嘘吐きノエルの一生?
一面の赤色に、思わず絶句した。
観光で訪れた遺跡、その付近には自分以外にもたくさんの観光客がいた。
その全てが、赤く染まっている。
赤く染まったのは右目の視界だけ、酷く限定的な未来視の力を持つ魔眼の方。
ほんの数秒先の流血を見るだけのその目で、ここまでの赤色を見たのは初めてだった。
観光客達だけではない、見下ろした自分の身体もまた、ただひたすらに赤い。
数秒先に何が起こるのかは不明、ただ自分を含めた大量の人間が同時に死に絶えるほどの何かが、確実に起こる。
これは、無理だ。
数秒ではこの場にいる全員は救えないだろうという当然の結論を即座に導き出して、他人を容赦なく切り捨てられる自分はやはり、ろくでなしなのだろう。
他者を切り捨て、それでも保身に走った。
逃げ場を探した。
この人生はあまりにもくだらなくて、何より自分はどうしようもないろくでなしだ。
それでも、ここで一生を終えていいのかと問われると、未練がましく否と答えるしかない。
赤色は一面に、おそらくとてつもなく範囲が広い。
少し移動した程度ではどうしようもない。
上を見る、何も異常は見えなかったが直感的に何故か、上に逃げても無駄なのだろうと悟った。
前後左右に逃げ場はなく、上に逃げてもおそらく無駄。
「あれま、詰んじゃった」
ケラケラと笑い声が自然と口から漏れる、これは多分、何をしても無駄だろう。
笑いながらもそれでも目は逃げ場を追い求める、そして――
嘘吐きノエルがくたばった、らしい。
らしい、というのは憶測だからだ。
けど、多分死んだ。
携帯端末に映し出されたそのニュースを、弟が呆然と見ている。
今から二時間くらい前に立ち去った街で、謎の大爆発が起こったらしい。
街は壊滅状態、ヘリで上空から現場を撮影しているカメラマンが偶然そういうスキルを持っていた為わかった事らしいが、爆発が起こったその街に現在生者は一人もいないらしい。
つまり、あの街に存在していたすべての人間が、爆発によって死んだということだ。
当然、街から離れる直前にすれ違うように再会して、自分達と入れ違いになるように街に入ったあのいけすかない嘘吐き女も。
弟の口から細く言葉にならない呻き声が漏れる。
爆発、生者はゼロ、死者数はまだ不明、どれだけの人間が巻き込まれた、ノエルは。
ノエルは、どうなった?
そんな言葉が弟の思考を埋め尽くす。
弟にとってノエルは命の恩人だった、それも二度も命を救われている。
気に食わないことに自分にとってもあの嘘吐き女は恩人だった、弟の命を二度も救われてしまったのだから。
「うそだ……」
ニュースを見て、弟がやっと口にすることができた意味のある言葉が、それだった。
「うそだ、嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ」
そう言いたくなる気持ちはわかる、あのどうしようもない嘘吐きが関わっていることなんて、全部嘘っぱちだと思いたくなるのも当然だ。
けど、今回の事件か事故か、とにかく起こってしまったらしい『大爆発』に関しては、多分そういうわけにはいかない。
なにせ被害が大きすぎる、これがただ『黒髪長髪で右目が頭おかしい色の魔眼のろくでなしな少女がなんらかの事情で死亡したことが確認された』というニュースだったら、自分だって十中八九嘘だと思っただろう。
けれど大爆発だ、それも街ひとつが巻き込まれ、生者は一人もいないとほぼ断言されているような悲惨な事件。
あの女がどれほどの嘘吐きだったとしても、たとえ自分の死を偽装することなんて平然としそうなどうしようもないろくでなしだったとしても、今回の事件は流石に、ただ巻き込まれただけだろう。
ただの、不幸な事故だ。
誰かや本人が意図した『死』ではない、ただ偶然、爆発に巻き込まれただけ。
それでおそらくほぼ確実に死んだのだろう、というだけの話。
弟の動揺が手に取るようにわかる、ここまで弟が狼狽えたのはいつだっただろうか。
自分が知っているだけで過去に三度、いや? 二度目だろうか?
その二度がどちらもあの嘘吐き女に命を救われた時だった、そして今回もまた、あの女のせい。
……本当に、憎らしい、あのろくでなしは何故こうも弟の精神を揺さぶるのか。
憎らしい、大嫌い、死んでしまえ。
ああ、もう多分死んでいるのか。
あの憎らしい笑顔を思い出す、記憶の中にいるノエルと名乗った少女は大体、どんな状態でもニタニタニヤニヤと性格の悪そうな笑みを浮かべている。
死んだらしい少女のことを一通り思い出して、思いの外自分が動じていないことにようやく気付いた。
というか弟が動揺しまくっているので、その分余計に自分はなんとも思っていないのだろう。
そういう人間らしい感情は基本的に弟の担当だし。
けれど、せいせいしたとも喜ばしいとも思わないことは、意外だった。
あんなに大嫌いだったのに、嫌いで嫌いで仕方なかったのに、憎んですらいたのに。
そんな奴が死んでくれたのに、いなくなってくれて嬉しいはずなのに、なんとも思えない。
あのろくでなしの嘘吐き女は死んだ、もういない、もうあれが弟の心をかき乱すことはない。
くだらない嘘を聞かされることも、あの憎らしい笑顔を見ることも、この先永遠に訪れない。
それは喜ばしいことだ、あの女の死は自分にとって吉報でしかない。
それなのに、全然、ちっとも、嬉しくない。
こういう時に喜べる人でなしさを自分は持っているはずなのに、どうしてこんなにも心が弾まないのだろうか。
半狂乱になりながら現場に向かおうとする弟をどうにか宥めて、どう考えても何もかも手遅れだと言いくるめて、ようやく落ち着けることに成功した。
「ノエルが、そう簡単に死ぬとは思えない」
まるでいもしない神に縋るような声だった、そんな声を愛しき弟に出させたあの女がやっぱり嫌いだ。
次あったら極刑にしてしまおう。
来るはずのない『次』に思いを馳せて、そこでようやく少しだけ笑うことができた。
「そうだね、あのろくでなしがそう簡単にくたばるとは思えない。けど……あのそこそこでかい街一つが更地になるような爆発だったみたいだし、多分死んでいると思うよ。……映像見たけどさ、結構酷いでしょ? 僕らが巻き込まれたとしても多分生き残ることは無理だった……僕らに無理ってことは当然、あいつにも無理だよね? あのろくでなしは強いか弱いかで言ったら強い方だけど……それでもただの人間だ」
そして強いといってもその強さはすべて偶然あの女が手に入れて使っていたモノが強かったというだけの話、本人はそれほど強くもないし、頑丈でもない。
自分達兄弟とあの嘘吐き女で殺し合いをしたらどちらが勝つかは正直わからない、けれど同じダメージを受けた場合、死ぬ確率が高いのは圧倒的に向こうのほうだった。
だから、あの街にいたのなら確実に死んでいる。
あの嘘吐き女が爆発が起こる前に街から離れていれば生きている可能性はあるけど、その可能性もほぼないだろう。
あいつの魔眼がもう少し優秀だったら逃げおおせていたかもしれないけど、確か見られるのは数秒先だったはず。
なら多分、何かに気付いたところで逃げる暇もなかっただろう。
「それでも……!!」
「じゃあなんだって言いたい? アレに巻き込まれていたらあのろくでなしが死んでいるのはほぼ確定。あいつが気まぐれに爆発前に街から出ていたかもしれないというわずかな可能性に縋り付く? ……それとも、あのろくでなしがあの爆発事件だか事故の黒幕で、自分の死を偽装するためにあの街を爆破して吹っ飛ばした、とでも?」
「……は?」
「偶然にしては出来過ぎな気はするんだよね。あいつがさ、よりにもよって僕らとすれ違った数時間後に街を吹き飛ばすような大規模な爆発に巻き込まれて死んだ、とか。……あいつそのうち雲隠れしそうな感じだったし……黒幕とまではいかなくても、あの爆発が起こることを事前に知っていて自分の死の偽装に利用した、とか」
僕らは多分、ノエルと名乗ったあの嘘つきに関する情報を他の誰よりも持っているはずだ。
あの嘘吐きにはいろんな顔と名前があった、それを知っていたのは僕らだけ。
本人がそう言っていた、本当かどうかはわからないけど。
それでもそう言った後に『嘘だよ』の一言がなかったから、多分本当。
だから、あいつが死を偽装するのなら僕らにあいつが死んだと思わせるのが一番手っ取り早い。
弟は、ほんの少しだけ考えたらしい。
そういう風に考える余地があるところが、あいつのクズなところだと思う。
「……それは、無い。絶対に」
「その根拠は?」
考えはしたものの絶対にと否定したその心を聞いてみる。
答えなんて聞くまでもないだろうけど。
「ノエルは確かにどうしようもない嘘吐きだし、ろくでなしだ。けれどそれができるほどの悪党ではない」
「ま、だよね。僕もそう思う。あいつにあそこまでやる度胸はない。事前に何か知っていたらあれを見過ごすこともないだろうし、利用することもない。あいつはそこまで思い切りが良くないし、そこまで悪いことができるような奴じゃない。……事前に知っていた上であの爆発を阻止しようとして失敗した……いや、これも多分ないだろうな、そこまでお人よしでもない」
あのろくでなしが事前に何かを知っていたとして、何か行動を起こすとするのならせいぜい安全地帯から注意喚起をするくらいだろう。
それでどうにかなっても、どうにもならなくてもとりあえず何かしらの行動をとれば『やるべきことはやった』からとひとまず満足する、あれはそういう半端者だ。
「じゃあ、あの爆発の黒幕はあいつではないってことで。……それでさ、あの爆発、何が原因だと思う?」
まだ原因は突き止められていないらしく、ニュースでも『謎の大爆発』と報じられている。
「……調査対象だった黒蛾遺跡の鏡は、異宝ではなかった」
「うん、あれは普通の魔法道具だった。古い物だからある程度力があったけど、異宝と呼べるほどではなかった。今回の調査も結局無駄足だったね……というかホンモノだったことの方が少ないけど」
「…………あの爆発、異宝がらみの現象だと思うか?」
「さあ? 異宝級の何かが関わってても、単にテロリストみたいな奴らが大量の爆弾かなんかでも使って街ごと吹っ飛ばした、とかでもおかしくはないかなと思う」
「あの街で、兄さんは何か感じたか?」
「なにも。そっちは?」
「何も」
なんてやり取りをしているうちに、携帯端末が鳴り出した。
画面に映っていたのは『所長』の二文字だった。
「はい」
『よかった!! 無事か……!!』
弟が電話に出るなり、クソみたいにでかい声が携帯端末から聞こえてきた。
「はい、俺達は無事です。二時間ほど前にあの街を出て、先ほどN駅に到着したので新幹線の乗車券を買おうとしていたのですが、ニュースであの街が爆発したと……」
『そうか、ならよかった!! ……いや、よくはないな、よくは』
「所長、あの爆発の原因に何か心当たりはありますか? 今回の調査対象だった鏡は、報告通り異宝ではありませんでした……だとしたら何か別の異宝が? それとも……」
『いや、原因はまだ特定できていない。異宝が関わっているかどうかもまだ不明だ』
「……もし異宝が関わっているのなら、この案件は自分が」
『いや、君達兄弟はすぐにこちらに戻ってきなさい』
無理矢理捩じ込むように所長はそう命じてきた。
『異宝が関わっていようとなかろうと、今回の件で君達に振る仕事は基本ない。あんな爆発事件、十代の子供達には身が重すぎる。よってすぐに帰ってくること! 正義感に駆られたり余計な野次馬根性で現場に蜻蛉返りしようとか、思ったりしてくれるなよ』
「…………ですが」
『駄目なものは駄目だ。まだ何もわかっていないし、今君にできることは何もない』
「……わかり、ました」
『わかってくれてよかったよ、うん。それじゃあ』
「代わりに、一週間ほど休みをください」
『は? 何を言っているのかね君は』
電話口から聞こえてくる声に圧を感じた、多分休んでいる間にあの爆発に関する何かを僕ら兄弟がやろうとしているとでも思ったのだろう。
確かに弟が一人だったらならやりかねない。
けど、そうじゃない、そちらよりも優先すべきことがあった。
……そちらを優先しなければならないくらい、あのろくでなしが弟にとって重い存在だということが、やっぱりどうしても気に食わないけど。
弟は有無を言わせてくれなさそうな所長に、それでもきっぱりと休みを取りたい理由を告げた。
「知り合いがあの爆発巻き込まれた可能性があります」
『…………なんだって?』
流石に向こうの声色が変わった。
圧が消えた、困惑とこちらへの慮りを感じられる声色だった。
「俺らがあの街を出た時に、ちょうど入れ違いになった知り合いがいるんです。……連絡先は知らないから初めから連絡の取りようはない。けど、あいつの連絡先や行方を知っていそうな人達に、何人か心当たりがあるんです。……もしも巻き込まれずに済んでいたのなら、彼ら経由で無事を確認できるかもしれない、だから……」
弟はその先を続けられなかった、話している途中であのろくでなしのことを思い出して言葉が出てこなくなったらしい。
ほぼ確実に死んでいる、生きている可能性なんてほとんどない女が記憶の中でただ嗤う。
本当に嫌な女だ、あれほどタチの悪い女は多分そんなにいないだろう。
ろくでなしのくせに、どうしようもないクズだったくせに、あいつはそれでもお人好しだった。
弟がその死にあそこまで動揺して取り乱すくらいには。
だから、その先の言葉は自分が引き継ごう。
「ってわけで所長、弟が言った通りあの爆発に知り合いが巻き込まれたっぽいんだよね」
『あ、ああ……』
「ものすごい嫌な奴なんだけど、それでも一応、弟の命の恩人ってやつで……ほぼ死んでると思うけど、弟はほんの少しでも生きている可能性があるならその可能性に縋りたいんだってさ。……だからちょっとだけ僕らに時間ちょうだい? あの街には絶対に近寄らないからさ。ただあいつがどうなったか知ってそうな奴らを訪ねて、あいつの行方を聞いて回るだけ」
『…………本当に、それだけか?』
「うん、ほんとにそれだけ。僕だって弟の身を危険に晒したくないし。……危険なことはしないし、させないよ」
そう断言すると、所長はかなり考え込んだ後、深々と溜息をついた。
『……わかった。だが一度こちらに戻ってきなさい。その知り合いを探すのは一度話をしてからにしてくれ』
「ん。わかった。じゃ、移動するから電話切るよ。じゃあね」
『……ああ、また。必ず戻ってこいよ』
「しつこいよ」
そう言いながら通話を切る。
「と、いうわけで一回研究所に戻ることになったよ」
「…………わかった」
返ってきた弟の返答は不服そうだった。
四月馬鹿の時にツイッターで少し話したやつ。




