幕間|風が吹く
今日は、少し早く帰ることにした。
理由は、特にない。
そういうことにしておく。
駅へ向かう道は静かで、
街灯の間隔がやけに広く感じられた。
アスファルトに落ちる足音が、
一定のリズムでついてくる。
止めない限り、
ずっと続きそうな音だった。
何かを聴けば、
考えなくて済むことまで
浮かんできそうな気がして。
イヤホンはポケットに入れたまま、
何も流さずに歩いた。
ホームに入ってくる電車の風が、
コートの裾を揺らす。
少し冷たい。
季節のせいか、
それとも、
今日一日ほとんど喋らなかったせいか。
「なぁ」
改札の前で、
足が止まった。
「なんか食ってかない?」
聞き慣れた声が、
すぐ後ろから落ちてくる。
振り返ると、
ハヤテが立っていた。
息も切らしていない。
焦った様子もない。
いつも通りの顔だ。
その「いつも通り」が、
少しだけ現実を引き戻す。
それが、
少しだけ心を軽くする。
「なんか、甘いものが食べたい気分」
ハヤテが、
ほんの少しだけ目を見開く。
「甘いの……珍しくない?」
その言い方が、
からかうでもなく、
心配でもなくて。
気づいたら、
口元が緩んでいた。
「たまには、いいだろ」
ハヤテは一瞬きょとんとしてから、
すぐに笑う。
「はは、たしかに」
その反応が、
なんだか可笑しくて。
今度は、
ちゃんと息が漏れた。
大きな笑いじゃない。
でも、
自分でも分かるくらいのやつ。
「クレープ、いっちゃう?」
「いいね」
答えた自分の声は、
思ったより軽かった。
改札へ向きかけていた足を止め、
向きを変える。
ハヤテはもう歩き出していて、
迷う様子もない。
その背中を追うように、
足を出した。
足取りは、
さっきよりも、
はっきり軽かった。




