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結魂の力  作者: トンボの目
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ジーク 3

「ぐ……」


 右腕の痛みで目が覚めた。目の前には星空が広がっている。俺は地面の上で仰向けに寝ているようだ。誰かが俺の右手を掴んでいる。暗くて人影としか見えないが、ニーナだろうか?


 ほぼ全身に痛みを感じるが、特に痛むのは右腕だ。横になったまま、こわばって動かしにくい左手を動かして右腕に触れる。探ってみると肩を脱臼しているようだ。左手の指には包帯のようなものが巻いてあった。


 顔に水滴が落ちるのを感じた。星空なのに雨かと思ったが、星空の一部が何かに遮られて見えない。誰かが俺の顔を覗き込んでいるのだ。たぶんアイラだろう。


「手首とヒジを掴んでくれ」


 そう頼んでから、左手を右の脇に差し入れ、痛みに耐えながら右腕を外側へ押す。


「ヒジを曲げて手首を高くした状態から、手首をゆっくりと外側に倒すんだ」


 手首が地面に近付くまで倒れたところで、腕の骨が肩にはまったようだった。試しに力を入れてみると、痛みはあるものの左手に右腕の動きが感じられた。


「これで大丈夫だ」


 ニーナが何か言ったが、俺には聞き取れなかった。




 次に目が覚めた時には、もう日が高くなっていた。ニーナとアイラが俺の顔を覗き込んでいた。


「おはようございます」

「おはよう」

「……おはよう」


 頭上から俺を見ているニーナの顔が意外なほど近い。後頭部に当たっている柔らかい物が少し動いた。これはヒザ枕か?

 気付いた俺は慌てて身を起こそうとしたが、強い痛みを感じて再び頭を落とす。


「無理をしてはいけません」


 ニーナが俺の頭を優しく撫でた。


 手やヒジには丁寧な手当がしてあった。のどが渇いたのでアイラから水を飲ませてもらった。少し熱があるようだが、このくらいなら薬は必要ないだろう。




 包帯を変えるときになって、自分が裸なのに気付いた。腰には何かの布がおむつのように巻いてある。俺の裸を見ても、ニーナは全く表情を乱さない。最初の手当ての時に見られているわけだから、今さらなのかもしれないが、この年頃の女の子がここまで気にしない物だろうか。




 困ったことに、尿意をもよおしてきた。


「まだ動いてはいけません」

「その……。出そうなんだ」

「そのまま済ませて下さい。後で布を交換します」


 さすがにそれはできない。


「小さい方の革袋の水を大きい方に移してくれ。空いた方を尿瓶の代わりにする」


 革袋を持ったニーナが腰の布を解こうとしたのには焦った。革袋を受け取って自分で用を足し、後の処理はアイラに頼んだ。




 ニーナが自分の体の匂いを嗅いでいる。昨日のことで、かなり汗をかいているはずだから、それが気になるんだろう。体を拭くための手布に水を含ませていたかと思うと、突然俺のそばでニーナがシャツを脱ぎ始めた。俺はあわてて顔をそむけた。




 流石にその日はほどんど動けなかったが、少しづつ柔軟体操を繰り返して翌日にはゆっくりとなら歩けるようになった。脱臼していた右腕は、肩を布で縛って固定してから3角巾で吊った。


 ニーナの態度が明らかに変だ。

 俺が何かを頼むと、驚くほど素直に従ってくれる。本来ならありがたいと思うべきなんだろうが、正直に言って俺は嬉しくなかった。


 あの日までは、俺の言葉や行動に対してニーナは面白いほど様々な表情を見せてくれた。もちろん肯定的なものばかりではなく、俺が彼女の気持ちを正しく理解していた自信もない。しかし今は、何を言ってもただ微笑んでいるだけだ。


 俺が軍隊にいた時、同じ部隊に人間として軽蔑したくなる男がいた。高官の子息ということで、兵士なら成すべきことを何もせず、やたらと威張り散らしていた。正義感にかられてその男に忠告したとしても、隊の任務に支障をきたすだけだ。皆はその男に対して愛想笑いをして受け流すだけだった。


 屈辱に感じるような行為を強いられても、その相手が自分にとって価値の無い存在なら心は傷つかない。人に罵倒されるのは辛いが、見知らぬ犬に吠えられてもうるさいだけだ。咬み付かれそうにならない限り無視すればいい。


 自虐的過ぎる考えかもしれないが、俺には心当たりがあった。あの時の俺の言葉だ。命のかかった状況で聞かされて、しかも俺の目論見は完全に失敗していた。説明しても言い訳にしか聞こえないだろう。あの言葉は、ニーナをここまで変えるほど彼女を傷つけたのだ。


 たとえ軽蔑する男でも、助けられた相手でしかもケガ人だ。俺のケガが治るまで、彼女は自分の気持ちを抑えることにしたのだろう。あの時は覚悟の上だったが、俺は自分の愚かさを後悔せずにいられなかった。




 俺の手に巻いた布を解きながら、ニーナがアイラに言った。

「アイラ。ワカミの傷に巻く包帯を持ってきて」

「はい」


 ワカミ? 俺のことのようだが、どういう意味だろう。そういえば崖で気を失ってから、ジークと呼ばれた記憶がない。俺の怪訝な顔に気付いたニーナが言った。


「これからあなたを、ワカミと呼んでもいいでしょうか」

「どういう意味の言葉かな? 知っている通り、君たちの言葉には詳しくないんだ。できれば今まで通りジークと呼んで欲しいけど」

「ワカミはワカミです。私はあなたがその呼び名に相応しいと思います」


 笑顔でそう説明する。俺に相応しい呼び名なら、あまり良くない意味だろう。


「そうか。ニーナが呼びたいように呼んでくれ」

「はい。ありがとうございます」


 その後、アイラも俺をワカミと呼ぶようになった。




 次の日の昼過ぎに、再び彼女達の家に向かうために出発した。最初ニーナは自分が先導すると言ったが、俺より軽いニーナが大丈夫だからといって俺が踏んでも大丈夫とは言えない。俺の足元が崩れ落ちたら、彼女達が俺を引き上げることは筋力的に難しい。


 そう説明すると、ニーナは自分の意見にこだわることなく俺に先導を任せた。俺はまた井形の竹を腰に付け、アイラやニーナとロープで体を繋いで歩き始める。


 以前と違って、2人は道中でほとんど話をしなかった。俺とだけでなく、2人の間でも会話は無かった。真剣な顔で、気を緩めることなく周囲を警戒し続けている。できればもう少し俺を頼って欲しいが、人格に対する不信感がなくても満身創痍で片手が全く使えない状態では無理だろうな。




 3人で旅を始めてから、初めての民家を見つけた。庭で穀物の穂を叩いている老婆に状況を訊く。警戒されないように質問はニーナに任せた。


「こんにちは」

「はい、こんにちは。あんたたち、山の方から来たのかね」

「ええ。あの山を越えてきました」

「無茶だよ、あんたら。よく穴に落ちなかったもんだ」

「危険なことは分かっています。向こう側で魔獣に襲われて逃げて来たんです」


 老婆は驚いたように手を止めた。


「魔獣かい? 本当にいるのかい。

 町に行った息子が、大騒ぎだったって話をしてたが」

「町にも魔獣が出たんですか」

「いや、そのうち現れるんじゃないかって話じゃよ。中央街道よりこっち側にはまだ魔獣来てないらしい。3日前の話じゃがな」


 老婆に礼を言って別れる。



 周囲に人家が増えてきた。人通りはそれなりにあるが、不安げに話し合っている人を多く見かける。その中の一人の若者がしばらくこちらを見つめていたが、ようやく気づいたように声をかけて来た。


「アイラ様。ニーナ様も」


 こちらに駆け寄ってくる。


「どうされたのです。そのお姿は?」

「私達はストイのお城に行って王様にお会いしたのですが、その帰りに魔獣に襲われたのです。そこをこちらの……ジークさんに助けていただきました」


 ニーナがそう説明する。他の人に紹介するときは、やはりジークなのか。

 さらっと王様という言葉が出たけど、この2人は思った以上に高い身分なのか。


「では、これから巫女の館にお戻りになられるのですね」

「はい」

「私は先に行ってお伝えしておきます」


 若者は走って行った。彼女達の家は巫女の館と呼ばれているのか。というと2人は巫女なのか? この国の神職に巫女があるとは知らなかった。


「巫女というと、男性に触れられてはいけない、とかの規則があるのか」

「触れるぐらいはかまいませんが、親密な関係にならないようにとは言われています」


 親密な関係か。心の距離はともかく、この旅で起こったことを並べればそう取られないこともない。彼女達の保護者と話すときは、その点を注意しておいた方が良いな。




 そのまま道を進んでいると、前方から馬車がやってきて俺達の前で止まった。6人乗りの大く立派な作りで、先ほど思った高い身分というのが裏付けされたようだ。馬車から神職らしい男性が降りてきた。


「大丈夫でしたか、ニーナ、アイラ。その恰好を見ると、苦労したようですね」

「はい、ラフィタ様。この方の助けがなければ、私達の命は無かったでしょう」

「そうですか。それは大変お世話になりました。私はこの子達が暮らす巫女の館で神官を務めているラフィタと申します」


 神官か。巫女が異教徒と旅をしたというのは問題になるんだろうか。しかし嘘をつくわけにもいかない。


「俺の名はジークと言います。ナントから来たばかりです」

「ナントというと、マライ教の方ですね」

「はい。あまり熱心な信徒とは言えませんが」


 このスタールにも2割ほどマライ教の信者がいるが、宗教的な対立があるという話は聞かない。特に悪い印象を持たれたわけではないようだ。


「とりあえず、馬車にお乗りください。詳しい話は館の方で」

「せっかくのお心遣いですが、俺はこのウムライで預かった荷の届け先を探さなくてはいけません。ここでお2人とはお別れしよう思います」

「ダメです!」


 ニーナの予想もしない激しい口調に驚いた。あまり長く一緒にいると、彼女達には良くないことになるかもしれないんだが。


「ラフィタ様。この方のケガは私達の命を助けていただいた時に負われたものです。その傷も癒えないうちにお別れすることはできません」

「そうですか。では貴方をこのまま行かせるわけにはいきませんね。

 届け物でしたら、私の方で手配しましょう」


 義理堅い子だな、ニーナは。もしかすると、思ったほど悪く思われているわけじゃないのか。とりあえず馬車に乗せてもらうことにする。


「この子達の命を助けていただいたそうですが、どういうことがあったのでしょう」

「彼女達が崖から落ちそうになって、俺は彼女達が登る間ロープを掴んでいました」


 ニーナは、何故か唖然とした顔で俺を見た。間違ったことは言っていないはずだが。


「わたしは2回命を助けてもらったの。吊り橋が落ちて私が溺れた時に、ワカミがわたしを川から」

「アイラ!」


 アイラが『しまった』という顔をした。ラフィタ神官の表情が、受けた衝撃の強さを示している。しばらくして、神官がニーナに厳しい顔で言った。


「どういうことです、ニーナ」


 少し間を置いて、ニーナが意を決したように言った。


「この方は私達のワカミです」

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