第1話:役立たずの荷物持ち
ひやりと湿った空気が肺を刺す。鉄の匂いと、獣の血臭、そして魔力の残滓が混じり合った濃密な空気が、敗走という事実を嫌でも突きつけてきた。
「くそっ……!あのミノタウロスロードめ、あと一歩だっただろうが!」
先頭を歩くリーダーのアレックスが、壁を殴りつけて悪態をついた。彼が持つSランクパーティ「深紅の剣」の象徴たる魔剣『イグニス』が、主の怒りに呼応するように鈍い光を放つ。その光に照らされた彼の顔は、プライドを傷つけられた怒りで醜く歪んでいた。
僕、レオはパーティの最後尾で、重い荷物を背負いながら黙ってその背中を見つめていた。僕の役割は『荷物持ち』兼『雑用係』。戦闘系のスキルを持たない僕が、Sランクパーティに所属できている理由だ。
「あと一歩、ね。アレックスの突撃が早すぎたせいじゃないかしら」
冷ややかな声を上げたのは、パーティの紅一点である魔術師のセラフィナだ。ローブのフードから覗く美しい顔には、疲労と不満が色濃く浮かんでいる。
「なんだと?俺の判断が間違ってたとでも言うのか!」
「そうは言わないわ。でも、援護魔法の詠唱が終わる前に突っ込むのは愚策よ。おかげで私も深手を負ったじゃない」
二人の間に険悪な空気が流れる。それを宥めるように、神官のギデオンが口を挟んだ。
「まあまあ、二人とも。今回は相手が悪かったんですよ。ミノタウロスロードは、報告にあった個体よりも明らかに強力でした」
「そうだぜ。それに、そもそも原因は他にあるんじゃねえか?」
嘲るような声で会話に割り込んできたのは、斥候のミアだ。彼女の視線が、ナイフのように僕――レオを突き刺す。
その視線に、パーティ全員の意識が僕へと集中した。心臓が嫌な音を立てて跳ねる。まただ。ダンジョン攻略に失敗したり、何か問題が起きたりするたびに、このパーティでは「犯人探し」が始まる。そして、その矛先は決まって、一番立場の弱い僕に向けられる。
アレックスが、待ってましたとばかりに僕を睨みつけた。
「そうだ、ミアの言う通りだ。おい、レオ!てめえのせいだ!」
「……え?」
「とぼけるな!最後の突撃の直前、俺がお前に合図して『障壁の魔晶石』を使わせたよな?あれが発動しなかったせいで、セラフィナの詠唱時間が稼げず、俺もカウンターを食らった!違うか!」
アレックスの怒声がダンジョンに響き渡る。障壁の魔晶石。それは、一定時間、物理攻撃と魔法攻撃を防ぐ高価な防御アイテムだ。確かに、僕は彼の合図で即座に起動させたはずだった。
「そ、そんなはずは……。僕は確かに起動させました。出発前にも、僕のスキルで全てのアイテムが正常に機能することは確認したはずです」
僕の唯一にして、パーティでは「何の役にも立たない」と断じられているスキル、【整理整頓】。
その効果は、物の状態を完璧に把握し、あるべき形に整えること。装備やアイテムのメンテナンスにかけては、誰にも負けない自信があった。消耗品の状態、エンチャントの魔力残量、ポーションの品質。それらを完璧に管理し、常に最高の状態で仲間たちに供給してきた。それが僕の存在意義だと信じて。
「スキルだぁ?寝言は寝て言え!お前のその『お掃除スキル』が戦闘で何の役に立つんだよ!」
アレックスは僕の胸ぐらを掴み、壁に叩きつけた。背中を打った衝撃で、息が詰まる。
「言い訳はいいんだよ。これが証拠だ」
彼が僕の目の前に突きつけたのは、ひび割れて輝きを失った魔晶石だった。
「……!?」
そんなはずはない。僕が管理していた魔晶石は完璧な状態だった。あんなひび割れはどこにも……。
まさか、アレックスがミノタウロスの攻撃を受けた際に、石そのものを破損させたのでは?だとしたら、それは僕の責任じゃない。
だが、そんな反論が許される雰囲気ではなかった。セラフィナが冷たく言い放つ。
「やっぱり。私も感じていたのよ。最近、どうも魔法の乗りが悪いと思っていたわ。貴方が管理する触媒の質が落ちていたんじゃないの?」
「そんなことは……!」
「レオ君、何か言い分があるなら……」
おずおずと口を開いたギデオンも、アレックスの睨み一つで口をつぐんでしまう。ミアに至っては、腕を組んで面白そうに僕を見ているだけだ。
四対一。僕に味方はいない。
このパーティで過ごした三年間が、走馬灯のように頭をよぎる。
誰よりも早く起きて野営地を片付け、食事を用意する。戦闘後には皆の武具を丁寧に磨き上げ、損傷があれば即座に修復する。僕の【整理整頓】は、泥に汚れた装備を新品同様に磨き上げ、僅かな傷も見逃さなかった。セラフィナが使う魔法の触媒も、僕が整えることで常に最高の純度を保っていたはずだ。
その全てが、彼らにとっては「当たり前」のことで、感謝されたことなど一度もなかった。
アレックスは僕の胸ぐらから手を離すと、まるで汚いものでも払うかのように手を叩いた。そして、宣告した。
「レオ。お前は今日限りでクビだ」
その言葉は、冷たく、重く、僕の心に突き刺さった。
「荷物持ちなら代わりはいくらでもいる。いや、戦闘に参加できるだけ、そこらのDランク冒険者の方がマシだ。役立たずをこれ以上養ってやる義理はねえ」
「……」
「返事くらいしろよ、能無しが」
「……わかり、ました」
喉から絞り出した声は、自分でも驚くほどか細く、惨めだった。
「装備は置いていけ。お前に与えたもんは全部、パーティの資産だ。最低限の旅支度だけ持って、とっとと俺たちの前から消えろ」
僕は言われるがまま、背負っていた大きな荷物鞄を降ろし、使い古された革鎧を脱いだ。渡されたのは、なけなしの金貨数枚と、水の入った皮袋だけ。
仲間だったはずの四人は、誰一人として僕を見ようともせず、さっさとダンジョンの出口へと歩き始めた。その背中は、どこまでも冷たかった。
一人、薄暗い通路に取り残される。
悔しいのか、悲しいのか、それとも安堵しているのか。自分でもよくわからなかった。
ただ、これでようやく、彼らの機嫌を常にうかがい、自分の存在価値を証明しようと必死になる日々から解放されるのだ、と。そんな考えが、心の片隅をよぎった。
重い足取りでダンジョンを出ると、外は冷たい雨が降っていた。まるで僕の心を映しているかのような、灰色の空。
これからどうしようか。あてもない。Sランクパーティを追放された『荷物持ち』など、どこのパーティも拾ってはくれないだろう。
それでも、僕は歩き出した。
三年間、僕が捧げた献身は、何の価値もなかった。僕のスキルは、役立たずだと断じられた。
だが、本当にそうだろうか。
雨に打たれながら、ふと思う。
僕がいたからこそ、「深紅の剣」の装備は常に輝き、セラフィナの魔法は安定していたのではないか?
それは、ただの自惚れだろうか。
今はもう、確かめようもない。
失ったものの大きさと、ほんの少しの解放感を胸に、僕は当てもなく、辺境の街へと続くぬかるんだ道を、一人歩き始めた。
Sランクパーティ「深紅の剣」の雑用係、レオの物語は、こうして終わりを告げた。
そして、ここから、新たな物語が始まろうとしていることなど、まだ知る由もなかった。
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