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そのに:うさぎさんはやきもち妬き

「ゴロちゃん、おはよー」

「・・・・・・」

「おはよう、虎珀。あとついでに愛兔」



人が増える前の閑散とした電車に乗り込み、見つけた相手に手を振る。

真っ直ぐな黒髪と、ノンフレームの眼鏡を掛けた知的な雰囲気の少年は人懐っこい笑顔を向けて手を振り返した。

身長は平均、体重は少し細身のゴロちゃんは私と同い年の幼馴染だ。優しく目を細める笑い方は覚えている限りずっと変わらなくて、思わず私の笑顔も自然と深くなる。滑らかで人を安心させる声のトーンで話すゴロちゃんは完全に癒し系だと思う。

ちなみに見た目と反して意外と頑固で決断力があるのも彼の特徴だ。一昨年高校受験する際に頭がいいのに受験をしなくて、教師を阿鼻叫喚に陥らせたと話に聞いた。

同い年でも学区は違うから中学までは当然違う学校に通っていた私は、彼が受験浪人になって、晴れやかな顔で遊びに来たときに絶叫した口だ。

長年優等生として、学級委員を決めるとすぐに誰かが推薦し、中学でも生徒会長を勤め、後輩にも慕われる先輩をしていたゴロちゃんの突然の行動に底抜けに驚いたけど、特に反対意見はなかった。信頼する幼馴染の行動はとっぴなものだったけど、ゴロちゃんなら何か考えがあるんだろうと思ったから。

ちなみに、浪人しちゃったと笑って遊びに来た初日、一緒に中学校から帰ってきた愛兔は何故か大激怒。文字通りゴロちゃんの首根っこ掴んで───その頃には私たちの方が年上なのに身長は軽く抜かれていた───追い出そうとして、泡を食ってお母さんと止めに入ったのはいい思い出だ。

今では同じ高校、同じ学年、ついでに同じクラスで机を並べる同級生をしている。



「・・・俺を名前で呼ぶな」

「あ、そう。じゃあ大野。座れば」

「言われなくとも。はくちゃんはこっち」

「虎珀、こっちにおいで」

「いつもどおり真ん中に座るね」



不機嫌に唸るような声を出した愛兔と、にっこり笑顔のままそれをいなしたゴロちゃんの間にぽすりと収まる。

高校に入学してからほぼ毎日同じ遣り取りをしてるのでなれたものだ。どうせ互いに席一つ分空けて座ってるのに、どうして一々険悪な空気になるのか不思議だ。



「大野はいい加減姉離れした方がいいよ。僕たちももう高校生だし、いつまでもお姉ちゃんが一緒ってわけには行かないんだから」

「うるせぇ、狼野郎。はくちゃんに近づくな。はくちゃんはずっと俺と一緒だ」

「これだから、困ったものだよね。大野自身は結構もてるのに」

「え?そうなの?」

「そうだよ。僕、何回か大野との橋渡し頼まれたんだけど全部こいつがすっぽかすから困ってるんだ」

「へぇ、全然知らなかった。愛兔、もてるんだね」



隣に座る弟を見上げれば、苦虫を噛み潰したような表情で私ではなくゴロちゃんを睨んでいた。

きっと、姉である私の前で自分の恋話をされるのが恥ずかしいんだろう。ともあれ思春期の弟がもてるのは、姉としてとても鼻が高い。見る目があると相手の女の子を誉めてあげたいくらいだ。

何しろ自慢の弟の愛兔は格好良くて、優しくて、ついでに私の数倍頭がいい。今通ってる学校も、本当なら特進科と呼ばれる勉強に力を入れてる特設クラスにも入学できるくらいだった。

勉強も運動も並。ついでに容姿も愛嬌があって可愛いといわれるが平均値の私と違い、愛兔は鋭利な顔つきの男前だ。ソフトモヒカンで緑に染められた髪だって似合ってるし、雰囲気は少しきついけど凛々しい。

ゴロちゃんもまたタイプの違ったおっとりした空気を持つ、割りと整った顔立ちの少年だ。美少年とまではいかなくても、平均よりは確実に上だろう。運動神経こそ愛兔に劣るものの、頭の回転も速くて愛兔より成績はいい。

今通ってる学校も、愛兔とゴロちゃんの協力なくして入学は出来なかったろう。試験のたびにひいひいと泣いてる私に手を貸してくれるので、中学時代もなんとか赤点は回避していた。



「お前、はくちゃんに余計なこと言うな」

「余計なこと?僕は嘘は言ってないよ」

「・・・お前だってもてるだろうが」

「そうなの、ゴロちゃん?」

「いいや、残念だけど僕の傍に居たいって言ってくれるのは虎珀くらいだよ。大野は格好いいからね」

「確かに愛兔は格好いいけど、ゴロちゃんも格好いいよ!」

「そうやって褒めてくれるのが虎珀だけって言ってるの。ありがとう」



にこりと、瞳を細めて擽ったそうに笑ったゴロちゃんは、伸ばした手で私の頭を撫でた。

私たちは生まれた頃から付き合いがある同い年の幼馴染だけど、なんとなく上下がある。幼い頃は身体が弱かった私の面倒をゴロちゃんが見てくれる公式が気付けばあって、ゴロちゃんに本物の妹が出来ても同じように可愛がってくれた。

根っからのお兄ちゃん気質なんだと思う。道端に困ってる人がいたらつい足を止めて用件を聞いてしまうのがゴロちゃんだ。


実は、彼が中学浪人になったと聞いて驚いたけど、少しだけ、いや、酷い話かなり嬉しかった。

同い年の幼馴染なのに、私はゴロちゃんと一緒に学校に通ったことがない。父親が再婚して云々以前に、身体が弱すぎて幼稚園にすら通えなかった。

本当は心のどこかでずっと憧れていた。ゴロちゃんと一緒に学校に通うことに。今は同じ学校の制服を着て通学してて、まだ慣れなくてどこかむずむずしてしまうくらいだ。

頭を撫でる感触が気持ちよくてうっとりと瞼を伏せると、不意に手の動きが止まる。

どうしたのか瞼を開いて見上げたら、私よりは太いけど、男のものにしては細い手首ががっちりと掴まれていた。



「愛兔?」

「・・・はくちゃんに、触るな」

「痛いよ、大野」

「ゴロちゃんを離して、愛兔」

「っ」



ゴロちゃんの手首を掴んだまま動こうとしない愛兔を、少しきつめの口調で窘める。

すると目を見開いた愛兔は、傷ついたように瞳を眇めて唇を噛み締めた。

ゆっくりと愛兔の手が離されたのを確認して、掴まれていたゴロちゃんの手首を確認する。うっすら赤くなっている箇所を見つけて眉を顰めた。



「大丈夫、ゴロちゃん」

「大丈夫、これくらいなんてことないよ。僕も男だからね」

「でも」

「気にしないで。今のは僕が少し意地悪だった」



困ったように眉根を寄せたゴロちゃんに、消化しきれない感情が胸に競り上がる。

背を向けていた愛兔を振り返るときっと睨み付けた。



「愛兔」

「・・・俺は悪くない」

「愛兔」

「はくちゃん・・・」

「・・・」

「・・・悪かった」



むっつりと吐き捨てられた言葉に嘆息する。それだけで大きな身体を震わせた愛兔は、不安そうにこちらを見詰めてきた。

見た目はとても男らしいのに、たったこれだけの仕草で泣きそうになるのは反則だ。

それなら初めからやらなければいいのにと思うが、昔からずっと変わらない。最近は随分と弁が立つようになったけど、やっぱりゴロちゃんに軍配があがる。

物凄くブリザード吹き荒れる遣り取りもあるけど、朝はエンジンが掛かり難いのか、言葉が足りない昔みたいに手が出てしまうことも多々あった。



「ゴロちゃん、ごめんね」

「虎珀が謝る必要ないだろ?大野は虎珀が僕ばかり構うから拗ねちゃったんだ。年下の甘えくらい許すよ」

「お前」

「それ以上するなら本当に怒るよ、愛兔」

「っ」



たった一言で威勢をそがれた愛兔は、怯えたうさぎがそうするように頼りない眼差しを向けてくる。

もう一度ゴロちゃんに謝ると、ふるふると震える耳が見えそうな弟の、高い位置にある頭をくしゃりと撫でた。

次の瞬間、一目も憚らず抱き寄せてきた腕の中にすっぽりと納まる。

とくとくと少し早い心音に耳を澄ませて軽く息を吐き出すと、ついっと眉を持ち上げてこちらを見詰める幼馴染に手を振った。



「もう暫く、姉離れは出来なさそう」

「・・・みたいだね。まったく、早く離れてくれないと僕も困るんだけどな」

「ゴロちゃん?」

「いいや。どこの家でも弟妹は甘えん坊だって話」

「そうだね」



首に擦り寄ってきた頭を撫でる。仕方無さそうに肩を竦めたゴロちゃんはさすがに妹が居るだけあって、愛兔の感情も読み取るのが上手い。

『仕方ないね』と同意すると抱き寄せられた腕にもっと力が入った気がして、さて今度は何が気に入らなかったのだろうと、長いようでいて短い通学時間の中で弟の心を宥める術を模索した。

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