お手伝いさんはなかなか大変です
桜城梓は夜な夜な真っ暗な山道を車で駆け抜けると——現れた屋敷の前で車を止めた。
先刻まで担任クラスの問題児——『龍崎葵』のことで悩んでいた彼女は、今はこれから楽しいことが始まる、そんな楽しみを控えた子供のような顔つきをしている。
静寂と暗闇に染まる世界の中を、ズカズカと彼女は踏み込んでいく。
屋敷の玄関へとやってきた梓は、ゴン! ゴン! と拳で殴りつけるように扉をノックした。
その低く響かせた音が鳴り響き、ものの数秒で玄関が開かれ——中から銀髪のメイド服を着た少女が顔を覗かせた。
「……梓。こんな時間になんですか?」
お呼びでない訪問人を見るかのような目と疑いのこもった顔を浮かべるメイド少女。
見知っている彼女の『らしい』反応に梓は無意識に口角を上げた。
「まぁまぁ入れてや入れてや」
「はぁ……」
夜も深くなっていると言うのに、突然桜城梓が屋敷にやってきた。
しかも突然に——。それだけで芽依の細く凛々しい目がさらに細まっていく。
梓の勢いに負けるかのように芽依は開けかけた扉を完全に開かせ、桜城梓を屋敷の中へと招き入れる。
「…………」
「なあに? そんな見つめて。私の顔になにかついてる? それとも一目惚れでもした?」
「一目惚れの意味をきちんと調べてきたらどう?」
「これでも先生なんだけど? そんな事を言っていいわけ?」
「あなたの言動の全てが辞書を食い破っている自覚を持った方が良いと思います」
「……ブゥ。あいかわらずなんだから」
「つい一週間前も同じようなやり取りした気がするんですけど」
「はいはい。すごいすごい。芽依は記憶力だけは無駄に良いんだから」
「梓も無駄に表面は良いですよ」
「あなたほんとに歳上にも容赦ないわね」
「そうですか?」
小首を傾げる芽依。梓は無意識でやっているのか、と思わず溜息を吐いてしまう。
二人は揃った足並みで長テーブルが鎮座する広いリビングへと進んでいく。
夜ということとテレビも無い空間には不気味な静寂が包む。まるでこの家には誰も住んでいないのでは、と十分に思えるほどの静けさが広がっていた。
「イリアたちは? まだ寝てる?」
「えぇ。彼女たちは十二時を過ぎないと起きないですから」
「良いわよねー。ほんと、私も夜型だからあの子たちの生活リズムには憧れちゃうわ」
「梓はただ夜更かししているだけでしょ。夜型の人に失礼だから他ではそんな事言わないで」
「……日に日に言葉の鋭さが増していることで」
ガックリと肩を落とす梓。芽依はそんな彼女を横目で一瞥すると、長テーブルの椅子を引いてみせたが——梓はその行動を手で制した。
「いいわ。今日はこの後帰らなきゃいけないから、そんな長話するつもりないの」
「……そう」
「でも〜、芽依ちゃんが残って欲しいって言うなら〜。ちょ〜とだけいてあげてもいいけどー」
「結構です。すぐに話だけ話してください」
芽依の凍てつくような冷めた眼差しに、梓は想定通りと言わんばかりに微笑を浮かべてみせた。
「なら、要件だけパッと言っとくわね? ————明日、一人『お手伝いさん』を雇うことにしたから——」
「……は?」
「それも高校生の男の子。歳は芽依とそんな変わんない『十六歳』。あれ? アイツ誕生日いつだっけ……もしかしたら『十七歳』だったかも」
「いや……そんな細かい事はいいから」
芽依は眉間に皺を作っていた。
「お手伝いさんってなに? 過程をすっ飛ばしすぎて意味が理解できないわよ」
「もぅ……芽依がさっさと話せって言うから手短にしたあげたのにぃ」
「それにしても飛び過ぎ。もう少し情報が欲しいわ」
険しい芽依の顔つきに、梓は「うーん……」と少しだけ顎に人差し指の腹を当てた。
「まぁ。簡単に言うとー。学校で不遇な扱いを受けている男の子がいてさ。その子をどうにか救ってやろうと考えた私が、この『ちょっと変わった屋敷』でお手伝いさんとして雇うことで『アイツ』の評判を変えてあげようって話なわけですよ——」
「…………」
思いのほか『訳あり』な物言いを聞いてしまった芽依。
彼女としても薄々感じ取っていたのだが……どうやら今回も彼女の『お人好し』が一枚噛んでいる案件なのだと察した。
「はぁ……」
そう思うと勝手に口から吐息を零してしまう芽依であった。
「それで? 私たちはその『お手伝いさん』になにをすればいいの?」
深く聞き出すことはせず、端的にこちらの意図を汲み取ってくれる芽依の言動に——梓は口元を緩めてしまう。
「そうだねー。まぁ特になにもしなくていいよ」
「は——?」
「うん。そうだね。やっぱり『なにもしなくていい』かな。正直、今回は芽依たちに審査員的な立ち回りをしてもらうことになると思うけど————特になにもしなくていいから」
「…………」
やたら強調してくる『なにもしなくていい』と言うセリフに——芽依は必死にその発言の『裏』を探ろうとした。
しかし。すぐに、梓のなにかを企んでいるであろう——ニヒルな笑顔を見て、その行為が無駄であることをいち早く悟ってしまう。
「……なら、イリアたちには私が明日伝えておきます」
「うん。お願いするよ。こっちも明日連れてくるから、それなりに出迎えてやってちょうだい」
「出迎え……」
高校生の、それも同世代の男の子を出迎えるなんて——芽依の人生には記憶がない。
初めての経験に、一体どう言った立ち振る舞いをすればいいのかしばらく悩みそうだと思っていた。
「出迎えなんてそんな真剣に考えなくていいよ」
「……と、言うと?」
「高校生の男子なんてみんな————『豚野郎』なんだから。そんな感じで迎えてやれば歓喜に頬を染め上げるってもんだよ」
「…………なるほど」
芽依は後で『豚野郎 挨拶』と言うワードをネットで調べておこうと固く決意した。
「それじゃ、明日から——よろしくね、芽依」
「……了解しました」
芽依の返事を聞いて、桜城梓は嬉しそうに口角を上げたのだった……。
***
「葵さん——彼女たちはかなりの潔癖症ですので、塵一つ、埃一つ残さず掃除をお願いします」
「……りょーかい」
葵は箒を手に持ち、気怠げに応えた。
頭には白い三角巾を被り、白いエプロンを身に纏った葵。手に持つ竹箒。その姿はおとぎ話に出てくる貧困街の少女のようであった。
今は深夜の十二時半を過ぎた頃——。
葵は屋敷の廊下で、芽依とこれからの『作業内容』の確認をしていた。
「二時までに屋敷全体の掃除。それが終わったら食器洗い。それをだいたい三時前までには終わらせてください。その後は——彼女たちのお世話と給仕を」
「俺は一体いつ寝ればいいんだよ」
気怠げな顔つきを浮かべる葵の心配事はそこだった。
「陽が完全に昇れば彼女たちも大人しくなります。そこから私と葵さんで交互に仮眠をとってもらうつもりです」
「……とんでもねー生活リズムだな」
「私たちはあの子たちを見守る責任と義務があります。その事を念頭に置いていただくようお願いしますね」
「……はあい」
そんな責任知った事か。
葵は内心でそう悪態つくも、決して表情に出さなかった自分に少しだけ感心してしまう。
「……芽依はどうするんだ」
「私はこれから彼女たちの『朝ごはん』を作ります。その後、洗濯と洗い場の掃除と入浴のお手伝い。それが終わったら、彼女たちの各部屋の掃除チェックします。そこであなたの『評価』を確認し、その他の細かい作業をこなしていく予定です」
「…………」
葵は思わず閉口してしまった。
正直、雇う側の彼女はもう少し緩く動くものだと勝手に想像していた葵だが……己の浅はかな思考に恥を覚え、瞳を彷徨わせる。
「それじゃあ、また三時頃に合流しましょう。なにかあれば私のスマホへ連絡を——」
「……うっす」
抱いた恥ずかしさを隠すように……葵は唇を突き出して返事をした。
「……しっかし、変な因縁をつけられたもんだぜ……」
竹箒一つを抱え、葵は『吸血鬼』たちの部屋へと足を向ける。
一部屋ずつが均等な距離で離れている。廊下の端から順に葵は部屋の扉を開けていくことにした。
「一発目はたしか……あの元気の良い娘だった、か」
まずは——『紫紺の髪』をした吸血鬼——『リード・アロンソ』の部屋だ。
「……これまた個性が強い、な」
部屋の中は少女とは思えない『パンク』な空間を見せていた。
壁一面に年代を感じさせるビジュアルバンドたちのポスターが貼られており、メタルなジャケットや髑髏のインテリアなどが部屋中に置かれていた。
床に敷かれた敷物にはでかでかと巨大な魔法陣のような紋様が描かれている。……見た目の健気さとはかけ離れた『狂気』を感じさせる装飾模様に葵は目を見開かせた。
「……これ、どうやって掃除すればいいんだよ」
「あ————ッ!」
「な——!?」
突如、葵の背後から聞こえてきた叫び声。
反射的に後ろを振り返った葵。その視界の先では——『紫紺の髪』が激しく揺れていた。
「あなたは——! …………誰だっけ?」
「龍崎葵だ! さっき紹介したばかりだろ!」
「……あぁ! イリアと喧嘩してた少年っすね!」
「少年って……。そうか、お前らみんなそんななりをしてても『歳上』なんだっけか」
「そうなんすよー。って、私たちの『事情』も丸わかりって感じすか?」
「……ある程度だけだけどな」
なんとなくの直感だが、葵はこの紫髪の娘とは波長が合いそうな気がした。
「えーっと……たしかあんたは……『リード・アロンソ』だっけ?」
葵が確認のため名を呼ぶと——紫髪の少女はその赤い瞳をキラリ、と輝かせた。
「そのとおりっす! 私の名は『リード・アロンソ』! なかなか気に入っている名前なのに、なかなかその名前で呼ばれないのが私っす!」
「……それはご愁傷様なことで」
やたらハイテンションな吸血鬼だ、と葵は違う意味で驚きを感じていた。
「お前は……」
「リードっす」
「……リードは俺のこと憎んでないのか?」
それは葵の本心から漏れた言葉だった。
対して、リード・アロンソは——こてっ、と小首を傾げてみせる。
「憎む? そんな理由なくないっすか?」
「……いや、ほらだって俺はお前たちを危険に晒したって……」
「それはイリアの見解っす。私は別に葵さんは別にそんな憎むほど悪い人だと思ってませんっすよ」
「……そう、なのか?」
「そうっすそうっす。だって葵さん——私たちの事を知っても態度を変えないじゃないじゃないっすか。それだけで、私たちはどんな人よりも葵さんの事を認める『理由』になるっす」
「…………でも」
燃えるような赤髪の少女とは正反対の言葉を投げかけるリードに、葵は少したじろいでしまう。
「それに——イリアも少し『意固地』なところあるっすから。私は蚊帳の外から結構楽しませてもらってます」
「……性格が良いのか悪いのか分からねーな」
思わず苦笑を浮かべる葵に、リードは「くくっ」と悪魔らしいくぐもった微笑を零してみせる。
「まぁ。少なくとも私は——葵さん、あなたの事を好意的に見ていることは本音っすから——」
「……そうかよ」
一人ぼっち。
そんな環境で気が滅入りそうだったが、どうやらなんとか命綱は繋がってくれたようで葵はホッとした気持ちを胸中で抱いた。
「……で? リードはなにしに来たんだ? たしか今の時間って飯食ってるはずなんじゃ……?」
「あ——! そうっす、そうっすよ! これを取りに来たんすよ!」
本来の目的を思い出したリードは、パンプに染まった自室へと足を踏み入れていく。
そのままズカズカと部屋の奥——大きな本棚から一冊の『アルバム』を手に取った。
「これこれ! これっす! これを取りに来たんでした!」
満足そうな笑みを浮かべるリード。その手に取ったアルバムは、葵の目にはかなり古臭い品物に見えた。
(……古代門書みたいだな)
そんな印象を抱いた葵だが、リードは慈愛に満ちた瞳を揺らし、ギュッ——と胸の内に抱いたのだった。
「じゃあ、私はこれで用済みっす! 後は掃除よろしくっす、お手伝いさん!」
「…………」
途端に元気良く、敬礼ポーズをとるリード。
先ほどみせた姿とのギャップに葵はなにも言い返すことができなかった。
目を見開かせ、立ちすくむ葵の横を紫紺の髪をなびかせるリード・アロンソは駆けて行く——。
「あっ! そうだ、お手伝いさん! 私の『お宝たち』を壊さないでくださいよ? それしたら私——一瞬で『悪魔』になっちゃうんで!」
「…………あぁ、気をつけるよ」
「よろしくっす!」
ゴスロリを揺らし、リードは葵の視界から姿を消した。
軽快だがどこか騒がしい足音が遠ざかるのを耳で捉えつつ、龍崎葵はしばらく部屋の入り口を見つめる。
「……悪魔になっちゃうかぁ……」
リードが放った最後の一言と——彼女が浮かべた『ニヒルな笑顔』が葵の脳裏にこびりついていたのだった。