ジーク 4
「何か違和感はありませんか? 頭痛がするとか、気持ちが悪いとか」
ラフィタ神官がこういう質問をするということは、結魂の試練で体調を悪くする者もいるらしい。試練というほどだから、むしろそれが普通なのか。
「いや、別に。むしろこれほど調子がいいのは生まれて初めてというぐらいだ」
「そうですか……。では次の試練に進みましょう」
あっけなく終わったため、試練という言葉に違和感を感じる。誰もが今の俺のように幸福感に満たされ、神官の言うように教会の上層部が堕落しているなら、快楽を得るためだけに試練を受ける者もいるだろう。
部屋を出る神官の後をついて行く。移動中にニーナと2タット以上離れたが、手を離した時ほどの変化も感じなかった。
移動した部屋には、石の球が七つあった。それぞれが短い柱の上に置かれている。石球はこぶしほどの大きさから、回した手が届かないほどの大きさまで、順に並んでいた。石球を置いた柱の太さはそれぞれ石球の半分ほどだ。
「小さい方から順に、石を動かしてください」
さっきの試練で2度目にコップを倒した時、自分の中の何かがコップに向かって広がるのを感じた。その感覚を使って、まず一番小さい石球をその何かで包むと、わずかに手ごたえのようなものを感じた。集中すると、その手ごたえがはっきりしてくる。
石球が持ち上がる光景を頭に思い浮かべると、その通り柱から石球が浮く。ほとんど抵抗は感じない。そのまま隣の石球にも自分の、おそらく霊魂の力を伸ばすと、今度はすぐにしっかりした手ごたえを感じる。この石球を持ち上げて、さらに隣の石球も持ち上げる。
その次の石球は、おそらく人が持ち上げられるかどうかの重さだろう。他の石球のようには持ち上がらなかったので、浮かべていた3つの石球を降ろす。霊魂の力を4つ目の石球に集めると、それほど苦労せずに持ち上がった。それを降ろして5つ目の石球を持ち上げようとするが、ガタガタと音はするものの完全には持ち上がらない。
突然俺の頭に、俺とニーナが並んでいる後ろ姿が映った。これはアイラの視点だ。アイラが自分の魂も俺達に重ねたのだ。
高揚感が湧き上がり、力がこみ上げてきて石球はあっさりと浮かんだ。残りの2つ、6つ目と7つ目の石球を同時に持ち上げる。余力はあまりなく、ほとんどの力は7つ目に集中させる必要があった。少ない余力を降ろした石球にまとわせて、全てを持ち上げる。空中をゆっくりと舞う7つの石球。
しばらくして、自分の中から何かが漏れ出すような違和感を感じた。このまま続けることもできそうだったが、ニーナとアイラはすぐに力を抑え、石球は全てゆっくりと床に落ちた。2人の魂は俺から離れた。彼女達の視点が見えなくなった。
元の状態に戻っただけだが、魂が離れる前の満たされた自分と比べれば落差は大きい。意味もなく落ち込んでいる気分だ。誰も何も話さず、部屋は静寂が続いた。
「驚きましたよ。驚き過ぎて声が出ませんでした」
ようやく神官が声を出した。あっけにとられたような表情をしている。
「この試練は、石を柱から落とすことが目的です。石を浮かべたという話は聞いたことがありません。この試練での合格は4つ目の石を落とした時で、一番大きな石は過去に揺らいだことさえありません。合格までは最短でも5日かかり、合格をあきらめる人もいます」
声に興奮が混じっている。
「しかも、複数の石に対して同時に力を働かせている。小さい方の2つを同時に落とした方はいますが、落とすだけなら力を働かせるのは一瞬です。3つ以上に持ち上げ続けて、しかも個別に力の加減をしている」
神官らしくない、派手な手振りまでして見せる。
「さらに! 最後はアイラとも魂を重ねていましたね。そしてその時の力は信じられない物でした。本当にありえないことばかりです」
興奮しすぎたと思ったのか、神官は深呼吸して気持ちを静めている。
「試練では普通ひどく疲弊して、気を失う者も少なくありません。肉体と違って霊魂の疲弊はなかなか回復せず、損傷すると元に戻らない場合もあります。霊魂は苦痛をあまり感じないので細心の注意が必要です」
俺は彼女達に、魂の重なりを解いた理由を訊いたが、彼女達にはその時の記憶がほとんどなかった。結魂の力を使うときは、巫女の心の意識ではない領域が使われるそうだ。
魂を重ねた時、一部だけだがニーナ達の記憶が俺の心に流れ込んだ。それはあまり幸せな記憶ではなかった。ニーナ達が部屋を出た後、俺はラフィタ神官に、ニーナ達がこの館でどのように暮らしていたかを訊いた。
彼女は5歳の時に悪魔憑きとして教会に預けられた。彼女の示した霊魂の力は極めて強かった。すでに巫女として迎える年齢は過ぎていたが、例外として巫女の館へ送られた。
他の巫女のような『特別な教育』を受けていなかったニーナは、女官達の言葉に対して疑問を持つと自分の意見を譲らず、従順な他の巫女に慣れていた女官達はやがて彼女を持て余した。巫女達も女官に倣って彼女を無視するようになった。
唯一、ニーナとの接触を避けなかったのが幼いアイラだった。アイラは大人達が嘘をついたり曖昧なことを言ったりすると、すぐにそれを見抜いた。そのため女官達から疎まれることになり、似た境遇のニーナと一緒にいることが多くなった。アイラはニーナを姉のように慕い、ニーナも愛情でそれに応えた。
巫女には霊魂の力を高める、または衰えを防ぐための訓練が課せられる。10歳になると、さらに結魂の試練でワカミを導くための訓練も追加される。ニーナやアイラもその訓練を受けたが、女官の指導に盲目的に従う他の巫女達に比べると、2人は出来の悪い生徒だった。
「そういうことですか」
結魂の試練で、彼女達が俺に対して過大な好意を持っていることが分かった。
俺が彼女達にしたことが、それだけの好意に相応しい物とは思えない。
彼女達はこれまで、周りの人々に理解されることなく辛い思いをしてきた。
苦しいときに差しのべた俺の手を、彼女達が他にはない貴重なものだと思ってしまったとしても、それは仕方のないことだろう。
俺はもう一つ、結魂の試練が俺には試練と感じられなかった理由についても尋ねた。
「これは私の推測ですが、貴方があの子達に対して心を開いていたからではないでしょうか。普通は巫女の心はワカミに伝わっても、ワカミの心は巫女に伝えません。ワカミとして選ばれるのは、清廉潔白とは言えない者が多く、その心が巫女に伝われば魂の重なりは解けてしまいます。そのため、ワカミとなる者のほとんどは、己の心を見せないための訓練をします」
それなら、俺の記憶も彼女達に伝わっているのか。更に神官に尋ねた。
「いいえ。伝わるのは結魂の力を使っている間に考えていたことだけです。魂の重なりを解けば、意識の薄まっていた巫女は、夢から目覚めた時のようにほとんどを忘れてしまいます」
「意識を保ったまま魂を重ねることはできないのか」
「巫女が意識を保ったままだと、結魂の力は弱く、互いの心も伝わりません。ワカミは巫女から受け取ったわずかな力を、自分で制御する必要があります」
色々と考えて、俺はラフィタ神官の提案を受けることにした。平安な状況なら、彼女達が巫女の館を出て社会に復帰することは可能だろう。苦労はあるだろうが、俺もできる限りの協力をする。
だが魔獣の危険が拡大している今、この地では身寄りのない俺に十分な手助けができるとは思えない。全ての闇木を破壊しなければ魔獣はこのまま増え続けるだろう。だが神官の話では、現状で闇木の破壊に向かえるのは俺だけだ。
吊り橋で人々が襲われた時の記憶がよみがえる。俺がここを離れてどこかで生活の場を得たとして、そこであの惨状が再現されるかもしれない。そしてその中に、彼女達が含まれているかもしれないのだ。
ただ気になるのは、それが本当にニーナ達のためなのか、ということだ。彼女達と魂をつないだ。あの体験は俺にとってあまりに魅力的だった。あの幸福感に満ちた状態に戻りたい。その気持ちが、結魂の力を使うことで彼女達が受ける危険を低く思わせていないか。
神官に、過去にワカミと共に闇木を破壊した巫女について、その後どうなったのかを訊いた。死んだ者はいないようだが、霊魂に傷を負って人柄が一変したり、中には心が壊れてしまった者もいたようだ。そういったケースは、力を使っている時にワカミが苦痛から逃げようとして、巫女に負担を押し付けたために起こったという。
俺達の結魂の力は強大だから、闇木の核を一瞬で破壊することも可能だろう。巫女が二人なら負担はさらに半減するはずだ。神官はそういった。
しかし俺が全力を尽くしても、彼女達の負担がなくなるわけではない。破壊しなければならない闇木は1つや2つでないのだ。長い間の放置で、これまでになく巨大な闇木が存在する可能性もある。
何かもっと良い方法はないか。俺はそれを考え続けた。
館に来てから50日が過ぎ、頼んでいた甲冑と槍が出来上がった。傷も跡は残っているが、機能はほぼ完治したといっていいだろう。
甲冑は鍛造の鉄板を重ねたもので、魔獣の爪に耐える強度がある。動きが制限される面もあるが、腕と胴の接合部分には工夫をしている。槍は一タット半の長さで、鍛造の柄の両側に鍛造の刃がついている。甲冑は俺の体重の半分以上、槍は1/10の重さがある。
普通なら重すぎて、魔獣どころか人との戦闘でも相手について行けないところだが、俺達には結魂の力がある。2人の力を俺の体を動かすために使うのだ。
霊魂の力で霊魂のある魔獣の肉体を破壊するのは、結魂の力であっても容易ではなく、霊の多少の損傷は覚悟する必要がある。しかし動かすのが結魂の片方の体で、攻撃にはその手に持つ武器を用いるなら、霊の損傷はなく力の消耗も少なくなる。
武装を着けた状態で結魂の力を使って訓練を行ったが、5日後には一通りの成果が出た。肉体での訓練よりずっと短い期間で力を使いこなせるようになった。
従来なら、ワカミと巫女が死の森に入るときは、2人が頑強な檻に囲んだ御輿に乗って20人の僧兵によって担がれる。さらにその周りを数百人の僧兵が囲んで警護する。御輿は人の約15倍の重さがあり、それを担ぐ僧兵は定期的に交代する。
俺達が死の森に入るときに御輿に乗るのはニーナとアイラだけで、御輿は一回り小さく余計な装飾もいらない。重さは人の8倍もないため、12人の僧兵で十分担げる。その周りを囲むのが28人の大楯を持った僧兵だ。
兵が少数なのは、俺が魔獣を全滅させる間だけ持ちこたえれば良いからだ。役目は二人を守ることだけで、魔獣を倒す必要はない。
大楯は、長さ1タット半の上下を尖らせた鉄棒を、1/12タット間隔に7本並べて2本の横棒で固定したものだ。矢で撃たれたり槍で突かれたら盾の効果は全くない。その役目はあくまで魔獣の爪や牙を通さないことだ。魔獣に体当たりをためらわせるため、前方に6本の短い杭を付けてある。
魔獣が現れれば、檻を中心に円になるよう大楯で囲み、鉄棒の下側を杭のように地面に打ち込んで、隣の盾とカンヌキ棒で繋ぐ。そして檻を降ろした12人が、担ぎ棒も兼ねた6本の大槍をそれぞれ二人で持ち、鉄棒の隙間から魔獣を突く。他の兵も手槍で各自攻撃する。
俺達の部隊が魔獣を相手に戦えるかを確認するため、死の森の石壁に近い場所で実戦訓練を行った。
最初に遭遇したのは3頭の群れだった。森の端だけあって数が少ない。ニーナとアイラの入った檻を、さらに盾の檻が守る。魔獣達は数十本の槍が突き出された盾の檻には近付かず、俺の周りを取り囲んだ。
俺には自分の視点の他に、ニーナとアイラの視点がある。ニーナには檻から見て俺のやや左、アイラにはやや右を見るように言ってある。おかげで取り囲まれた状況でも、全ての魔獣の位置と体勢が手に取るように分かる。
3頭が散らばると、俺は他の魔獣から最も離れた1頭に向かって、落下するかのように加速した。3タットの間合いが2バクもかからずに詰まる。
人の動きは獣よりずっと遅い。甲冑を着ていればなおさらだ。これは筋力の違いもあるが、重心の位置の違いも大きい。脚を使って加速するときは、重心の高さが低いほど、重心が踏み位置より前にあるほど力が入りやすい。槍を持って構えた姿勢より、手が地面に付きそうなほど前傾した姿勢の方が、加速しやすいのは明らかだ。
しかし結魂の力を使えば、それが人の重みを支えられる程度の力でも、あらゆる姿勢からあらゆる方向に、人の成す最大に近い加速ができる。
魔獣は俺の予想できない動きに反応が遅れた。体を加速させていた力を右腕だけに集中させて、自らの筋力と合わせて槍を突く。人の技を遥かに超える槍の早さと、全力疾走に相当する体の突進力が合わさり、穂先は魔獣の顔面を貫いた。
この人を超えた力が、槍を持つ指や手首にかかり続ければ、関節への負担が蓄積されていずれは動かせなくなるだろう。それを防ぐため、甲冑の籠手にはフックを付けてある。フックを槍の柄につけた短い横棒に引っ掛けて、打撃の反動を小手に伝える。更に接合部の工夫で、腕を伸ばした状態なら甲冑のヒジ、上腕、肩へと力が伝わり、最後は胴が受け止める。
体を反転して槍を右脇に持ち変えると、柄の逆にも付いた穂先が目の前にある。引き抜く勢いのまま次の魔獣に向かう。迎え撃とうとする身構える魔獣の間合いに入る前に、結魂の力で上体を減速。前へ出た両脚で踏ん張り、結魂の力と合わせて横へ跳ぶ。不用意に横腹を見せていた別の魔獣を槍で突いた。アイラの視点が魔獣の油断を捉えていたのだ。槍は肋骨の間を通り心臓に達した。
槍を抜こうとする俺に、残りの一頭が背後から跳びかかる。しかし俺には余裕があった。抜くのが間に合わなければ、槍を置いて逃げて予備の槍を隊員から受け取ることができる。柄の逆に付いた穂先で迎え撃つこともできる。だがニーナの視点で見ると、抜いてから避けてもまだ時間がある。槍を抜き、振り返らずに跳びかかる魔獣のさらに上まで飛び上がる。
結魂の力を使えば、いざというときには魔獣の届かない高さで浮かび続けることもできるが、力は断続的に使った方が彼女達の負担は軽くなる。すぐに倍の勢いで落下して、魔獣の着地と同時に、俺の体重と勢いを乗せた槍がその首の骨を断ち切った。
俺が最初に動いてから、10バクもかからなかっただろう。槍を抜き魔獣の背から降りた俺を、隊員たちのどよめきが迎えた。
次に戦ったのは6頭の群れだった。2頭が俺に向かい、4頭が隊員たちを襲う。盾の檻は俺が2頭を倒す5~6バクの間、十分に機能を発揮した。1頭の体当たりによる衝撃を、複数の盾とカンヌキ棒がしなって吸収し、さらに内側から数本の槍が魔獣を突いた。俺がさらに3頭を倒す間に、盾の檻の反対側にいた一頭は逃げた。
ニーアとアイラの世話をしてくれているカルラが、俺の所へ水を持ってきた。隊にいる女僧兵の一人だ。御輿に乗った2人の世話は、やはり女性でないと頼めない。カルラは教会の女僧兵の中で最も腕の立つ一人だ。背丈は俺と変わらないほどだが、可愛らしいと言っていい顔立ちだ。
6頭の群れの近くに、3タット程の高さの闇木があった。この大きさは生えてから1年ほどらしい。幹の上端に核が透けて見えた。結魂の力を高めて槍で突いてみたが、幹には傷がつかず穂先が欠けただけだった。
闇木の枝には、鋭利に尖った菱形の葉のようなものが数十個付いている。葉にしては分厚く、厚みが幅の半分ほどある。枝と葉がつながっている部分は髪の毛より少し太い程度だが、槍で力を込めて払っても、その部分は折れずに槍を受け止める。異様な頑丈さだ。
結魂の力で闇木の核に触れてみた。触れるだけなら特に問題はない。しかし核に力を加えると、背筋がぞっとするような不快感を感じる。破壊できないとは思わないが、ニーナとアイラへの影響が気になる。他に方法があるならそちらを選びたい。
闇木から5タットほど離れて槍を構え、結魂の力で加速する。魔獣を倒した時よりさらに早い。そして右腕に力を移して全力の突きを出す。狙いは一枚の葉の根元だ。手が痺れるほどの衝撃があったが、枝からその葉は消えていた。消えた葉を隊員と共に探すがなかなか見つからない。十数タット離れた木の幹に深く刺さっていた。
隊員に、持ち上げられる最も重い石を探すように言ってから、大槍の一本の刃を外して代わりに闇木の葉を取り付ける。しばらくして2人がかりで運んできた石に、ロープでその大槍を結びつけた。
結魂の力で石を持ち上げる。そのちょうど真下に大槍がぶら下がるようにロープの位置を調整する。そのまま高く持ち上げ続けると、50タットほどで持ち上げ続けるのが難しくなった。力が足りないわけではなく、点のように小さく見える石に上手く力を集中できない。
俺達はそこから闇木に向けて石を引き落とした。ぶつかった瞬間に石は砕け散り、闇木の上には大きく曲がった大槍の柄があった。その先の闇木の葉は、砕けながらも幹の上面を貫通して、破片が核に食い込んでいた。核の形がゆっくりと崩れていく。
想定以上の成果が得られた。訓練を終えるため森を出ることにする。
ウムライに戻った翌日、次期教主候補の一人からの使いが俺を訪ねてきた。失礼にならないよう話は聞くが、ラフィタ神官の話もあってなるべく関わりを持たないようにしている。こういう連中の常で、肝心なことになると回りくどい表現をする。俺は外国人であることを利用して、わざと理解できないふりをしていた。
今日訪ねてきたのは初めて聞く名だったが、家名が俺の探しているストイの医者と同じだった。聞いてみるとその医者は教主候補の血縁者で、今はストイから避難してウムライの屋敷にいるという。薬の必要な母のため、俺はその屋敷へ出向くことにした。




