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(増量版)目には目を  作者: 茶川左子(旧:シリカゲル)


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2.再会と相談(2)


「隣に座っていい?」


 ゆったりとした長椅子にレシェナを先に座らせ、そんな風に許可を取ってから、アルジェンヌはそっと妹の隣に腰を下ろした。


 その部屋の壁面には透明なガラスの大窓がふんだんに使われていて、王都タウゼント侯爵邸が誇る美しい中庭の様子を視野いっぱいに眺めることができる。椅子や調度品も人が向き合う形ではなく庭に向けて配置してあった。


「アンネ、リリアナ、シーダ」


 アルジェンヌが名前を呼ぶと、さりげなくレシェナの視野に入る位置に来ていた娘たちが順番に頭を下げた。

 一目で使用人と分かるお仕着せを身にまとっているが、最後の一人だけ少し違ったスタイルだ。


「私の仲の良いメイドたちよ。

 シーダだけは隣国の衣装だから雰囲気が違うわね。今日この部屋にはこの三人だけが出入りするけど、お庭には見回りの者や庭師が来ることがあるわ」


「ええと……?」


「よろしくね、ということ。こっちのタウゼント家の二人はこの館に滞在する間のあなたの担当。嫌じゃなければ頼ってあげてちょうだい」


「あ……、そうでした」


「ふふ。思い出した? 初めてタウゼントに行った時、驚いたわよね。あれは領地のお城の方だったけど」


「はい。お客さま一人ずつに担当の使用人やお部屋がつくなんて」


 今から思うとずっと昔のようだ。

 エルト子爵家が解体が本決まりとなってきた頃、アルジェンヌとレシェナは母親に連れられてタウゼント侯爵領を訪れた。領地のこと、家臣のこと、領民のことなど様々な話し合いがあり、その中には未亡人になったエルト子爵夫人と娘姉妹の行く末の検討と人品の見極めも含まれていた。


 招かれた幼い姉妹は心細さでずっと互いの手を握っていたのだが、当たり前に一人ずつに専用の部屋とメイドが別々にあてがわれたものだから、もしかするとここで引き離されて二度と会えなくなるのではないかと大いに怯えてうろたえた。


 事態を知ったルーシャ侯爵夫人が手違いがあってすまなかったと謝って母子三人を一部屋にまとめなおしてくれたが、本当は手違いなどではなく、高位貴族ではよくある対応だと今は知っている。彼らは自分たちでも子供用にそれぞれ乳母や召使を連れてくるので自宅と似たような環境になり、部屋を分けても孤立無援にはならないのだ。


「下がっていてほしければ遠慮なく言ってね」

「はい」

「シーダ、お湯は沸いていて?」

「はい、お嬢様」


 魔道具の小型コンロに乗った湯沸かし、はちみつの壺、陶器のピッチャーに入ったレモン果汁と、素朴な木製のマグカップ。

 ワゴンからテーブルに並べられるのは飲み物というより材料だ。

 レシェナが瞬きする。


「レモネードって」

「実を(しぼ)るのはやらせてもらえなかったわ。まったくどこも融通が利かないのだから」


 がしっと淑女にあるまじき逞しさでピッチャーを握り、とぷとぷ、たぽたぽ、くるくると迷いなくアルジェンヌはマグカップの中にレモネードを作っていく。青空と植物の緑がまぶしいぐらいに光を投げかけてくる明るい室内に、蒸気に混ざってはちみつとレモンの香りが大きく広がった。


「紅茶は女主人が淹れてもおもてなしになるのに、それ以外の飲み物は貴婦人が作業してはならないってどこから来た作法なのかしら」


「えっと、茶葉や砂糖が貴重だったからって聞いたことがある、けど」


「でも殿方ってチョコレート一杯を用意するまでに使用人を何人使うかで自慢しあうのよ。最近流行りのコーヒーもそう。不思議だこと」


 ことん、と片方のマグをレシェナの前に置く。

 そちらは見ないで、先にアルジェンヌは自分の分を飲み始めてしまう。どうぞという言葉もない。


「わたくし、レモネードは搾りたて・沸かしたて・入れたてが一番好きよ。銅貨みたいな大きさの泡が次々沸き立っている思いっきり熱いお湯を使うの。大きめで縦長の器がいいわね。もちろん金物のジョッキを使ったりしてはいけないわ」


 つらつらと語ってまた一口飲む。


 エルト領主邸で暮らしていた頃、敷地内には小さな果樹園があって、冬にはそこで採ってきたレモンを絞ってレモネードを作った。


 調理場で先に人数分のカップにはちみつを入れてきて、家族の集まった部屋でおしゃべりをしながらレモンを搾り、暖炉の端の金具に引っ掛けたケトルに湯を沸かした。長女がナイフで種を暖炉の火にえぐり飛ばすのを母は叱ったが、まだ生きていた兄たちも父も豪快で合理的だと言って笑ったものだ。貴族と言っても田舎の小さな子爵家の日常など大変素朴なものだった。


 昔のことだ。

 レシェナはもう覚えていないかもしれない。


 妹の分には一番たくさんはちみつを使っていたのに、いつも酸っぱいとかもっと甘くしてとか、おねだりをするのが可愛らしくも小憎らしかった。なんとなく甘さ控えめの方が大人のような気がしたので欲しい甘さよりもちょっと我慢していた当時のアルジェンヌには、妹の素直さとちゃっかりしたところが羨ましく感じられた。


 そろり、と、隣の妹がマグを口に運ぶ気配がする。


「すっぱい」


 と、彼女は小さく呟いた。


 さにあらん。

 妹はもう立派なレディに育っていたから、はちみつの量はちょっとだけ大人向けにしてやった。


「酸っぱい、けど、美味しいね」


「あら」


 アルジェンヌは瞬きする。

 それから花がほころぶように笑った。


「それなら良かったわ」



+ + +



「――僕は彼女への挨拶は避けるべきだと思いますか」


 その問いから暫時。


 タウゼント夫人はゆっくりと姿勢を正してエンディオン王子の瞳を見つめた。不躾にならない範囲でまっすぐに。


「お聞きでしたでしょうが、その判断自体はアルジェンヌに任せたところです」


 語り出す夫人に王子はかすかに頷く。


「レシェナはアルジェンヌの勢いに押されてとは言え、いくらか感情を出せる様子はありましたので、決定的に問題のある状態とは考えません。けれど、相当無理をしているようにも見えました。……体も、年始に会った時と比べて痩せてしまったような印象です」


 最後の言葉には冷静な中にも痛ましさがにじんだ。


「……聞くところによると、特に、若い男に怯える風だとか」


「はい。そう報告されております。意識して拒むのではなく落ち着きがなくなったり後ろに下がったり、逃げ場所を探そうとすると。本人に自覚はない可能性もあります」


「そうですか」


 エンディオンは表情を曇らせる。

 夫人はやや恐縮するように伏目がちになった。


「殿下におかれては申し訳のないことでございますが」


「え?」


 聞き返して。

 一瞬ののち、レシェナを挨拶にも上がらせないことをこの国の一貴族として詫びているのだという構図を理解して慌てて首を振った。


「ああ、いや、すまない。そうではないのです。レシェナ嬢の気持ちを一番にしてほしい。アルジェンヌや夫人のご判断を信頼します」


「ありがとう存じます」


「書類で見た範囲では、私は件の生徒と体格が近いらしく。今回の逗留でレシェナ嬢との交流は諦める覚悟もしておくように我が婚約者殿より釘を刺されています」


 その時エンディオンがよそ行きの上品な笑い方になったのは、夫人のうやうやしい態度に応答したのと、彼自身の思考が半分深い場所まで潜りかけていたからだろう。自称の言葉も「私」が混ざったり、家族の立場よりも外交の際のふるまいが前に出てしまう。


「ただ、少し、どうにも情が入ってしまったのです」


「情、ですか?」


「ええ。情です。

 前に自分が会ったレシェナ嬢は大人しくても人懐こい印象で、アルジェンヌから話を聞いているせいかもしれませんが、明るい性格だと思っていました。けれど先ほどは、遠目でしたが、そのような様子は見る影もなく、また、報告書の内容が……信じがたいほど下劣で、それが頭をよぎって仕方ない。

 今もその男がのうのうと自由にしている意味が理解できない。


 つまり、恨みを感じてしまったのです。


 罰してやりたいと。


 ただの罰で済まさないぞ、とっちめてやる。……そんな風に」


 ハッ、と軽く息を吐き出す。


「いやぁ、良くないな。冷静でないですね。このエンディオンともあろう者が」


 話を進めるうちにエンディオンは内省の雲間から徐々に降りてきた。

 物言いが軽薄になるほど逆にうわついたところが消えて客観的になってゆき、最後に一度尊大なそぶりで肩をすくめてみせればその緑の瞳はきらりと輝いて元の色合いまで着地する。


「エンディオン殿下」


「うん? なんでしょう、侯爵閣下」


「お話ししていた通り、我々夫婦はこの件の裁定はアルジェンヌに任せ、手を出さない予定です。これはネキア男爵家とも合意しています」


「ええ」


「アルジェンヌへの情や、レシェナ嬢への同情や、当事者の思いなどの感情的な部分を横に置くと、今回の件は、明らかに責任を問えることは非常に少ない。


 学園内で頻繁に声かけをすること、待ち伏せること引き留めること、際どい冗談や威圧的な発言があったこと、見た目の良い女学生を美しいと言ったり手に入れたいと主張すること、彼女へ余計な手助けをするなと周りを威圧すること、周囲の男子生徒複数名と結託したこと……。


 その他いくらでもありますが、それぞれ、それ自体が何かに規定された罪ではなく、行き過ぎた好意や振る舞いの未熟さといった別の意図だったと家ぐるみで強弁(きょうべん)されれば追い詰めきれない部分が多い。


 幾度か手や肩を掴まれたことがかろうじて目撃されている程度で、未婚の女性への無礼としては大いに侮辱的であるとしても、学生時代特有の距離の近さと言い逃れが可能です」


 ゆっくりと確かな低い声で、歴史の宿題のおさらいをするようにタウゼント侯爵は話をする。


 迂遠(うえん)になり始めたその語り口を急かすことも真意を問うこともせず、じっと真剣に相手を見つめてエンディオン王子は耳を傾けている。


「つまり、法の目で正しく扱えば。

 与えられる罰は、被害者の溜飲(りゅういん)が下がるには程遠いでしょう」


 アルジェンヌの父親であるこの国の侯爵は告げる。

 アルジェンヌの婚約者である隣国の王子は首肯(しゅこう)してそれに理解を示す。


「しかし貴族間のことです。殿下がいらっしゃることで当事者の所在は二国に及び、アルジェンヌの立場は圧倒的に強い。さらには娘は」


 少しの苦笑。

 誇らしいような困ったような。


「あなたという尊い御身を、現実に我が国まで引っ張り出してしまった」


 他国の王族の来臨という、それはあまりにも強いカードだった。





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