶりに、二人で朝ご飯を食べながら話した。


「二人の結婚式と披露宴のことだったよ。僕らが、長崎の大島

 や池袋でやったことも風の便りで知っていたよ。」

「何で知ってるのかな?誰かが言ったとやろね?」

「聞いたけど言わなかった、、、俺も、それ以上は聞かなかっ

 た。何せ、世間体だの、親戚の手前だのって話なんで、嫌んな

 ったよ、、、、勿論、その場でノーと言った。武田さんや、、

 ミコにも失礼な事や不愉快な思いをさせておきながら、今更、

 形式だけの結婚式や披露宴なんてやらない。お断りだ、と言っ

 てやった。」

「ふうん、そうだったの。意外だったね、、、お金のことかと

 思った。」

「お金?何だ、それは?」

「ダイチは、お父さんにお金を借りとったでしょう。まだ返して

 いなかったでしょう」

「何の金だ?」

「社労士かなんかの資格試験を受けるって言って、通信教育の

 お金よ。借り取ったでしょ、、、十万位じゃなかった?」

「ああ、あの金か、、、忘れてた。ミコはよく覚えているなあ」

「覚えているわよ。親子の間で借用書を取り交わしたとでしょ。

 あたし、その話を聞いた時びっくりしたんだから。」

「あれは、なああ、親父の教育なんだって、僕だって、何や?

 と思ったさ、借用書なんか、と思ったさ、でも、金は欲しかっ

 たからな。あんな事はもう忘れた。とにかく、用件は披露宴

 のことだった。」

「ふうん、それから?」

「それからって?」

「ことわったとでしょう。それで終わりとでしょう。」

「うーん」

「どうしたの?」

「それがさー、話が進むうちにさ、親父がやけに低調になってさ、

 依頼調と言うか、何とか頼むから、みたいになってね。普段は

 何もしゃべらない母さんまでが哀願調だよ。母さんは、俺たち

 のことで、親父からあたられたりしてるのかなと、思ったりし

 てね。」

「ふうん、それで?」

「間違いなくノーと言う返事になると思うが、帰ってから、ミコ

 と二人で話してから、連絡すると言って帰ってきた。」

「いつまで?」

「来週。つまり明後日までだ。」

「わかった。お話はもうわかったわ。で、どうするの?」

「だから、こうして話し合ってんだろ。」

「そうじゃないの、、、。ダイチの考えはもう決まってるんじゃ

 ないの?」


 大地とミコの二人の結論は、披露宴はOKする事にした。

ただしいくつか条件を提示することにした。オール・オア・ナッ

シングの条件提示である。

その条件とはこうだ。


 大地もミコも演劇を志す二人である。大地は劇作家と演出家を

志し、ミコは役者を志す。従って、今回の披露宴は「見世物」でも

構わない。故に、二人の役者は、出演料を要求する。


 この様なことを二人で話し合った。

そして、一週間後に、大地は再び板橋の実家を訪ねた。


  

「美枝子さんは元気か?美枝子さんは何ていった?どうだった?」


大地の父利輔は、ミコと武田家の事が気がかりのようだった。

太一は、単刀直入に話した。


「結論から言うよ。披露宴はしよう。」

「おう、そうか。良かった、、、。美枝子さんは了解したんだな。

 良かった。」


利輔とシゲはほっとした顔をした。そして、利輔はすぐ段取りの話

に入ろうとした。


「武田さんの方は、長崎から何人来るのかな?水無月の方は、東京

 や秋田等からで十人くらいかな。」

「父さん、待ってよ。勿体振りたくないから結論から言ったけど、

 条件があるんだ。オール・オア・ナッシングの条件があるんだ。」

「何だい?それ、オールオア何とかって?、、、。」

「今から言う条件を全て飲まなかったら、この話はチャラだと言う

 こと。」

「チャラ?」

「そう、やらないと言うこと。」

「何だ、その条件とは?」


利輔はイラつき出したが、シゲはそばで、利輔の袖を引いたので、

利輔は深く一呼吸した。そして、大地の条件を聞くことにした。


「ゆっくり、話を聞いてよ。落ち着いて、、。」

「、、、、、、、、、、、、」

「披露宴をやるにあたって、次の事を約束して欲しいいんだ、、。

 まず、僕ら二人は芝居仲間だ。だから、今回は、水無月家・武田

 家両家の披露宴に新婚夫婦として出演する。従って、二人の出演

 料を払ってほしい。出演料を出してくれるなら、『見世物』でも

 良しとする。この点はいいね。」

「出演料?うん、まあ、解った。先を話せ。」

「その条件とは、一つ、全ての費用は水無月家が負担する。」

「勿論、そのつもりだった。それはよし。」

「披露宴費用と出席者の旅費や宿泊費もだ。特に武田家は長崎から

 来る。恐らく二人だけと思うが、ミコの義理の弟もつれてくるか

 もしれない。、、ミコの妹は、東京にいるから旅費は要らない。」

「うん、解った。」

「それから、案内状や各種手配なども水無月家が行う。そして衣装

 の件だが、僕らは普段着で出席する。色々な衣装は要らない。」

「普段着で?、、、、、うん、解った、、、。それで、出演料は?」

「そして、二人の出演料は、来て頂く人の御祝儀のお金とお祝い品

 の全てを頂く。以上。」

「え、それだけでいいのか?何十万か何百万のギャラでないのか?」

「いや、これで結構です。ついては、あとは宜しくお願いします。」


と言って、大地はそのまま直ぐ帰った。

利輔は、何か拍子抜けしたようだったが、ホッとしてシゲと共に喜

んだ。



 翌年の三月三日、立川の子猫と云う小料理屋で二人の披露宴が行

われた。三月三日は、おととし、二人が入籍した日である。だから、

二年目の結婚記念日である。つまり綿婚式である。

しかし、参列者は誰も、綿婚式の事は知らない。

今日は、二人の綿婚式だという事は、大地とミコしか知らない。


参列者は、ミコの方は、長崎から両親と妹が来た。大地の方は、秋田

や福島や茨城からも来た。大地とミコを入れて二十人ばかりだった。

二人の初めてのギャラ(出演料)はというと、予想以上の祝い金と沢山

のお祝い品になった。6畳一間には入り切れないほどだった。

そして、二人にとっての初めての共演は、無事に終わった。

幸い、ダメ出しは一つもなかった。

 


 後日、大地とミコは板橋に挨拶に行った。

親子は仲直りした訳ではなかったが、ミコが「挨拶に行こう」と言った

ので、大地は快諾した。四人は、白々しさも含みながらも和気藹々と話

していたが、突然利輔は切り出した。


「ところで、大地よ、俺は会社を閉める事にした」


利輔は、小さな会社を経営していた。ガソリンスタンドの地下に埋めて

あるタンクを作る会社だ。利輔としては三つ目の会社だった。会社は順

調と聞いていたが、そうではなかったようだ。


「会社を閉めにかかったが、車と電話の処分が残っている。好きな方を

 二人にやるが、どっちがいい?」


利輔は閉める理由も何もいわずに、のっけからである。


「どっちがいい?」


大地も会社を閉める理由を敢えて聞かない。どうせ、親父が勝手に興し

て勝手に閉めるんだからと、、、。

どっち?と言われても、大地は、車の免許を持っていない。車をもらっ

ても仕様が無いなと思った。

ミコは、即座に電話が欲しいと思った。

電話があれば、長崎にいつでも電話が出来るからだ。

二人は考える余地もなく同時に、


「電話」と答えた。

「電話でいいのか?車の方が何十倍も高いぞ。車じゃないのか?、、、

 ほんとに、電話でいいのか?」

 

二人は、また同時に


「電話」と答えた。父母は呆れたようだった。


帰りすがら、大地はミコに聞いた。


「ミコはほんとに電話で良かったのか?」

「うん、長崎にいつでも好きな時に電話を掛けれるのがいい!」

とニコニコしながら答えた。


 大地は、いつまでもミコを大事にしようと思った。



     第9章    (エピローグ)


 広島の郊外にあるマンションの一室。

 太一とK子夫婦の二人っきりの食卓である。


 太一は、ローカルエッセエストで生計を立てている。

 K子は、フラワーデザイナーで、多少収入がある。二人は、無

 理しなければ、それとなく食べていける。二人には息子と娘が

 一人ずついるが、息子は大手商事会社の海外勤務で、南米ブラ

 ジルに行っている。娘は北海道の酪農家に嫁いで、事あるごと

 に「生き物相手だから」と言って、ほとんど広島には帰ってこ

 ない。お盆も暮れも、親元には二人とも帰ってこない。


K子「あなた、何か、こそこそ書いているようだけど、まさか単

   なる私小説でないでしょうね?」

太一「フィクションだよ。エッセイだけじゃ食っていけないから

   な、、、。」

K子「単なる私小説なんて詰まらんわよ。書く人は書き易いだろ

   うけど、読む方は、よっぽど何かの劇的なことが無い限り

   は、嫌気が差すわね。つまり、詰まんないと言うこと。

   そんなもん、今、書いているんだったら、すぐ止めた方が

   良いんじゃない?止めて、あたしの仕事、手伝ってよ!

   こっちの方が、お金になるわよ。」」

太一「だから、違うって。、、、波瀾万丈な大地とミコの二人は、

   めげずにたくましく生きていく、序章なんだよ。」

K子「序章?」

太一「そうだよ、序章だよ。これから、いろんな困難に遭遇して

   いくんだよ。それでもめげずに、たくましく!」

K子「それ、ところで、面白いの?」

太一「うん、絶対面白いね。」

K子「そう、、、。じゃ、楽しみにしとこうかな、、、、。」



             完



  










8




大地とミコは、これからも波瀾万丈の生活が続きます。

でも、二人は、大波も大地震も原発の大事故も切り抜けていきます。

何故か、いろんな災害・人災に遭遇しますが、

二人とも持ち前の明るさで乗り切っていきます。

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