同じ言葉の距離
連絡先を開くまでに、思ったより時間がかかった。
名前は、ずっとそこにあった。
消したことも、変えたこともない。
ヒナタは一度、画面を伏せ、深く息を吸う。
音では、もう守れない。
逃げないと決めた。
短いメッセージを打つ。
「久しぶり。
少し話せない?」
送信。
返事は、思ったより早かった。
「うん。
ちょうど今週、時間ある」
それだけだった。
余計な言葉は、ない。
会う場所は、スタジオの近くの小さなカフェ。
仕事帰りの人が多く、
長居するような空気でもない。
先に着いたヒナタは、
コーヒーを一口飲み、
何度もカップの位置を変えた。
ドアが開く。
顔を上げる前に、分かった。
歩く音。
空気の変わり方。
「……ヒナタ」
小雪は、以前と変わらない声で言った。
「久しぶり」
近況を、少し話す。
仕事のこと。
音楽のこと。
どちらも、
踏み込みすぎない。
「続いてるんだね」
小雪が言う。
「うん」
「ちゃんと」
その一言が、
評価でも、励ましでもないことが分かる。
沈黙が落ちる。
ヒナタは、逃げなかった。
「……前にさ」
ゆっくり、言う。
「言われた言葉、覚えてる?」
小雪は、一瞬だけ目を伏せた。
「覚えてるよ」
即答だった。
「小さくて、溶けそうで」
「でも、消えなかったやつ」
ヒナタは、静かに頷く。
「ずっと、そこにあった」
「でも、触れなかった」
小雪は、何も言わない。
促さない。
結論も渡さない。
ただ、聞いている。
「音にして、
守れると思ってた」
「でも、無理だった」
ヒナタは、正直に言った。
「……今は?」
小雪が聞く。
「今は」
少し、考える。
「触れたい」
小雪は、かすかに笑った。
「それでいいと思う」
あの頃と、同じ言い方だった。
助言ではない。
期待でもない。
ただ、
見えたものを、そのまま返しただけ。
外に出ると、夜風が冷たい。
「また、音聴かせて」
別れ際、小雪が言った。
「完成してなくていいから」
ヒナタは、はっきり頷いた。
「……うん」
帰り道、
胸の奥にあったざらつきが、
少しだけ、形を変えていた。
軽くなったわけじゃない。
消えたわけでもない。
でも、
逃げなくていい場所になった。
その夜、
ヒナタはノートを開く。
白いページに、
初めて、迷いながら言葉を書く。
小さくて、
溶けそうで。
それでも。
今度は、
消えなかった。




