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(増量版)目には目を  作者: 茶川左子(旧:シリカゲル)


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2.再会と相談(1)

 6月2日

  午後

   王都、タウゼント侯爵邸



「ネキア男爵家の馬車が見えたようです」


 その声が聞こえるや否やアルジェンヌはさっと立ち上がった。


 彼女の保護母であるタウゼント侯爵夫人が眉を下げて「アルジェンヌ」と優しくたしなめるが、「お目こぼしくださいませ、お義母様」と鞠のごとく声を投げて早足にエントランスへ出る。


「あ……」


「レシェナ!」


 抱きしめた。


 アルジェンヌの三つ下の実妹。


 体格にそこまで差はなくなってきたはずなのに、肩も背もひどく小さく感じるのはドレスに比べれば簡素なボリュームのない制服のせいか、姉がそれを妹だと思うせいか、顔が見えた瞬間あまりに頼りなげに揺れたまなざしのせいか。


 色味の濃い種類のはちみつのような猫っ毛に、こぢんまりと整った目鼻のパーツ、保湿用の薄紅だけを差した唇。瞳のヘーゼルはアルジェンヌよりも少しだけ緑の色味が前に出ている。


 少しの間されるがままだったレシェナは、やがておずおずとアルジェンヌの服の裾を握る。


「……お姉さま」


 小さな小さな声。


 言葉では届かない。涙でも足りない。


 アルジェンヌは全身で訴える。


 私はあなたの味方だと。それ以外に伝えるべきメッセージなどひとつもない。


「レシェ」

「おねえ、ちゃん…………」


 ぎゅっと、俯いて。


「ごめ、なさい……、ごめんなさい、迷惑、かけたくなかったのに……っ…」


 どれほど苦しんだだろう。


 どれほど怖かっただろう。


 耐えることを選んだのに、父母に知られて頬が燃えるように恥ずかしかっただろう。姉に伝わって身の置き場がなかっただろう。粗野な男たちはこの華奢な少女をどれだけ恐怖せしめただろう。尊厳を踏みにじられて、当たり前の日常を壊されて、どれだけ惨めで悔しかっただろう。


 それはただもうすべてが推測でしかない。彼女の中にしか正解がない。アルジェンヌは想像してはいけない。問いただしてはいけない。受け止めることだけが選べる道だ。


「ああ、レシェナ」


 しばらく妹の形と体温を確かめていた後、締め付けられる喉を叱咤してアルジェンヌは明るく朗らかな声を絞り出す。


「小さい頃のようにあなたを抱き上げて二階へ運んでしまいたいわ。でもわたくしたち、もうすっかりレディですものね。屋根裏ではなくサンルームに行きましょう。レシェナは今もレモネードは好き?」


 ささやきに問いかけを混ぜ込むと、頷いた動きが伝わってくる。


「良かった。それじゃ、ご挨拶だけお願いね」


 もうひとつ頷き。


 アルジェンヌが手を離せば、すっと後ろへ一歩、レシェナは体を引いた。顔を凛と上げて奥に控えるタウゼント家の女主人に目を向けてからアルジェンヌへと顔の向きを戻す。視線は下へ、腰を落とし、美しいカーテシーの姿勢へ。


「恐れ多くもお召しによりまかり越しました、ネキア男爵家が次女、レシェナ・ネキアがご挨拶を申し上げます。東風の女神が御身と若き夏の日を寿ぎますよう」


「ご挨拶をありがとう。どうか幸いはあなたの上にこそあるように。お義母様もこちらへ」


 丁重にへりくだる妹と、上位の鷹揚さで平易な言葉を使う姉。

 隔絶した位の違い。


 継子(ままこ)に呼ばれてタウゼント侯爵夫人が前に出る。

 隣国で準王族の身分を与えられているアルジェンヌは、正式には侯爵夫人よりも地位が高い。格式のあるやり取りでは娘の方が座回しを務める必要があった。


「久しぶりですね、レシェナさん」

「ルーシャ様。お久しゅうございます。この度は……」

「話は聞いています」


 自身の養女が体を触れて温かさを伝えたように、ルーシャ・タウゼントもまた手袋をはめた手でそっとレシェナの両手を取り柔らかく包み込んだ。


「辛かったわね」


「……っ、いえ、お姉様にも、タウゼント侯爵家の皆様にも、ご迷惑を」


「あら、そんなことを気にしていたの? タウゼント家では他家のどんな弱みを握っているかでカードゲームをするの。今回はリジット伯爵家の札が手に入ったのだからその意味では『獲得』のフェイズね」


「かくとく」


 思いも寄らないことを言われてレシェナが瞬きした。ぱっちりとした目を彩るまつ毛が愛らしい。


「アルジェンヌに恩を着せておきなさいな。その子ったら遊びがめっぽう強くて。とても狡猾で、どんな弱い手札も無駄にはしないのだから、怖いわよね」

「お義母様。わたくしの妹に悪評を吹き込むのはおよしになって」


「レシェナさん。あなたは相手の高さまで降りることなく淑女の振る舞いを守りました。だから我々は一方的に件の伯爵家を処断できるのです。あちらにしか非がないことが明らかですから。法律の先生方はこれを瑕疵かしがないと言ったりするわね。傷がないという意味よ。あなたと男子生徒たちの関係で、あなたに瑕疵かしはない。よく耐えました。そのカードをアルジェンヌに与えたのは間違いなくあなたよ」


「あ…………」

 恐れるように少女が後ろへ揺れる。


 夫人はそれを無理に引き留めず、応援の合図のように手をもう一度軽く握ってからレシェナの肩を触れて、アルジェンヌの方へ促すように押し出した。


「アルジェンヌ」

「はい。お義母様。行きましょう、レシェナ」

「あ、あの、ルーシャ様」

「なあに?」


「ありがとう、存じます。お心遣いが嬉しいです」


「まあ」

 夫人は喜ばしく目を瞠る。


「さすがはアルジェンヌの妹ね。言葉をきちんと使うこと。もしあなたが良ければ夜には食事をご一緒したいわ。部屋に誰がいてもいいかはアルジェンヌと話してちょうだいね」


 レシェナは一瞬きょとんとしたが、移動を急かす姉の動きに気を取られて、侯爵夫人に対してはお辞儀によって挨拶するにとどめることになった。


「さあ、こちらよ」


 とアルジェンヌが妹を連れてエントランスから消える。



 二人を見送ったタウゼント侯爵夫人ルーシャは裾をひるがえし、扉のない区画を通って椅子やベンチの多い部屋に出る。玄関からすぐ近くで、予定外に馬車を待つ必要が出た時などに使える待合室に似たスペースだ。


 元々アルジェンヌも夫人もここでネキア男爵家の馬車を待っていた。


 そして部屋には存在感の大きな男性がもう二人、女性たちがレシェナの迎えに出る前から変わらず座っている。


 片方は夫人の伴侶のタウゼント侯爵その人。


 それより上座にいるもう片方はエンディオン王子である。


 タウゼント夫人はスカートの裾を持ち上げて軽く礼をし、エンディオンが手振りで座るように促した。


「僕がレシェナ嬢に嫉妬をしてしまいそうだと、ご夫君に話していたところです」


 若い王子はそう言って笑う。あながち冗談でもなさそうだ。

 夫人は微笑でそれを受け止めた。



「アルジェンヌはとても情の(こわ)い娘です。あの子の愛を得た方は幸運ですわ」



 きょとんとした空白が少し。

 それからくしゃっと表情を崩してエンディオンが天を仰いだ。


「そこでつい照れてしまうぐらい、自惚れられたら良かったんだけどなぁ!」


 心よりの詠嘆。


「自惚れてよろしゅうございますわ」

 ふふふと侯爵夫人は口元に手を当てる。

 レースと絹糸をふんだんに使った手袋が明かり取りの高窓からの光にきらきらとしていた。


 椅子から視線だけわずかに動かし侯爵が手で合図をしたのを受けて、入り口に控える使用人が防音のための魔道具の起動ボタンを押す。気配もなく魔力のカーテンが降りていく。


「私どもも障害として立ちはだかるべく、ほどほどに高い壁であろうとしましたけれど、それにしても殿下はよく口説いてくださいました。


 国益から我が家の利、ごくごく小さなメリットまで、降るほどの利益をご提示いただいて、それでも乞うのも捧げるのも最たるは愛だとはっきり仰って。


 娘はことのほか言葉と約束を大切にする性分です。愛を乞われて頷いたのですから、愛する努力を怠ることはないでしょう」


「努力。努力ですかぁ。うーん、険しい山だ」


「同じ山を登るなら、張り合うよりも協力した方が良うございます。どうぞ家族ともども、仲良くさせてくださいませ」


「はは。そういう言い回しを聞くとアルジェンヌをお育てになった方だとよく分かります」


 ひとしきり穏やかな笑いを交わして。

 もてなしでテーブルに配されている数紙の新聞の重なりに目を落として一拍置いてから、エンディオンはタウゼント侯爵夫人を見つめる。


「それで、夫人、どうでしょうか」


 問いが口から放たれる。


「レシェナ嬢の様子は。――僕は彼女への挨拶は避けるべきだと思いますか」


 真剣さが強くなりすぎないように十分気を配ったはずだったのに、その問いかけは、ギロチンを見た人間が自然と体をこわばらせるように冷たい緊張をその場に投げかけた。



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