4.臨界の日(1)
注意:ハラスメント(主にセクハラ)の描写があります
某日
タウゼント侯爵邸
「レシェナ、あなた、ゲルトラン何某について、報復手段の希望はあって?」
「何も」
「なにも?」
「……できるなら、もう会いたくない。二度と、あの人、見たくない。名前を聞きたくない。私の人生に入ってこないで欲しい」
黙って見つめる姉娘の視線の先で、レシェナの顔はそれまでの彼女の姿が嘘のように色がない。大理石の彫刻のように白く凍って見えた。
「私の心を、もうこれ以上、あんな人に使いたくない」
声までが固く凍えていて。
「そう」
分かったわ、とアルジェンヌは妹の頭を抱き寄せた。「後は任せて」
+ + +
6月4日
午前
王立学園、本館南翼1階第6中会議室
「いやぁ……」
呆れというよりは憐憫をにじませて、調査員として学園を訪れたオルフ政務官は唸った。
「あなたの肩書き、すっごいですね…………」
「たたた、大変、恐縮、ですっ」
カリュヘッサフォレンド教授。
難しい異国風の名前に続けて説明された役職名は『副学園長代理補佐代行』。もうそれだけで、たらい回し感が迸っている。
「まず学園長がいらして(いち)、
その次に偉い人の(にぃ)、
代理をしてる人がいて(さん)、
そのアシスタントの方の(しぃ)、
さらに代役 (ご)、ってことですよね」
握っていた拳から順番に指を一本ずつ立てていくと、きれいに五本とも開ききった。
「五人目」
「はっ、はは、はい、まあ、そういうことに……なるんですかね?」
「なんでそちらが疑問形」
分厚い眼鏡に縮れた長いソバージュヘア。
ローブにすっぽり身を包んでいて、男性か女性かも定かには分かりにくい。
「この度は急なお願いに快くご協力いただきありがとうございます」
「いえっ、とんでもない!」
「こちらの部屋まで作業用に貸していただいて」
「ここ、こ、国家の調査への協力は、大事な、ことです!」
「うーん、愉快な人だな」
調査に訪れたのは三人。
名をそれぞれ身分が低い順に、ミュラー、オルフ、ヴァルディエ。外務局の中でも特に若手で、学生たちとも話しやすいだろうと自薦他薦の混成でここにいる。
「そ、れで、今日は」
「あ、はい。先に来た使者が多少お伝えしたと思うんですが、素行調査をしたい男子生徒がいます。名前はゲルトラン・リジット。こちらで聞いた範囲では最終学年を三回目だということで」
「こちら、可能なら面談させていただきたい生徒の方のリストです」
ヴァルディエの隣から、ミュラーが紙を取り出してすっと机へすべらせる。
「王城で働く者に家族が学園に通う者が何人かおりまして、先に多少聞き取りができているお子さんもいます。まず改めてその子たちに直接話が聞きたいというのがこちらの列。また出てきた情報から話を聞きたい相手がこちらの列です」
「ゲルトラン・リジット」
難しい名前と大変な肩書きの教授は、説明するミュラー政務官の声が聞こえていなかったかのように唐突な感じでそう言った。
驚いて青年たちが口をつぐむと、足元に置いていた一抱えの奇妙な箱を持ち上げて広い作業机の上に下ろす。次に首にかかるチェーンをたぐって服の下から人差し指ほどの鉄棒を引っ張り出した。
何をするのかと見守る前でぶつぶつ呪文を唱えてから
「ゲルトラン・リジット」
とまたはっきり復唱し、棒の先を鍵穴に差し込む。
突起も何もないただの棒を教授が鍵の仕草でひねると、これまた鍵が開く時の音でカチリと箱が鳴いた。蓋には一直線に入れられた溝があり、やがてそこからぬうっとカードが顔をのぞかせる。突き出た部分を摘んで教授はそれを引き抜いた。
ざっと目を通した仕草の後、「ど、どうぞ……」と小さな声とともにそれを差し出す。
箱からは二枚目のカードがせりあがり始めている。
役職が高めのヴァルディエ政務官が代表してそれを受け取り、書かれた文字を見る。
「すごい」
「うわ、該当生徒の基礎情報票ですか」
「こんな魔道具初めて見ました」
「名前を言うだけで欲しい資料が出てくるって夢の装置すぎる。これ王城にも入れたい」
「あああ、あの、これ、遺物でして、複製できないんです。しかもこの建物内での使用が制限付けられていて用途はプロヒール保存と複製と検索だけで」
「プロヒール?」
「生徒の情報票です、はい。デターベスーという魔道具です。むか、昔は、こちら、三十年ほど前まで、宗教施設でして、この箱と鍵と入力用のペンからなる魔道具は、八十年よりは以前の遺物と見られていて」
「ああ、すみません。ありがとうございます。脱線させてしまいました。良かったらその二枚目も見せていただいてよろしいですか」
ミュラーが遮って要求した。
教授はおたおたと指示に従う。三人は顔を寄せ合って中を読む。新しい紙片の途中からは賞罰歴の欄で、彼らの視線は鋭さを増した。
「三枚目と、四枚目です」
「うっわ」
続く二枚はすべて賞罰の――賞と罰ではもちろん後者の――記録が続いている。
「ご、五枚目、で、最後のようです」
レシェナ・ネキア男爵令嬢の名前は、その五枚目の終わり近くにわずかに一行『同生徒からの過度な接触が懸念される。』と書かれているだけだった。
レシェナへの風評をいたずらに増やさないため、聞き取りは必ずしも彼女への被害にはフォーカスせず、ゲルトランの悪事を漠然と尋ねるようなやり方になった。
「すっげー出てくる……」
「証言めちゃくちゃ多いなぁ」
「話が聞きやすいの、大きめの伯爵家のご息女ですね。意外にというか、なるほどというか」
「子爵以下の身分の家のお嬢さんたちは徹底的に回答を逃げますね。とにかく関わり合いになりたくないという雰囲気です」
「伯爵家で高位貴族の集まりに出られるようなあたりから上は、逆に存在自体を知らない様子だな」
「口が軽いのは男子生徒の方が多いですけど、金銭をたかる系統の話が多いのがなぁ」
「いや、家の女性使用人を見られてしつこく交渉されて問題になったというのがいくつかある」
「交渉」
「一晩貸せとか、いくらで買えるとか」
「最悪だ」
「女性への興味が強いのは確実か」
「言葉飾らず、エロガキでいいですよこんなの」
「ガキの言葉で済ますには暴力的だぞ」
「クズっすね」
「こっちの伯爵家、そういう話で裁判に訴える直前まで行ってます。ああ、家の乳母の娘に手を出そうとしたんだ」
「乳姉妹に? 何を考えてるんだ。その家柄なら乳母というのも夫人の身分ある側仕えが時期を合わせて子を持ったんだろう。家族ぐるみで腹心だろうに」
「相手の家の怒りが目に浮かびます。リジット家は一体いくら詫びを積んだんだか」
「金はあるんだよなぁ、リジット伯爵家」
「法服貴族の縁者は扱いがばらついてる。一代貴族の家は甘く見ていたのかトラブルが多いな」
「それ、思ってました。
貴族間の勢力関係とか一切わかってなくて超単純に親の爵位だけで上下を見てる雰囲気ですよね。寄親すら把握してないんじゃないかって気がします。その割に立ち回りは小賢しいのがまた腹立つんですけど。
どうやって獲物嗅ぎ分けてんだ」
「たぶん態度を見てるんだよ」
「態度?」
「話しかけてみて、大人しいかとか下手に出るかとか、へつらって笑顔を見せるか真顔になるか、小さめの威圧でびびるかどうか、試していく。
そういう奴は俺の世代にもいたから分かります。
留年のせいでゲルトランより年上は学園内にほぼいませんし、体格も昨日見たトールス・リジット技術官と近いならそこそこ大柄です。ほとんどの下級生は逆らいにくいでしょうね。どこかで毅然と押し戻せないとカモになる」
ミュラーは語り、食堂で出くわすと一食おごらされたという子爵令息の証言メモをざっと眺め直してから紙挟みに綴じ込む。
『勝手に肩を組んできて、耳の近くで、
いつも悪いなぁ
……って笑うのが、自分でも情けないんだけど、すごく、怖かったんです。それで、払うだけでいなくなってくれるならって、つい、何度も支払いを』
この生徒への脅し文句は「お前、家の名前はなんだっけ」や「俺が忘れっぽくて良かったな」といったものが多かったそうだ。文字にするとひどく遠回しだが、実際に声で聞くと、家名を覚えた日には伯爵家の力を使ってその家へ何かしてやる、親に迷惑をかけたくないだろうという意図がはっきり伝わってくるらしい。
「レシェナ嬢、大人しい子みたいだしな」
「それも卵と鶏かもしれませんね」
「というと?」
「ゲルトランに絡まれるようになって、笑顔が減り、友人を遠ざけるようになったようです」
「家の地位が低くても証言をしてくれた女生徒は、少ないけど、ネキア男爵領のあるロキシデア地方の豪族に集中してる。それとなくレシェナ嬢を守ろうとしても上手くいかなくて、行き場のない思いを抱えていたみたいだった」
呟いた後、オルフ政務官は首を振る。
レシェナが明確にゲルトランからターゲットされたのは昨年末からのようだ。学年が違うはずのゲルトランの姿がレシェナのクラスや寮との経路の間で見かけられるようになり、言動が直接的になっている。
次に話が聞けたある女生徒は、何度か慎重にオルフたちの立場と調査目的を聞き返した後で
『リジット伯爵令息がレシェナ様を褒めていたことは証言できます』
と告げた。
面食らう調査官たちに用紙と筆記具を求め、椅子と机を借りて彼女は黙々とペンを動かした。
書き上がった紙を渡されて、若い文官たちは言葉を失った。
逃げる姿がリスのようで可愛い
顔は悪くない
受け口なのは人気が出る商売女に多い特徴
胸が小さいのは減点だが柔らかそうで形が良い
足の美しさは女の武器なのでもっと裾を上げて歩くべきだ
上目遣いが誘っている
震え声が愛らしい
気を引く手管は母親に習ったのか
他、諸々。
淡々と羅列される言葉は見るに耐えないものばかりで、その場で書いたのを見ていても礼儀正しく優しそうな垂れ目がちの少女の手から紡がれたことが信じられないほどだった。
『私の口から具体的な言葉を読み上げるのは、もう、したくないので、ご勘弁ください』
おそらく実際の言い草はもっと酷かったのだろう。
証言者の手は血の気が引いて震えていた。
『誰かが何か言おうとしたり、レシェナ様がやめてほしいと言うと、彼らは、褒めているのだと言って大袈裟に憤慨してみせました。レシェナ様が魅力的だからだと』
だからそれは褒め言葉のリストなのだ。
聞いた者が誰ひとり幸せな気持ちにならなくて、言った者ばかりが楽しむ、そういう種類の褒め言葉。
「胸くそ悪ぃ……」
女生徒が出て行った後の一言目。
「言葉が崩れてるよ」
「は。申し訳ございません」
この顔ぶれの中ではエリートに近いヴァルディエ政務官の柔らかなたしなめに、わざと芝居がかった仕草でオルフが頭を下げた。ヴァルディエも立場上から指摘をしただけであって非難の気持ちは元々ない。苦笑で頷く。
「あと今回の証言で、別の意味で頭の痛いことが判明しましたね」
痩せぎすのミュラーが冷静な声で言った。
ひょうきん者のオルフもスマートな印象のヴァルディエも、一様に痛いところを突かれた顔になる。
「そこ避けてたのに」
オルフの茶々にミュラーは肩をすくめる。
ヴァルディエがため息を吐いた。
「君たちが言っているのは、今の彼女が家から言われて先月も調査協力をしていて、他の調査員に一度同じ話をしたという話だね」
「はい」
「別口の可能性も否定はしないですけど、まあ」
「レシェナ嬢に関してと最初から指定していたそうですから」
「ネキア男爵家にそこまでの伝手はないと思うからタウゼント侯爵家だと思うけど、どちらにしても、被害者側による調査だろうな。そして、かのご一行は王都入りの前にネキア男爵領に立ち寄っているし、王都のネキア男爵令嬢は現在タウゼント邸にいる」
「つまり?」
「タウゼント侯爵令嬢アルジェンヌ様は、少なくともご自分の妹の窮状と加害者の所業をご存知だということ」
「ですよねー!」
頭が痛い。
「最悪のケースとして、かの方のエンディオン殿下を伴ってのご帰国自体の理由がレシェナ嬢関連である可能性が出てきました」
ぐっと呼吸のしづらくなるような空気の重さが室内に満ちた。
一応三人の中では最も職位が高くて場の責任を持つヴァルディエ政務官は、顎に手を当ててしばらく考えてからため息とともに顔を上げた。
「ミュラー、一度王城に戻ってペリアン卿に報告を頼む。リジット伯爵家から三男が脱走したら拘束できるように監視の者を手配すべきだと進言してくれ。君の交代人員もここに二人ほど寄越してくれると助かる」
「分かりました。王城に持ち帰る資料を分けます」
「オルフ、我々は、ゲルトラン中心の調査はいったん脇に置いてレシェナ嬢視点で再調査しよう」
「了解。身柄が確保できているゲルトラン本人より、先に取り巻きの状況を把握した方がいいかもしれません」
「取り巻き? ああ、そうか。確かに」
ゲルトランの問題は普段から多いだけに、取り巻き連中にはまだ危機感を持っている様子がまったくないが、調査が物々しく感じられれば敏感な者は何か察して逃げ始めるかもしれない。
ヴァルディエはこめかみを揉む。
「ひどい顔で色男が台無しですよ、先輩」
後輩オルフの言葉に苦笑いを返す。
「何考えてます?」
「ペリアン卿のご判断にはなるけど、陛下に一言要るだろうなと」
荷物を書類鞄に詰め込んで今にも外へ歩き出しそうだったミュラーが
ぴたり
と動きを止めた。
ポーカーフェイスの不要なこの場で、全員がげんなりした顔になっている。
天子への奏上、大統領事前レク、会長プレゼン、うんぬんかんぬん。
巨大組織において、本来は些末であったはずの出来事の火消しについての最高権力者への事情説明というのは、どんな世であっても、事務員の胃壁と睡眠時間を容赦なく削り取るタスクの代表格だった。
働く人たちが普通に真面目にわちゃわちゃしてるのが好きです。(レクってひょっとして業界用語でしたかね。レクチャーの略で、事業説明みたいなニュアンスです。)
次回は、国王レクと、アルジェンヌ・レシェナのわちゃわちゃ。




