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結魂の力  作者: トンボの目
2/10

ニーナ 1

 吊り橋の向こう岸には、ロープを括った左右の柱に向かい、高く剣を構えた兵士達がいた。


「魔獣が橋に足をかけたらロープを切れ」


 先に渡っていた副官のナドルさんが兵士たちに命令する。ちょうど対岸に着いた私が振り返ると、アイラはまだ2タットほど後ろにいた。私はナドルさんに訴えた。


「待って。アイラがまだ」


 対岸の魔獣が、吠えると同時にこちらへ跳んだ。


「今だ」

「ダメ!」


 ナドルさんの一言で、兵士達が橋の左右のロープを断ち切った。私の目の前で、橋やその上の人々と共にアイラが落ちていった。アイラはずっと私を見つめ続けていた。川面で大きな水しぶきが上がるまでの間、時の流れが遅くなったように感じた。


 水しぶきが治まったときに見えたのは、対岸の岩場に登る魔獣と、流れに引かれる橋の残骸だけだった。私は流れを追って川沿いの道を走った。激流は轟々と音が聞こえるほどで、幾つか見えていた人の姿もすぐ見えなくなった。




 足がふらつく。

 走っているのに歩くほどの速さにしかならない。


 道から見えた広い川原に人の姿があった。距離があってはっきりとは分からないが、座っている男の前に誰かが横たわっているようだ。急いで川原に駆け降りる。

 あれはアイラだ。そう感じた私は走りながらアイラの名を呼んだ。近付くとアイラの白い服に赤いシミがついているのが分かった。外套が脱がされ、スカートが捲り上げられ、下着がヒザまで引き下ろされている。男がアイラの首に手をかけた。


 目がくらむような怒りに、私は足元の大きな石を両手で掴んで持ち上げた。振り向いた男の顔に石を投げつける。男はそれを素早く避けた。私は男からアイラを守るように、2人の間に走り込んだ。

 男は20代半ばに見えた。背の高さは普通だが、濡れて服の張り付いた体はよく鍛えられているように見える。力では敵わない。どうすればいい?


「君の勘違いだ」

「何が!」


 反射的に返事をしたものの、男の表情に敵意は感じられない。


「俺は溺れていたその子を助けて、ケガの手当てをした。それだけだ」


 アイラの姿を横目で確認すると、ヒザの所に見えていたのは下着じゃなかった。スカートに付いた血の位置も、下ろせばヒザの辺りかも。この男の言う通り私の勘違いなの……?


「君はこの子のお姉さんか?」


 正確には違うけど、私にとってアイラは妹のようなものだ。


「……そうよ」

「君は川に落ちた様子がないようだな。魔獣に襲われたとき、橋の上にはいなかったのか?」


 彼の言葉には外国人のような訛りがあったが、聞き取るのに不自由はなかった。彼はジークと名乗った。私はアイラが落ちたときのことを説明した。

 私が溺れて意識のないアイラに水を吐かせるべきかと悩んだとき、ジークがとんでもないことを言った。


「水はあまり飲んでいないはずだ。川から引き上げるまで、彼女の息は止まっていた」


 え……。息が止まっていた? アイラが死んでいる?


「俺が息を吹き込んだら、すぐに自分で息をするようになった。それほど時間を空けずに目が覚めると思う」


 何を言っているのだろう、この男は。息を吹き込んだらアイラが生き返った?

 自分には奇跡を起こす力があると言いたいのか。私にはこの男の考えていることが分からなかった。




 アイラがまだ目を覚まさない。私にはただ心配することしかできない。


 ジークはやはり外国人だった。魔獣についてのことを知りたいというので、私が道中で副官のナドルさんから聞いた話を教えた。


 ナドルさんは私達に親切だった。私と同じ年頃の娘がいると言った。他の兵士が私に下品な言葉をかけたときは、厳しく諌めてくれた。でも、あの時ロープを切れと言ったのはナドルさんだった。私達はまた見捨てられた。


 私とアイラが王城に遣わされたのも、教会の巫女の中で私達が最も必要のない子だからだ。教会の人からそう言われたことはないけど、扱い難いと思われていることぐらい分かっている。


 ジークは兵隊達がアイラを橋ごと落としたと言っても、それを仕方がないことだと言った。


「あなたに見捨てられた者の気持ちは分からないわ」

「俺もあの時に橋ごと落とされたんだが」


 ジークの話を聞いても、やはり落とされたことは許せなかった。


「誰しも他人より自分の方が可愛い。俺も自分の身が危ないと思ったら、アイラを助けなかっただろう」


 この人も、いざとなれば見捨てる人だ。




 アイラが目を覚ました。涙が出るほど嬉しかった。アイラが食べ物の匂いで目が覚めたのには呆れたけど。私も空腹でお腹が鳴り、それをジークに聞かれて恥ずかしかった。

 アイラと一緒にジークに貰った魚を食べた。アイラの無事な様子に安心して、さらに空腹も収まると、私はひどい眠気に襲われた。そういえば、昨夜は雨に降られて横になれず、ほとんど眠れなかった。アイラがなかなか目覚めなかったのは、それが原因かも知れない。


 食事の後、私はいつの間にか眠ってしまった。




 朝の陽ざしに目を覚ますと、私は枝に包まれて寝ていた。混乱してそこから出ようとした私は、枝の間から足を踏み外した。スカートからはみ出した脚をジークに見られた。

 ジークの言う通り、地面で寝てしまったのは軽率だと思う。木の上に運んでもらったことにはお礼を言うべきだけど、恥ずかしい姿を見られた後にありがとうとは言い難い。


 朝食もジークに用意してもらった。食べているときに、ジークが私達と一緒にウムライへ向かうと言った。私達にとっては都合が良いけど、ジークにとって何の利点があるのか分からない。

 私達の服を見て、裕福な家の子供だと思ったのだろうか。でも巫女の館が、私達を連れ帰ったジークに十分なお礼をするとは思えない。館にある私の持ち物で、何かお礼になるものがあっただろうか。


「おねがいします」

「えっ、ちょっと待って」


 人見知りの激しいアイラが、ジークの同行をあっさりと認めた。アイラの人を見る目は確かだ。本当に善意からの言葉なんだろうか。


 しばらくして、食事のお礼を言い忘れていたことに気付いた。




 アイラがずっとジークに話しかけている。ジークは元軍人で、今は医者の見習いのようなものらしい。昨日からずっと気になっていたことを訊いてみた。


「死んでも、口から息を吹き込めば生き返るんじゃなかったの」

「その方法で治るのは、急に息が止まったがまだ脈はある、つまり死んでいない場合だけだ。心臓が止まったら効果はない」


 奇跡とかじゃなくて、そういう治療方法があるということだった。あそこにジークがいなければ、アイラは助からなかっただろう。私はその幸運に感謝した。あの時ジークは……


 私の頭に、ジークに出会った時のことが鮮明に蘇った。私は怒りにまかせてジークを殺そうとしたのだ。あの時ジークが振り返らなければ、ジークが避け損なっていれば、私はアイラにとっての命の恩人を殺していた。偶然そうならなかっただけで、私のしたことは人殺しだ。

 謝って済む話ではないが、私は謝ることさえしていない。私の一番大切なアイラの命を救ってもらったのに、そのお礼も言っていない。ジークが私を責めない理由が分からない。最初はジークにやましい気持ちがあったからだと思っていたが、そんな人にアイラが懐くわけがない。




 ジークが川原に流れ着いた遺体を見つけた。ジークは私達を置いていこうとしたが、死者を弔うのは神職の役目だ。川原に並ぶ人々の遺体に対して、その魂の安息を祈った。

 ジークは遺体やその荷物から貴重品を集めているようだった。死者にはもう必要がないと思うからか。異教徒には死者を悼む心がないのか。そう考えていると、明らかに貴重品ではない服の飾りなども集めていた。それらは何かを書いた羊皮紙で包まれ、ジークのカバンに詰め込まれた。


 遺体に土をかける前に、ジークはそれぞれの胸に銀貨を置いた。彼の国ではこうやって死者を悼むそうだ。貨幣の価値はジークが死者から集めた物よりずっと高い。集めた物は遺族の手に届けて、その死を伝えるために使うらしい。


 またジーク……さんのことを誤解していた。私に異教徒に対しての偏見があるのだろうか。それとも、ジークさんに対して行った過ちを認めたくなくて、彼を悪人にしているのか。




 ジークさんは私達に、見つけた荷にあった男物の服に着替えるように言った。服の持ち主は分かっているので、後でその家を訪ねて了解を得るとのこと。今の服装が山歩きに適していないことは分かっている。

 彼に従うことにした。

 アイラが着替えている間、ジークさんと2人になった。彼にアイラのことを誤解されたくないので、アイラがまだ彼にお礼を言っていない理由を説明した。


「アイラは、橋が落ちた時のことを覚えていないの。魔獣から逃げていて、気が付いたら川原で寝ていたって言っている」

「気絶する前の記憶がないというのはよくある話だ。アイラの場合は恐ろしい記憶を消したいという心の働きもあるだろう。無理に思い出させない方がいい」




 アイラのいる所でジークさんに最初の時の謝罪やお礼を言えば、アイラに橋から落ちた時のことを思い出させることになる。でもどんな危険があるか分からないこの状況で、アイラを一人にはできない。


 今でもアイラはジークさんに好意的だ。自分があの人に命を救われたと知ったら、なおさらあの人に好意を持つだろう。

 でもあの人はいつまでも私達と一緒にいるわけではない。自分の身が危険になれば私達を見捨てるかもしれない。前にそう言われた時には怒りを感じたけど、冷静になって考えれば当たり前の話だ。

 でもアイラは、あの人に好意を持つほど見放されたときに傷つくだろう。できるだけその傷は小さくしたい。


 ジークさんと2人だけで話せるとしたら、アイラが眠った後ぐらい。でも、あの人は私たちが安全な木の上で休んでいる間に、食料集めなどの用事を済ませている。私は慣れない旅に疲れて、あの人が戻るのを待てずに眠ってしまう。


 こういう状況だと私は本当に役立たずだ。ジークさんがいなければ2~3日で旅を続けられなくなっていただろう。何か手助けをしたいと思うのだけど、私が見よう見まねですることはあの人の手間を増やしているだけだ。


 火を起こそうとした時も、なかなか火打石で火口に種火を作れず、石を手にぶつけてそのケガを手当てしてもらった。種火から枯れ木に火を移すのも上手くいかず、食事の準備を遅らせてしまった。

 次の日の夕方には上手く火を起こせて嬉しかったけど、その後に、ジークさんが移動中に火の付きやすそうなものを見つけると、拾ってポケットに入れていることに気が付いた。

 あの人が自分で火を起こすのなら、そんな手間は必要ない。


 素直に感謝の気持ちを表せるアイラが羨ましくなる。お礼を言いたいことは毎日たくさんあるのに、言葉が口から出ない。


 私はジークさんを殺そうとしたことを謝っていない。

 アイラを助けてもらったことにお礼を言っていない。

 それなのにもっと小さなことでお礼を言うと、

 私がそのことをもう忘れたとあの人は思うんじゃないか。




 ジークさんが私達の所から去ってもその真似事くらいはできるように、あの人のしていることを見て覚えるようにした。すると今まで気づかなかったあの人の細かな気遣いが分かるようになった。


 この川沿いにはケモノ道しかなく、それも所々切れている。あの人は先導しながら、あの人なら10歩の距離が30歩になっても、私達の足で歩きやすい道筋を選んでいる。


 滑りやすい場所では口で注意するだけでなく、私達が足を滑らせた時に体を支えられる位置にいる。


 急な登りや下りでは、足や棒で踏む場所を固めたり、木にロープをかけて引っ張り私達に掴まらせる。


 木立の中を歩くときは、私達の顔の高さで跳ねそうな枝を折ったり切ったりする。脚を傷つけそうな下生えを踏み折ったりする。


 アイラの足にマメができた時も、私より先に気が付いた。


 一緒の旅が始まってすぐのこと、ジークさんは道中に生えていた細い茎の草を刈り取って、何日か自分の荷袋にぶら下げていた。ある日目が覚めると、その草が指の無い手袋になっていた。ロープを掴んだ時の滑り止めだと言われ、実際に試してみるとロープを軽く握っただけで体重を支えられた。


 アイラはすごく喜んで何度もお礼を言ったが、私はまた何も言えなかった。ジークさんは眠る時間をかなり削って編んだのだと思う。ここまでしてもらってもお礼の一つも言えない自分が情けなかった。

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