4.臨界の日(2)
同日、6月4日
午後
王城、国王執務控室『緋色の間』
「問うが」
多少不機嫌な時の癖で、国王オスヴァル・ド・ミレーユは穏やかな声を出した。
「これは大事か、些事か」
「お尋ねへのご回答が爺の見解にてよろしければ、どちらでもございませぬな」
「申せ」
その短い言葉をペリアン翁は押し戴くように拝受する。
「問題そのものとしては個人間の態度と感情の話でございますゆえ、大事ではありませぬ。
言ってしまえば
『悪かった』
『もうしない』
『二度と近寄らない』
の三つを本人が申せば終わる話。
罰や賠償をどうするかといった部分は本質的には余録となります。
しかしまた、ことがアルジェンヌ様という存在により他国王室と絡むと些事でもありませぬ。御身にたとえれば、東部公爵家の末の姫様が他国にて下女のような扱いを受けたような状況とすれば近うございましょう」
国王の白けた顔が、親類の中でも可愛がっている姪を例に挙げられてかすかに揺れる。
「なんらか、無知や無理解があったにせよ、本人や周りのお気持ちがどうあれ、事実を把握した以上は国として捨て置くことが難しくなりましょうな。アルジェンヌ『妃』はここからお立場を築かねばなりませんゆえ、我が国でもあちらでも、舐められるわけにゆきますまい」
「なるほどな」
未だ資料に目を走らせながら国王は息を吐く。
「お前たちの言いたいことは分かった。対応はそなたら外務局の所掌とする。必要であればリジット伯爵家は潰して良い」
「承りましてございます」
「取りたい言質は取れたか?」
「存分に」
「ここからどうする」
「件の侯爵家の動きが見えませんのでな。陛下の是もいただきましたので、アルジェンヌ様とエンディオン殿下のご意向を伺いに誰ぞやりましょう。代表はコーヴェリアン卿が良うございますかな。若く素直な気質ですゆえ」
「爺は行かぬのか」
「参りたいのは山々ですが、あの家は少々具合が悪うございます」
「タウゼントか? あの狸なら派閥がどうでもなすべき話を跳ねることはなかろう」
「儂もエルトには出征を急かすだけ急かし、戦乱の後には爵位返上を勧めた人間にございますぞ」
国王が紙面から顔を上げた。
にこにことペリアン老人は笑顔のままである。
王は小さく瞑目した。
「失言を申した。許せ」
「なんの」
「そうか、エルトの子か」
「御意に」
そのあたりで、概ね打合せは終了したと言える。
話しながら概要版資料を読んでいた国王はそれを隣に置いて、ペリアン外務卿を控えさせたまま付録文書の見出しを眺めていく。
「副学園長代理補佐代行」
「ほ?」
「この件で署名のある学園側対応者だ。それより上は旅行にでも出ておるのであろうな」
ペリアンはにんまり笑う。
若手たちが資料の見えやすい位置に仰々しい記載を置いていたのは老人も事前に一度目に止めたものだった。
「詳しくは存じませぬが、実にありそうなことにございます。ともすると、お歴々はお戻りの見通しすら立たぬやもしれませぬな」
「爺」
ただ声の調子ひとつ。
それを、はっしとばかりに確かに老人は受け止めた。
「拝命、仕りまして。内務卿の誰かにでも話をいたしましょう。人事を刷新するには良い時期です」
「学園の自治を壊しすぎない範囲でな」
「御意」
社会で親が子の監督責任を持つように、他国に対して王は貴族たちの監督と庇護をしなければならない。そしてそれと別に、問題が起きた時に、構造やシステム、制度や体制から変えていくのも国の役割だ。学園の大きめの体制改変は今からおよそ三十年前。そろそろテコ入れがあって良いだろう。
今要職に就いている者も、責任ある場面で名を出すのも荷が重いのであればその座から外してやるのも上の務めというものだ。
「アルジェンヌ嬢、エンディオン殿、ともに我が国の中に知己が少ない。今回の件では無礼のないように配慮して、良い関係を築くように」
「仰せの通りに」
頭を下げてペリアン卿は場を辞す。
資料に小さな牙をひそませた若手政務官たちを労ってやらねばと、皺の多い口元にはかすかな笑みを浮かべていた。
+ + +
同日、6月4日
昼下がり
タウゼント侯爵邸・アルジェンヌ私室
「え」
ぱっかりと妹は口を開けた。
「えええええええっ!?」
叫ぶ。
「嘘、おお、王子様だよっ!? わたし全然聞いてないんだけど――――!?」
「まあ。レシェナったら」
いつもの気の強そうな化粧を落としてこんな風におっとり笑うと、アルジェンヌは二人の母親によく似ている。ということは、母親似だと言われるレシェナにも姉は似ているのだろう。
「そんなに叫ぶなんて、ずいぶん元気が出てきたみたいねぇ」
「お姉ちゃあぁぁん! そうじゃない、そうじゃないよ! そういうことじゃない! ここ別の国! 相手王子様! なんで連れてきちゃったの!?」
「一人だと心細いからついてきていただいたの」
「わた、わたし、みっか、三日も、ご挨拶もしないで」
「大丈夫よぉ」
「おねえさま――――!!」
鷹揚な態度を崩さないアルジェンヌに妹は悲鳴を上げる以外にない。
わたくしのいる間は学園を休んでここで過ごしなさい、あなたのお父さまもご承知よと言われて、レシェナが素直にタウゼント侯爵邸に滞在すること三日目。屋敷にはアルジェンヌの婚約者も来ているのだと今日になって知らされて、レシェナはほとんど前衛絵画の顔になった。
「おかしいのよ、エンディオン様ったら、せっかくだから一度試しに眠れるだけ眠ってみたいと仰って、昨日は本当に丸一日ほとんど眠っていらしたみたい。人ってあんなに眠れるものなのねぇ」
「は、え?」
寝る?
国外の婚約者の屋敷に遠路はるばるやって来て、寝る?
「あちらの王族の皆さま、三、二、一で、いつでも寝られるの。感心するわよ。惚れ惚れするもの。ほんの少しの馬車の移動の間とか、議事と議事の間の数分の休憩とか、外から見たら物憂げに目を伏せていらっしゃるだけみたいなのに、すこんと寝てあそばされるの。すごいわぁ」
「おおお、お姉さま?」
「でも細切れにした眠りでは、やっぱり本当の眠りには足りないのかもしれないわね。エンディオン様もあまりそういうところは見せてくださらないけど、本当は心配だったの。お国を離れた場所で思う存分お休みになれたのなら嬉しいわ」
ふんわり笑った姉の笑顔の気負いない優しさに、毒気を抜かれてレシェナはぽかんとしてしまった。
彼女がアルジェンヌと離れて暮らすようになって長く経つ。きつく睨むような眼差しで必死に歯を食いしばり、母を支えようと大人顔負けに走り回っていた戦乱時のイメージが姉には強い。
三日前に再会した時も当時と変わらず細い腕で懸命にレシェナを守ろうと抱きしめてくれて、その後もずっとおどけたり怖いことを言ったりしても一貫してレシェナを元気付けようとする様子で、アグレッシブで庇護的な姉の印象は変わっていなかったのだが。
「お……」
「お?」
「お姉さまって、ちゃんと、エンディオン様のこと好きだったんだ……」
「まあ、ひどい」
ころころ笑う姉をぼうっと見る。
「わたくし、ちゃんとエンディオン様のことが好きよ? どうしてそんなことを思ったの?」
「前はいつも殿下はすっごい好き好きオーラ出てるのに、お姉様は隣でにこにこしてるだけだったから、玉の輿で嬉しいなっていう気持ちなのかなって……」
「ふ、ふふっ」
堪えきれない様子でアルジェンヌが笑った。扇を持っていないので手で口元を隠している。
「レシェナったら。直接的すぎるわ。もっと話し方をお勉強なさいね」
「ええー。お姉様がこのお屋敷の中では昔のように話していいって仰ったのに」
「だってオーラとか玉の輿とか。エルトでいた頃もそんな言葉は聞いたことがないわ。ふふふ、おかしい。お友だちとそんな風にお喋りするの?」
「うん。下位貴族のクラスだとこんな感じで普通だよ。あんまりかしこまってると気取ってるって言われちゃう」
「そうなの」
「お姉様はすっかり王族様だなぁ……」
口に出してから、はたと。
「ああぁ、そうだ、王子様!」
戻ってきた。
「私、今からでもご挨拶していいかなぁ」
「あら。レシェナが会いたいならいつでも会えるわ。……ああ、でも、そうね」
「?」
「もう何日か待ってくれる?」
「えっと?」
「ここまで来たら、エンディオン様はお話し合いまではレシェナと会わないでおいた方が良さそうだと思うわ」
「お話し合い?」
「わたくしとエンディオン様がこの国に入ってそれなりに経ったわ。もういい加減、わたくしの大切な妹を踏みつけにした馬鹿者たちについて、誰かが状況を把握してご機嫌伺いに来る頃だと思うの」
レシェナがはっと息を飲み、体をこわばらせる。
ちょうどその時、まるでその話を聞いていたかのようにノックが響いた。
入ってきたメイドのシーダはアルジェンヌへ目配せをして近寄る許可を得ると、その耳へ王城からの来客を告げた。アルジェンヌはにっこりして、軽く頷く。
「わたくし、お化粧を直してからお客様にお会いしてくるわ。さっさと場を整えて、こんな馬鹿らしいこと、早く終わらせてしまいましょうね」




