そこまで聴く人
レコーディングスタジオは、夜になると音がよく見えた。
「もう一回、最初からいい?」
ヒナタが言う。
ハヤテは一瞬だけ時計を見てから、頷いた。
「了解」
コウタは何も言わず、ベースを構え直す。
テイクは、すでに悪くなかった。
エンジニアも、首を傾げるほどではない。
「今の、問題ある?」
ハヤテが軽く聞く。
「問題はない」
ヒナタは、モニター越しに音を聴きながら答えた。
「でも、
二拍目の後ろ、
ちょっとだけ沈みすぎてる」
「……そこ?」
ハヤテは苦笑する。
「分かる人、いないと思うけど」
「うん」
ヒナタは即答した。
「でも、そこが残る」
コウタが、静かに口を挟む。
「ヒナタ、最近そこばっかり見てるよね」
「見てるっていうか」
ヒナタは少し考えてから言う。
「聴こえちゃう」
言い訳のようでも、
自慢のようでもない声だった。
もう一度、音が鳴る。
今度は、
ほんのわずかに、
全体が前に進んだ。
「……あ」
ハヤテが、小さく声を漏らす。
「今の、分かる」
ヒナタは何も言わない。
ただ、頷いた。
テイクが終わる。
「正直さ」
エンジニアが言う。
「歌とか曲以前に、音の組み方が独特だよね」
「褒めてます?」
ハヤテが笑う。
「もちろん」
エンジニアも笑い返す。
「普通、ボーカルはこんな細かいところまで言わない」
ヒナタは、その言葉に少しだけ戸惑った。
「……俺、
変ですか」
「いや」
エンジニアは首を振る。
「作る側の耳だと思う」
その言葉が、
胸の奥に静かに落ちる。
スタジオを出ると、
夜はもう深かった。
「疲れたな」
ハヤテが伸びをする。
「でも、さっきの音、よかった」
「うん」
コウタも頷く。
ヒナタは少し遅れて歩きながら、
さっきの言葉を反芻していた。
作る側の耳。
それは、
歌詞を書かない自分への
言い訳になる言葉ではなかった。
むしろ。
言葉に触れられない代わりに、
音のすべてに触れようとしている
自分の姿を、
そのまま言い当てられた気がした。
家に帰り、
ヘッドホンをつけて、
今日の音をもう一度聴く。
細部。
空気。
間。
「……ここだ」
ヒナタは呟く。
言葉は、まだ出てこない。
でも、
音だけは、
逃がしたくなかった。




