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一般ファンタジー小説

物乞いの魔法使い

作者: 藍上央理

 その暗い町はごみごみしていて灰色の風景が印象的だ。町といってもそんなに広くはない。領主も地主もいないような孤立した町だ。大きな村の集落といったほうがいいだろうか。雑多に寄り添っていて路地が多くて、家並がぎゅっと詰まった感じの町なのだった。

 町が灰色に見えるのは子供の姿をあまり見かけないためだろうか。路地に出ている商店がほとんど木戸を閉めているせいだろうか、活気がないせいなのだろうか。

 数少ないうちのある子供はそんな風に自分の生まれ育った町を眺めていた。

 好きでもなく嫌いでもない。ただ、のっぺりとした退屈な町なのだ。教会へ行き、読み書きを勉強する。鐘がなって家路をたどる。近所の子供たちはひっそりと大人になるのを待っていて、その子供もおんなじようにひっそり早く大人になるのを待っていた。大人になれば子供にはわからないことがわかるようになるのだと思っていたから。

 貧しい灰色の町にも物乞いはいた。汚らしい物乞いで、しわくちゃで髪はもじゃもじゃで灰色で片足を引きずっていて、それから、いつもおかしなことをしていた。

 朝早く子供が教会へ行く途中、物乞いが大通りのど真ん中で寝転がって歌を歌っていた。

 町の外れの外道を月桂樹の枝ではたきながら、ずっとぐるぐる回りつづけていたりした。

 ときどきくさむらのなかでケタケタ笑いながら転びまわっていた。

 子供はこんな変な大人になりたくないと思いながら、物乞いを見ていた。




 家にいるときに突然家の戸がどんどん叩かれた。子供は慌てて戸を開けると物乞いが立っていた。

 「あっち行け!」

 子供は恐ろしくなって叫んだ。けれど、物乞いはだらんとした顔つきで立っている。子供は怯えてお母さんを呼んだ。裏からお母さんは出てきて、「なに一体騒いでんのさ」といぶかしげに言ったが、物乞いを見ると、途端に、「あらあらまぁまぁ、お腹が空いたんですねぇ、待っててくださいねぇ、何か食べるものを持ってきますからね」と誰かとても大事なひとに話しかけるように物乞いに言うと、台所に飛んでいった。

 子供呆然とした。いつも貧しいひとや卑しい生業のひとと話していけないと教えてきたお母さんが、この物乞いにこんなにも親切にやさしくするなんて。子供にとってそれは非常な驚きだった。

 今までの目付きでなく、何か知らないものを見る目で子供は物乞いを見つめた。

 けれども、物乞いはだらしなくよだれをたらしながら、食べ物を待っているだけだった。

 物乞いが帰ってしまったあと、子供はお母さんに尋ねた。

 「なんであんな汚いひとに食べ物を分けたりするの」

 「子供には関係ないことだよ」

 お母さんは厳しくそう言うとそれっきり子供の問いかけに耳を貸してはくれなかった。

 それ以来、子供は暇があれば物乞いのあとをついて回るようになった。




 物乞いはやっぱり物乞いにしか見えないし、木にぶら下がって叫んでいたり、雨の日には素っ裸で踊っていたり、おとなしい日は大きな葉っぱを傘代わりにしてじーっと石のように動かなかったり、特別なことも何にもしなかった。

 夕方になるとどの家でも子供の名前を呼んで帰るようにほどこすので、子供も同じように帰らねばならなかったけれど、その日はちょっぴり魔がさして、お母さんやお父さんの声を無視した。そして、そのまま、ボーっと座りこんでいる物乞いを隠れて見ていた。




 だんだんと薄闇が忍び寄ってきて街路は真っ暗になってきた。家の隙間から漏れる明かりがかすかに道を照らしている。煮込み野菜のいい匂いがどの家からも漂ってくるが、子供はぐっと我慢した。お腹もきゅるきゅるなったが両手で押さえて我慢した。

 すっかり紺色に染まってしまった風景のかなたでふくろうが鳴いている。なにかわけのわからないものがばさばさと動いている。子供にとって暗闇は堪えがたいくらいに怖いものだった。家に帰りたいという気持ちも心の底に押し込めて、ただただ物乞いを見張っていた。

 すると、どのくらい経っただろうか、ランプの光がゆらゆらと近づいてくる。子供はお父さんが自分を探しに来たのかと思った。少し期待して胸がどきどきした。けれど、そのランプは子供の期待を裏切って、物乞いの前に立ち止まった。

 ランプを持ったお腹の大きな女のひとは、なにか物乞いに話しかけていた。物乞いはうんうんとうなずいて、また何事もなかったようにランプの女のひとは去って行った。子供は怖いのとわけがわからないのとで、その場を立ちあがって自分も急いで家に帰っていった。

 もちろんその晩は帰ってこなかったことでこっぴどくしかられて、晩飯抜きで納屋に閉じ込められてしまったけれど。



 次の日、子供はあの女のひとを捜した。なかなか見つからなかったけれど、お母さんが卑しい生業をしているといっていた女のひとだとわかった。けれど、そのお腹はあんなに膨れていたのにぺったんこだった。子供にはそれがどうしてなのかわからなかった。




 子供は頭を使うことにした。晩飯時には帰って、寝たふりをしておいてこっそり窓から外に抜け出てしまうのだ。そして、今度はろうそくを持っていって暗くても怖くないようにと考えた。

 それから毎日毎日、夜になると物乞いを見張り眠たくなったら家に帰って布団に潜り込んだ。

 ある晩、子供がいつものように見張っていると、小さな赤ん坊を抱えた男が物乞いの元にやってきた。そしてなにか話しかけ、そのまま去って行った。ただそれだけだったが、子供はその男のひとを知っていた。近所の友達のお父さんで、兄弟が十人もいるのだ。そう言えば最近弟が生まれた、と言っていた。多分あの赤ん坊はその弟なのだろう。

 友達のお父さんは物乞いになにを頼んだのだろうと、子供は考えたけれど、なんにもわからなかった。




 翌日、子供は友達の家に遊びに行った。そして、「生まれたばかりの赤ん坊はどこ」と訊ねた。

 友達は、「いなくなっちゃった」とだけ答えた。

 子供は身震いした。怖くて仕方がなくなって、友達が引きとめるのも聞かないで、家に帰って布団のなかに潜り込んだまま震えていた。




 あの物乞いは魔法使いなんだ。それもとっても悪い魔法使いなんだ。大人が子供を消してくれと頼むと消してしまう恐ろしい魔法使いなんだ。お父さんやお母さんのいうことをきかない子供はああやって物乞いに頼まれてどこかへ消されてしまうのだ。子供は自分も大人を怒らせたり嫌われたりしたらああやって消してくださいと頼まれてしまうのではないかと恐ろしくて恐ろしくて仕方がなかった。




 朝になって目が覚めても昨夜の恐怖を忘れることが出来なかった。物乞いを見かけるたびに、びくびくし、大人がたいそう大事に扱うわけがわかった気がした。




 子供は日に日に元気がなくなった。いつ自分が消されてしまうか不安で夜も眠られなかった。真っ青な顔をした子供を見てお母さんもお父さんも大変心配してくれたが、あのことを知っていることがわかってしまったら、すぐにでもお父さんとお母さんは物乞いの所へ行くかもしれない。

 子供は教会を出ると、あの物乞いを探して町中を走り回った。




 物乞いは町外れにいた。もう日が暮れかかっていた。物乞いは小さな花を道端に並べていた。にこにこしながら歌っている。

 悪い魔法使いは馬鹿の振りをして、子供たちを大人に言われるままに消しているんだ、子供の心が大きく揺さぶられた。

 子供は思わず叫んで怒鳴って拳を振りながら、物乞いに向かっていった。

 物乞いはすぐに気付いてびっくりして泣き叫んだ。縮こまって、身体を震わせているだけで子供に殴られるがままだった。

 子供は夢我夢中だった。怖くて仕方なかったからだ。

 ところが、なにかがぴしぴしと子供の足を鋭くはたいてくる。

 あまりに痛いので子供は怖くてつぶっていた目を開き、物乞いを叩くのをやめて足元を見た。

 驚いて声が出そうになった。

 親指くらいの小さな小さな子供たちが手にいろんなものを持って懸命に子供の足をはたいていた。残りの小さな子供たちは物乞いを取り巻いて恐々と子供を伺っている。

 子供は大きく口を開いたまま呆然としていた。子供が物乞いを叩くのをやめたとわかると小さな子供たちはパッと手に持っていたものを捨て、パタパタと茂みのなかに走り込んで行った。

 夕暮れた道に子供と物乞いだけがいた。

 物乞いは寝転がったまま茂みに手を振っている。

 子供は茂みを見つめた。穴があくほど見つめたけれど、もう、あの小さな子供たちは見えなかった。




 子供はもう物乞いに道で会っても怖くない。お父さんやお母さんも怖くなかった。ただ、あの小さな子供たちにもう一度会いたいなぁと思うようになった。

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