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触れなかった理由
夜の部屋は、音が少なかった。
ヒナタはベッドに腰掛け、天井を見上げたまま動かない。
昼に開いたノートは、机の上に置いたままだ。
閉じてはいない。
けれど、書いてもいない。
「……なんで、書けなかったんだ」
独り言のように呟く。
才能とか、タイミングとか。
ずっと、そういう言葉で片づけてきた。
でも、あのデモは違った。
荒くて、未熟で、それでも確かに触れていた音。
ヒナタは目を閉じる。
思い出すのは、どうでもいいはずの場面だ。
雪の降る帰り道。
冷えた指先。
ポケットの中の、かじかんだ手。
「……あ」
胸の奥が、わずかに引っかかる。
誰かの声。
評価でも、励ましでもない。
「それ、消えないね」
ただ、気づいたことを言っただけの声。
ヒナタは、ゆっくり息を吸う。
「……触れたくなかったんだな」
歌詞が書けなかった理由。
あの感覚から目を逸らしていた理由。
音楽が壊れるのが怖かったわけじゃない。
一瞬、そう思って、
首を振った。
ヒナタは起き上がり、ノートの前に座る。
ペンを持つ。
書かない。
それでも、閉じなかった。
「……次は」
小さく呟く。
「ちゃんと、向き合う」




