第9話:「深紅の剣」の不調
僕、レオがエララという最高のパートナーと共に、辺境の街で新たな一歩を踏み出していた、ちょうどその頃。
かつて僕が所属していたSランクパーティ『深紅の剣』は、王都近郊にある高難易度ダンジョン『慟哭の迷宮』の深層部にいた。
「ハァッ、ハァッ……!クソッ、こいつら、やけにしぶといな!」
リーダーのアレックスが、魔剣『イグニス』を振るい、オークの屈強な戦士を切り伏せる。しかし、その剣筋には以前のような圧倒的な輝きと速度がなかった。普段なら一撃で沈められるはずの相手に、二度、三度と刃を浴びせなければならない。
「アレックス!右翼が手薄よ!何をしているの!」
後方から、魔術師セラフィナの苛立った声が飛ぶ。彼女は詠唱を続けながら、パーティのフォーメーションの乱れを指摘する。
「わかってる!だが、どうも剣の調子が……!」
アレックスは忌々しげに、自分の愛剣を見つめる。Sランクパーティの象徴たるこの魔剣は、持ち主の魔力に呼応して炎を纏い、斬撃の威力を倍増させるはずだった。しかし、今その刀身から立ち上る炎は、まるで風前の灯火のように弱々しい。
(おかしい。出発前、武具屋で最高額のメンテナンスを施したはずなのに……)
彼には知る由もなかった。
魔剣『イグニス』の真の性能を引き出すには、刀身に刻まれた微細な魔術回路を、毎日完璧に浄化し、活性化させる必要があった。その作業を、三年間、一日も欠かさず行っていたのが、彼らが追放した『荷物持ち』のレオだったということを。
「【グラン・ヒール】!」
神官ギデオンの回復魔法が、オークの棍棒に殴打されたアレックスを包む。しかし、傷の治りは普段より明らかに遅い。
「す、すみません、アレックス!どうも呪文の乗りが悪くて……!」
ギデオンの額には、脂汗が滲んでいた。彼が使う聖印の銀の輝きが、心なしか曇っている。それもそのはず、聖印は毎日聖水で清め、月光浴をさせなければ、その奇跡の力を最大限に発揮できない。その管理もまた、レオの仕事だった。
「チッ、役立たずが!」
アレックスの罵声は、もはやレオではなく、今の仲間たちに向けられていた。
「セラフィナ!大魔法で一気に焼き払え!」
「無茶を言わないで!詠唱の時間が稼げないわ!」
セラフィナの放つ【ファイアボール】は、以前のような敵を一掃する威力はなく、オークの分厚い皮膚を焦がす程度が関の山だった。彼女自身、その魔力の出力低下に、内心では誰よりも焦りを感じていた。
(どうして……?私の魔力が衰えたとでもいうの?いいえ、違う。何かがおかしい。まるで、魔法を撃つたびに、どこかへ力が漏れていくような……)
その感覚の正体を、彼女はまだ理解できない。
彼女が魔法を使う際に無意識に頼っていた、レオによる魔力循環の『最適化』という補助輪が、今はもう存在しないということに。
「ミア!敵の陣形を崩せ!」
「やってるわよ!」
斥候のミアが、影から影へと飛び移り、オークの死角から短剣を突き立てる。しかし、彼女の動きもまた、どこか精彩を欠いていた。ブーツの留め金がほんの少し緩み、完璧な消音を妨げている。投擲ナイフの重心が、ほんの僅かに狂っている。
全てが、ほんの些細な「乱れ」。
だが、Sランクという最高峰の戦いにおいて、その僅かな乱れが、命取りの隙を生む。
戦闘は、辛くも『深紅の剣』の勝利に終わった。
しかし、彼らの姿に、Sランクパーティの王者の風格はなかった。全員が深手を負い、息も絶え絶え。持参した高級ポーションの大半を消費してしまっていた。
「……ひどい有様だな」
最初に口を開いたのは、アレックスだった。その声には、疲労と不満が滲んでいる。
「本来なら、こんな下級のオーク相手に、ポーションなど一本も使うはずがなかった」
「それは貴方が無策に突っ込むからでしょう!」
セラフィナが、ヒステリックに反論する。
「俺のせいだとでも!?お前の魔法がまともなら、こんな苦戦はしなかっただろうが!」
「なんですって!?」
仲間同士で責任をなすりつけ合う、醜い光景。
ギデオンがオロオロと仲裁しようとするが、誰も彼の言葉に耳を貸そうとはしない。ミアは壁に寄りかかり、冷めた目でそのやり取りを眺めているだけだ。
パーティの雰囲気は、最悪だった。
レオがいた頃は、こんなことはなかった。
戦闘が終われば、レオが手際よく野営地を準備し、温かい食事と、完璧にメンテナンスされた装備が彼らを迎えた。どんな激戦の後でも、心身を休ませる環境が、そこにはあった。
だが、今はどうだ。
誰も食事の準備をしようとはせず、傷ついた身体を硬い岩の上で休ませているだけ。武具は血と泥に汚れ、そこかしこから不協和音のような軋みを上げていた。
「……なあ」
沈黙を破ったのは、ミアだった。
「最近、妙な噂、聞いた?」
「噂?」
「辺境の街ハルモニアで、新人の男女二人のパーティが、とんでもない勢いでランクを上げてるって話よ」
「ハッ、辺境の田舎冒険者の話など、どうでもいい」
アレックスは、興味なさそうに鼻を鳴らした。
「そうかしら。なんでも、ドジなエルフの魔術師と、それを支える風変わりな支援職の男のパーティらしいけど」
「……」
その言葉に、セラフィナがわずかに眉をひそめたが、それが何を意味するのか、この時の彼らには知る由もなかった。
彼らは気づいていない。
自分たちが失ったものが、単なる『荷物持ち』ではなかったということに。
彼らの栄光を根底から支えていた、最も重要な『歯車』を、自らの手で追放してしまったという事実に。
『深紅の剣』の不調。
それは、まだ始まったばかり。
彼らが、自分たちの犯した過ちの本当の大きさを知るのは、もう少し先の話である。