そのご:うさぎさんは人気者
その後、誰もいない教室で愛兔の行為はちゃんと叱った。いちいち姉の名前を愛称呼びするだけで切れてたらこの先どれだけ怒っても堪忍袋の緒が足りない。ぶっちんぶっちん切れては結びを繰り返すと、そのうち糸がなくなってしまう。
これから一年近く続くよりよい関係のためにごめんなさいとありがとう。あと最低限の挨拶はするように。
名簿順で後ろの席に座っている愛兔に、必死に言い聞かせてる最中ゴロちゃんたちが戻ってきた。
「あの、さっきは」
「大野姉弟ー!!悪かった!」
「はぁ?」
「わ、私たち二人の間に何があったか知らなかったの。もう虎珀ちゃんのこと愛兔君みたいに呼んだりしないから。クラスのみんなにも言っておくからっ」
「いや、それは気にしなくていいんだけど・・・」
私の手を両手で握ってぶんぶんと振る能勢さんは、猫目メイクがされた瞳から滂沱の涙を流してアイラインが凄いことになってる。
きっとウォータープルーフじゃなかったんだ。黒くなった涙を見て、本当に化粧が落ちるとこうなるのかと開いた口が塞がらない。
隣に立つ山内君も、腕で目元をごしごしと擦ってる。鼻水が盛大に出てて、もう何がなんだかわからない。
「・・・おい」
「んー?」
「お前、何言ったんだ」
「何って・・・大野がどうして『はくちゃん』て呼び方に拘るかを説明しただけだよ?麗しき姉弟愛を彼らはよく理解してくれてね」
「なんでそれだけでああなるんだ」
「きっと感受性豊かだったんだよ」
後ろから聞こえる言葉に、ああそういうことと納得した。つまるところ、ゴロちゃんが二人を言い包めてしまったんだろう。
昔からドジな私のフォローをしてくれてるので最早フォローは達人の域に到達してる。でもちょっと、時々やりすぎな気がしないでもない。
私と愛兔の姉弟愛を語っただけで、どうしてクラスメイトが号泣するの。しかもそうこうしてる間に時間は経って、異様な光景に足を踏み出せないクラスメイトが廊下側の窓からこっちを見てるし、視線が痛い。
誕生日が一日違いの双子と認識されてるだけで結構注目度が高いのに、どうしたものか。
「ごめんねぇ、本当に何も知らずにごめんねー!!」
「いやっ、気にしないでいいから、もう泣き止んで!?こっちこそ愛兔がごめんね!ほら、愛兔!今がチャンスだよ!」
「・・・悪かった」
「いいのっ、いいのよ!愛兔君。あなたは謝らなくていいの!」
「そうだぜ、大野弟!俺が迂闊だったんだっ、全部俺が悪かったんだ!」
涙でぐちゃぐちゃになった顔で迫り寄る二人に、愛兔はひっそりと眉を寄せた。あれは内心で絶対に嫌がってる。
怒涛の勢いで迫る彼らのターゲットが愛兔に移ったのをいいことに、私はそっと移動した。
「へぇ、大野が謝罪してる。凄いね、虎珀」
「『凄いね』じゃないよ、ゴロちゃん。フォローしてくれたのはありがたいけど、ちょっとこれはやりすぎだよ。ほら見て。入り口にあんなに鈴なりで人の山が!」
「いやぁ、これで僕たちが説明せずともあの二人が周知してくれるから大野の地雷の回避できるね。よかったよかった」
「よくないよー!あ、なんかみんな好奇心に負けてなだれ込んできた。愛兔が、愛兔がつれてかれる!手、出しちゃ駄目だよ、愛兔!」
「うーん、鶴の一声だね。大野の奴、振り上げた拳を握り締めて堪えたよ」
なんかよくわからないうちにクラスの真ん中でクラスメイトたちに囲まれた愛兔は、舞台演説するかのような勢いで何事か語り始めた山内君と能勢さんの後ろでぷるぷる震えている。
俯きがちになった愛兔の顔は耳まで真っ赤に染まっていた。シャイな部分があるのであんなに多くの人にいきなり囲まれて戸惑ってるのかもしれない。
助けに行かねばと勢い込んで腕まくりする。けど鼻息荒く一歩踏み出したところで、ブレザーの襟を引っ掴まれてつんのめった。
「ゴロちゃん!」
「邪魔しちゃダメだよ、虎珀。せっかく大野がクラスメイトに打ち解けれそうなのに。お姉ちゃんは甘やかすだけが仕事じゃない」
「うっ・・・」
「お姉ちゃんでしょ?可愛い弟のために我慢も覚えなきゃ」
「う・・・うん」
愛兔は頭もいいし、運動神経もいいし、格好いいし、優しいし、ちょっとぶっきらぼうでもちゃんと中身を知ってもらえれば絶対にすぐに人気者になる。
でも小学校、中学校とほぼ同じクラスで過ごしてきたけど、あんなに友達に囲まれてるのを見るのは初めてで、ちょっとだけ胸の奥に消化しきれない感情が生まれた。
「寂しいって顔に書いてある」
「えっ?」
「嘘。でも顔を見たらわかるよ。僕は虎珀の幼馴染なんだから」
おっとりした雰囲気で僅かに小首を傾げたゴロちゃんは、くすくすと笑いながらしょんぼり落ち込む私の頭を撫でた。擽ったい、優しい感触に目を細める。
寂しいのは本当だ。甘えてくれる愛兔が可愛くて、私だけに向けてくれる視線は、窘めながらも嬉しかったりする。私だって愛兔が大好きなのだから。
「落ち込まなくっても平気だよ。愛兔がお姉ちゃん離れしても僕が虎珀の傍にいるしね」
「ありがっ」
「はくちゃんは俺のだから。お前が慰める必要もないし」
「愛兔!?」
いつの間に、どうやってあの幾重にもなった人の輪から出てきたのか、額に青筋を浮かべた愛兔が私をぎゅっと胸に抱きこんだ。
少しの距離でも若干息が上がってるのは、それなりに労力を使ったって言うことだろうか。
愛兔に抱きしめられたままひょいと顔を横に出してクラスメイトたちの様子を窺うと、なんでか大半が瞳を潤ませていた。
ここまでくるとゴロちゃんが何を語ったか、聞きたい気持ち半分怖い気持ちも半分と、最初は聞きたいほうに軍配が上がってたのに好奇心も押し負けてくる。
「愛兔君頑張れー!」
「大野弟、負けるなー!」
「私たちがいるからね!」
「応援してるよ、大野君!」
・・・本当に、ゴロちゃんはいったい何を言ったんだろう。
何故か朝一番でもクラスメイトから盛大な全力のエールを受ける弟は、どんな目で見られてるのだろう。そしてクラスメイトたちは本当になんで涙ぐんでるんだろう。
「・・・ゴロちゃんー」
「いやぁ、ノリがいいよねこのクラス。一年間楽しく過ごせそうだ」
けらけらと笑うゴロちゃんは、愛兔に胸倉を掴まれてぶんぶんと揺すられても全然余裕だ。
ちなみに後ろから『如月さん、俺は王道が好きっス』とかよくわかんない声援が飛んでる。いや、本当になんなの。ゴロちゃん何言ったの。
困りきって情けない表情を浮かべてるだろう私に、愛兔に胸倉掴まれたままのゴロちゃんはウィンクしてきた。いや、結構余裕そうだよね、もしかして。
長年の付き合いでも初めてクラスメイトになった幼馴染の意外と図太い一面に驚きながら、とりあえずそろそろ愛兔を止めなきゃとようやく頭が追いつく。
細身でも一応年上の男を軽々と片手で振り回す弟の腕にしがみ付きながら、やっぱりゴロちゃんが一枚上手だなぁと感心した。