呪うわよ!シャラランラ♪(注、効果音)
今、涙をハンカチで拭いて気分を落ち着かせたリーナさんと肩を並べて学校に向かって歩いている。
俺と友達になったのが(初めての友達だからというのもあるだろうが)余程嬉しかったらしく、鼻歌交じりの上機嫌で俺の隣を歩いている。
そういえば友達になったとは言いながら俺は彼女の事を名前以外何も知らないし、彼女も俺の事を知らないはずだ。ここは学校に行きながら、自己紹介といこうか。
「リーナさん、改めて自己紹介としようと思うんだけど。
…え~っと、改めまして、俺は葛葉 匠。
少閑学園高等部二年生。
家族構成は「Magic・Hands」のオリジナルメンバーの顧問をしている父さん、創太郎と専業主婦の母さん、佳織と少閑学園小学部六年生の妹、鈴の四人だ」
「はい改めまして、イリーナ・フォルムングです♪
今日から少閑学園高等部二年生になります♪
家族はドイツ系アメリカ人でビール樽職人のパパ、ヨアン・フォルムングとウクライナからのアメリカ移民の占い師兼薬剤師のママ、リリアナ・フォルムングの三人家族です♪」
リーナさんが告げた真実に俺は驚愕した。
「…えっ!?同級生!?
…大人っぽいから三年生だと思ってた…」
本気で驚く俺をちらりと横目で見ると、これから悪戯をするような笑みをうかべるリーナさん。
「あら、女性の年や容姿について本人の前でどうこう言うのは失礼だと思いますよ、匠さん♪」
「…いやいや、ゴメンゴメン!リーナさんがあまりにも綺麗で大人っぽいからさ、その、か、勘違いしてて…!」
リーナさんが非難ぽく言ったのは冗談だと解っているのだが、やはり女性に年齢系の話題はタブーであり、その一言が彼女と俺のラブラブ(予定)に陰を落とすとも限らない。
「ケアは早めに連絡はマメに、注意一秒ビンタ一発もしくは情熱的なキスを迫られる。女性の笑顔にゃ気をつけろ。女性が泣いたら側に居ろ。」俺のスケコマシの友達がよく言っている標語(?)の一つだ。
こんなところで役にたつとは…!
……役にたっているのか?
「ふふっ、冗談ですよ♪
それに綺麗だなんて…。
いやだ、もう♪」
リーナさんは“いやだ”のところで体を捻って思いっきり鞄を振りかぶると、“もう”のところで鞄をフルスイングした。
「げごっ!!?」
鞄は狙い過たず(?)俺の後頭部を直撃した。
…目玉が飛び出るかと思った…。もしや、これがさっきの標語(?)の「女性の笑顔にゃ気をつけろ」って事か?!…以外に役にたつかも…。…今度からメモっとこう…。
「ああっ!?ご、ごごめんなさい!」
「…いててっ、いやいや大丈夫だから…。
それより、お母さんの占い師兼薬剤師ってさっきの道具の?」
「そうなんです。
母方の家系は古くからウクライナの土着信仰のシャーマンの家系で、占い事をしたりハーブを調合したりするのが得意なんですよ♪」
リーナさんが我が事のように胸を張る、するとリーナさんの胸もたゆんと揺れる。
…うほっ♪眼福眼福♪
…じゃなくて、これでさっきの妖しい品々も説明が付くな。(本当は説明なんかこれっぽっちも付かないんだが、無理矢理納得した。…世の中には知らなくてよい世界もある…)
「へー、そうなんだ。
じゃあお父さんが職人ということは「Magic・Hands」に呼ばれたの?それとも申請が通ったの?」
そう、國枝重工や「Magic・Hands」の工房には日本中からだけでなく、世界中から「Magic・Hands」の工房に所属したいと、沢山の職人から希望が殺到している状態だ。それら全てを受け入れるわけにはいかず、「Magic・Hands」のオリジナルメンバー(創設からかかわっている人達をそう呼んでいる)の推薦か、自己の技術を披露して「Magic・Hands」に所属する許可を得るかしか方法はない。(今となっては超難関で、競争率十万倍とも五十万倍とも言われている)
「パパは「Magic・Hands」の初期メンバーの一人、宮大工の杉内 近内さんと昔から親交があって、かなり前から呼ばれてたらしいんですけど、前の仕事場との契約が残っていたのでそちらを優先したんです。
明日にはママとこっちに来る予定なんですよ。
パパは普段は優しくてユーモアばっかりの人なんですけど、仕事の事になると闘牛の牛みたいに一直線なんです。
ママはそんなパパにべったりで「ダーリンと一緒でないとイヤイヤ♪」とか言ってるんですよ♪」
「じゃあ家の父さんや母さんと同じだ。
父さんは金属加工工場の社長兼職人長だったんだけど、父さんの作ってた道具を「Magic・Hands」の初期メンバーの彫金細工師ジュアン・カイニンサスさんと和鍛冶師の東 兼八さんが愛用してたのが縁で東さんの顧問として呼ばれたんだ。
父さんは仕事に妥協しない昔ながらの頑固な職人でさ。
それに母さんも何だかんだ言って買い物の時に父さんと手をつなぎたがるんだ。
「若い頃みたいにしましょうよ♪」とか言ってさ」
「そうなんですか!
じゃあ家と同じですね、うふふっ♪」
「そうだね、同じだ。
…リーナさん、「職人組」の奴等とも仲良くできるかもな…。」
「しょくにんぐみ?」
俺の独り言が聞こえたらしく、聞き慣れない言葉にリーナさんは小首を傾げ人差し指をふっくら艶やかな唇に当てる。 かわええの~♪
…じゃなくて、俺はその言葉をリーナさんに解説しようとして…止めた。
「…うーん、詳しい話は学園に着いたらするよ。
みんなに紹介するからさ。
みんな人懐っこい奴ばかりだから、直ぐに友達になれると思うよ」
お楽しみは後にとっといた方が増えるってもんだ♪
…だがリーナさんは友達が増えるというそれだけの事実にテンションメーターが可笑しな方向に振り切っていた。
「ととっととと友達?!
ほほほほほほほんとうですか?!」
リーナさんはドモリながら俺のジャケットを掴むと自分の顔に俺の顔をグイと引き寄せた。
…ちょ、ち、ち近いですよ、リーナさん!!
そろそろ学園も近くなり登校する生徒達が沢山居る中で、このリーナさんの行動に周りの人々が“ざわわっ”と沸いた。
『おい、アレ見ろよ』
『朝から大胆よねー♪』
『男の方は二組の葛葉だけど、女の方は知らねえな』
『メッチャ綺麗な人だよね♪人形みたい♪』
『うほッ!?デカい胸だな~!
たまらん!!』
『…お前、デカいだけの胸の何処が良いんだよ…』
『でたでた、アッちゃんの貧乳理論♪
ロリコン、ロリコン♪』
『ロリコン言うな!!
貧乳とロリコンは違うわ!』
…周りが何か騒いでますな…。
これ以上騒ぎが広がらない内にこの状態を解かないと!
「ちょっ、ちょっと、リーナさん落ち着いて!!」
リーナさんの両手を解こうと彼女の固く握りしめられた手を握った。
…!固っ!!そんでもって強っ!!
女の子の力じゃない!まるで男子柔道部員に掴まれている気分だ…。そんな見かけによらない力を発揮しているリーナさんはというと…。
「…とも…、ふーっ、…とも…、はーっ、…ともだ…、ふーっ、…ともだち…、はーっ、…」
…大変に大興奮で、目は泳ぎ、頬を赤らめ、鼻の穴が広がり、吐息は荒々しく、……ともかくえらいこっちゃです…。
「リーナさーん、どうどう、どうどう、落ち着いてくださーい!
ほらほら、深呼吸しましょうね!
…はい、ひっひっふーっ、はい、ひっひっふーっ、…」
「…と…、ふーっ、…とも…、ひっひっふーっ、はーっ、ひっひっふーっ、…」
俺の説得と深呼吸(?)が効をそうしたのか、少しづつマリンブルーの瞳の焦点が合ってきて激しい息づかいも収まってきた。
「…?!ごめんなさい、匠さん!
わ、私ったら何て事を…」
正気に戻ったのか俺のジャケットから手を離し、飛び退くリーナさん。
「だ、大丈夫、平気だから…。
そ、それより、早く学園に行かないと。
リーナさんは職員室に行かないと駄目なんだろ?
職員室は校舎の一番奥にあるんだ。
さ、さあ、行こう」
「は、はい、匠さん!」
俺は未だに少し頬を薄紅色に染めるリーナさんの隣を先程より早足で歩きながら、リーナさんの過去に少しだけ思いを馳せた。
…友達が出来るってだけであんなに興奮するなんて、それはそれは寂しい毎日を送っていたはずだ。
こんなに良い子(少し変わってるけど…)なのに友達がいないなんて何かの間違いだ。俺の友達をリーナさんに紹介すれば、必ず打ち解けるに違いない。俺はそう思っていた。
…まだ彼女が見せていない一面があるとも知らないで…。
俺は彼女を職員室の前まで送ると自分のクラスである二年二組の教室の真ん中らヘんにある自分の席に座り込んだ。
…ほぁ~、ぎりぎりだった。
そんな息つく暇もなく俺の背中から重みが…。
「おっはっよっ、たーくーちゃーん♪
通学路の真ん中で手と手を仲良くつないでたって聞いたけど、それってだぁーれ♪」
背中に当たる慎ましい二つの膨らみと大きく元気な声とお日様に干した布団のような匂いで誰だか解る。
「…クー、無い胸が当たってるぞ~♪」
「当ててもらえるだけ感謝しなさいよ♪
うりうりほれほれ♪」
喜んで胸をすり付けるその行動は女子として如何なものかとおもいますよ、クーさん…。
そうこうしていると、今度は俺の鼻腔に何やら甘い香りが漂ってきた。
「おはよう、匠君♪
僕に内緒でレディ~♪と逢い引きしてるなんて、匠君も隅に置けませんね。
しかも見た事無いレディ~♪だとか…。
もし宜しければ、ご紹介して下さいませんか?」
目の前の席に金髪長髪碧目の甘~いマスクのお兄ちゃんが座る。
一見温和しそうに見える垂れ目の奥の瞳が夜の肉食獸のようにギラついている。…おうおう、ハンターモード発動注中だね…。
「…エロンドくーん、彼女は“対象”じゃ無いよ…。
君の目標の大和撫子じゃないからね」
「…何度言ったら解るのですか…。僕はエロンドじゃなくドロンドなのですよ…」
今度は俺等三人を巨大な陰が覆う。
「おはようさん、たっつぁん、クーちゃん、エロイドはん。
あんさん等はほんまに朝から賑やかやな」
「おはよー、いっちゃん♪」
「おはよう、東くん。
それと僕のファミリーネームはエロイドじゃなくドロンドだからね。そこのところよろしく♪」
「あー、はいはい、了解しました、エロスケコマシはん」
「解ってないでしょ?!」
目の前の色男が陰の主に抗議の言葉と共に唾を飛ばす。
逞しい声の主の方を向くと、逆光で目鼻立ちははっきり見えないが、筋肉山盛りの山みたいな大男が立っていた。
「おはよう、岩さん。
今日も朝稽古?」
「そうなんや、大会も近いからな。
かなりきばっとらなあかんねや。」
逆光でも解る豪快さで頭をガリガリととかきむしる関西人。
ちらっと横を向くとまん丸な団子鼻が見えた。
此奴等三人は俺の友人達だ。
リーナさんに紹介しようとしている俺の“親友”達、「職人組」だ。
あっ、職人組ってのは親族が「Magic・Hands」の職人になっている奴の集まりである俺等四人組の事だ。
五年前に転校してきた時から気が合うから一緒に行動してたら、いつの間にか「職人組」っていう愛称が定着してたんだ。
リーナさんも父親が職人だって言ってたから職人組繋がりだと思ったんだ♪
最初に俺の背後から抱きついてきたのがヤン・クリン(一度本名を漢字でかいてもらったら、中国語辞典にさえ載っていない字だった)、両親が染め物職人の中国の人だ。たまに強行するハードスキンシップが少々問題な女の子。
そして俺の目の前の色男(エロ男とも言う)はアラン・ドロンド、父親がヴェネツィアングラスの職人だ。日本に来てみたらあまりにも女の子にモテるので、日本女子千人切り(何の千人切りかは言わずもがな…)を目標に掲げるエロエロイタリアン。
そして俺達三人を覆っている陰の主、彼が堺鍛冶師、東 兼八の孫、東 一岩だ。
柔道部次期主将の呼び声高い、柔道一直線の武道家。
みんなとの会話は英語なんだが、彼の会話だけ関西弁に脳内変換されるのは俺の偏見だからだろうか?(因みに少閑町は外国人移住者が多いため、公用語は日本語と英語、第二公用語はフランス語とスペイン語だ)
…そう言えばさっきリーナさんの握力は、昔、岩さんとひょんな事から喧嘩になったとき胸ぐらを掴まれた時の感じに似ていたかも…。よくよく考えたら、あの時の岩さんの手は何とか振り払えたから、単純握力なら岩さんよりリーナさんが上かも…。
それにちょっと(かなり?)変わってる(彼女の家の“例の物”を含めて)から、みんな友達になってくれるだろうか?
そう考えたら俺の口は自然に動き出していた。
「あのさ、今日二年生に転校生が居るんだ。
その子、俺の家の隣に昨日引っ越して来て、今朝学校に案内する間に友達になったんだ」
「その子がたっちゃんと通学路で手をつないでいた女の子?」
クーがやっと俺をハードスキンシップから解放して、自分の机に座ってそばかすが目立つ頬をかいたり短か目の癖毛をいじったりしている。
「そうそう」
「そのレディ~♪は俺好みの大和撫子かい?」
椅子に逆座りしてハンターモードの目で俺を見つめるエロエロ魔人ドロンド君。
「違うって言ってるじゃないか、エロ視線痴漢君」
「なんだ、違うのか。がっかりだよ…。
…って言うか、俺のファミリーネームの原型無いじゃん!?」
何やら考え事をしていた岩さんが低い声で口を開く。
「…たっつぁんがわざわざそないな事を言うちゅう事は、訳有りなオナゴちゅうことやな…?」
「俺の抗議は無視なのかい!?」
突然立ち上がり演劇じみたポージングで俺を見つめるエロエンガチョ男ドロンド君。…うん、放置プレイの方向で…。
そして、さすが岩さん、鋭い…。
「…実は今朝友達になったんだけど、俺が初めての友達だって言って嬉し泣きしたんだ…。
そんでもって何だか妖しい物をいっぱい持ってるんだ。
…それに怪力だったし…。
そんな子でも友達になってあげてくれる?」
「勿の論だよ♪」
「レディ~♪と友達になるのはやぶさかじゃないよ♪」
「安心しいな。たっつぁんの友達はワイ等の友達や。
…ほんで、何組に来るんや?」
三人三用の良い返事を即答で頂きました。友達って有り難いね♪
だが何組に来るのかまでは解らない。
…一緒に職員室に入れば良かったかな…?
「いや、そこまではちょっと…。
…ってマンセー先生が来た!」
そうこう言っている内にショートホームルームの時間が来たらしく、担任のマンセー先生こと船満 誠司先生が教室に入って来て教卓に立つ。
みんな駆け足でガタガタと自分の席に座る。
岩さんは窓辺の席に去っていった。因みにドロンド君は俺の前だし、クーは俺の真後ろの席だ。
さて、教壇に立ったマンセー先生、土日の休みを挟んでも相も変わらずの北〇鮮顔だ。(…二日で人の顔が激変する方が問題かな…)
細い細い目で教室の全体を見渡す。そして一呼吸おいてマンセー先生のおちょぼ口が開く。
「おはよう!」
『おはようございます!!!』
この先生、見た目はアレなんで取っつきにくい感じがするが、指導熱心で情に厚く冗談にも理解が有り生徒からの人気も高い。
だからマンセー先生とあだ名を付けても怒るどころか「俺の顔にピッタリだな♪」と大笑いしていた。(因みにそのあだ名はクーさんがつけた)
さて、そのマンセー先生は何やら教室の入り口をチラチラと見ている。
…まさか…♪
「さて、出欠を取る前に転校生を紹介する。
入りなさい、イリーナ・フォルムングさん」
『…はい…』
やった♪リーナさんと同じクラスだ♪
カラリと戸が開き、リーナさんが教室に足を踏み入れる。
…あらあら、緊張しているのがモロ解りの歩き方だ…。…ロボットみたいにギクシャクしている…。
だが、あの美貌だ。教室中で小さな歓声が幾つもあがる。
後ろの席のクーが俺の背中をシャーペンでつつきながら囁く。
(あの子だよね♪)
…いや、そうなんだけどね。シャーペンの先で人をつつくのは止めようね、クーさん。ちくちくと痛いよ…。
前の席のドロンド君がチラチラと俺の方を振り返りながらニヤニヤしている。さらに俺をからかうようにドロンド君が頭を揺らして自分の金色の長髪を揺らす。…目障りだから根本から切っちゃおうかな…?
どうやら俺がリーナさんに惚れていると直感で感じ取ったらしい。…当たってるんだけどね…。
窓際の席の岩さんまで俺を見て目を細めながら分厚い唇から歯を剥き出しにしてニヤニヤしている。…あっ、岩さんたら小指を立てた…。…たしかに当たってます…。
…俺の表情ってそんなに解りやすいのかな…?
シャーペンの先でつつかれながら(くーがまだやってる)小さく溜息を吐く俺を余所に、リーナさん挨拶が始まる。
「イ、イリーナ・フォルムングです!リーナと呼んでくだちゃい!宜しくお願いしもす!」
…リーナさん緊張し過ぎ。“もす”は駄目だよ、“もす”は…。
俺は心の中で駄目出しをしながらリーナさんに苦笑した顔を向ける。
途端にリーナさんは俺を見つけ、緊張顔を少し緩ませ笑った。
うんうん、かわええの~♪
「えーっと、イリーナじゃなくて、リーナさんの席は窓際の一番後ろで良いかな?」
マンセー先生が空き机の中から適当な一つを指さす。
「はい!」
顔見知り(俺の事ね)を見つけ、やや緊張が解れたのかリーナさんは足取り軽く後ろの席に向かう。
…だがここで事件が起きた。
「きゃっ!!」
転校生の席も決まり、出欠簿を手にしたマンセー先生に皆が視線を向けた時、リーナさんの絹を切り裂くような悲鳴が教室中に響いた。
みんなはマンセー先生を見ていたが、リーナに手を小さく振っていた俺は見た。
彼女が横を通った時、一番前の席のこのクラスのもう一人スケコマシ、亀家 新の手がリーナさんのお尻に手が伸びるのが見えた。
この野郎!!
一瞬で頭が沸騰した俺が叫ぼうとしたとき、リーナさんの低い声が響いた。
「妾の尻は堪能したかえ、下郎」
…へっ…?
「…あっ、いや、あの…?」
狼狽える亀家君。…そりゃそうだ。だって目の前で気弱そう悲鳴をあげたじょせいが、人格が替わったように自分の尻の具合を訊ねたのだ。狼狽えない方がどうかしている。
「妾の尻を堪能したかと聞いておるのだ、下郎」
再び響くリーナさんの低い声。声量は変わらないが、声の重みが幾分か増している。「な、な、な、何だよ…?!言いがかりだ!何言ってんだよ!?
手が当たっただけだろう?!」
慌てて反論する亀家君。
艶々の黒髪を頭の後ろで纏めているすっきりイケメンの亀家君。バスケ部に所属し、彼個人のファンクラブもあると聞く。
彼の人となりを説明するには俺の目の前に座るアラン・ドロンドという人物と比較するのがうってつけだ。
一言で言うなら、ドロンド君が白のスケコマシ、亀家君が黒のスケコマシ。
彼の周りにあまり良い噂は聞かない。お付き合いしている女性の裸の動画(隠し撮り風味)が動画サイトにアップされた、自分のファンの女性に猥褻行為をはたらいた、ファンの女性を唆して更衣室を隠し撮りさせた、etc.etc.。
更に極めつけとして柄の悪い連中と連んで、カラーギャング「キング・バーミリオン」というチームを作っているらしい。わざわざ“らしい”という言葉が付くのはその黒い話が噂だけの話だから。
亀家君が狡猾なのかどうかは解らないが、「キング・バーミリオン」というカラーギャングは犯罪証拠なんかだけでなく実体自体が掴めなくて変な噂だけが先行し少閑学園サイドや警察もやきもきしているらしい。
そんな亀家君だから、まさに見た目気弱そうでおまけにガチガチに緊張しているリーナさんをあのタイミングで狙ったんだろう。 あんなに気弱そうなら文句を言いそうにもないし、言ってきたところで体が当たったんだと言い張れば亀家君の言い分は通るだろう。いくら黒い噂があろうとも噂はあくまで噂、亀家君は表向きは少し女性にだらしない優等生なのだから。
おまけにタイミング的に全員の視線はマンセー先生の方に向いていた。
俺も転校生がリーナさんじゃなければマンセー先生の方を見ていて犯行を見逃していただろう。
…でもわざわざリスクを犯してまでこんな事するなんて、かなり変だよね?…リーナさんの美貌にトチ狂ったか、亀家くん…。
「ほほう、我が尻を触っておいて、知らぬと申すのか?」
「…当たり前だろ!ちょっと綺麗だからって自意識過剰なんじゃないのか!?」
あれこれ俺が考えている内も、まだまだ続いていた押し問答。
「…ほう、まだシラを切るのかえ。
…ならば…『真実を話せ』」
…なっ!?リーナさんの言葉の“重圧”があがった!?
唯でさえみんなの意識を釘付けにするような腹の底に響くような存在感のリーナさんの声にそんな“力”が乗っかったら…!
…怖っ!!(…ガクガクブルブル…)
だけど、亀家君ったら何だかどこぞの国の民族舞踊のように身をクネらせる。
リーナさんのプレッシャーに前衛的なダンスで対抗しようとしているのか?
…?何だ?何だか口を押さえようとしているみたいに見えるけど…?
「…あっ、…がっ!?
…あのタイミングなら誰も見てないと思いました。だから転校生のお尻を触りました。気弱そうだったし、緊張してたし。反論されても体が当たっただけだと言えば問題ないと思いました…。
……なっ、あっ、へっ!?」
…あらら、亀家君ったら自白しちゃいました。しかも、えらくすんなりと。
すんなりいき過ぎていて自白した本人の亀家君も目を白黒しています。ついでにクラスのみんなとマンセー先生の目も白黒。
何だこの状態?
「ほうれ、妾の尻を堪能しておるではないか。
…ところで、物には対価という物が存在するのは知っておろう?
それで貴様、妾の尻は幾らかえ?」
「…えっ…?」
「妾の尻を触り、妾を不快にしたこの対価は幾らかやと聞いておる」
「…あっ、いや、その…」
「ふむ、決められぬというのかえ。
…ふむふむ、それに妾に払える物は何も無いという幸薄き顔をしておるの」
「…ななな何だよ…」
「よいよい。下郎は無理に理解せずともよい。
…そうよの、下郎が不幸に苦しむ顔を拝み、楽しませてもらう事で妾の尻の対価といたそうか」
何やら勝手に考えて答えを出したリーナさん。制服のポケットを何やらゴソゴソ。
黒い液体の入った小瓶と何やら棒状の物を取り出した。
小瓶の蓋を開け、おもむろに亀家君の頭から問答無用でぶっかけた。ええ、そりゃあもう遠慮無くドバドバと。
「…ひゃー?!」
顔や白いシャツを灰色に染めながら、生娘のような悲鳴をあげる亀家君。
…っていうかあの小瓶ってリーナさんの家にあった髑髏マークの箱に入っていた、あの小瓶?!
「…ディーガン、ディーガン、ディーガンセーカン。
ディーガンセーカン、セーカン、セーカン、ディーガンサー。
サーサド、サーサド、ムーダンガー…」
何やらブツブツとリーナさんが呟く。
変化は直ぐに訪れた。
まず、リーナさんの持っていた棒状の物がくねくね動き出した。…あれ?あれってリーナさんの家にあった双頭の蛇の干物だよね?…っていうか、何で干物が動くの?
更に亀家君の体に付いた液体がどんどん蒸発(?)し霞のようになって教室の天井を漂う。
…そしてリーナさんが呟くこと暫し。
二度目の変化が訪れる。
くねくね動いていた干物がリーナさんの手を放れ、ぴょ~んと天井に漂う靄に突っ込んだ。…蛇って飛べたっけ?…というか、干物って飛べたっけ?
双頭の蛇は霞の中で音も無く砕け散り、霞は亀家君の口と鼻の孔に吸い込まれて始めた。
亀家君が慌てて顔の下半分を手で押さえているけど、そんな事は関係無いようにドンドン入って行ってます。ええ、そりゃまあドンドンと。
まもなく亀家君の体に全て霞は入ってしまいました。
後に残ったのは馬鹿みたいに口と目を見開いているクラスのみんなと顔の下半分を覆ったままの亀家君と満足げに亀谷君を見下ろすリーナさん。黒い液体をぶっかけられた亀家君の頭や制服は液体の後も形も無い。
「安心せい。此度の呪いで死ぬ事は無い。今日の日が暮れれば呪いが解ける。
それまでに妾の尻を触った対価たる不幸を満喫するがよい。
ほーっほっほっほっほっ…♪」
手の甲を口に合てお上品にマンセー先生に指し示された自分の席に向かい、すとんと座る。
途端にピタリと止まる高笑い。
…教室が静かだねー…。
「…あの、あの、しゅ、出席を取ります」
とても珍しいマンセー先生の腑抜けた声が教室にこだました。




