山彦と木霊
・・・ああ、気持ちいいなぁ ・・・
小嶋美奈子は早朝の山道を歩いていた。会社に有給休暇をとって、近郊の山に登山に来たのである。この山は学生の頃から、よく登りに来ていた山で標高はそれほど高くはないが、その山頂から見える景色は格別であった。
この山は中腹にキャンプ場があり、そこまでバスが運行している。美奈子は、そのキャンプ場を学生の頃から利用しており、今回もそこにテントを張り、山頂目指して登り始めたのである。
・・・このキャンプ場は変わらないなぁ ・・・
美奈子は山道を登りながら懐かしく思い出していた。村営のキャンプ場は、オートキャンプ場や最近流行りの荷物入らずのグランピングとはまったく違う昔ながらのキャンプ場である。テントサイトと受付、水場、トイレがあるだけのキャンプ場だ。利用料は500円である。安いように感じるが、美奈子が利用し始めた頃は50円であったので、実に10倍に値上げされているのだ。それでも周辺のキャンプ場に比べれば格安であるが、利用客は設備の整ったオートキャンプ場やグランピングに行ってしまい、このキャンプ場は閑散としていた。
・・・私は、こういうキャンプ場の方が好きだけど、やっぱり手軽で便利な方が人気出るのは仕方ないよね ・・・
このキャンプ場には美奈子の他に2張りのテントが張ってあるだけだった。
・・・売店もないし、お風呂もないからね トイレが水洗になったのが革新的だけど今どき、こんなキャンプ場じゃ流行らないかなぁ ・・・
美奈子はそんな事を考えながら軽快に山道を登り、つい鼻歌が出ていた。
「ふん、ふん、ふん、ふん、ふん 」
なんの歌かと問われると美奈子自身も分からなかった。小さい頃に視ていたテレビ番組の歌だったように思うけれど思い出せない。そんな、よく憶えていない歌の鼻歌が出てしまうほど美奈子は上機嫌だった。そして、そのまましばらく歩いて行くと視界が開け、遠くの山々の景色が目の前にひらけた。美奈子は立ち止まると、口に手を当て大声で叫んだ。
「ヤッホーーーーッ 」
ヤッホーーーーッ
ヤッホーーーーッ
ヤッホーーーーッ
美奈子の耳に木霊が返ってきた。昔は、山彦という妖怪が人の声を真似て返しているのだと云われていた。そして、その妖怪山彦を産み出しているのが木の精である”木霊”と考えられていたんだよね。美奈子は子供の頃読んだ本を思い出していた。
・・・ああ、やっぱり、自然はいいなぁ ・・・
美奈子は満足して、また山道を歩き出していた。そして、山頂から雄大な景色をしばし眺めると中腹のキャンプ場に向かって下山していった。その途中、目についた山道に捨てられていたゴミを拾ってビニール袋に入れていく。
・・・こんなきれいな自然の中にゴミを捨てていくなんて、どんな神経してるのか分からないよ ・・・
美奈子は、せっかくのいい気持ちが台無しになると怒りながら下山していた。
* * *
キャンプ場に戻った美奈子はソロキャンプ用のテントを張り、飯盒で米を炊いて、シングルバーナーとコッヘルでインスタントラーメンを作り始めた。実は美奈子は人には言えないが、ラーメンライスが大好物なのである。ソロキャンプであれば、知り合いに見られる事はまずないから、堂々と味わって食べる事が出来るため、美奈子の楽しみの一つだった。以前、美奈子は会社でうっかりラーメンライスが好きなんですと言ってしまったら、同僚から冷たい目で見られたため、それ以来口に出さないようにしていたので、特にこうしてキャンプで食べるラーメンライスは格別の味だったのである。
食事も終わり美奈子はテントに潜り込んでいた。美奈子のソロ用のテントは中で座る事が出来ない。横になって寝るのみであるが、美奈子にとって何の問題もなかった。昼に登山をして食事をした後は、もう寝るのみである。美奈子はテントの中で寝袋にくるまって眠りについていた。
* * *
美奈子は、ふと人の声で目覚めていた。大勢の人の声がする。なんだろう?。美奈子が寝袋から出て外を覗いてみると、キャンプ場で花火をやっている人たちがいた。まだ若い数人の男女が嬌声を上げて騒いでいる。静かなキャンプ場が、まるでお祭り騒ぎのようになっていた。
・・・花火は禁止なのに…… それにキャンプ場で夜に騒ぐなんて信じられないよ ・・・
美奈子は管理人に伝えて注意して貰おうとしたが、スマートフォンは圏外になっていた。
・・・私の機種、古いから衛星通信に対応していないんだよね ・・・
もう6年は愛用しているスマートフォンは充分に使えるのだが、新しい技術やサービスには対応していなかった。
それに管理人さんは高齢だし仕方ない、ここは自分が行って一言注意すればわかってくれるだろうと美奈子は若者たちに向かって歩いていった。自分の他にも二張りのテントがあるから心配ないよねと考え、美奈子は若者たちに声をかけていた。
「あの、すいません このキャンプ場は花火禁止なんです それに、夜騒ぐのはマナー違反ですよ 少し静かにして貰えると助かります 」
なるべく穏やかに言ったつもりだったが、若者たちは美奈子に向かって凄んできた。
「はぁ? どこにそんな事かいてあるんだよ 何をやろうと俺たちの勝手だろう 」
「受付の所に禁止事項が書いてあると思いますが…… それに常識的に考えて、キャンプ場の夜は静かに楽しむのが…… 」
美奈子の声はだんだん小さくなっていた。反対に若者たちは、さらに勢いづいてくる。
「そんなの暗くて見えねえよ バカなの、おばさん 」
「それに私たちの常識は、夜は楽しく遊ぶ事なの おばさんの黴が生えた常識と一緒にしないでくれる 」
美奈子は、救いを求めるように二張りのテントに目を向けるが、テントから美奈子を救いに出てくる人はいなかった。
「あはっ、何見てんの あそこのテントのカップルたちなら慌てて帰っていったよ 用事でも思い出したんじゃないの 」
「せっかくだから、このおばさんで遊ばない 花火の的にしてあげるの 」
「面白そう 良かったな、おばさん 一緒に遊んであげるよ 」
ひぃぃぃっ……。美奈子は小さく悲鳴を上げて後退りしていたが、若者たちに囲まれてしまう。
「よーし、この15連発の打ち上げ花火を打ち込んでやるよ、おばさん 」
一人の若者が叫び、周りから歓声が上がっていた。そして、若者が花火に点火しようとしたその時……。
「ヤッホーーーーッ…… 」
「ヤッホーーーーッ…… 」
「ヤッホーーーーッ…… 」
どこからか声が聞こえてきた。そして、同時に生暖かい風が吹いてくる。若者が持っていたライターの火は消えていた。
・・・なんで私の声が? ・・・
美奈子の周りに、美奈子を守るように強い風が渦を巻き始めていた。若者たちは、その風に吹き飛ばされ尻餅をついている。その顔は理解出来ない現象に遭遇し怯えているようだった。
「なにこれ…… 」
若者たちが尻餅をついたまま後ろに下がって行く。
・・・自然を疎かにする者、許すまじ…… ・・・
どこからか声が聞こえてきた。それは耳から聞こえるのではなく頭の中に直接響いてきたように感じられた。そして、ぼんやりと白く光った人影が近づいてきた。
・・・管理人のおじいさん ・・・
美奈子は目を見張った。それは間違いなく受付にいる管理人だった。
「お前らのようなクズは、世の中に必要ない 消えろっ 」
老人とは思えない鋭く大きな声で管理人が一喝すると、若者たちは悲鳴を上げて逃げて行った。そして、美奈子も目の前が暗くなり、意識を失っていった。
* * *
翌朝、美奈子はテントの中で目覚めた。テントから出てみると、奥の二張りのテントの前でカップルたちがコーヒーを飲んでいた。
・・・昨日のあれは夢だったの? ・・・
美奈子は首を傾げるが、所々に花火の残骸が残っており、それを管理人のおじいさんが拾っていた。美奈子も、おはようございますと挨拶をすると一緒に花火の残骸を拾い始めた。管理人のおじいさんは笑顔で、鼻歌を歌っていた。
「ふん、ふん、ふん、ふん、ふん 」
・・・えっ…… 私が昨日歌っていた鼻歌…… ・・・
美奈子が驚いていると、管理人のおじいさんはニコリと笑い、一言言った。
「また来て下さいよ 」
* * *
それから三日後の地方の新聞に小さな記事が載っていた。ある山の沢で男女数人の遺体が発見され、それは、その山の中腹のキャンプ場に行くと言っていた若者たちと確認された。遺体の損傷具合から、山の崖から転落して死亡したものと思われる。と記事は書かれていた……。




